悲しみに暮れるあなたを愛する
数日前に降った雨の気配すら残るようなジメジメとした校舎の影。そんな地面へ生き生きと根を張る青い花をしゃがみ込んで眺め、ごめんなさいと一つ謝り、茎の部分を少し残して手折った。掌へそっと乗せて、私は満足げに微笑む。私の掌の上で確かに存在している筈の花が、どこが別の場所で存在しているように思えた。
私はリンドウの花言葉が好きだ。
ちなみにリンドウというのは、リンドウ科の多年草で、咲く季節は丁度9月から11月頃が咲き時だ。今は丁度10月なので真っ盛りな季節である。花の色は、ピンク、紫、青紫、白など多々存在しているけれど、青がやっぱり綺麗だなぁとしみじみ思う。なんでかはわからないけれど。
そして、一言にリンドウと言ってもその品種はいろいろあって、園芸用などに品種改良などされたものもよくあるが、私は好きと言ってもあまり詳しくないのでわからない。私が一番好きな品種のものはチューリップのような咲き方をするものだ。チューリップよりは茎がしっかりしていて長い。
そのリンドウの花言葉は、『悲しみにくれているあなたを愛する』というものだ。他には『淋しい愛情』『貞淑』などがある。勿論これだけではない。
話はまた突拍子もない方向に変わるが、私には前世の記憶というものがあるらしい。らしい、というのはまだ私自身あまり実感が湧いていないせいだ。実感が湧いていないのは、それが発覚したのがつい最近だから。けれど、今更思い返してみればそれらしいことは以前からあった。この真っ青なリンドウの花も、私は前世から好きだったようで。
私は前世のことを夢で知った。そんなアニメやマンガじゃあるまいし、と思う人もいるだろうが、事実私は見ているのだ。あの江戸時代、戦国時代の軒並みや、土埃が舞うような道、その道を歩いている人達はみな着物だ。そして何百頭の馬が草原を駆けている。上に乗っているのは武士たちだ。刀を腰にぶら下げ駆け抜けるその姿のなんと凛々しいことか!思わず見とれてしまう程だった。そんな武士たちがあっけなく命を落としていったというのだから、世界というものは残酷だと思う。
だがそんな武士たちの無事を祈りながらもいつも通りに仕事をする農民や飛脚や商人。赤子の世話をする忙しない母親。子供は子供で寺子屋で勉強に励む。私は寺子屋で、今で言う教師を勤めていたようだ。一人の子供は私がリンドウの花を好きだと言うと、慌てたように外へ転がり出て、リンドウの花を持ってきてくれた。可愛らしくて、元気の良い男の子だった。
だがそんな子でも戦に巻き込まれ死んだと聞くと、あぁ、無力だ。そう思った。何も救えない、何も出来ない、『私は何の為に生きている?』そう自身へと疑問をぶつけ自問自答を繰り返し、その当時夫となっていた男と一晩中泣き喚いた。男に八つ当たりをしたりもした。男は何も言わなかった。ただ、優しく背を撫ぜるだけだった。
そんな男も、戦に巻き込まれて死んだ。十もの弓矢が突き刺さり、臓器は刀で刺され、ボロボロになっていた。
男は死ぬ前に、私と一つ約束を交わした。
『生まれ変わっても、また会おう』と。
男は私の左手を握り締めながら逝った。男の血に濡れた掌にはその色とは似ても似つかぬ青色のリンドウが咲き誇っていた。私は、空いていた右手で男の腰に挿してあった刀を取り、男の側で自害した。燃えるような空が広がっていたのを覚えている。
私が見るのは、そんな血生臭い、吐き気がするような夢だ。多くの人々が死に絶えてゆき、その多くの人々を殺した人達も、また殺された。堂々巡りだ。
けれど前世のことを思い出す前からこの花は大好きだったし、他にも見覚えはあるけれど何か分からないものなどは多々ある。
私は真っ青なリンドウの花を、使われていない空き教室まで持って行く。バレないように、こっそりと。空き教室までの道のりは意外と他の教室から丸見えだったりするから気を付けなきゃならない。他の生徒には見つかりたくない。
