古の空と夢の記憶~終焉の焔~
色々と、色々とヒドイです。
ですが一生懸命書きました。
ゆるして下さい
滅びゆく文明
滅びゆく大地
消されゆく存在
穢され、踏み躙られ、剥奪される未来と権利、そして命。
かつては栄華を極めし地上の神々も、やがては暇を持て余し天へと還り、その代り神々が悪戯に作り上げたヒト族とヒト族以外の種族が各々住まう大地を分け、各地へと散り、各々の住み慣れし地で編み上げし生活や技法。
神々は地上を離れる以前、これから先二度と訪れることは無いであろう地に放棄してゆく人形に一つだけ、親としての言葉を下賜した。
己が領分を弁えよ
されば無為な血は流れまい
己が役目を自覚せよ
なれば世界の秩序は保たれよう
ヒト族は親とはいえ神々からの言葉を下肢直後からはしばらくは律義に守り、ヒト族以外の、――そう、例えば深き森に住まいを構えた、耳が長く、総じて容姿が麗しいエルフと名乗りを改めた種族は、早々に高慢な種族思考に捕らわれ、神々が何だ、ヒト族なぞ所詮は我らの下位種族で失敗作ではないかと嘲笑い。
ヒト族の上半身に魚類の下半身を与えられた人魚族は、母なる海と自身らの歌声さえあればいいと海へと戻り。
普段はヒト族だが、月夜の夜だけ本来の獣の姿に戻る性質を与えられた人狼族は、エルフ族とは反対の森に赴き。
純血こそが全て、血潮こそ、鮮血こそが何よりも美しく、尊いのだと酔いしれた吸血族は、魔が住むと神々が嫌った領域へと竜種と共に去った。
そうして緩やかに、しかし確実に等しく時は流れ、差異はあれど互いの領分を侵すこともなく弁えていた。
が。
唐突に仮初の平穏は、幾人かの愚者らによって崩壊へと行進し始めた。
初めはヒト族の小国の年老いた王であっただろうか。
ヒト族は他種族よりも寿命が短く創られており、死を目の当たりにした愚かな国の王は、神族を怨み、ヒト族こそが至高であると声高に叫び、大陸に住まう権利を有するのはヒト族だけであると他種族狩りを始め、今日ではヒト族同士の国々で争いが頻発しており、加え一度感染したら不治の病とされる奇病も蔓延している。
死とはそれほどまでに恐ろしいのか。
死とはそれほどまでに忌避することなのだろうか。
ドクドクと忙しなく脈打つ鼓動を胸の下で感じながら、狂人と化してしまったとしか思えぬヒト族の女によって刺された腹部を抑えつつ、昼間だと言うのに薄暗い路地に身を潜め、息を整えるのは、本来であれば眩いほどの輝きを放ち、絹のような手触りを誇る金色の髪に、神の血筋にしか現れぬと言われている紫色の瞳を持つ、少年とも少女とも言い切れぬ幼さを色濃く残す子供。
痛みは既に麻痺しているせいなのか感じられないが、刺された傷口が妙にジクジクと熱い。
まるで地獄の業火に焼かれているようだ、と、子供は雲で覆い尽されている空を睨み上げ、カサカサにあれた唇をギリリ、と噛み締め、意を決し再び街中を走り出した。
自分がこうしている間にも、あの人、――異形の血を引く己をを唯一無二受け入れてくれた師匠は、惨い取り調べや下手をすれば処刑されかねない。
もとより、自分が師匠と仰ぐ人物がそうなってしまった原因も理由も、自分にあるにはあるのだが。
(ちくしょう、こんな本さえ見つけなきゃ、今頃師匠は、師匠はッ)
