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寝台の上の騎士

 わたしは椅子に上るなり、ほうきの柄をくるりと回す。そうすれば、蜘蛛の巣は潰れて柄に巻きついた。


「おい、早くしろ」


「今、やってますってば」


 仕事をはじめてから大きな失敗はなかったはずだった。この男の部屋を掃除するまでは――。




 わたしは騎士たちの部屋を掃除するメイドだ。それ以外のことをしたいとも思わないし、それ以上のことをする必要もない。お給金もそれなりの安さだし。とにかく、部屋にある埃という埃を取り除くのが仕事だ。


 今日の仕事場は新しい部屋だった。同僚の女の子がひとりやめてしまったため、回ってきた仕事だ。


 部屋の主は騎士で隊長の下と言ったかな。先の戦いにより、怪我を負って、部屋で静養中らしい。本来なら医務室にいろよというところだけれど、医務室がいっぱいで、特にひどい怪我の人が優先されているらしい。


 つまり、今回の部屋は住人がいらっしゃるのだ。そういうときは仕方なく、空気よろしく静かに掃除をはじめるしかない。わたしはいませんよと心のなかで唱えながら、床をみがく必要があるだろう。


 部屋に入ってみれば、想像した通り、眠っていらっしゃる。毛布を体にかけて、肩から上を出している。騎士の人って鍛えすぎて首周りが太かったり、顎がしっかりしているのだ。髭も生えているし、枕は臭い。


 けれど、この人は違った。首は細いわ、顎は尖っているわ、髭はないわ。小顔とさらさらした髪の毛が女として負けている気がする。長いまつ毛を揺らして、お前は王子か。ただ、白い肌に小さなかすり傷があったのが残念に思う。それもささいなことで、男の人を相手に、綺麗だなあと見惚れたのははじめてかもしれない。


 瞼を開けたら、どんな表情をするのだろう。仕事そっちのけで、じっと眺めた。肩や腕はそれなりに筋肉ありそうだけれど。


「んっ」


 男がわたしのいる方向に寝返りを打つ。頬が枕につぶれて、綺麗から可愛らしい顔に変わる。気持ち良さそうによだれまで垂らしている。故郷にいる幼い弟を見ている気分だった。懐かしいな。だから、手を伸ばして、さらさらした髪の毛を撫ででしまったのだろう。


「母上……」


 包帯に包まれた男の手がわたしの手を捕らえる。どうやら、お母さんの手と間違えているらしい。わたしの手に頬ずりをする。すりすりとされる。髭のざらついた触り心地は、男なんだなぁと思う。


 いや、これ以上はやばい。腕を引こうとするけれど、思いの外、男の手の力が強かった。本当に怪我をしているんだろうか。


「あの〜」


 離してもらわないと仕事にならない。不躾だとは薄々感じていたけれど、そいつの肩に手を置いて揺すってやった。さっさと起きろと。


「ん?」起きそうだ。もう一揺らししてみると、瞼がわずかに動いて、青い瞳が現れた。


 しばらく視点は定まらなかったけれど、目は丸くなってから大きく見開かれた。そして、「ぎゃあ!」と叫び声を放つ。わたしの腕は払い落とされた。


 まるで化け物扱いだ。


「い、いてえ」


 お腹を手でかばいながら、そいつはうめく。そうだった、怪我をしているんだった。体を折って痛がって、お可哀想である。同情心を抱きつつ眺めれば、目の前の男は落ち着いてきたようだ。


「お、お前は誰だ?」


 誰だってメイドの服を着ているし、考えればわかるようなものだけれど、「メイドです」なんて律儀に答えた。


 それからの奴のわたしに対する扱いといえば、ひどい。自分が勝手に寝顔をさらしたくせに、「寝こみを襲いやがった女」だと決めつけてくる。


「してません」


「しただろう。人の頬や肩にまで触れた」


「それはあなたが『母上〜』とか言って、人の手を掴んでくるから」


「なっ!」


 「母上〜」と甘えてきたのは事実だ。手を掴まれたのも嘘ではない。固まっているところ悪いけれど、


「何でもいいですけど、仕事をしていいですか?」


「仕事……ああ、掃除か。ふん、好きにしろ」


 偉そうな態度である。騎士にもこんなやつがいるのかとがっかりする。さっさとほうきで払って、床をみがいてやろう。


 いつもよりもてきぱき仕事をこなせている自分に満足していたら、「おい」と呼ばれた。


「何か?」


「そこの角の拭きが甘い。みぞもしっかり拭け」


 命令かよ。そう思いながらも、自分の掃除が甘かったのかもしれない。角もみぞも拭いたら、「髪の毛が落ちている」なんて。よくも寝台の上から髪の毛の1本が発見できるな。それからも、細かいところをいちいち指摘してくる。


