第四章 彼女が吸血鬼になったわけ
蒼が放課後の教室で、クラスメイトや友人と話している頃、瑠璃は体育館に来ていた。
部活で帰りが遅くなるというクラスメイトから話を聴きながら、教室からずっとついて来たのだ。
何人かから話を聴いているうちに、桜の様子がおかしいらしいことに気付いた。
クラスメイト以外の桜と接点のない生徒にはあまり分からない違いらしいけれど、同じクラスで生活している瑠璃も話を聴いていて違和感を覚えた。
小玉桜というクラスメイトは、この学校にはよくいる変人の代表格。自ら吸血鬼を名乗り演じる、いわゆる中二病患者。
これといった害はないけれど、容姿と言動から近付いてくる生徒は少ない。話しかければきちんと言葉を返してくれるし、クラスの集まりなどにも出席する。
だけど一線を引いてるみたいで、特別仲良くなることはない。誰ともクラスメイト以上の関係にはならない。
集団行動は心得ているけれど、他人との付き合いに関しては一歩引いているといった感じだろうか。
だから桜が人を傷つけかねない今の状態はおかしいのだ。
今はまだ睨み付けたり逃げ出したりするだけで、理性が桜自身を抑えているみたいだけど、それもいつまでもつか分からない。
果たして桜に何が起こっているのか。どうして桜について探り始めたのか。蒼は巻き込むまいと何も話してくれなかった。
自分のことを妹みたいなものだと言われたことはまだ気にしている。分かっていたことだけど、心のどこかではそんなことないと期待していたのだ。
だけど、あんな優しい笑顔で言われてしまっまら疑いようがない。あれは本心だったと。蒼は瑠璃を妹以上の、異性としてまったく見ていないのだ。
この前の朝、素直になろうと無理をしたのも良くなかった。
瑠璃は嬉し恥ずかし過ぎて気絶しそうになっていたけど、蒼はそんな瑠璃を穏やかな優しい目で見ていた。
なんとも思っていない相手に対する顔ではなかったけれど、恋する相手に向けるような顔でもなかったのだ。なんて言うか、ペットを愛でている感覚だろうか。可愛いとか、好きとか、そうゆう感情は抱いているけれど異性として見られていなかったんだと思う。
そのことに妹みたいだと言われて気づいてしまった。それまでは嬉し恥ずかしさで思考が鈍くなっていて、深く考えることができなかったのだ。
その後、顔を合わせられなくなって避けてしまっているけれど、どうしよう。
蒼からしてみればどうして瑠璃が機嫌を悪くしたのかも分かっていないだろう。もしかしたら瑠璃のほうが早く生まれているのに妹扱いされたから怒っていると勘違いしているかもしれない。
何も言わずに先に帰るようなことはしないとは思うけれど、蒼は教室で待っていてくれるだろうか。それとも放課後も桜に接触しようと試みているだろうか。
蒼は何か焦っているように感じる。
光と桜のことはそんなに急いで解決すべき案件ではなかったはずだ。それ以外にも理由があるみたいなことを言っていたけれど、いったいそれはなんなのか。
まさか桜のことを好きになったわけでもないだろうし………?
本当に、そう言えるだろうか?
最近の桜の様子がおかしいことに気を取られていたけれど、蒼も十分おかしくなかった?
できるだけ蒼を普段接点のない女の子たちと話させないように、無駄にライバルができないように、蒼の調査を手伝って、桜の様子がおかしいことに気づいたけれど、そもそも蒼自身もおかしい。
もともと考え込むことは多かったけれど、ここのところその頻度が多い気がする。桜のことをよく見ているのも、正体を見透かそうとしているのか見惚れているのか判断がつかない。
これは仲違いしている場合じゃないかもしれない。今すぐ蒼の下へ行って真意を確かめなくちゃ。
体育館を出て、人気の少ない放課後の廊下を走る。先生に見つかって注意を受けるのも面倒なので、できるだけ足音を殺し、職員室や部活で使っている教室を避けて蒼がいるであろう教室へ向かう。
軽く息を切らしながら教室にたどり着くと、中には誰もいなかった。荷物は置いてあるから、蒼はまだ帰っていないはず。
桜のところへ行ったのだろうか? この時間、桜の良そうな場所と言えば図書室だ。今度は急いで図書室に向かう。果たして急ぐ意味などあるのか分からないが、嫌な予感がするのだ。
階段のところで人の気配を感じ、とっさに隠れる。べつにやましいことをしているわけではないので隠れる必要などないのだが、とっさに隠れてしまったのだから仕方ない。そのままその人物を覗う。
蒼だった。
てっきり図書室に向かったものだと思っていたのだけど、図書室はこの先ではない。不思議に思いつつ後を付けてみる。手に何か紙を持ちながら屋上の方に向かっているのだ。もしかして告白!?
驚いていると、誰かが上から降りてきた。学ランではなく私服を着ているが、この学校の生徒だろう。見覚えがない顔だけど年は同じくらいに見えるし、この学校は少数派とはいえ私服でも問題ないので不審者ではないだろう。
蒼はすれ違う前に一度止まったが、その生徒が蒼を一別しただけでそのまま降りていくと若干首を傾げながらまた進み始めた。
蒼がいるところより上は屋上しかないはずなのに、この人はいったい何をしていたのだろう。屋上は立ち入り禁止で鍵が閉まっているはずなんだけど。
それを言ったら蒼も同じだ。なんで蒼も屋上へ向かっているのかしら。鍵がかかっているのを知らないわけでもないだろうし。
私服の生徒は下に瑠璃がいることに気づいても特に反応することは無く1階へ降りて行った。
いったいなんだったのだろうと少し振り返ってみると、物陰から見ていたらしい守と目が合った。
蒼を尾行していたのを見られた!
