ハイエストユニバース・インフィニティー
おれがずっとプレイしていたネトゲ【ハイエストユニバース】が、ついにサービス終了の日を迎えた。
そして同時に、俺の人生も終了。そんな話だ。
まあ、そのずっと前から終わってたんだ。ただでさえオワコン気味だったところにあの騒ぎだったから、ユーザーは減るいっぽうでマップは過疎ってる。そんな状態が半年続いていた。無理もないけど。
だけど、それがなんとも言えない寂寥感というか……枯れた感じが気に入っていたから、毎日、時間が許すかぎりログインしていたんだ。
実際、時間はたくさんあった。学校に行くのやめてたから。
手軽に世捨て人を気取っていたんだろう。
刹那的快楽って言うか。
あんまり暇なんでちょっと気になることがあると、ネットで検索してしまう。
おかげで無駄にボキャブラリーは増えた。語彙が増えると思考力もなんとなく上がった気がして、学校に通ってた頃より頭がよくなったような……ま、そんなことはもはやどうでもいいことか。
ネットが役に立つのはその程度だった。
自分と同じ境遇のやつが立ち上げたらしきブログ記事やらSNSのテキストを読みふけってもみたけれど、たいていは飼い猫の写真がそえられたポエムとか、薄っぺらい言葉の羅列だった。心構えの足しにもならない。
コメント欄はやたら腹を立ててるやつとか斜に構えてるやつ、下劣な根性丸出しの荒らしとかばかりで、読んでると気が滅入ってくる。
テレビも、ネット配信のニュースも観たくなかったし、屋外の喧噪もできるだけ避けたかった。
登校をやめてひと月くらいは、自分と同じように学校を辞めたダチとマクドとかで落ち合って話し込んだりした。
でも話のネタは去年の夏なにしたっけとか、どこかのタレントがどうしたとか、そんなことを際限なく。そのうちにおれたちふたりとも決定的な話題を必死に避けてることに気付いたんだ。会話はループしだして、もうなにも意味のない過去話にうんざりしてきて……そのうちにダチはとうとう切り出した。
「タツヤはよ……どうすんの?」
「どうするって……なにを」
「これからだよ!」
「これからどうするか?とりあえず帰って寝たらゲーム――」
「そうじゃなくてさあ!」ちょっと苛立ってて、おれが話題を避けようとしても許してくれないようだった。「なんかしなきゃって思わねえの!?」
「なにしろってんだよ」おれはたぶんちょっとすねた声だったと思う。
「だからさ……どっか行かねえ?」
これが今の状況じゃなければ「こいつホモか?」と勘ぐるところだろうが、そういう意味じゃないのは分かっていた。たぶんどこか遠いところに出掛けて好き放題暴れるとか、あるいは……
おれは顔を背けた。
「どこに行けるってんだよ……カネも足もないのに。チャリ漕いでか?」
「あ、わりい。本気じゃねーから……」ダチはなんとなく言い繕うような調子で取り下げ、おれはホッとした。
だけどそれでなんとなくお互いに連絡を取らなくなって、その後あいつがどうなったのか知らず終いだった。
というわけで、刹那的にログイン。
管理会社も絶賛放置中だから、イベントもなにも起こらないマップを移動し続ける。サービス開始した頃に絶賛された凝ったビジュアルが売りだった。
緑の草木に埋もれた廃墟とか、海岸に面した城の迷路とか、お気に入りの景色を渡り歩いた。
ごくたまに、べつのプレイヤーに遭遇したけど、無視か、短い挨拶を交わして別れた。
お互い様だが、会ったばかりのプレイヤーと、長年お世話になったMMORPGの終焉を悼んで盛り上がる、なんてことはまず考えられない……そいつが不作法なやつだったら厭だな、と警戒してしまうからだ。
パーティーを組んでた連中はみんな辞めてしまっていたようだし。
おれは男性アサシンタイプのアバターを使っていたので、シカトされるのは慣れている。いっぽうで相手が女エルフや姫騎士であったとしても、ネカマかどうか疑心暗鬼に漬りたい気分ではなかった。明確な根拠はないが、巨乳設定しているやつの大半は男性プレイヤーだ……あとロリキャラも。