古びた茶色の革の表紙に長年の経過により黄ばんだ紙と、ごく一般的にありふれた本はしかし、今現在ヒト族が血眼になって探し求めている不治の病の謎が記されているのだが、この本がいささか問題であった。
手に入れた当初は特に興味も関心もなく、ただ暇潰しにはなるだろうかと、年季の入った机の上に他の本と一緒に積み上げておいただけだったからか、数日後には手に入れたことすら記憶から抹消されていた。
まさかそれが焚書扱いされている禁書本だとは思いもしなかったのだが、証拠は頭が痛くなることに本自体が証明してくれていた。
いざ調べてみれば、手に入れた本は何から何までもきな臭かった。
本の著者が誰かなんて解らないなんて言う世迷言は言わないし、言えっこない。
この本は明らかに暇に飽いてこの地を棄てた神々の内の一人が記した 《悪意なき鎮魂歌》であろう。
ご丁寧なことに名前まで書き記し残しているあたり、かなりの暇を持て余した神であり、変わった思考の神だったに違いない。
エオニオ-ティとだけ記された名から察するに、自身が知る限り、永久の時を司る神が気紛れを起こして書き記した内容は、確かに今各所で流行っている病の治療法を事細かく解説し、対処法を説いてはいるが、解決する方法は明らかに神々が言い残した秩序を根底から覆す言葉の羅列だった。
皮肉なものだ、と、子供とも言えぬ子供――フィニスは唇の端を歪めて嗤った。
フィニスとは終わりを示す名で、神話の中では裏切りと夫殺しの代名詞である堕ちた神の名であり、永遠を司るエオニオ-ティとフィニスはフィニスが神焔で裁かれるまで生涯相成れなかった関係だ。
神焔とは字の示す通り、神々が裁きの際に放つ魂をも焼き尽くす焔であり、他種への転生をも許さぬ清廉と潔白、慈悲なき慈悲で燃え盛る炎である。
当然熱さや苦しみは死した後、否、魂をも焼きつくされた後も永遠と続くと言い伝えられている。
そう、今もあの時の苦しみは、憎しみは脳裏にくっきりと残っている...
ツキリ、と、一瞬だけフィニスは頭痛に襲われ、憶えの無い記憶を追体験させられ悪態を吐く。
今より幼き頃は頻繁にあった事だが、最近は特になかったがゆえに警戒を解いていたらこのザマだ。
刺されていた部分に目をやれば既に傷の修復が始まり、余程よく見ぬ限りは狂人に刺されたと訴えたとしても信じて貰えずに、逆にこちら側が狂人だと断じられてしまうだろう。
狂人の扱いは表向きには国営の診療院に入所させ、心が安らぐまで治療を施すとなっているが、実は体の良い人体実験や臓器や皮膚を剥がされ売り買いされていると聞く。
その噂を裏付けるかのように、先程襲い掛かってきたヒト族の女は漆黒のマントに身を包んだ得体の知れぬ輩に密やかに追われていた。
彼の奴らはあわよくばフィニスをも手に入れようと目論んでいたようだが、確実に手に入れられる素材を優先したらしく、奴らは幽鬼のように気配を殺し、獲物を狩るべく嗤っていた。
そんな薄気味悪い残像と、傷口から発せられている微熱と不愉快な頭痛を、気力で思考の彼方へと追いやり、師である人が捕えられているであろう地下迷宮牢獄を目指す。
地下迷宮牢獄とはその名が示す通り、王宮の地下に造られた脱獄不可能な牢獄であり、例え牢から運良く逃げ出せたとしても、迷路のような造りをした地下から地上へと繋がる階段を探す前に乾涸びて命の灯が燃え尽きてしまう仕組みとなっている。