ちょっと赤くなっていると、守が近寄って来てこうささやいた。
「鋼玉が何をしようとしているのか僕も気になる。黙っててあげるから一緒に尾行させて」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
わたしが化物になったわけ。
この学校には吸血鬼がいる。怪談話ではなく、本当に吸血鬼を名乗るものがいるのだ。
無駄に長い手足や人形のような生気のない顔立ちで人目を引くが、それだけが注目を集めている理由ではない。
白い髪に赤い瞳、そして病的に真っ白な肌。
それが小玉桜という名の少女の特徴であり、同時に吸血鬼を名乗る者の特徴である。
最初に自覚したのは保育園に入った時だった。桜の視界に映るのは黒い髪に黒い瞳、黄色っぽい肌。誰もかれもが桜とはかけ離れた色をしていた。いや、正確には桜だけが違う色をしていた。
両親はアニメが好きで、桜もいくつものアニメを見てきた。テレビ画面に映る人たちは皆いろんな色の髪をしていて、真っ白な肌を持つ少女も少なくなかった。
だからなのか、それまでは特に気にしていなかった。むしろ気づいていなかったのかもしれない。自分は皆と違うんだって。
それにそれまで誰も桜の特徴的な色について何も言わなかった。両親も、近所の人も、幼馴染のあの子も。
たしかにそれまで、実際に桜のような色を持つ人を他に見たことがなかった。でも、たまたま近くにいないだけで世界には青い髪の人も赤い髪の人も緑の髪の人も普通にいると信じていた。その頃はまだアニメの世界が現実だって思っていたのだ。
小さい子供ならそれは当たり前かもしれない。アニメの影響を受けて魔法を使える気になってステッキを振り回したり、魔法の言葉を叫んでみたり。
だけど桜は、黒い子供の群れに入らざるを得なかった時に気づいてしまった。
アニメの世界は架空の世界なんだって。
わたしのような子は現実世界にはいないんだって。
瞬間、魔法も何も信じられなくなった。画面越しではなく、目に見えるものしか信じられない。テレビは嘘つきだ。
そしてものすごい孤独を感じた。
わたしは独りぼっちだ。きっとここはわたしの居場所ではない。
奇異の視線がわたしに突き刺さり、動けなくなった。
恐怖から血の気を失って、青白くなっていく桜を皆が見ている。
右を見ても左を見ても黒い瞳が桜を捕えて離さない。逃げられない。
怖い。
その時、どこからか無邪気で容赦ない言葉が桜に襲い掛かかった。
「お前、何でそんな色してんの?」
何でわたしは皆と違う色をしているの? どうしてあなた達はそろいにそろって皆黒いの?
わたしが感じた疑問をぶつけられても答えられるはずがなかった。
誰が言ったかも分からない言葉をきっかけに、質問の嵐が吹き荒れる。中には怖がって泣き出しそうな子までいた。わたしの姿はそんなに不気味なの?
何一つ答えを持っていない桜は雨風に翻弄されるまま、ただ嵐が過ぎるのを待つしかなかった。悪意がなくても人を恐怖に陥れることができるなんて知りたくもなかった。
{誰か助けて!}
心の声が届いたのか、幼馴染のあの子が動いた。
たった一人だけ桜を特別視しないでいてくれたあの子が、呆けている保育士さんの袖を引っ張って現実に引き戻す。保育士さんは事前に両親から何か聞いていたのか、最初は園児と同じよう目をしていたけれど、泣きそうな桜と目が合うと興奮している園児たち落ち着かせ始めた。それでも大分長い間、騒ぎは収まらなかったのだけれど。
その日、うちに帰ると両親にどうして自分は皆と違うのか聞いてみた。わたしの両親も保育園で出会った子供たちと同じで、黒い髪と瞳を持っている純粋なこの国の人間である。それはすなわち、桜とは違う色を持つ人たちということでもある。
両親は答えた。
「それはね。あなたは選ばれた存在だからよ」
「世界でも2万人に1人しかいないと言われる存在だ。みんな大きな敵と戦っている」
「でもね、恐れることはないわ。あなたは一人じゃないもの」
「それにいずれお前だけのヒーローが助けてくれる」
「ヒーローと力を合わせて敵を倒すのよ」
「そうしたらきっとハッピーエンドが待っている」
「だけど今はまだ理解してくれる人が少ないかもしれない」
「つらい目に遭う事もあるだろう」
「そういう時はこう言えばいいの」
「「わたしはただ色素が薄いだけよ」」
ノリノリで、思い出すだけでも頭が痛くなる事を。
今思えば、幼い子供に理解できる内容ではなかったから、両親はあんな説明をしたのかもしれない。もしくはアニメが好き過ぎて現実との境目があやふやになっていたか。
どちらにせよ、あんな説明で幼いわたしは全然納得しなかった。むしろ自分は拾われた子なのではないかと疑ってしまった。
もしかしたら娘からされるであろう質問に真剣に考えた結果だったのかもしれないけれど、今考えても頭がおかしいのではないかと思う。
両親はそのままの勢いでアニソンを熱唱し始めたので桜は何も言わずに家を出た。ごまかすにしてももっとましな方法はなかったのか。
盛り上がると歌いだすのは当時から知っていたけれど、まともに取り合ってくれない両親が信じられなかったのだ。
いつも妙にテンションが高くて、言ってる意味が分からないことが多かったけれどあんまりだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
当てもなくさまよっているとわたしは公園に辿り着いた。
沢山のサクラが咲き乱れるその場所は有名な花見スポットであり、特に暗くなってライトアップされた姿が幻想的である。
まだ少し花見シーズンには早い公園には人はまばらで、夕焼け色の空が子供はもう帰る時間だと知らせていた。
うつむきがちに道を歩いていると、どこからか子供の声が聞こえてきた。
「お母さん、あれは何? ちょっと怖い」
それは怯えた子供の声だった。とっさに自分の事だと思った。
皆と違う色をしているわたしは怖がれるような存在なんだと、さらに気分が沈んだ。
(珍しげに見る人もいれば怖がる人もいるのね。これで2度目だわ)
少し離れた場所に子供がいるようで、母親に話しかけているらしい。
「もしかしてお化け?」
お化け。それは人ではないもの。
そうかもしれない。アニメで見たお化けと言うものはたいてい青白い肌をしていた。
そう。桜と似たような白い色。
もしかしたらわたしはお化けなのかな。日差しがやけにつらいのも、両親が真面目に取り合ってくれないのも……。
きっとわたしのような子をお化けと呼ぶのだ。
さらに気分が沈んで暗くなった時、その子供の母親の声が聞こえた。
「違うわ」
違う?