 「まあ、いいだろう」と許可をいただいたのはお昼頃のことだった。一部屋に時間をかけすぎだ。


「それでは、失礼して……」


 騎士の顔を見ないようにして、早々に部屋を退出しようとしたとき、「待て」と引き止められた。


「まだ、何か?」


「明日も来るつもりか?」


「ええ、まあ、一応、仕事ですし」


「そうか」


 何でそんなことを確かめるんだろう? 寝顔を見られたことが気にさわったのか? その辺のことはわからないけれど、一応文句は言われないように礼儀は尽くして、退室した。


 さて、それからなんだけれど、わたしは毎日そいつにいびられている。怪我の治りが遅いらしく、寝台の上からだ。寝顔を見ることはなくなったけれど、起きているせいでいちいち指摘してくる。「どこやれ」「そこやれ」なんて、本当にやめてほしい。


 掃除だけではなく、シーツを取り替えろだの、食事を食わせろだの。わたしの仕事じゃないと思った。でも、包帯ぐるぐるの手を見せられると、何にも言えなくなった。お給金がはずむだろうな、おい。


 で、人が帰ろうとすれば、「明日も来るつもりか」といちいち確かめてくる。この時ばかりはわたしも腹の虫がおさまらずに、「ええ、そのつもりですが何か?」と返してしまう。毎回、同じように聞いてくるから「悪いですか?」とたたみかけてしまうこともある。


「い、いや」


 そこで目線を明らかに外し、気まずそうにする。何だか知らないけれど、わたしがこの部屋に来ることは許されているらしい。こっちはあんたの部屋の滞在時間が長すぎて、他の部屋の掃除時間が詰まっているのだ。


「失礼いたします」


「ああ」


 結局、「お疲れ様」のひとことすらもらえなかった。こんなやつが騎士として出世するとは思えない。


 ある日、同僚のメイドたちから呼び出しを受けた。ようは、騎士様の部屋を掃除する時間が長いというのだ。わたしもわかっていた。


 だけど、あいつがここやれ、これもやれとうるさいから時間がかかってしまうのだ。そう説明してやると、


「違うでしょ。あなたが彼と一緒にいたいだけではないの? 迷惑よ」


「そうよ、そうよ」


 女子とはなぜ、群れないと意見を言えないのか。そういうわたしも彼女たちと同じだ。後輩に何か言うときは、付き添いをつけている。


 それは、自分の意見に他の人も同意していると自信をつけたいから。こちらは全面的に正しいのだと思ってもらいないから。だから、彼女たちの気持ちはわかる。


 でも、わたしはあの騎士様のことは好きじゃない。むしろ、あの顔で命令されると、怪我をつっついてやりたくなる。


 はずなんだけれど、なぜか、いちいち否定するのもムカムカしてきた。わたしはあいつを好きじゃないんです。そう言うのも、疲れた。


 翌朝、わたしは騎士様にすべてを話した。そうしたら、元凶は偉そうに顎に指をやって、考える姿勢を作った。


「で、お前は俺と居たいのか?」


 なんて的外れな。違いますよと否定すれば、「俺だってな」とぐだぐだわたしのダメな部分を語り始める。やる気無さそうな目だとか、あくびを隠さないとか、たまに寝癖も直さないとか、それにしても、よく見ているなと思うくらい。


