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――むかーし、むかし、大きな大きなお星さまと、それに付き添う小さな星たちがいました。小さな星たちにはそれぞれ個性があって、みんなバラバラのことばかり、そして時には喧嘩もしていました。そんな中で、大きい星さまだけは、ただ灰色の体を動かすこともせず、じっと、そして、ほっそりと泣いていました。僕にもみんなみたいな活気がほしい、そういって泣いていました。それをかわいそうに思った小さな星たちは、そろって、体の一部分を大きな星とすこしずつ交換しました。大きなお星さまは小さな星たちの力で活気のある、偉大な星へ変わっていきました。灰色だった体は様々な色に彩られ、小さな星たちの化身のような生物をたくさん生み出しました。活気を得た大きな星は喜び、それを永遠に守っていこうと誓いましたとさ。おしまい――
「おーい、聞いてる?」
突然横から声をかけられた。隣を見ると不思議そうな顔で楓芳が眺めていた。
「ん? ああ、ごめん、聞いてなかった」
「もー、瞭緩くん最近そーゆーの多過ぎるよ。また考え事?」
「まあ、昔のおとぎ話をちょっとね」
自分でもなんだかおかしな話だ。この歳になって『おとぎ話』に意識をとられるなんて。
「別に、考えることには怒ってないよ。考えることは私たちの『仕事』だからね。でも」
それまでふくれ面で史成の前を先行して歩いていた楓芳が突然振り返り、
「話してる途中でトリップしない!」
手のひらを槍のように鋭くして瞭緩の鳩尾を一閃した。
「……なあ、本当にごめんって。しょうがなかったんだよ、最近は創世記の研究ばっかりでさ……」
突かれた鳩尾は別に悲鳴を上げているわけではない。研究職のこの身だが、学生時代に散々鍛え上げてきた身体はそれなりの強度を今も残している。むしろ手の方が痛そうなものだ。
「研究研究って……瞭緩くんは研究と私、どっちが大事なの?」
「どっちがって……きみに決まってるだろ。でも、さっきの話は確か、六属外生命体の本能活動についてだったような……」
さっきまで話していた内容はどうも私的なものではなかった気もする。
「内容なんて関係ないの! 人の話はしっかり聞く! わかった?」
どうも、そういうことではないらしい。
「はい、すみませんでした!」
白昼堂々と頭を下げる瞭緩であるが、内心は土下座に他ならない。
「で、結局どうなの? 六属外生命体の――」
それを生暖かい視線で流し、何事もなかったかのように会話を再開させる。楓芳は別に他者を虐げることで快感を得る性癖――サディストではないので、土下座でなくとも居心地はあまりよろしくない。
「とりあえず、歩きながらだと説明しにくいな。講堂か図書館にいこうか」
「えー、せっかくいい天気なのに……しょうがないな、今日は図書館で」
「りょーかい。じゃあついでに昼食も買っていこうか」
光星ルクスは既に頭上にまで上がっている。時間的にはちょうどいいはずだが、楓芳は首をかしげた。
「図書館は飲食禁止だよ?」
「大丈夫、着くまでに食べ終わるからさ」
「まあ、いいけど、どうせならゆっくり食べたいよ。それに、今日は……」
楓芳はチラッと手に持っている籐籠を見やる。
「ああ、そうだったね。じゃあそこのベンチとか」
無論、それに気づいていなかったわけではない。むしろ、それが目的でもあったというのが瞭緩の本音だ。
「うん!」
石畳の道から外れ、芝生の上を歩きだす瞭緩に楓芳は上機嫌でついて行った。
◆ ◆ ◆
超巨大天体『テラリス』。八つの衛星を従えるこの星は、むしろ衛星によって成り立っているといっても過言ではない。長年の研究の成果により、この大地は、もとは生命体どころか水も大気もない、ただの岩石で作られていたといわれている。そして、いつからかその周囲を回り始めた衛星によってこの生命あふれる世界へと変わっていった。衛星には単一属性の強大なエネルギーが存在し、それがこの大地『テラリス』へと供給されている。供給されているエネルギーはあるいは表面、あるいは地下からテラリスの大地を多種多様な生命の住める世界へと改変している。
テラリスの周囲を等周期で回っている衛星――公転半径が全く同じで、そのうち六つの衛星は軌道までもが同じであるために衝突が起きない――にはそれぞれその星を司る『神』が存在すると信じられており、その神の名がそのまま星の名にもなった。いつしか、『神』と『星』は同一視され、人々は、星を見てはその恩恵に畏敬の念を表し、年に一度ずつ八つの星に対応した祭事が執り行われている。