ゆっくりと顔を上げて声のする方を見る。するとそこには一組の親子が1本の木の前にいた。男の子が指差しているのは桜ではなく、2人の前にそびえたつ大きな木。
枝が柳のように垂れていて、夕暮れの暗さも相まって不気味な姿をしていた。それはまるで木のお化けのようだった。
(わたしの事じゃなかったの?)
母親は男の子の手を引いてその大木に近づいていく。男の子は怖がって母親の後ろに隠れながらも、いやいや着いていく。
「この木はね。シダレザクラというのよ」
「サクラ?」
「そうよ」
「でも、周りにあるサクラの木とは全然違うよ」
男の子は周りにある何本ものサクラの木をそれぞれ指差す。
「そうね。それはソメイヨシノと言って違う種類のサクラなの。見て、この花を」
そっと手を伸ばして垂れている枝を軽く引っ張る。すると男の子の目前にその木の花が現れた。小さな、遠目に見ると白い花。桜と同じ名前を持つ綺麗な花。
「ほんとにサクラだ!」
「でしょ? 遠くから見ると違って見えても同じサクラなのよ」
「ふーん」
もう怖くないのか、男の子はその大木に近づいて至近距離から見上げる。
その後ろで母親が誰に言うでもなく呟いた。その目は愛おしそうにシダレザクラを見つめている。
「シダレザクラの花言葉は優美とかごまかし。とても女性らしい花ね」
「どうゆうこと?」
「ふふっ。あなたにはまだ早いわね」
息子からの質問には答えず、「もう暗いわ。帰りましょう」と、男の子の手を引いて家路につく。
親子が去った後、そのシダレザクラに近づいて見ると、確かに見慣れたサクラと同じ形の花を咲かせていた。近くで見ると綺麗なサクラ色をしていた。
薄暗くなった夕暮れの中、独り立ち尽くす白い少女の姿は、先ほどの男の子がシダレザクラを見て思ったようにお化けに見間違えられてもおかしくなかった。
「ゆーびとごまかし」
男の子の母親が言っていた花言葉を呟いた。このときはまだ意味が分かっていなかった。だけど不思議と心に響いた。
まだほとんど花を咲かせていない垂れた枝は優美と言うにはほど遠く、むしろ風に揺られて手招きしているように見えるその枝は不気味だった。
だけど、その姿が自分に重なって怖くはなかった。
シダレザクラと桜。どっちのサクラも周りとは違う姿をしている。
でも、シダレザクラは縮こまることなくその枝を悠々と広げ、いずれは綺麗な花をその枝いっぱいに咲かせて、見る人に優美を思わせる姿に変わるのだろう。
じゃあ、わたしは?
いずれは誰をも魅了する絶世の美女に変わるのだろうか。
他人から見ると不気味な姿をしていると思っているわたしはそうなれるとはとても思えなかった。それになりたいとも願わなかった。もう奇異の視線に囲まれるのは嫌だから目立つ存在にはなりたくないのだ。
だけど同時に、黒くなりたいとも思わなかった。黄色い肌には憧れなかった。
誰にどう思われようと、桜はその姿が好きだから。
白い髪も、赤い瞳も、色素の薄い肌も全部。
「桜ちゃん! 良かった。見つかって」
近所の小母さんが慌てた様子で駆け寄って来て、近づくや否やわたしに抱き付いてきた。両親にきいたのか、暗くなっても帰って来ない桜を心配して探しに来てくれたみたいだった。
幼馴染のあの子の母親。この頃わたしは両親より小母さんの事を信用していた。
なんていうか、両親よりまともに思えたから。実際、あの両親よりまともじゃない人に心当たりがないけれど、それでも桜は小母さんに懐いていたのだ。
だから、両親にきいた事を小母さんにもきいてみた。すると小母さんは少し驚いた表情をしながら、両親にはきいたのかと尋ねた。
わたしは意味の分からない説明をされたと答えた。どうして皆と違うかをききたかったのに、「色素が薄いだけ」なんて言われても納得できない。わたしが知りたかったのはその理由。どうして自分の色素が薄いのか。
「そうねぇ。こうゆう事は両親から伝えるべきよね。でもあの2人だし……」
小母さんとわたしの両親は長い付き合いらしく、お互いの事を良く知っていた。そのため小母さんはわたしの事を気にかけてくれていた。あの両親が親として大丈夫なのか心配らしい。
そして、少しの間困ったように考えた後、小母さんはしっかりとわたしと目線を合わせながら答えてくれた。
「桜ちゃんはね、特別なんかじゃない。皆と違いなんてないわ」
それは思いもよらない答えだった。だってわたしはこんなにも特徴的な色を持っているのだから。
「でも、わたしだけ皆と違う色をしてる」
それって特別ってことじゃないの?
「確かに桜ちゃんは特徴的な色をしているかもしれない。でもそれだけよ。色がちょっと変わっているだけ」
色が違うってことは大したことじゃないの?