「わたしのこと好きなんですか?」


「……んな、わけあるか!」


 答えまでに空いた間を感じて、内心はにんまりしつつも、本日の掃除に取りかかった。いつにも増して、そいつの要求は高かった。



 そろそろ、怪我が治ってもいいような気がする。騎士様の部屋の角の埃と格闘しながら、ふと思った。


「治り、遅くないですか?」


「あのな、むしろ、早い。医師から驚かれているくらいだ。お前は無駄なことは考えず、手を動かせ」


 手はちゃんと動いている。


「だが、怪我が治れば、お前と顔を合わせることもないな」


 ああ、確かに。騎士は朝が早いし、わたしが掃除する頃には訓練やらで忙しいだろう。メイドとしては嬉しいはずなのに、なぜか、喜びが少ない。まるで、顔を合わせないことになるのが淋しいみたいな。


「そうですね、せいせいします」


「奇遇だな、俺もだ」


 言葉とは裏腹にふたりの間に漂う空気は重苦しく感じた。どうして、そうなったのか、わたしは深く追求しないようにした。したらきっと、取り返しがつかない。



 ある日、故郷から手紙が来た。「そろそろお前も年頃だろう。結婚を考えてはどうか」という父親からの手紙だった。


 まあ、わたしも考えてはいる。部屋に帰ったら、速攻で服を脱いで、寝台の上で大の字になっているわたしでも、結婚は考えている。大体、18歳だし、周りも騎士や何かと結婚しているし、うかうかしていたら、すぐに行き遅れと言われてしまうのだ。


 周りから行き遅れにされると、こういう手紙も届かなくなるのだと、知り合いのお姉さんが愚痴をこぼしていた。


「結婚かぁ」


「何だ?」


 ここがあいつの部屋だと忘れていた。頭のなかが「結婚」について占領されていて、思わず呟いてしまった。あんまり話したくないけれど、今日の騎士様は何だか偉そうじゃなかった。読書の手を止めて、心配そうに見ている……気がした。


「いや、故郷から手紙が届いて、早く身を固めろとかうるさいんですよ。でも、わたしも18だし、いろいろ考えなきゃなあと。それで『結婚かぁ』と呟いたわけです」


「なるほどな」


 案外、普通の反応に驚いた。「お前の結婚など興味がない」と切り捨てられるかと思っていたから、どう返したらいいのかわからなかった。


「俺も母上がうるさくてな。騎士だった父は戦いで死んだ。それから、俺もこんな怪我を負ったから、母上はいっそう心配している。だから、『早くお嫁さんを見つけて後継ぎを産んでもらいなさい』とうるさいんだ」


 青い瞳は波のように穏やかだった。これだけ見ると、人をいびるような人物には思えない。きっと、寝言まで出てしまうほどにお母様を大事にしているのだろう。


「それじゃあ、怪我が治ったら、お嫁さんを見つけたらどうですか?」


「ああ、そのつもりだ」


 騎士様がはじめて笑った。わたしの前で屈託なく、歯を見せた騎士様に胸が苦しくなる。何だ、これ。全身が熱いんですけど。持ったほうきの柄に汗が染みこむのがわかるんですけど。胸が苦しくて、「あ、う」とか、こぼした息まで熱い気がする。


 しかも、怪我が治ったら、お嫁さんを探すって言った。そんなところが引っかかって胸がもやもやする。何でこんな嫌な気分なんだろう。うつむきかげんで考えに浸ったら、包帯に包まれた手がわたしの頬に触れる。


 ほら、後輩のメイドの子に言っていたじゃないか。男のされるがままはダメだって。甘い言葉に簡単に乗っちゃダメだって。


 なのに、わたしもいざとなったら何にもできない。この男に触られるのが嫌じゃないから、抵抗できない。青い瞳に吸いこまれていくのも嫌じゃなかった。むしろ、嬉しくて困る。


 勢いで瞼を下ろしたものの、このまま相手の雰囲気に流されるのは、わたしじゃないと思う。今まで生きてきて、恋愛の熱で頭をやられることもなかった。これまでもこれからも変わらない。わたしはそいつの頬を叩いていた。