テキスト会話でも言葉の端々からなんとなく察してしまう……ファンタジー世界にそぐわない素の会話が嫌いだという理由はもっともだけど、音声チャット設定は頑なに拒むし。
アサシンを選んだ理由はもう忘れたけど、いまになってひとつだけよかったと思うことは足音がしずかってことだ。剣士の耳障りなザクザクではなく、サササ……という感じ。景色と一緒にSEを聞きたいのだ。木のざわめきとか波の音、どこからともなく聞こえる鳥のさえずり、そういうのが作り込まれた世界によりいっそう臨場感を与えていた。
そんな気ままであてどない散策の果てに軽装の女騎士スバルリーネに遭遇したのは、サービス停止当日。
とは言ってもサーバーごと放置状態だから、ネットが繋がってて電気が来てれば、世界はいつまでもそこにあり続けるはずだけど……
ともかく、いままで背景だとばかり思っていたテーブルマウンテンのそばに辿り着いてみたら、いろいろ作り込んであったので、いっちょ昇ってやろうと思ったのだ。
岩肌に隠れた階段を捜し、それが途絶えてしまうと、これはデザイン途中で廃棄された作りかけのダンジョンではないかと疑いつつ、ムキになってあら探しを続けた。二日くらいそうしていた。無駄なことをしてる、もっと大事なことがあるんじゃ?と自問しながら。
ついにロッククライミングできそうな岩肌をやっと捜し出して、ひたすら昇ると、やがて頂上に着いたんだ。
思いがけないことに、そこは神殿だった。
階段状に作られた石造りの庭園を歩いて、一番高い端に作られたギリシャローマ式の本殿に辿り着くと、彼女はそこにいた。
先客がいたことに最初は失望した。だれも知らなかった隠れ神殿を発見したのだと(そんなことはまず無いのだが)信じたかったから。
ちょっとムカついていた勢もあって、わりと躊躇せず語りかけてしまった。
彼女は背を向け立ち尽くしていて、神殿からの見晴らしを満喫しているように見えた。
「こんちわ」というのは無粋だったかもしれない。が、そう思い至ったときにはエンターを叩いてしまっていた。
彼女はこちらに振り返った。
「こんにちわ」
返答してくれた!
一見して、かなり課金しているな、という印象だった。アバターも装備も凝っている。髪の毛は短めで青紫色。このゲームは人間でスタートすると金髪かブルネットか茶髪しか選べない。髪型エディット付きの特色は値が張る。北欧系の色白な美貌に、髪の色に合わせたブルーの眼。体型はアスリートタイプ。それに見たこともない細剣を腰に吊していた。装具も緻密にモデリングされたあきらかに高価な代物だ。
さてどうしたものか……。
「ここはいい場所だな」我ながら独創性の欠片もない言葉を打ち込んだ。
「そうね……」ふたたび返信。まだあっち行けと言われない。
てにおはも名刺交換でも始まりそうな慇懃な調子ではなく、役になりきってるタイプとみた。ならば……
「ここでなにか待っているのか?」
「そう」
寡黙系かな?
まさかNPCとか?だったら会話持続は期待できない。
「なにを?」
「世界の終わりを」
そう来るか……!
これはちょっと悩むところだ。いまさらながら運営がサービス停止を告げるNPCを実装したのだろうか。だとしたらがっかりだし、これ以上会話を続けても意味ないかもしれない。
だが運営最後の真心を少しばかり堪能するのも一興か。
とりあえず……
「そう、おれもだよ」
思いがけないことに、会話は続いた。
「ここまでやってきたのは、そなただけだった」
「そうなんだ」やや考えて付け加えた。「ならば、もう少し付き合おう」
我ながら大胆だ。ちょっとドキドキしてきた。
「ここに来たからには、しばし留まれよ」
思わせぶりなセリフだ。おれはちょっと嬉しくなっていた。
「ところで、きみは名前はあるのか?」
「これは失礼した」彼女は優雅に一礼した。「わたしのことは……スバルリーネと呼ぶがよい」
スバルリーネ?
自己紹介のつもりだったのだが、やっぱり「向こう側」にプレイヤーがいるわけじゃないのかな?