それだけで皆がわたしに注目していた。中には怖がって泣きそうな子までいたのに。
「不気味じゃない?」
気づくと桜はそう呟いていた。たぶん否定して欲しかったのだ。
すると小母さんは違う切り口で返してきた。たぶん全ての人が桜を不気味がらないわけじゃないって分かっていたから。
「桜ちゃんはその色が嫌い?」
「ううん。好きだよ」
好きなのに皆が自分をおかしいと言外に言っているようで嫌なのだ。別に皆と違うのが嫌なわけではない。
「なら、気にすることないわ。個性と思って誇りにしなさい」
小母さんはそんな事何でもないとでも言いたげに幼い桜を励ましてくれた。嬉しかった。やっぱり両親より頼りになると思った。だからもっと頼った。
「でも皆がどうしてって聞いてくるの。すごく怖かった」
「説明してもきっとまだ理解できないわ。だから今は『ただ色素が薄いだけよ』って笑ってごまかしてしまいなさい。それでもしつこくきいてくるようならうちの子を頼っていいわよ。いつか桜ちゃんや、他の子にも理解できる日が来るから」
その言葉は奇しくも両親が言っていた言葉と同じだった。両親もでたらめ言っていたわけでもないのだ。その時一緒に、両親が自分を助けてくれるヒーローが現れると言っていたことを思い出した。
特別な力がなくても、あの子は助けてくれた。
この時桜の頭の中でのヒーローはあの子の姿をしていた。
どうして自分の色素が薄いのかが気になっていたはずなのに、小母さんと話していたらそんなに気にならなくなっていた。まだ幼い自分には理解できないことなのだと分かったのかもしれない。
小母さんは桜の両親に電話をかけて、桜を無事保護したと話した後、「ご両親が心配しているわ。帰りましょう」と、桜の手を引いて歩きだした。
その時、まばらに咲いていたシダレザクラの花びらがたくさん、ひらひらと桜の上に降ってきたのを今でも鮮明に覚えている。
公園に辿り着いた時の暗い気持ちはすっかり何処かへ消えていて、その花びらが自分を応援しているように感じた。
だけどあの時期に咲いたばかりのサクラがあんなに散ることなんてあるのだろうか。幼いわたしは変には思わなかったけれど小母さんも不思議がっていた。
「風もないのにこんなに花びらが……?」
すっかり暗くなった公園に風は吹いていなかった。他のまだほとんど咲いていないソメイヨシノは花びらを散らすことなく満開の時を待っていた。
桜が共感したシダレザクラだけがひらひらと花びらを宙に舞わせていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
それから少し時が経って小学生になっても、子供と言うのはやっぱり好奇心の塊で、分からない事は何でも容赦なくきいてきた。
それも悪気が無いから余計にたちが悪い。彼らは自分がしていることで傷つく人間がいることに気づいていないのだ。
だからといって先生に頼んで、「桜さんにどうして身体の色が違うのか質問しないで下さい」となんて言わせられない。そうするには自分の体質について説明しなくてはいけなくなる。
すると先生はきっとこう言うのだろう。「桜さんは生まれつきの病気だからです」って。
わたしはこの表現を嫌っている。病気だなんて言葉を使うととても悪いものに感じるから。確かに他の子と違って不具合があるのかもしれない。だけど、病気と言うほど悪いものなのだろうか。
当時はまだ、自分が恵まれているとは思っていなかったからこその考えだけれど。
病気という言葉は、自分のこの姿が否定されているようでとても嫌だった。それに特別扱いされるのも嫌だった。今だってそう。
小母さんは桜は皆と違くないと言ってくれた。特別扱いすることはこれを否定することにもなる。絶対に認めるわけにはいかないのだ。
わたしはあの咲き掛けのシダレザクラの下、心の中で誓ったのだ。
自分の姿に誇りを持って生きると。
だけど、奇異の視線を浴びる怖さを知ってしまったわたしは目立つような事はしなくなった。もともと活発な女の子だったけれど、隅の方でひっそりと過ごすようになった。独特な容姿をしているから目立つことは避けられないけれど、極力視線が集まらないようにしていたのだ。
それに困ったら幼馴染のあの子が助けてくれた。
物静かな性格をしているけれど、言いたいことはきっちり言える。
いつも桜の側にいてくれて、だけど桜の嫌いな目をしないでいてくれる。
珍しそうに見ることはなく、同情の色も見えない純粋な眼差し。
ただ1人の友達として自分を見てくれる。
この時のあの子はわたしにとって大切な存在になっていた。
子供だけではなく、大人でも桜の体質を理解してくれない人は少なくない。中には面と向かって、「ご両親はどこの人?」ときいてくる人までいる。「わたしは色素が薄いだけよ」って正直に話してもちっとも信じてくれない。
あげくに「ご両親から本当の事を話してもらってないのね」と可哀相な子を見る目で同情される始末。信じてくれないなら最初からきかないで欲しい。
それとも自分が想像した答えと一緒じゃなければ信じられないというのだろうか。
そういうたちの悪い大人にはとりあえず笑ってごまかすことにした。
わたしはは小学校に入学する少し前、両親から体質の事を詳しく教えてもらっていた。小学生には理解できないところがいくつかあったけれど、なんとか納得することはできた。
そしてそれを公園のシダレザクラに報告に行った。その日のシダレザクラはすでに満開で予想通り優美な姿を見せていた。
数年前、落ち込んだわたしが辿り着いたこの場所には、何かあるごとにちょくちょく訪れている。それもその日と同じ夕暮れ時が多い。
普段の姿も好きだけど、夕日に染まるシダレザクラもとても好きなのだ。
本来サクラ色をした花びらが、後ろから夕陽を浴びることで微かにオレンジ色となり、そしてその輪郭が光をまとって輝いている姿は、いつでも鮮明に思い出すことが出来るほど心に残っている。
そのまま時間を忘れて見とれていると、だんだんと辺りは暗くなっていって、ライトアップが始まる。闇夜の中に照らされたサクラたちはくっきりとその姿を観衆に見せつけてその艶やかな存在を主張する。
お花見の季節。シダレザクラの下を去り、ソメイヨシノの散歩道を抜けるとすでに花見会場には沢山の人と屋台が並んでいる。再建された城のような櫓とサクラがぼんぼりに照らされ、お堀の水面に映るその幻想的な光景は見るものを魅了する。
この時期はサクラのライトアップが綺麗なのは良いことだけど、その分だけ観光客がすごく多くて落着けない。
普段はあまり人気のないシダレザクラもこの時期は目玉の一つなので、沢山の人がソメイヨシノのトンネルをくぐり抜けてはシダレザクラを見に来る。
だからこの時期はいつも長居できない。ほんとはもっとその綺麗な姿を眺めていたいのだけど、沢山の人目には触れたくないので人が集まる前に逃げ帰っている。
