賄の道
料亭「いちのじ」の奥座敷で、二人の男が向かい合う。
一人はこの大店の板場を差配する、街道一の看板を背負う男。
一人は、どうにも場違いな一張羅で肩を小さくかしこまる男。
「六助、蕎麦の屋台を引いているというのは、本当か?」
「へえ」
「まだ、料に心はあるか」
「いえ、食い扶持を得るための手慰みで」
「あんたの作るもんだ、きっとまずいんだろうな」
「へえ、それはもう」
かつての同僚に昔のように問いかけるが、ただ謙る返事。
もう当地にはいないと思っていた男が、蕎麦の屋台を引いていると聞き、人をやって呼び出したのは、一体どういう心持だったのか。
まともな料理を作れずに、皆から馬鹿にされて、仕事を放り出した男が、まだ人に飯を食わせる仕事にしがみついているという話を聞いた時、何故心が安らいだのか。
膳を挟んで、向かう二人
六助のような身なりの男が食べられる馳走ではない。
遠慮がちに口に運ぶ姿を見ながら、過去を想う。
「あの時もそうだったな。金を持たない親子連れが、店の前で行き倒れた時。それがただ飯タカリだとわかって追い払った。でも、六助。お前はこっそり飯を作って食わせてやった」
「あの父親の眼が、あんまりにもさみしそうで、何かあったけえ物を食わせてやりたかったんで。それで店を追いだされたんだから。馬鹿なことをしました」
「あのやくざ者とガキ、お前の飯を泣きながら食ってたな。こんなまずいものは初めて食べた、と」
「よっぽど、まずかったんでしょうなあ」
「つまらないことを言うなよ」
幸六は、杯を煽る。
「俺が、店のためにならない貧乏人を追い払った。なのに、何の取り柄もないお前が、俺が捨てたものを簡単に拾い上げた」
「あっしはつまらない蕎麦屋の親父。幸六さんはこの立派なお店を支えてきた本当にえれえ料理人だ。それが答えです」
「つまらないことを言うなよ。自分のしたことに後悔もしていない癖に」
「きっと、この世の中にゃ、どっちもいるんですよ。人にものを食わせるって道は……へえ」