当然、見回りに来る役人や王侯貴族は迷わないように何らかの秘策を用いてるが、時折不幸な事故があるらしいと、噂と偽を好物とする吟遊詩人が酒場で日毎繰り返し歌ってはこの世を嘲笑っている。
彼の吟遊詩人は見た目こそ麗しきエルフ族ではあるが、趣味嗜好は吸血族や竜族のように傲慢で冷徹、また、使う言葉の端々には今は滅びたとされる古代の神語を彷彿とさせる癖が混じっている時がある。
奴は神出鬼没で、謎めいた詩を吟じる時もあれば、どこか懐かしいと思わせるただただ美しい旋律を奏でる時もあるが、本性はきっと誰にも掴ませるつもりはないのだろう。おそらく吟遊詩人と言う職業ですら偽りに違いない。
と、埒もなく気に食わない輩の顔を思い出しながら地下迷宮に向かい、駆けていたフィニスは、注意力が欠如していた。
庇うとしたら、疲れていた、と表現するかもしれないが結果は等しい。
ガンッと、頭部を何か棒状のもので自分が何者かの手によって強かに殴打されたと気が付いたのは、地下迷宮牢獄にうまく潜入でき、もう間もなく師である人物がいるであろう区域に到着し、安堵からの吐息をついた直後であり、額から流れてきたそれが視界を塞いだからだ。
殴打されたことにより、暗く澱んだ空気が停滞する地下牢の床に倒れ伏し、徐々に意識が遠のく中、フィニスは無意識のうちにある言葉を紡いでいた。
それは今は失われし、神々の呪歌であり、解き放ちを願う歌。
その歌に反応したのか、フィニスが腹部に隠し持っていた禁書本全体が眩い光で包まれ、体を覆い尽したかと思えば、清冽なまでの輝きと共に忽然と姿を消していた。
同時刻、吟遊詩人は来たる時が来たと悟ったのか、微笑むだけで誰をも虜にすると言う笑みを麗しい顔に浮かべ、友の帰還を喜び、今は見えぬ未来の物語をつま弾き、語り終えると、王や妃が引き止めるのも聞かず、闇夜に溶けるように何処かへと消え失せた。
◇
身体が熱い。
生きながら炎に抱かれているようだ。
正しくは熱いと言うよりは痛いと言った方が良いだろうか。
とにもかくにも不愉快で仕方がなく、俺はゆるゆると閉じていた瞼を押し上げ、瞬きを何度か繰り返し、手足が動くか力を込めてみたところで違和感に気が付いた。
「どこだ、ここは」
生まれてこの方、こんな豪華な天井を見たことがない。
見上げている天井は極彩色に彩られ、見たこともない見事な装飾が為され、不思議なことに一定の時間で空の絵と言うか色が変わっている。
と言うか、なぜ手足に鎖と枷が付いているのか。
試しに腕を天井に向け上げるとジャラ、ジャラリと鎖が音を立て腕に追従してくる。
これでは動けないではないか。
まさかここの屋敷の主人は監禁癖でもあるのだろうか。
いくら行き倒れていたところを拾って手当をしてくれた恩人とはいえ、これは無い。好感度はプラスどころかマイナスだ。
やれやれ、と、頭を緩く横に振ったところで、ひどく聞き覚えのある声が降ってきた。
「やぁ、目が覚めたかな?僕の愛おしい、そして嫉妬深くもある妻は」
歌うような、嘲る様な、それでいて愛でているかのような口調は、自分が記憶している限りではあの糞野郎――吟遊詩人しか知らない。
嫌な予感を胸中に抱えつつ、そろりそろりと声が聞こえてきた方へと視線をやってみれば、見事悪い方の予感が的中した。
白銀に煌めく神々しいまでの髪に、透き通った紫色の瞳、老若男女を誑かすが如き美しくも艶美な容貌。
やっぱりコイツだったか...!!