それとも重傷のネトゲ廃人で、池沼レベルに没入してる人とか……?
「そうか……おれはタツヤだ」
「初めましてタツヤ」
NPCだとしても凝っていた。
だがしかし。
「あれを見よ」彼女が天を指さして言ったひとことで台無しになった。
雲ひとつない青空に、赤みがかった星ひとつ、が見えた。それを見ておれは息を詰まらせた。
おいおいよせよ……!
ミネルバがあるじゃないか!
あまりにもひどい運営の悪ふざけにおれは憤慨した。こんな形で現実を持ち込むなんていくらなんでもやりすぎだ!
「なんだよ!台無しじゃん!」
「なにがだ?」
「あれだよあれ!現実逃避したいのに……」
「だが、現実であろう?」
いささかキレたおれは乱暴にキーを叩きつけていた。
「ああもうやめ!やめよ?あんたもやり過ぎだから!ハイもうやめ!」
「そなたはなにを言ってるのだ?」
「だから、そのなりきってます、てのもうやめよ?って言ってんの!」
「そなたはなにが不満なのだ?わたしはなにかになりきってはいないぞ」
「ハイハイ、あくまでそう言い張るんすね、了解」
「そなた、しばし落ち着くがよい。こちらに来て座れ」
スバルリーネは景色が一望できる神殿の端に足を投げ出して座った。
大理石の床の向こうは安全柵もない垂直の崖が100メートルも落ち込んでいる。一歩でも余計に進んだら落っこちて死ぬ。
慎重に……冷や汗もので操作してスバルリーネの隣に座った。ビューモードを変えて背後視線で確認してみると、ふたりの距離はまぬけなほど離れても近すぎでもなく、なかなかさまになっていた。
その操作に没頭していたおかげで、スバルリーネが言うように落ち着いてしまった。我ながら情緒的に淡泊だ。自分から役を投げ出して素に戻ってしまったのも、少々決まり悪かった。
彼女はミネルバを眺め続けている。
そのうちに午前零時を迎えて、公式にはサービス停止期限を越えたけど、世界はまだあった。運営も、プロバイダーも、電気会社の人も、その他諸々の大勢も、現状を維持し続けていた。
直径4700㎞の惑星が秒速500㎞で地球に接近し続けていて、もうすぐ衝突時間を迎える。
ミネルバが発見されたのは7ヶ月前。そのひと月後にコースが公表されて、おれは学校を辞めた。
ゼロタイムは秒単位できっちり伝えられていたから、みんな最後の瞬間を承知していた。
ありがた迷惑なことに、最新の観測によればミネルバはグアム沖あたりに着弾する。ちょっぴり掠めるのではなく正面衝突。
つまり日本は一瞬にして消滅する。
ぐしゃっと。
地球の反対側にいる連中は、もう少し長く生きられる。でもM12の地震と衝突の衝撃波をやり過ごせたとしても、その差は数分だ。地球は砕け散るはずだから、国際宇宙ステーションや月に避難しても無事では済まない。
ようするにあと数十分で、全人類が滅亡するんだ。
テレビでは衝突をやり過ごして生き残る方法を繰り返し紹介していたけど、二ヶ月くらい前うやむやになり、以来ずっとそのままだった。
たぶんそのおかげでみんなは無駄な希望を抱かなくなって、その後は妙に落ち着いていた。
人類はおしまいです……と言われても、変な笑いしか出てこない。どうすりゃいいっての?だれもがそんな調子だったろう。それでとりあえず、最後までできるだけ現状維持となった。
だけどいまごろは大勢が、終焉の時をどう過ごそうかと街に繰り出している。
パトカーや消防車のサイレンはちょっと増えているけど、世紀末的な騒ぎはいまのところ起こっていない。これは国民性に感謝すべきだろう。他の国ではひどいパニックが起こっていた。
最後の最後まで仕事をしている人も大勢いるんだ。おかげで電気も使えて、おれはネトゲをしている。
親父とおふくろは朝食後にどこかに出かけて、帰ってこない。
昼間に一度、まだ営業していたコンビニに出かけて、ほとんど空っぽの棚からパックのウーロン茶と柿の種を買ってきた。穏やかな声で「お代はけっこうです」と初老の店主に言われて、そのときようやく「終わりなんだ」と実感した。