それに、あまり幼い子が遅くまで外にいると周りの大人が心配するのだ。
子供が帰る時間になるとたいてい幼馴染のあの子が迎えに来てくれた。友達と遊んだ帰りに公園を通るから、桜がシダレザクラのところにいると直ぐに分かるらしい。遠目でも目立つ姿だからね。
だけど、すぐに声をかけたりすることはなく、少し離れた場所からサクラを眺めて桜の気が済むまで待っていてくれる。桜がそこにいるのは何かあった時だってあの子は知っていたから。
直ぐに帰ろうとしない時は嫌なことがあったからって、言わなくても分かってくれた。そして暗くなってくると、何もきかずに桜の手を取って「もう暗いから帰ろう」と言うのだ。
まあ、たまに特に理由はないけど帰ろうとしない時もあったんだけどね。だって、わたしはあのシダレザクラをいつまでも見ていたかったから。それほどまでに大好きだから。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
幼馴染のあの子に助けられることもあったけれど、小学校はいじめられることもなく、無事に卒業できた。
小学生は幼いからこそわたしの事を受け入れることができたのかもしれない。
中には同じ保育園出身の子が何人もいたし、わたしが堂々としているからそこまで疑問に思わなかったのだろう。もしくはいじめるには得体が知れなくて気が引けたか。
だけど中学生になるとそれまでよりも知恵がつくようになる。
禁断の果実とはよくいったもので、知恵を持ち無垢ではなくなりつつある子供たちはわたしのような特徴的な人間には恐ろしい。
わたしは特徴的な子供というのがいじめの標的にされやすいことを理解していた。この国は集団主義のだからか異質なものはなかなか受け入れられないとマンガか何かで知った。
歳を重ねるごとにいじめは大きくて陰湿なものへと変わってくる、らしい。
ともかく、細かいことは分かっていなかったけれど、とりあえずいじめっ子はおとなしそうで反抗しなさそうな子をいじめる事が多いと判断した。
アニメで見るいじめられっ子はたいてい暗かったり、弱そうな子ばかりだったから間違いではないだろう。
保育園児の頃にテレビは嘘つきだと決めつけて信じないって思っていたけれど、両親の影響でアニメを見続けていたら、全てが嘘ではないと認識を改めた。
完全に架空世界を描いたものもあれば、現実をリアルに再現しているものもある。
また空想世界の物語だとしても、ただ現実世界にはない何かがあるだけで本質的なものは変わらないのではないかと思うようになっていた。だって物語を作っているのは現実の人間なのだから。
結局自分はあの両親の娘なのだ。アニメの世界に影響されるのは無理のないことだ。むしろ抗う事のほうが難しい。
ともあれ、桜はいじめられるような子にはならないように努力した。
異常なほどアニメを観ている事を隠し、目立ち過ぎないように落ち着いた振る舞いをし、孤立しないようにコミュニケーションを積極的にとっていろんなグループに入った。
だからと言ってお調子者になっても疎まれる可能性がある。隙を全く見せず、非の打ちどころがないのも嫌味に見える。出る釘は打たれるのだ。
完璧ではなく、好まれる人間になれるように頑張った。
そして中学校に入学してから数カ月が経つと、新しい生活環境にも慣れ、いくつものグループが形成さえた。
桜は比較的おとなしいグループにいることが多かった。いつも同じグループで行動していたわけではなかったけれど、一番居心地が良かったのだ。いじめっ子として描かれるタイプの子もいなかったのも大きい。
最初、同級生たちは桜の姿に驚いていたけれど、自己紹介で自分の体質を病気とは言わずに簡単に説明すると、むやみに詮索してくる子は出なかった。
その時もまた奇異の視線に囲まれて怖かったけれど、幼馴染のあの子の純粋な目と視線が合ったら、落ち着くことができた。
しばらくすると桜の姿にも見慣れたらしく、クラスメイトからの奇異の視線は来なくなった。ここまでは今までと同じ。そのうち皆見慣れてしまうのだ。
ただ、男の子からの視線だけはやけに長く続いていた。桜がシダレザクラを眺めている時のような表情の人までいた。
きっとその男の子にとってわたしは綺麗なものに見えたのだろう。わたしの大好きなシダレザクラだって不気味と言う人もいれば、わたしのように綺麗だと思う人もいるのだから。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
そんなある日の出来事。放課後、教室に忘れ物を取りに行くと、数人の女子が残って何かおしゃべりをしていた。
教室の戸を開けようとした時、自分の名前が出て動きを止めてしまった。そしてつい聞き耳を立て会話を盗み聞きをしてしまった。
「桜ってさ。あぁ小玉のほうね? 結構鈍感だよね」
「たしかに。あんなに男にモテてるのに全く気付いてないよね」
「綺麗な姿してるもんねぇ。そりゃ男も気になるわよ」
「白い肌とかマジうらやましい」
「でもちょっと白すぎない? サクラ色っていうか」
「サクラ色! あははっ、桜ちゃんマジ桜色だし!」
「色だけじゃなくて、体型もいいじゃん? 脚すらっとしてるし、胸だって大きい。顔も小さくて整ってる。モデル体型ってやつ?」
「髪も白いし2次元じみてるよねー」
「わかるわかる」
「そういえば体質って言ってたけど、あれ病気らしいよ?」
「マジでぇ? あんな容姿に成れるならラッキーじゃん?」
「生まれ着きのやつらしいがからあんたには無理だよ」
「えー。まあ、そこまで成りたくないけど」
「あははっ、ぶっちゃけた」
「だって綺麗だけどちょっと怖いじゃん? 人ならざる美貌ってゆーか」
「だよねー。怪物じみてるってゆーかー」
「怪物は可哀相でしょ。なんか醜いイメージになっちゃう!」
「じゃあ、あれだ。モンストル・シャルマン!」
「なにそれ?」
「たしかフランス語だっけ? 美しき怪物ってこと」
「超ピッタリー‼」
笑い声が響きわたる。それ以上は聞いていられなかった。教室に来た目的も忘れて全力で逃げ出した。
大丈夫。彼女たちは悪い人じゃない。ちょっと人の悪口言って盛り上がっているだけ。いや、悪口ってほど悪いものじゃない。ただわたしについて話していただけ。
そのうちの1人に、羨ましいけどなりたいわけじゃないと言われただけだ。
これはいじめではない。女子の中ではよくあることだ。
頭の中で必死に言い訳しながら、シダレザクラの下へ向かった。
まさかあんな風に思われていたとは知らなかったのだ。皆自分を受け入れてくれたと思っていたのに、怪物だなんて。彼女たちも心の底から自分を軽蔑して、怪物と罵ってないのは分かっていた。
だけど、一番言われたくなかった病気という言葉が、桜を否定する言葉が突き刺さり、平常心を奪い去った。
(病気なんかじゃない! わたしは絶対認めない!)
