臆の病
臆病という言葉が、嫌いだった。
しかし、それは本当に笑われなければならないことか?
自尊心の問題、ではある。
しかし、それとは別のところで人の心の在り方についての疑問を、子津忠五は抱いていた。
侍ならば、いざという時に、心構えができていれば、それ以外は些事だ。
御役目が長引き、帰るのが少し遅くなった。
番所から出るとき、最近は物騒で、辻切も十町先で出たからと、中間に提灯を勧められたが、家もすぐそこだからと謝辞したのがいけなかった。
季節は秋口。
夕暮れに足を踏み出せば、気が付かぬうちに薄暗さは夜のものへと変わっていた。
化かされたように、帰路は夜道となり、提灯を受け取らなかったことを悔いる。
誰そ彼れ時さえ終いとなった、薄墨色の帰り道。
提灯を持たぬ男が、前から歩いてきた。
顔が見えない。足取りも何か不安だ。
すれ違うまで、あと二十歩といったところか。
どうすべきか、迷う。けれど、どうにもならない。
心の臓は早鐘を鳴らす。斬りあいにならぬか、こわばる。
目の前の不明者の体が、強張るように思えた。
まさか。
それでも歩くしかない。
いざという時。心構え。
あと数歩。
小心者と笑われるのが怖くて、見栄を張ったことを後悔している内に、通り過ぎた。
あっけなく、すれ違い、ほっと一息ついた瞬間。
不明者が駆けた。
振り返る。
どうやら、侍らしい男は、走ってその場を立ち去っていた。
「……。もしや、向こうも俺を辻切やとも怖がっていたのか?」
お互いの滑稽に気づいた瞬間。
憑き物が落ちたように、忠五は笑った。
「なるほど、これは病よな」
子津忠五は、それからも小心ではあった。臆しもしたが、おびえることはなくなった。
終生、いざという時は、結局こなかった。