上靴のまま土を踏んでしまったから裏に土がついているかもしれないけれど、まぁいいかとそのまま教室に入り、ふぅ、と一息ついた。その教室は、本来の教室に何らかの理由で入れない人達が使う部屋だった。長期間の不登校者や、虐めに遭っていた人などが主な使用者だ。
私はそんなこの教室が好きだ。埃臭いけれど、窓から差し込む日差しとなぜか置いてあるジーパン生地のソファーの座り心地は最高だった。そこに座り、なんらかの理由でこの教室を使っていた人達の憂愁な気分を味わう。そこに私の憂愁な気分を更に織り交ぜていく。そうしてこの教室は形成されているのだ。
ぼふっと音をさせながら身体がソファーに沈み込んでゆく感覚をゆっくりと味わう。完璧に力を抜いた身体はズリズリと下にずれていく。けれどこのだらけた体勢が最高に気持ちいい。そして、ズレてゆくのが終わって一息ついた頃。リンドウの花のことを思い出し、潰れていないか確認をし終えてから、はぁ、と溜め息一つついてきちんと座りなおした。そして、毎日の日課のようになっている教室の見廻りをするのだ。
教室の中に何か幽霊とか化物とか、そういうモノがいるわけではなく、ただ単に教室全体をぐるりと見廻すだけ。たったそれだけの行為だ。見廻りと言うと大袈裟に聞こえるけれど、私自身は大真面目である。まとわりつく憂愁な空気と、それに反するスッとした清清しい空気、そのどちらをも兼ね備えるこの神秘的な教室が、単に毎日が平凡で幸せに満ちている者共に犯されていないか。卑俗な者共に犯されていないか。それを確認するために、私は毎日見廻りを続けている。
見廻りをする度に思うことだけれど、この部屋の物の配置は少し可笑しい。まず、真ん中に机が五個固められている。それから椅子が四脚。廊下側の壁には私が今まさに座っているソファーがある。そして反対側には窓。色褪せたカーテンが窓から入ってくる風と共にふわりと揺れ、埃が舞う。椅子が一脚足りていない時点で可笑しいし、そもそも学校にソファーなんてあっていいのかしら、なんて思うが、どこか幻想的なその光景を見ているといつも瞼が重くなってくる。それからどうでもよくなって、ドアの方を頭にして横になってしまう。今日はリンドウを手折ったものだから、いつもより慎重に横になった。どうでもよくなって放り投げてしまうのは私の悪い癖だ。
そして、私が眠りにつくというほんの寸前、ガラリとドアが開けられた。びくりと身体を揺らして飛び起きる。目をパチり開く。ドアの方を振り返れば目の前には私の睡眠時間を今も徐々に削り取っている男が一人、ニコニコと鬱陶しい笑顔で突っ立っている。普通の人から見れば愛想のいい男なのだろうが。
男の名前は志多雅文という。
「また寝てたの?」
そう言いながら私の真正面へ来るように移動した。
『また』で悪いか。そんな意思を込めたひと睨みをお見舞いしてやる。効果なんてちっともないけれど。その証拠に志田はケラケラと愉快そうに笑っている。こちらはまったくもって愉快でもなんでもない。むしろ不愉快だ。
「まぁま、そんな怒んないでよ。そんな顔してるから友達出来ないんだよ?」
「...余計なお世話よ」
貴方だって友達居ないじゃない、というのは盛大なブーメランになるので心の中で吐き捨てた。自分で自分を痛めつけるような趣味はない。
すると、志田がぼそりと呟いた。なによ、と聞き返そうとしたが、志田の様子が可笑しい事に気付いた。目に光がなく、憂いでいるような顔に思えた。その視線を辿れば、私が手に持ったリンドウへとたどり着く。
あぁそうか、と思うけれど、それは口には出さない。
「...リンドウ」
「......花の名前なんて一つも知らないと思ってたわ」
態と小馬鹿にして言うと驚いたように目に光が戻り、あの憂い顔は消え去っていた。多分、一時的に記憶が混濁したのだろうと私は予想した。...それか、今、思い出したか。
私は態と小馬鹿にしたけれど、志田がリンドウを知っているのはなんら可笑しい事ではない。
なぜらならば、私の夢に出てくる青い瞳の男こそ、この志田なのである。
