清澄なる天魔
剣とは己を高めるものであり、「鋭」と「応」の掛け合いの中に、全てが含まれている。
井草藩小烏流道場にて毎日競い合う久瀬半助と猿田庄蔵も、ただ互いの剣を交えることが楽しかった。
だから、ある日の稽古中に、撃ち込みを止め切れず、半助の木刀が庄蔵の指を砕いてしまったのも、不慮の事故であった。
右の人差指と中指を失った庄蔵は、剣を掴むこともおぼつかず、道場を辞めてしまった。
一人遺された半助は、大切な剣友から剣を奪ってしまったことに何の言い訳もできず、剣を取らなくなり、二人が言葉を交わすことなく日々が過ぎ。
あの日から一年が経った夜。庄蔵が半助を訪ね、言った。
「半助、もう俺が剣を掴めぬと思ったか。哀れと思うか。五年後だ、俺と立ち会え」
そう言って、消息を断った。
周りは負け惜しみ、呪詛の類と顧みなかったが、その日から、半助の手に剣が再び握られた。
五年後。小烏流道場の師範代となっていた久瀬半助は、来訪を待ちわびていた。
右の指が欠けた道場破りは、約束の日に現れた。
一体どのような修練を積んだのか、その右手は変形し、指三本でも木刀を確と掴む。獲物を捕える猛禽の爪の如き、天魔の掴みであった。
二人は、何も言わず対峙し、剣を構え会った。
師範代と天魔の構えは、共に正調の小烏流であった。
そこには清澄な剣気のみがある。
『俺の指を奪ったことを悔やみ、お前の剣が失われることが、俺には耐えられなかった。だからあんな言い方をした』
『お前が必ず帰ってくること、俺は知っていた。だから、必死に鍛え上げたぞ』
剣とは己を高めるものであり、「鋭」と「応」の掛け合いの中に、全てが含まれている。