「テンメェー、何の恨みがあって俺を拘束しやがった、ムーシケ!!」
早く放せ、今すぐこいつを外せ、と俺が声の限り訴えても罵倒しても、すかした風体で吟遊詩人を生業にしていた男は、まるで幼子を宥めるかのように静かな声で言の葉を紡ぐ。
「あァ、まだ記憶が混濁しているのですね?あなたはここ数日熱に魘され、何かに掻きたてられるかのように自身を傷つけていたので、止む無く神力封じの楔を付けたのですよ」
あなたは私のたった一人の愛おしい妻なのですから、と、続けられた言葉に、勝手に涙が溢れ、途惑ってしまったが、節々にただならぬと言うかとても認められぬ言葉が紛れており、感傷に浸りきれずにいた。
「だァーれーがー、お前の妻だってェー?」
「君がだよ、フィーニス」
「ふざけるな、俺は、俺の名前はっ...、っつ」
感情のまま叫び、自分の名前を言おうとした瞬間だった。
ひゅぅっと、喉がいきなり締まり、呼吸ができなくなり、苦しみと死の予感に怯えていると夫であると言いきったムーシケは美しく麗しい笑みを湛えたまま、何事もなかったかのように金糸雀のように、俺の耳に唇を近づけ囁いた。
「君は、僕の妻でフィーニス。決してあの穢れた人間どもと同じモノでは無いんだよ?」
喉に白く長い指が這わせられ、上下に擽るように動かし。
「でもそうだね、君がそんなに夢の中の自分を懐かしむのなら、君の魂を守って庇ってくれたあの逸れ人狼に免じて、目覚める前にいた記憶の住人たちを助ける手立ては用意してあげないことも、無いかな?」
――さぁ、さぁ、選ぶといいよ?君はどんな二度目の神生を選ぶのかな?
答えなど、最初からあるようでなかった。
脳裏に蘇るのは死にそうな時に助けてくれた恩人であり、師でもあったどこか孤独に嫌悪感さえ見せていた初老の男。
男でもなく女でもなかった自分を、性別など生きていく上では関係ない必要ないものだと説いてくれたたった一人の心許せる存在。
そこでふと、積年の疑問が解けたような気がして、そしてどうしようもなく落ち込んでしまった。
最初から自分は性別はなかったのだ。
そればかりか、人間でもなかったのだ。
「ハハ...、ッハハハ、何だよ、俺って化け物だったのかよ」
どおりで、傷が治るのが早かったわけだよなぁ!!!
生まれた頃から親の存在や、与えられる筈の無償の愛などというものが自分に注がれなかったのは、ヒト族の間に流患した疫病による孤児だからだと自己暗示していたのに、正体はよりによって悠久の時を刻む定めにある、神と言う名の化け物で。
しかも、一度は神生を終えさせられているとか、どんな冗談だ。
虚しすぎて、反吐が出る。
一頻り思いのたけを吐き出すかのように、この世を呪うかのように泣き喚き続けた俺は、首に繋がれていた鎖をグイッと引っ張られたことで、涙が止まった。
鎖を引っ張った側からしてみれば、いつまでも不快な騒音を撒き散らすな、という意味合いで軽く引いただけだろう。
が、目覚めたばかりからしてみれば、殺されると思っても仕方がいと思うのだが、現実は、否、ムーシケはそれを善しとはしなかった。
「ねぇ、何度言ったら君のその空っぽの頭は理解できるのかな?なんの為に君が僕を殺す前の時に戻したか理解してるの?そのために僕が下げたくもない頭を下げて、侍りたくもないやつの寝所に侍ったことも、全部無駄にしちゃってくれるの?」
それってすごく、スゴおおーーく、不満なんだけど?気に入らないんだけど?