輪廻転生、転生輪廻、まぁ呼び方は色々あるが、『そういう』ことだ。
ちなみに、輪廻転生とは死んであの世に還った霊魂(魂)がこの世に何度も生まれ変わってくることを言う。ヒンドゥー教や仏教などインド哲学・東洋思想において顕著だが、古代のエジプトやギリシャ(オルペウス教、ピタゴラス教団、プラトン)など世界の各地に見られる。
ではなぜ別の人達には前世の記憶がないのか。それは私も是非詳しく知りたいところでもあるが、残念ながら分からない。私たちの場合果たすべき『約束』があったからなのだと思っているが、それも定かではない。
だが、来世への希望の約束すら身動きをするほどに絡まり解けなくなってしまう呪いになってしまった。
戦国時代からその呪いは続き、明治、大正、昭和、そして今現在の平成にまで纏わりついてくる。
大正時代辺りになると、志田は記憶を思い出してから泣き出してしまうようになった。自分のせいだ、なぜまた出会ってしまったんだ、と。
自分のせいだああだこうだ言っているのは、生まれ変わる度私が必ず寿命以外の何らかの形で死んでしまうからだ。例えば、事故や強盗、殺人などが挙げられる。自殺もあった。自分と出会わなければ私は生きられるのに、と思っているらしい。馬鹿馬鹿しいにも程がある。死んでしまうとしても出会いたい、そう思うのが普通だろう。
...そうは言っても、如何せん私達と同様の人達と出逢ったことがないので普通か普通ではないかの区別もつかないのだけれど。
私は逡巡した後志田に話しかける。これを私の口から吐き出すときは毎度迷うのだけれど、口に出さなければ何も始まらないと分かっているから全部なにもかもひっくるめて、吐き出すのだ。口から糸を吐き出すように。
「雅文」
雅文の目が見開かれたのがわかった。私を真っ直ぐに見て、硬直している。私は立ち上がり、雅文に近付こうと一歩踏み出す。ぱたん、と何もない教室独特の足音が鳴る。雅文はそれに同調したかのように一歩後ずさった。私が一歩踏み出せば雅文が一歩後ずさる。一歩ずつ確実に後退していけば、徐々に雅文の呼吸が浅くなっていくのがわかった。見開いた目からは涙が次々に溢れ出してくる。
可哀想などとは思わなかった。寧ろこれが私の役目であって、遠慮すること、ましてや可哀想などと思う義理はないのだ。
そうこうするうちに、反対側の壁に雅文の背が付いた。何に怯えているのかは分からないけれど、その目には恐怖が浮かんでいた。それでも多分、私に怯えているのではない筈だ。
「嗚呼、また、出逢ってしまった」
雅文はそう言った。その目と声には絶望と希望、そして悲しみが入り混じっている。
「もういいのよ」
私の目から涙がすっと零れ出た。もう、囚われなくてもいいのに。もう、自由なのよ。何度言ったって聞いてはくれない。出逢ったことそのものが間違いだったと言う。昔と今が混同して、間違いなのか正解なのかすらもわからないから。だから間違いだと思い込む。それを直す術は未だに見つからない。
雅文は未だ泣いている。私は彼の涙を拭いながらも、我慢できなくなり彼の肩口へ自分の額を擦りつけた。涙がボロボロと溢れ出て、彼の肩口に吸い込まれてゆく。彼の涙は私の背中へと吸い込まれてゆく。二人目を合わせて泣くことはもう不可能になっている。私の悲痛なまでの声は、彼には全く届いていない。
「もうやめて...おねがい、もう...!!」
私たちはひたすら間違いを繰り返す。それこそが正解のような気がした。間違いを繰り返せば繰り返すほど、正解に近づいていく気がした。本当はそんなこと全くの無意味で、それがただの幻想だとわかっているのに。
けれど、私たちは出会う。出会い別れを繰り返しながら間違う。一体何度目なのだろうか、この出会いは。間違いは。
雅文はただ偽りの悲しみに囚われて泣いている。間違いに囚われている。
だから、私は偽りの悲しみに囚われたフリをしたまま涙を零し、深い口づけと共に愛を叫ぶのだ。
リンドウの花言葉のように。
「悲しみに暮れるあなたを愛する」
END