《仲介人》(前)
悪夢から解放され、泣くのもやめて今は穏やかに微睡んでいる原石を上質な布に包むと、二人は来た道を戻って洞窟の外に出た。
木陰で待っていたトロンが気づいて歩み寄る。
「おかえりなさい。……それで、どうなったんですか?」
石の声が聞こえないトロンには事の顛末がわからない。
問いかけに、ティメオはにっこりと笑って答えた。
「彼が石を起こしました。石も今は静かにしています。お子さんも、もう大丈夫だと思いますよ」
「そうですか……! ありがとうございました。お疲れ様です」
「いえ。これが仕事ですし、情報をいただけたお陰で原石も手に入りましたから」
声持つ原石の価値は高い。
商売敵は少ないとはいえ皆無ではないため、他の《覚醒士》が聞きつけていれば先に石を持っていかれた可能性もあったのだ。
無事に仕事を終え、三人は洞窟の前を後にした。
集落に戻ってくると、チェルムがお下げ髪を跳ねさせて子兎のように父親に駆け寄ってくる。
「おとうさん!」
「ただいま、チェルム」
「かなしいこえ、きこえなくなったよ!」
「そうか、よかったな。ほら、お礼を言いなさい」
先ほどは不安に曇っていた表情が晴れ、愛らしい笑顔で少女はジグレイとティメオを見上げた。
「ありがとう、おにいちゃんたち!」
「どういたしましてー」
にこにこと同じ目線で応えるティメオは、仏頂面のおにいちゃんの裾を引いて無言で訴える。
仏頂面に眉が寄せられ、鬱陶しそうに手を払う。
「なんだ」
「なんだ、じゃないだろ。かわいいレディがお礼言ってくれたんだから、恥ずかしがってないでさ」
「……誰がいつ恥ずかしがった?」
眉間のシワがさらに深くなったが、さすがにきょとんとした大きな瞳で見上げてくる少女の前では物騒な顔をしているのははばかられた。
溜息をひとつ――もちろんティメオに対してだ――零し、ジグレイは膝を折った。
手に持っていた布の包みを少女の目の前で開く。
堅い岩の中から出てきたばかりで未ださしたる輝きもない原石に、子供特有の大きな目がじっと視線を注いだ。
「泣いていたのはこの原石だ」
「……いまは、しずかね。かなしくなくなったの?」
「あぁ。悪い夢はもうみていない」
「よかった」
ほっと小さな胸を撫で下ろしたチェルムは、丁寧に説明してくれた青年にもう一度感謝を伝えた。
「ありがとう、おにいちゃん」
ジグレイが原石を包み直して立ち上がると、チェルムは父親と母親の元へ駆け戻っていく。
ジグレイは、トロンに歩み寄って小さな布の巾着を差し出した。硬貨の擦れる音がする。
「これは情報提供のお礼です」
「そんな! 困っているところを助けていただいたんですから、今回はいただけませんよ」
声を持つ石は珍しい。故にその所在の情報はそれなりの値段で取引されることがしばしばであるし、強い『耳』を持つ者の中には土地を転々として声を持つ石を探し、《理解者》に情報を売ることを仕事にしているものがいる。
ジグレイ達も普段は彼らから情報を得ていた。
チェルムのように『耳』を持つ者が偶然石の寝言を聞いた場合、大抵はその情報屋に情報を売るものだったが、今回は丁度ジグレイが居合わせて直接情報を聞けたのだから、ハッシュ一家に情報料を支払うのが筋だろう。
「まだはっきりとした価値はわかりませんが、いいものなら追加で料金を支払わないと――」
「いや、本当にそんなつもりじゃありませんでしたし、むしろこちらがお礼をしなければならないところですから」
首を振って慌てた様子で断ろうとするトロン。
ティメオはジグレイの手から取った巾着を、彼の手の中に握らせた。
「それじゃあ追加の分はともかく、これだけでも貰っておいてください。僕らも当然利益を見越して動いた部分はあるんです」
完全なる無償奉仕の心でヒポグリフを飛ばしてここまで来た訳ではない。
「ですから、ね?」
にっこり笑うティメオに押し切られ、すまなそうにしながらもトロンはそれを受け取った。