と鎖をくるくると指に絡めながら、空にふわりと浮く奴の表情は、怒りと悲しみと切なさと、やり切れぬ想い、とにかく様々な感情が渦巻いていて、口から出かけていた苦情は、瞬時に泡のように消えた。
代りに零れ出たのは、鎖を引かれたことによって出た生理的な空咳と、涙が一滴だけだった。
俺とムーシケの間に訪れたこの妙な空気はしばらく続くものと思っていたが、どうやらそれはこっちの勝手な事情であったらしく、翌朝の早朝には神を統べる神、オラ神によって、とりあえず強制的に和解と相成った。
とは言っても、ムーシケは元々俺と喧嘩したと言うか仲違いしたと言う考えはなく、ちょっとした意見の相違だとオラ神とか言う神に申し出ていた。
オラ神はその申し出を信じることを前提に交換条件を出してきた。
因みに天界(神々と神に仕える子、つまり一般的に言われている天使)では、争い事は基本禁止されているとのことで、もし、この決まりを破れば天界牢にヒト族の時間で5年放り込まれる、らしい。
「終焉を司りしフィーニス、音楽を愛で、司りしムーシケよ、そなたらにはこれから我らが新たに創る世界で何れ流行するであろう奇病の謎を解き明かしてみよ。見事その責務を果たした暁には、一つだけそなたらの願いを叶えることを一考しよう」
神が願いを叶えるためには信仰心の他に神力と僅かばかりの命運を使用する。よって無尽蔵に願いを叶える訳にはいかないのだとか。
「――やれるな、終焉を司り、真の意味で終わりを齎すことのできるただ一人の我らが同士、フィーニスよ」
抗い、反論を許さない声音は傲慢でありながら、神としては崇めずにはいられない厳格さを併せ持っていた。
処変わり、フィーニスの目覚めを知らされた他の神々は、神騒がせな仲間の目覚めを祝福しようと各々の箱庭から献上させた食物で、宴の準備をさせていた。
基本、何も食べずとも飢えることのない神ではあるが、やはり崇拝の念や信仰心が込められたものを食せば、若干の命数が戻ってくることがある。
赤茄子でじっくりコトコト煮込んだホーロ鳥の煮込みは葡萄を醗酵させた酒と良く合う。 酸味が豊かなしっかりとしたパンは外はカリッと、中はふわふわな食感だが、もっちりとした食感もある。
レーズ豆のスープは赤茎果と豚の塩漬け肉と煮てあり、好みで酸味のあるクリームを添える神もおり。
他にも宴の間の床には所狭しと料理が並べられていて、いつでも酒宴が始められる状態である。
そんなこととは露と知らず、俺とムーシケは俺が眠りに就かされていた箱庭の奇病の原因と治療法を探るべく、造られたばかりの箱庭に赴き、目を瞠った。
神々が造り出した箱庭には、あの世界では滅びていた植物や枯れた鉱石、景色、どうぶつが生き生きと暮らし、互いを尊重しあっていた。
それがどうしてあんな奇病が広がり、更にはそれぞれの種族は別れ、ヒト族は争いを好むようになってしまったのだろう。
燦々と降り注ぐ太陽、太陽の光に照らされ生命を象徴するが如く繁殖する緑濃き植物、己の力では輝きは出来ずとも、生きとし生けるもの全ての安寧を見守る月。
圧倒的なまでの完成された美と理想郷に、俺はしばらく言葉を忘れ、目の前に広がる豊かで美しい光景に魅入られていたが、時は待ってくれなかった。
緩やかだが確実に育ち、変わりゆくそれらは、徐々にらしさを備え、変化し、進化してゆく。
そんな数多な種族が集う箱庭で、最初に自我を確立したのは人魚族の長である姫だった。
原因は嘆かわしいことにヒト族のとある男の愚かな妄想から基づくものであり、行動からだった。
誰が唱えたか、ヒト族の男は、人魚族の若い娘の肉は不老不死の妙薬であると本気で信じ込み、入江で怪我をして動けないでいた人魚の若い娘を気遣う素振で近づき、なんと、背後から羽交い絞めにし、人魚の娘に噛み付き、喰いちぎったのだ。
途端、周囲に広がる夥しい血臭に彼女は泣き、叫び、助けを乞うた。
「なんてことしやがる!!相手は怪我を負った人魚だぞ。しかも互いの領分を侵してはならないと言う規約を破ってんじゃねえか」