「いってえ」


 痛いことをやっているのだから当たり前だ。わたしはできるだけ冷ややかに見えるように目を細めた。


「何をしようとしているんですか?」


「何って……」


「好きでもない女に口づけなんて、お母様が泣きますよ」


 「お母様」には弱いだろうと思って、話に出した。自分で「好きでもない女」とか言って胸が苦しかったけれど、気づかないふりをした。


「はあ? 誰がお前に口づけなんてするか。ここに泥がついているだけだ」


「へ?」


 頬に泥? わたしは思わず指で顔を拭う。


「ああ、落ちた。18にもなって頬に泥をつけて、結婚は当分、無理じゃないか?」


 自覚がある分、嫌味がきつい。口づけされるかもと思ってしまった自分が恥ずかしい。その恥ずかしさと情けなさとで、思い切りにらみつけてやる。騎士は笑った。


「だから、俺がもらってやる」


 この言葉が頭に入ってくるまで大分、時間がかかった。だけど、意味がわからないほど鈍感ではない。というか、からかっているだけでしょ。


「遠慮します」


「遠慮するなよ」


「嫌いなんで」


「大事にする」


「ほー」


「母上の次にな」


 わたしより、こいつのほうが結婚は遠いだろう。


「期待しないでおきますね」


 その時は聞き流すように言ったけれど、本当は胸の奥が騒がしかった。信じるなと思うのに、にやけてしまいそうになる。自分らしくない自分を見るのが嫌だった。これ以上、深入りしてはダメだと思った。




 離れた方がいい。そう決めた翌日から、わたしは部屋の担当を代わりたいと申し出た。早くこうすれば良かったのだ。接点が無くなれば、同僚のメイドにいろいろ言われなくて済む。


 わたしの申し出は簡単に了承されて、騎士との繋がりはぷっつりと蜘蛛の糸のように切れた。風の噂で騎士の怪我は治ったと聞いたけれど、わたしはもう二度と会わないものだと思っていた。


 はずだったのに、目の前には騎士様の姿があった。仕事が終わり、部屋に直行しようとしていた時、薄暗い通路に騎士様がたたずんでいる。


 ちゃんと騎士の制服に身を包んだ彼は不服そうににらみつけてきた。きっと、怒っている。本能的に逃げたものの、これは取り返しのつかないことをしてしまったんじゃないか。後悔しつつ、一心に青い瞳を見つめ続けた。彼が歩くと距離が縮まる。


「怪我、治ったんですね」


「言いたいことはそれだけか? 逃げやがって」


「すみません」


 報復されるかもしれないと、身構えたわたしの体が包みこまれた。まさか、騎士様に抱きしめられるなんて。長い腕がわたしの背中に回されても嫌じゃない。素直に言ってよいか迷う。


「言いたいことはちゃんと言え」


 わたしの心を見透かしたように言うから、押し隠そうという抵抗を諦めた。


「ずっと、考えてみたんですけど……あなたのこと嫌いじゃないです」


 好きというのは照れ臭くさかった。言ったとしたら、どの口が言ってんだよとつっこみたくなるだろう。騎士様がくれた言葉を思い出しては、もだえていた情けない日々が頭のなかに浮かんでくる。そのくらい好きだ。


「俺も嫌いじゃない」


 綺麗な青い瞳に見つめられるのが好きだ。波のように穏やかな瞳が好きだ。


 ずっと見ていると、探り探りに顔が近づいてくる。


「じれったいですね」


「前に叩かれたから」


「え、あれ、本当はくち……」


 最後まで言えなかった。唇が重なる。遅れて瞼を伏せた。角度が変わり、深く深く侵食されていく。


 噂に聞いていたものと違う。冷めた目で見ていた他人の口づけ。みんなどんな思いで好きな人と熱を交わしていたのだろう。感情が溢れてどうしていいのかわからない。ただ、ずっと、繋がっていたいと思う。


 顔を離せば、自然と瞼を開いてもいいとわかる。


「好きなくせに」


「ああ、好きだ」


 そんなふうに返されるなんて思っていなかった。だから、何にも言えなくて。


「お前は?」


「ええ、好きですよ!」


 と、なかば、すさんだ気持ちで叫ぶ。たったそれだけで騎士様の不安そうな顔は、直視するのがきついくらいの素敵な笑顔に変わった。


 包帯のとれた手のひらがわたしの手を包む。そのまま騎士様は片膝をついて、わたしの手の甲に口づけを落とした。


「なってくれるか、俺のお嫁さんに?」


「ええ、もちろん」


 切れたはずの蜘蛛の糸が強く結びついて、しっかりとしたものに変わった気がした。


おわり

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