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楽園に響く声  作者: 杉崎みのる
【第一章】
3/8

目覚まし時計(後)

 芸術のルス・パラディは、住民達から選出した代表で構成された自治組織をもつ都市国家である。


 街を囲う城壁には東西南北にそれぞれ門が構えている。向かい合う門同士を結ぶように大通りが走り、通りが交わる中心部には城と、その隣に時計塔がそびえ立つ。

 決まった時間になると、巨大な時計塔は壮麗な鐘の音を街の隅まで響かせる。その音色も街の象徴となっていた。


 芸術の街、というくらいであるから、ここには様々な分野の芸術家が数多く暮らしている。画家、彫刻家、建築家、彫金士、鍛冶屋、陶器職人、仕立て屋、音楽家、役者、歌手、作家、料理人――名のある者から駆け出しまで、この街に惹かれて集まってくるのだ。


 城壁の外を見てみれば、この街が彼らの活動に適した環境であることがわかる。


 東側は、宝石や鉱物の原石を豊富に抱いた山脈と、質のよい木材が採れる森。

 西側には河が流れ、農耕や牧畜に適した広大な平原が広がる。

 南へずっと行くと豊かな海だ。

 そして北には、整備された街道が大国グラナシアへと続いている。


 周辺地域がもたらすものを元に、生み出される文化や芸術はグラナシアの王侯貴族から潤沢な財と手厚い保護を受ける――という具合だ。

 グラナシアに限らず、いくつもの国家の権力者や富豪達と懇意にしている。


 複数の国と関わり合う手前中立的な立場をとっている都市国家であるため、母国を離れた人々も多く住み着いて、雑多な人種が入り混じっていた。


 芸術家には変わった人間が多い、とはよく聞くが、実際この街にいれば多少の個性は他の住人達のそれに埋没する。


 石と意思疎通が可能なジグレイ達もまた然りであった。



 路地から通りまで出てきたジグレイは、すぐ右手にある店の前に立った。


 年季の入った漆喰壁には看板もメニューも出ていないが、路地を挟んだマーサの店と構造はほぼ同じだ。

 カウンターの内側に男が座っているのが見える。


 前腕を横向きには乗せられても縦には置けない程度の幅だけ突き出た木製のカウンターを、緩く握った拳で二度叩く。


 鈍く乾いた音に顔を上げた髭面の店主は酷く不機嫌そうな表情をしていた。

 とは言っても別段怒っている訳ではないようで、ただ顔の造りが厳めしいのが怒っているように見える原因なのだろう。


「…………」


 五十辺りのその男は座っていた丸椅子から立ち上がり、無愛想に黙したまま厚紙の容器を用意する。

 無骨な手が操る木製のトングは――ピンク色のソースがたっぷりと掛かりトッピングの散った繊細な作りの、見るからに甘そうでかわいらしい――ドーナツを一箱に一つずつきれいに詰めていく。

 小さなその白い箱は、カウンターに三つ積み重ねられた。


「…………」


 男は少し会釈したかと思うと、元の体勢に戻ってしまう。


「どうも」


 ジグレイはそれだけ言って代金を支払い箱を持った。

 三歩でマーサの店の前に移動する。


 隣の店の様子を見ていた女店主は少々呆れた様子で肩をすくめた。


「アンタ達ったらなんだい? 世間話くらいすりゃあいいのに」

「必要なこと以外はあまり喋る方じゃないでしょう、オットーさんは」

「まぁたしかに、話しかけたって会話が弾むような旦那じゃないけどさ。たまに口を開けても言葉が足りないんだよ。そのぶんアタシが喋るんだけどね」


 社交的な妻と無口な夫。別々の店を営む夫婦は、きっと丁度いい組み合わせなのだろう。


 そんなことを考えながら、ジグレイはホットドッグとレモネードを注文した。


 具材をパンに挟み、ジグレイ仕様にマスタードをぶちまけながらマーサが笑う。


「今日も『目覚ましジグレイ』が出たんだろう? あの坊やにも困ったもんだねぇ」

「……頼みますから、それを言うのはやめてください」


 呻くようにささやかな抵抗を見せたジグレイだったが、非常に不本意ながらその呼び方は彼の知人の間で定着してしまっているものである。


「アタシとしては、ジグがティムの『目覚まし』をやると店の売り上げが増えて嬉しいよ。追加で注文がくる」


 銅貨を手渡してからその追加注文(・・・・)の品を受け取ったジグレイは、先ほど腹まで飲み込んだはずの溜息を吐き出した。


「大声を出すと腹が減るんですよ」


 マーサによると、見送ったジグレイの背中はつい数分前のそれよりもずいぶんとくたびれた風情であったという。





「ありがとう、グレイ。いつも悪いね」


 工房に戻ったジグレイから希望通りの朝食を受け取ったティメオはご機嫌である。

 一応身支度は済ませているが、寝癖はやはり結局どうにもならなかったらしい。

 褐色の髪は未だ水気を帯びながらも自由奔放に飛び跳ねていた。


「あぁ。本当に、いつも悪い(・・・・・)よ、お前は」


 そんな嫌味を返したジグレイだったが、ドーナツを目前にしたティメオにはいくらの心的損害も与えられなかった様子だ。


 代金分の硬貨を指で弾いてジグレイの方へ飛ばすや否や、いそいそと箱を開き甘い揚げ菓子に猛然と取りかかる。


 飛んできたそれを捕まえて財布に収めたジグレイは、部屋に広がる甘ったるい香りを押し流そうと、レモネードの栓を開けて一口呷った。


 その様子を見て、ティメオは薄い肩をすくめる。


「グレイもさ、一度はオットーのドーナツを食べてみるべきだよ。こんなおいしいものが苦手だなんて、人生損してるね」

「甘いのはあまり得意じゃない」

「辛いものばかり食べてると胃が悪くなるよ?」

「少しでも俺の心配をしてくれるつもりなら、その寝坊癖を直せ」

「…………」


 途端に黙って食事を再開するティメオに追い討ちがかけられた。


「あと五分で出発するからな」

「っ……!!」


 ドーナツを口いっぱいに頬張ったままのティメオから声にならない悲鳴が上がる。


 それをきれいに黙殺して、ジグレイは大声と苛立ちで消費してしまったエネルギーを補うべく本日三つ目のホットドッグにかぶりついた。



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