「-―落ち着きなよ、と言ったところで君は納得しないんだろうね。でも、これはまだ序章だよ。ほら見てごらん、次はこの時代だ」
何も出来ない、救えない虚しさと怒りから歯噛みしてぶるぶると震える俺を他所に、ムーシケは淡々と時代を指し示す。
因みに俺とムーシケは創られた箱庭の空に浮かぶように滞空しているが、姿は感知できないようにオラ神から加護をかけて貰っている為、相手に視えない代わりに直接助けに入れない。
――ぽわり、ぽこ、ぽこ、ぽわり
ムーシケに示された時空を、体内を駆け巡る嫌悪感を必死で制御しつつ覗き見れば、言葉に出来ないほどの憎悪を憶える光景が目の前に広がった。
血の海、と言う言葉は、言葉としては知っていたが、実際に目にしたことは皆無だった。それに知っていたと言うだけで、きっと理解はしていなかったのだろう。
言葉の通りな《血の海》に横たわる妊婦の胎を鋭い刃で切り開くのは、またしてもあの男だった。
男は人魚の娘を喰らっただけでは満足できなかったのか、長寿であり、夜間でも視界が優れると言うだけの狼族の年若い妊婦の胎を裂き、臓物を喰らい、血を啜り。
切り裂いた胎から引きずり出した子供は、エルフ族を脅し、歳は老いても死なないように血を与えさせ、得体の知れぬ液体に漬けて監視させ、細かく報告させていた。
もう、なにを言えばいいか解らない。
けれども一つだけ言えるのは、この狂った男をこの箱庭においておけば、俺はともかく、他の神々が愛した世界が壊れてゆく。
美しい古の空が悲しみの色に染まってゆく。
ささやかな神々が願い、夢見た楽園が、たった一人の男によって歪んでいく。
ああ、こんなことは赦されてはならない
ああ、こんなことでこの美しい世界を壊してはならない
ああ、こんなことで美しい空を醜悪にしてはならない
迸る力の奔流
湧き上がる終焉への言葉
蘇る、在りし日の神として生きていた頃の記憶
それらに身を任せれば身体が淡く発光し、やがて子供のようだった体は大人のそれに変化し、額には朱色の華痣が浮かび、刻まれた。
もし、この場にオラ神がいたのならば、つくづくヒト族臭い神よ、と苦笑をしていただろうが、その時の俺は俺であり、終わりを齎し、激情のフィーニス神だったに変化したことで、妙に感情が凪いでいた。
おそらく神の本質が冷酷無慈悲であり、自分本位だからだろう、と思ったのは正気に返ってからのことで、この時は本当に目の前の敵以外のことを、狂人意外のことなど脳裏には欠片も残っていなかった。
もはやこうなってしまった俺を、自分を止める者は誰もいないものだと思っていたが、彼の奴だけは違った。
天に振り上げた腕を振り下ろそうとするのを腕を掴むことで阻止し、冷静になれと瞳を覗き込んで額と額を無理やり合わせ、精神に干渉してきた。
自分たちに与えられた任務の根幹はなんであるかを思いだせ。
感情に任せた神罰を与えては、楽園が、理想郷が滅んでしまう。
そして、闇に堕ちた仲間を見殺しにしてはならない。
ふっ、と漏らした吐息は安堵から。
そして、よりによってコイツに諭されるとは、という悔しさと、新鮮さ。
ついでにぎゅっと抱きしめられた。
何故だ。
ぺチぺチと背中を抗議の意味で何度か叩いたのち、あの傲岸不遜な奴が、いつも嘲笑っていたやつが、震えて涙声になっていることに初めて気付いた。
「君はっ、いつもそうだっ。いつも、いつも自分の身勝手に決めて、自分の身を振り返らない。君を愛している仲間を、僕を振り返らずに、一神で逝こうとする。君は勝手だよ、勝手すぎるよ!!」
最初は囁きだったそれは次第に大きな嘆きとなっていた。
そこでハッとして恥ずかしさのあまり言葉に詰まってしまったが、今は為すことをなしてしまうのが先だと思いたち、今度は思いっきり奴の抱擁から逃れ、ニヤリと笑って見せた。
「俺を誰だと思っていやがる、ムーシケ。お前は俺が俺に打ち克ことだけを信じてそれでも掻き鳴らしていやがれ」
捕らわれ、生きたまま肉を貪られた人魚族の長姫。
