返礼
「人の生きる道行きは、他人様から預かることの連続だ。そしていつか、それをお返しする時がある。誰に、何を返すのか。それを自ら知り足ることは、何よりも有難いことだ」
剣の師匠がそう言った。
橋口西安は江戸の町で人格者として知れわたり、三代続くその道場では人の道行きを教えてくれると、多くの子弟が親御からの薦めで通わされていた。
東田左衛門は、腕はからきしというやつであったが、師の言葉を聞くのが大好きだった。
才覚のなく剣の上達のない自分自身に落ち込んでいた時に師がくれた言葉は、彼にとって救いであり、いつの日か、師に恩を返したいと思っていた。
剣では何も返せない。けれど、それ以外の何か。
それを見つけることが、左衛門の剣とも言えた。
師が、酒の席の口論に巻き込まれ、身分高い武士に果し合いを挑まれ、その決闘の連鎖に身を持ち崩し、行方知れずとなった時。橋口道場が潰れた時には、すべてを失ったと思った。
すべてを失ったとき、左衛門の中には、ただ拙い橋口流の剣しか残っていなかったのだ。
十五年後。
凶賊の一味に収まっていた橋口西安だった男と、火盗改め同心となっていた左衛門が出会った時。
言葉もなく、ただ一閃の切り結びのみで、事足りた。
「橋口先生。確かに、剣をお返し致しました。先生のお授けくださった剣で、私が世を守ってみせます」
一刀のもとに絶命した西安に、その言葉は聞こえるはずもない。