考えてみると、最後の時間を女の子と過ごすのは悪くない。
現実の刻をカノジョやダチとすごそうとしている連中と、結局は同じだった。
テレビやネットは毎日大晦日という調子で、ずいぶん前からドラマもやらなくなった。当たり前だ。アニメも映画も、半年前からだれも作っていない。精神的に豊かな終末生活を奨励する宗教めいたワイドショーが増えて、あとは再放送ばかりになった。
ロマンチックな幻想に漬るのもけっこうだが、少女マンガチックすぎておれはそれが少々鼻についてたから、天の邪鬼にもゲームをプレイし続けていたんだ。
どうせカノジョいないし。
ダチと過ごすのもなんだかアレだし。
両親と一緒に過ごしてあげられなかったのはちょっと心残りだけど、おふくろに「こんな時に産んでごめんね」とへんな謝りかたされるのもいやだ。親父から心中しようと提案されるのも恐れていたかも……
「あと何分だろ」おれはなんとはなく頭に浮かんだ言葉を打ち込んだ。
「32分と20秒」即座に返信があっておれは妙にホッとした。
だが告げられた時間が頭にしみこむと、突然、なにかしなければという衝動がわき起こった。
「ねえ……きみどこに住んでるの?おれ北千住に住んでるんだけど、いまから会えないかな……」
「こうして会っているではないか」
「そうじゃなくて……本当に会うってこと、どっかで落ち合って……」
「いまは無理よ」
ああそうか……
たぶん遠いとこに住んでるのだ。
心の底から後悔の念がこみあげてきた。
彼女とあと一日早く出会っていれば、あるいは……
ずいぶん長いあいだぼんやりしていたのだろう。画面隅のアイコンが点滅しているのに気付いたおれは、慌ててスカイプセットを被った。音声チャット要請だった。震える手でUSBに繋ぐと、間もなく……
彼女の声が、ヘッドホンから聞こえてきた。
「タツヤ、まだそこにいる?」
本当に女性だ!
おれはつばを飲み込み、返答した。
「いるよ」
「ずっといて欲しい」
その頃にはすっかり没入していたから、スバルリーネのセリフは勝手に脳内変換されて、声優の声で再生されていた。萌え系ではなくちょっと大人びた、しかし澄んだ声音。
本物の声はそのイメージ通りだった。
そんな声で「ずっといて欲しい」なんて言われたら……
「わ、分かったよ」
「そなた、緊張してるな?」
「ちょっとね……」
「大丈夫」おれと違ってうわずった様子もなく、穏やかな声。「眩しくなるけど、苦痛は感じない」
「そうらしいね」
痛みはないというのはどうかな、と思ったけど、いずれにせよ一瞬だろう。「ピカッて光って、そのあとは……異世界転生とか、いいかも」
「そうよ」
スバルリーネはおれの儚い願望をあっさり受けとめた。気遣いか、底なしに優しいだけか?とにかくそれでおれが感じたのは心地良い抱擁感だった。
「あの……転生できたらおれたち、会えるかな?」
「きっと会える。大変でしょうけど、わたしを捜し出して」
「うん」急に涙があふれてティッシュで拭った。くちに手を当ててすすり上げそうになるのをこらえたが、向こうには伝わってしまったらしい。
「タツヤ?」
「……うん、大丈夫」それから「ありがとう」
「礼を言うのはわたしのほうだ。だけどそれは向こうに着いてから」
「ああ……楽しみだな」
もうおれは泣いてなくて、妙に晴れ晴れしい気分だった。
いまこの時間に「楽しみだ」と言えたやつが、この世に何人いるだろう?
おれはすっかり満足して、もうなにも怖くなくなっていた。
「時間よ」スバルリーネが告げた。
おれたちは立ち上がって、お互いの手を取りあった。
刻一刻と大きさを増すミネルバを一度だけ顧みた。
それから、彼女は眼を閉じて、聞いたこともない音楽的な言葉で詠唱しはじめた。
その声に聞き入っていると、あんがい本当に転生できるかもな、と思った。
ネトゲ未経験なのでお手柔らかに。ツッコミや親切なご教授は大歓迎です。