愛し子の顔を見ることなく内臓と血を啜られた狼族の若き母親。
意思の自由を奪われ、母親を食い殺された子を薬液に漬けてしまった心優しきエルフ族の青年と、長きに渡り利用されてきた人狼の男。
そして、ただただ、長生きをして、愛するものと添い遂げたいと願っただけの元は穏やかな性質だったヒト族の青年。
最後に永遠の命を任されたがゆえに、何度も何度も繰り返し仲間を見送ってきた神。
それぞれの闇と苦しみから解放するためには、膨大な神力を要するが、これが出来るのは自分だけ。
チラリと神琴奏を静かに奏でているパートナーを振り返り見て、もう一度決意する。
今度こそ、後悔しないように。
誰も哀しませないように。
体内で絶えず循環する神力の塊を練ることで、徐々に威力を高め、成功率を高めてゆく。
神々が夢見た楽園を落園にしない為、闇に囚われた者達を解き放つため。
今、この時を持って宿命を果たそう。
スゥーっと息を吸い、整え、言葉を紡ぐ。
――ヒトよ、闇に落ちし魂らよ
これは我が名の下によって齎される救いの言霊
閉じた瞼の裏が白く染まる。
震えそうになる喉と声を、残った勇気で虚勢を張り戻し、一息に完成させる
「穢れなき終焉の焔」
直後、神々が創り上げた理想郷でもある箱庭に降り注ぐ何百、何千万もの光の柱と浄化の音色。
この光は例えオラ神と言えど遮ることは出来ない。
悪しきものを断ち、再生を促す光の焔たる柱。
あまりの威力と広大に及ぶ範囲の為、汗が頬を伝い、顎から流れ落ち、全てが終わったと同時に、俺は意識を失った。
こうして箱庭に微かに満ちていた薄暗い靄が消え、元の美しい景色を取り戻した裏で、並行世界であったもう一つの箱庭でも、変化は生じていた。
なんと、今の今まで特効薬がないと騒がれていた奇病の症状が改善され、狂人となっていた人々(それでも今まで失ってしまった命は戻らなかったけれども)が正気に戻り、瞳が濁っていたとある国の王の瞳に知性の光が戻り、そのことで己の生涯を顧みることが出来、悔恨の雫を流した。
そして。
長い間、牢に閉じ込められていた男は、突然空気が変わった牢獄からすべてを知り、理解し、我が身から呪いが消えてることを認めるなり、慟哭した。
ああ、この哀しみは何であろうか
胸に空いたこの空虚な感覚は
思いだしたくても思い出せぬ、愛しき弟子の名は
音に出したくとも叶わぬその名は
人狼族の男は暫く記憶から抹消されたモノを嘆き続けたが、やがて思い直し、今になって戻ってきた正常な寿命を逆算し、生涯を神々の研究に捧げることにした。
そこに、失ってしまったモノの何かがあるような感覚を抱きつつ。
◇
神々を統べるオラ神は、自分達からしたらまだまだ年若い二神が放った神具と二つの箱庭の光景を見つつ、ぽつりと親友でもあった最上神の一神、エオニオ-ティに語り掛けた。
「...友よ、そんなに永久の命が重責であったか。なぜそんなに己を厭うか」
さらりと、白くなり、神の力を失った髪を撫でる。
「友よ、ヌシは間違えた。そして我らも違えてしまった」
流すことのないと思っていた感情が次々と、雨となり、瞳から降る。
「ヒト族や人形族、吸血族、彼らは我らの奴隷でも人形でもなく、個々の種であったのだな」
どんなに、何度も語りかけても答えは返らない。
終焉の焔はオラ神の親友である神を縛っていた鎖と枷を穿ち、心を救い、苦しみから解放した。
こうなることは知っていた。
知っていてオラ神は二神に未来を託した。
オラ神はしばしの別れの印に、友の冷たくなってしまった唇に己のそれを重ね、骸を痛まないように神力で作り上げた棺に横たわらせ、眠りの宮に安置した。
かくして、神々は創り上げた楽園から手を引き、以降、安易に世界に関わらぬことを誓い、仲間の回復を願い、古の空と夢の果ての記憶を教訓にして過ごしたと言う。
やがて時は巡り、とある国、とある街の片隅で神々の物語としてそれらが歌と共に吟じられたのかは、その時代、その世にいる者達しか与り知らぬことである。