そして、用意していたのだろう。トロンの妻が、茶色い小粒の木の実の入った小瓶を一つずつ、二人にそれぞれ渡す。
「これ、お口に合うかわかりませんが、よかったら食べてくださいな」
「チャカの実! チェルこれだいすき」
「森の小さな木の実なのですけれど、そのまま噛んで眠気覚ましにしたり、細かく砕いて料理に少し振りかけたりして食べるものです」
ありがたく感謝のしるしを受け取ると、頭を下げる夫婦と手を振る少女に見送られながら二人は集落を後にした。
「おまたせ。帰りもよろしくね」
森の入口の小川でヒポグリフに騎乗し、再び来た道を辿る。
起こしたばかりの原石は、ヒポグリフの背に括りつけて持ってきていた小型の頑丈なトランク――内側に緩衝材がたっぷり張ってある特別製のものだ――に丁寧に収めて運ぶ。
行きよりも少し時間を掛けて街まで戻ってくると、いくらか手前でヒポグリフの速度を落として歩かせ、そのまま門をくぐった。
「おう、お疲れさん。仕事は上手くいったかよ?」
厩舎に向かいヒポグリフを世話番に引き渡していたジグレイとティメオに、ひょっこり現れた東門警備隊隊長が笑いながら歩み寄る。
「そりゃあもう、完璧さ」
「お前の仕事はこれからだろうが」
調子のいい返事をする《仲介人》とすかさず突っ込みを入れる《覚醒士》に、ルナードは声を出して笑った。
「ってことは、ジグの仕事は今回も上出来だったってこったな。ティムの仕事も終わったら一緒に飲みに行こうぜ」
「それは構わないが……今はまだ勤務中のはずだろう、隊長殿? こんなところで油を売っていていいのか」
「――ルナード隊長ッ!! 何故厩舎まで降りていらっしゃるんですか!」
片眉を上げて揶揄するジグレイの台詞の語尾に被さるようにして向こうから飛んできたのは、凛とした声と体重の軽そうな長靴の足音である。
その人は実用性と機能性だけが重視された色気のないズボンに覆われた細い脚でつかつかと歩み寄ってくると、自分より頭二つ分ほど背の高い男達を澄んだ薄い青の瞳で毅然と見上げた。
「ジグレイ副隊長、御無沙汰しております。御友人のティメオ殿も」
きっちりと頭を下げて挨拶をする彼女にジグレイは薄く笑みを浮かべる。
「久し振りだな、エリナリーゼ補佐官。だが、今の俺は副隊長ではないし、敬語も必要ない」
「そうそう。僕のことも、ティムでいいっていつも言ってるのに」
ジグレイに言葉を続けて肩をすくめるティメオに、美女は透き通る金髪の一部を編み込んで後ろで纏めた頭を上げた。顔の横に零れた一房を耳にかけ、少し微笑み口調を緩める。
「……はい。お二人ともお疲れ様です」
「リーゼこそ、お疲れさま」
「今日はどちらまで?」
「シブレスの森に行ってきたところだ。ヒポグリフを借りた」
「そうでしたか」
三人が会話を交わす間に、そろりと足を引いてその場を離れようとした男は――
「それで。貴方は何故ここにいらっしゃるんです、ルナード隊長?」
――優秀な副官に呆気なく釘を刺されて首を竦めた。
「いやぁ、友人達の出迎えにだな」
「執務室においでのはずの隊長が、お二人が戻って来られたのをどうやってお知りになられたんでしょう」
「あー、それはだなぁ」
「また新兵を使いましたね? 見張りが、隊長に命じられた通りに新兵に伝言を届けさせたと正直に話してくれましたよ」
「麗しのエリナリーゼ補佐官に尋問されちまったら、男なら正直に何でも話しちまうんだろうぜ」
「――ルナード隊長!」
のらりくらりと受け答えをする上官に、エリナリーゼは非難の声を上げる。
「ルナード。真面目な補佐官をあまり困らせてやるな」
見かねたジグレイがルナードに仕事に戻るよう促すと、飄々と肩を竦めた彼はジグレイの肩を軽く小突いた。
「へいへい、戻りますよ。飲みの約束、忘れんな? 楽しみにしてるぜ」
ひらひらと後ろ手を振って塔の方へ歩いていく警備隊隊長と、彼の名を呼び小言を紡ぎつつ優れた容姿に険しい表情を浮かべてその後を追う隊長補佐官。
東門警備隊屯舎お馴染みの光景を見送って、ジグレイとティメオもその場を後にしたのだった。