それなりに仲のいい子はいた。ただ親友と言えるほどの付き合いでもなかった。
だから次の日から学校に行くのが怖くなった。
皆、心の中ではどう思っているか分からない。今は友好的に見せているけど、ある日いきなり手に平を返されるかもしれない。
何か手を打たなければ。あの子に助けてもらう? だけど、男の子と仲がいいところを見せると嫉妬する女子がいるかもしれない。女の嫉妬は怖い。もしあの子に好意を抱いている子がいたら大変なことになるかもしれない。
それに、そんなにあの子にばっかり頼っていられない。小母さんは頼っていいと言っていたし、本人も嫌そうではなくむしろ自分からわたしに関わってくれていたけど、それであの子がクラスから疎まれるようになったら困る。
すでに花は散ってしまったシダレザクラの下、桜はなかなかネガティブ思考から抜けられず、極端なことまで想像してしまった。
自分に誇りを持って生きているつもりだったけど、自慢げに見えているだけなのだろうか。誰も見下していないし、優越感に浸っているわけでもないのに。
これは桜が自分自身と付き合う方法なのだ。劣ってなどいないのだから、劣等感を感じることはない。色が違っていても他は同じなのだから特別ではない。
だけど、もしかしたらこれは嫉妬される生き方なのだろうか。この日話していた女子たちは、そんなにわたしに嫉妬していなかったけれど、少しは控えたほうがよいのかもしれない。
いつか本当に化物呼ばわりされるかもしれないと思うと体が震えた。
(人ならざる美貌か……)
正直、自覚がないわけではなかった。2次元じみてるのも知っている。鏡に映る自分の姿はまるで非現実世界の登場人物のようだって常日頃から薄々思っていたのだ。
(認めてはいなかったんだけどなぁ)
気づかないふりをしてどうにか自分を騙してきたけど、他人に言われてしまったらもう否定することはできない。やっぱりわたしは特別なんだろうか。
この頃もやはり病気に続いて特別と言う言葉も嫌いだった。今もそうなのだから当たり前か。
特別という言葉はただ単に別ではなく強調する特がついているのだ。そもそも別のもの、違うものとして扱われるのが嫌なのに、強調するとは何事か。
特別と名乗るなら、それこそ魔法でもなんでも使ってみせろと反発していた。
いや、今もずっとしている。わたしは皆と違う存在なんかじゃない。ただちょっと色が違うだけだ!
時間が経つと冷静になり落ち着いた。そろそろ帰ろうかと思った時、幼馴染のあの子がここに向かって歩いてきた。桜にはまだ気づいてないので自分から声をかけようとしたが止めた。誰かが一緒にいたのだ。桜は思わず隠れてしまった。
誰かと会話しているようで、あの子の声が聞こえてきた。わたしはまた盗み聞きをしたのだ。嫌な目に遭ったばかりなのに、人は直ぐには変れない。
「なんでわざわざこんなとこ通るんだ? 遠回りじゃね?」
それはクラスメイトの男の子の声だった。仲が良いのだろう、よくあの子と一緒にいる子だ。どこかで遊んできて一緒に帰っていたみたいだった。
「桜がいるかもしれないからな。ほっとくとあいつはいつまでもここに居そうで」
「そうなの? お前ほんと小玉に甘いよな」
「……別に。こんな時間に女の子を1人にできないだろ?」
「まあな。でも女の子って言ったって、こんなに気にかけてるのは小玉だけだろ?」
「だってあいつは……特別だから」
(トクベツ?)
「はいはい。のろけは他所でやってくれ」
「お前がきいてきたんだろ。だいたいいつもは先に帰るくせに、なんで今日は着いて来るんだよ」
「いや、いつも何やってるにか気になってだな」
あの子がわたしを特別と言ってから、ほとんど内容が入ってこなかった。
それまではあの子だけはわたしを特別視しないでいてくれると思っていた。
(わたしは、あなたにとっても特別なの?)
けど違った。あの子も皆と同じように桜を特別だと思っていたのだ。地面が音を立てて崩れ落ちてゆく感覚に襲われた。地震が起きたのかと錯覚してしまったほどだ。
しかし、辺りは静かなままで、それは自分の心が受けた衝撃以外の何でもないことが直ぐに分かった。
わたしは彼らに見つからないようにそっとそこから逃げ出した。その時はやけに冷静だったのを覚えている。放課後の教室の前から逃げ出した時のようになりふり構わずではなく、シダレザクラが陰になってわたしを隠してくれるような位置に彼らが来るのを待ち、音を立てずに全力で走った。
全てのタイミングが最悪だった。
たまたま忘れ物をして教室に行って、聞きたくない事を聞いてしまい、シダレザクラの下に逃げてきて、何とか落ち着いたと思ったらあの子の裏切り。
数少ない理解者を失った桜は覚悟を決めた。
わたしはこの日大切な存在、大切だった存在を失ったのだ。
もう全てがどうでもいいように思えた。交友関係なんて要らない。いつか裏切られるならそんなもの捨ててやる。最初から独りでいればもうこんな想いしないで済む。
だけどただ孤立するだけじゃダメ。それはいじめっ子のいい餌食にされてしまう。それこそ集団の中に潜む異物を排除するかのように。わたしは無力なんだ。
それならどうすればいい?
自分の弱さをごまかしてしまえばいい。何か強い存在に仕立て上げるんだ。人ならざる美貌を持つと言われたわたしなら不可能ではないはずだ。
そうして思い着いたのが吸血鬼を名乗ることだった。
それなりに有名で吸血鬼の特徴がいくつか桜と重なったのだ。赤い瞳と白い肌、それだけあれば十分。化物扱いされることは本来すごく不本意だが、精神的苦痛を和らげるにはこれしか思いつかなかった。
自ら化物を名乗ることで、他人から言われても仕方ないという理由になる。その時受けるダメージを軽減することが出来るはずだ。
そのためには何をすればいい?
見た目は十分だけど、それだけではきっと物足りない。中途半端では冗談に取られて終わってしまう。良くても電波だ。それはちょっと抵抗を感じた。今思えば、大して変わらないけれど。
電波に思われないにはどうすればいいか。
意味不明なことを言わないようにすればいいのだろうか。それには知識がいる。わたしは吸血鬼について詳しく知らない。いや、専門的な知識は重要ではなかった。
わたしを見て吸血鬼と思わせればいいのだ。だから演じるのは一般的に知られていることだけでいい。細かいとこまで見るのは吸血鬼マニアくらいだろう。
そんな特殊な人がいるとは思えないが、詳しくきかれた時のために知識として頭の中に入れておこう。深く突っ込まれても大丈夫なように。
図書館やインターネットを使って吸血鬼について調べてみるとといろいろと出て来た。
主な特徴としては、血を吸う、日光に弱い、長命、ニンニクが嫌い、十字架を恐れる、棺で眠る、銀が弱点、鏡に映らない、吸血した相手を吸血鬼にする。
もともと伝承や民話の存在なので実像があやふやではっきりしない。各国に吸血鬼の話があり、内容は様々。やはり一般的に知られているものを使った方がよいだろう。
しかし、実際に人の血を吸う事は出来ない。アニメではトマトジュースで代用しているという話があったけど、あんまり好きじゃないし何か他の赤い飲物にしてしまおうか。
日光が苦手なのは元からだから今までと変わらない。強調させるためにサングラスでもかけようか。もともとかけた方がいいとは言われていたし。
長命であることはどうしよう。言葉を古めかしいものに変えればいい?
でも保育園から一緒に成長してきたのを見られている。封印されていたことにでもしてしまおうか。無理やり封印を破ったことで身体が幼児化したとか。ちょっと無理があるだろうか。まあいい。
いきなり言葉使いが変わったら流石に理由をきいて来るだろうし、そしたら記憶が最近戻ったことにしよう。
あとは適当にごまかそう。
ニンニクは弱点とは言え死ぬわけじゃないのでしかめ面、十字架が弱点なのはキリスト教の解釈、棺で眠るのは死者が復活した吸血鬼だけ、銀で襲われることは無いだろうし、鏡に映らないのはただの物語上の設定、本当に吸血しないのだから他の人を吸血鬼に変える必要もない。
正直わたしはこの作業を楽しんでいた。自分についての設定を作り、演じる。典型的な中二病じゃないだろうか。ただ痛いだけの存在にはならないようにしていたつもりだけど、自ら吸血鬼を名乗ってしまう時点でもうアウトだ。
基盤作りに数日かけて、頭の中で何度もシミュレーションを繰り返した。
その間、コミュニケーションはあまり取らなかった。
他人を信じられなくなったのもそうだけど、調べ物をしたり演技を考えたりして疲れていたのだ。顔色が悪いと心配されたが、決意した気持ちは変わらなかった。
わたしが吸血鬼を演じると決めてから数日後、ついに準備が完了した。薄く色の付いたサングラスをかけて登校したわたしにクラスは少しざわついた。
ただサングラスをかけただけでもこの反応。予想通りだった。だから今まで視界が眩しくても頑なに拒否してきたのだ。今まで何回か話したことがあるから知っているクラスメイトもいるだろうけど、これで桜がこの明るさでも眩しいのだと分かったことだろう。
というよりただ格好つけているだけだと誤解されたらいたたまれないから分かって欲しかった。わたしにとって世界はサングラスするほど眩しいんだって。
それなりに仲良くしていた子が興味を持ってきいてきた。周りも気になるようで聞き耳を立てているのが分かった。
桜は平然と、そして堂々と言い放った。
「眩しいのだから仕方あるまい」
クラスの反応はまだ薄かった。ちょっとした冗談に思われていたようだ。結構覚悟して第一声を上げたのにその反応は酷い。皆笑顔だけど笑いどころじゃない。つられてわたしまで笑いそうになるじゃないか。
緩みそうな頬をどうにか抑えながら会話を続ける。
「妾からしてみればこの時間は眩しいのじゃ」
「ちょっ、その口調どうした?」
笑いながら、冗談と思いながら話しかけてくる。このままやり取りしているといつ吹き出すか分かったものじゃない。予定より少し早いが爆弾を投下した。
「うむ。どうやら妾は人ではなかったようじゃ」
「え? いや何なの?」
「何って、吸血鬼じゃ」
何でもないことを言うように、しれっと答えた。するとクラスに静寂が訪れた。真面目な表情をしているわたしにクラスメイトたちはこう思ったのだろう。「ああ、これはマジだ」って。
ほんとは羞恥と笑いを必死に堪えていたけれど、それに気づいたクラスメイトはいないはず。わたしが何を言ったのか直ぐに理解できないのか皆固まってしまった。
「えっと、桜? どうしちゃったの?」
よく一緒にいたグループの子が恐る恐るといった感じに話しかけてきた。普段は物静かなイメージだけど勇気はあるみたい。だけどその優しさはもう要らない。
「妾はのぅ。考えていたのじゃよ。どうしてお主らとこんなにも違う姿をしておるのか」
「体質だって言ってたよね?」
「そうじゃ。では何故妾だけ体質が違うのじゃ?」
彼女は答えられなかった。わたしは答えられるほど詳しい説明はしていないのだから当たり前だ。わたしが体質の事を話題に出されるのが嫌いな事をクラスメイトたちは知っていた。
今まできかれてもそうゆう体質とだけ言ってはぐらかしてきたのだ。
「それは妾が吸血鬼じゃからじゃ。全部思い出したのじゃ」
わたしが皆と違う見た目をしているからと言って、それが吸血鬼であることの証明にはならない。誰も心の底から信じはしないだろうと分かっていた。
ただ、わたしが吸血鬼を名乗りたいのだと分からせればいいのだ。
幼馴染のあの子は遠くからわたしを見ていた。
何か言いたげな表情をしていたけれど、わたしは気づかないふりをした。
わたしはもうあなたとも関わらないようにするわ。あなただって特別であるわたしと関わりが消えれば清々するでしょう?
わたしはわたしを特別扱いする人の近くにはいられない。わたしの大切な存在だったあの子はもういない。
今まで助けてくれてありがとう。そして、さようなら。
わたしができるだけあの子のことを避けるようにすると、あの子も進んで近づいてくることは無くなった。
そうしてわたしたちは幼馴染から他人になった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
こうしてわたしは化物になった。
目論見通り仲の良かった子も皆わたしの側からから去っていって独りになった。
それでもわたしを無視したり、聞こえるように悪口を言ったりする子はいなかった。むしろ前より優しくなったような気さえした。
ただしそれは腫物に触るような扱いである。
皆わたしが病んでしまったと思ったらしく、これ以上悪化させないようにとの配慮だったのかもしれない。
だから桜も最低限のコミュニケーションは取り続けていた。
吸血鬼について質問されれば自分の設定上の吸血鬼について教えてあげたし、隣の子が教科書を忘れたなら見せてあげる。人間は愚かだと見下したりはせず、対等な存在として、友好的だけど誰とも深い仲にはなろうとしない吸血鬼を演じたのだ。
そんなこんなで中学は過ぎ、高校に入学した。中学の知り合いがいないところにしようと少し遠くの学校を選んだ。
その頃には自分の行動が中二じみていて痛いと感じたのだ。中学を黒歴史としてなかったことにしたくなったのだ。
しかし、その願いは適わなかった。
唯一あの子だけが同じ高校に入学したのだ。関わりを絶ったあの子はもうわたしに配慮する必要はない。中学時代のわたしの事を話してしまうかもしれない。
それに、故郷から遠く離れた学校に来たわけではないのだ。噂は直ぐに広まってもおかしくない。だったら再び心を決めるしかない。
高校でも吸血鬼を演じて見せる。化物と呼ばれても自分の意図した予防線だ、問題ない。心のダメージはきっと大きくない。中学の時のように上手くやり過ごしてみせる。
そう思って自己紹介の時、堂々と言った。
「妾は悠久の時を生きるもの、吸血鬼じゃ。名は小玉桜と申す。信じられぬならそのような『きゃら』であると理解してくれても構わぬ。ただ日光が苦手なのを理解してくれ」
予想通りざわついたが、その場で質問は出なかったので何食わぬ顔で席に戻った。相変わらず奇異の視線がわたしを貫いていた。これは皆が慣れるまでの辛抱だ。
奇しくも同じクラスになったあの子は複雑そうな顔で桜の自己紹介を聴いていたが、やはり気づかないふりをした。どうして気にしないようにしているのに目に入ってしまったのだろう。
ホームルーム終了後、後ろの席の子が恐る恐るわたしに話しかけてきた。
「小玉さん、あの……吸血鬼って?」
背の小さい、黒髪が綺麗な可愛い女の子だった。
「そのままの意味じゃ。この瞳を見れば納得するかのぅ?」
薄い色付きのサングラスを外して視線を合わせる。その子がわたしの赤い瞳を見て驚きの表情を浮かべるのが分かる。
「肌の色もほれ、全然違うじゃろ?」
信じられないほど白いわたしの手を相手の手の隣に並べる。その子も色白のほうだけど、桜の方が白い。さらに驚愕の表情を浮かべた。比べることで桜の異常さが引き立てられたのだろう。
「怖いなら無理に関わらなくて良いぞ。妾は独りでも平気じゃ」
「……綺麗ね」
しっかりとわたしを見て彼女は一言そう言った。
「えっ? いや、そうじゃな。中にはそのように評価する者もおろう」
思わず素で話すところだった。いきなり綺麗と言われるとは思わなかったのだ。
「じゃあ、わたしは知り合いのところに行くわ」
いきなりそう言って3つ後ろの席の男子のところへ向かって行った。逃げたわけではなく、明るそうな子とふわふわした子の2人がその男子が話しているのがどうしても気になったみたい。
あまり詳しく説明しなかったためか、クラスメイトの中にはわたしをモデルとか地下アイドルとかと勘違いしている子がいるけど、クラスの人たちは皆ノリが良くて、わたしは吸血鬼キャラとして認識された。
それでも目立ったいじめをされることは無く、今まで私自身は静かな高校生活を過ごしている。クラスがクラスだから、教室が騒がしいのはいつのものことだけど。
進級してもクラスメイトは変わらなかった。どうやらうちの学校はクラス替えというものがないらしい。
おかげで2年生になってもあの子と同じクラスのままだ。
気にしないようにしているのに目に入るあの子。好意を抱いているのか、最近はよく藍原さんのことを見ている。
昔はあの子が気に掛けてくれるのはわたしだったのに……。
いや、あの子はもう他人なんだ。今のわたしとは関係ない。たとえあの子が誰と親しくなろうとどうでもいいんだ。わたしはもう、誰とも親しくなる気などないのだから。
おかしい。最近どうも心が落ち着かない。ちょっとのことで感情がざわつく。今までこんなことはなかったのに。
このままだとわたし、心まで本物の化物になってしまう。
でも、誰にも助けは求められない。わたしは望んで独りになったんだから、その先にあるのが化物への変貌であったとしても自業自得だ。
あらゆることをごまかす、優美な化生。もう、それでいい。