テラリアの大地を改変するとともに、星たちはその土地に『生命』を与えた。『光』と『闇』を除く六つの星b¥により生み出された生命体は『六属生命体』と呼ばれている。テラリアに生息している生命体――生物はそのほとんどが、『純六属生命体』と『混合六属生命体』に含まれており、系列図に『光』と『闇』が見られることはない。たとえば、排水溝などに生息する小動物『ムルス』は、今ではその性質のほとんどが中和されているが、世代をさかのぼると『風』の属性が強いことが知られているし、水生の『デルピヌス』でも、『雷』の属性を持っている。数多の世代を経て、自然界では『混合生命体』がほとんどであるが、ごくまれに、『純六属生命体』である『不死鳥』――『火』の純属性――や『風猿』――『風』の純属性――なども発見されている。
しかし、われわれ『人族』と、もう一つの高度知的生命体『竜族』のみが、そのルーツとしての属性が解明されていない。属性としての特徴が全くないわけではない。生命体にはそれぞれどれか得意とする属性がある。それは種で統一されているし、ほとんどが中和されていたとしてもそれが無くなるわけではない。中和されると、『その魔法が使えない』という結果が残るだけだ。しかし、この二種に関しては全くの逆。種としての得意属性が存在しない――個体によって変わるのだ。しかも、『六属性』ではなく、『八属性』がそこには含まれるのだ。それはつまり――
「衛星のどれか一つによって創られたわけじゃないってことでしょ? もし二つ以上の星が『昔話』に反して協力してたんなら個人差が出るのはおかしいんじゃないの?」
「そこはあれだよ、普通の『六属』にいろんな種類があるように、『八属』にも違いが出るんじゃないか? 遺伝子によって得意属性が受け継がれることはわかっているんだし」
国立生態学研究所――レイヴィア王国の最高教育機関に属する研究所の一角にその部屋はある。
『統合生態学研究室』はこの星に存在する生命全体を対象に、その背景の環境・文化を含め、総合的に研究している。その性質上、生態学だけでなく幅広い分野の知識を擁するため所属しているものは数少ない。しかし、その研究成果は同盟国間では随一であり、『世界の心理に最も近い者達』の異名を誇っている。瞭緩たちがいるのはその図書館の閲覧スペースである。多くの文献の持ち込みを想定しているためか、個室の閲覧スペースは十分にとられていて二人入ってもまだ余裕がある。
「――まあ、それは一般論で、僕はまた違う仮説を立ててるんだけどね……」
瞭緩は既に何度か読み返しており暗唱すらできるハードカバーを閉じながら顔を上げた。代わりに持っていた小さ目のバッグから小さな紙を取り出した。
「なにそれ、教えてよ」
好奇心に駆られたのか、楓香はいつもの穏やかな雰囲気から一変して目つきが鋭くなる。
「え、無理。とりあえず証拠物件が見つかるまでは心の中に閉まっておくつもりで……」
言っておいてなんだが、正直なところ瞭緩には教えない理由は全くないのだ。研究室の外でなら他聞を憚るが、同じ研究を共にする仲間には秘密にする必要はない。むしろ、情報を共有することで『答え』に早く辿り着くことができる。これが大人数を擁する研究所なんかになると派閥争いによって情報の秘匿が出てくるが、それが無いのが少人数精鋭の強みだ。今では思いついたネタ――もちろん研究についてのことだ――を書き綴るメモ帳すらも共有化している。
「まあ、早い話、『二種』はテラちゃんから生まれたんじゃないかっていう話なんだけどね」
「え、それじゃあ『テラリア』には特徴がないっていう『昔話』が否定されちゃうよ? というか、その『テラちゃん』って呼び方どうにかならないの?」
「いいじゃん、呼びやすいんだしさ。『昔話』はあくまで『昔話』だろ? その話の原作は確かに『あの遺跡』で実際見てきたけど、実はあそこに一部分だけ風化が進んでたところがあったんだよ。そのときはまだ古代文を専攻してなかったからほかの文も読めてなかったけど」
『昔話』とは、レイヴィア王国の同盟国である『スロートル王国』の領地内の小さな遺跡で見つかった『古代言語』で書かれた文章――古文書に書かれていた内容である。『テラリア』の創世について事細かに書かれており、かつては『創世記』とも呼ばれていたが、子供のころに『昔話』として代々伝えられてきた『伝承』とほぼ一致しているために『昔話』という名称が一般的になっている。
「だから、その消えていたところに人類――いや、『人族』と『竜族』の誕生について書いてあるんじゃないかな」
「なるほど……」
楓芳は釈然としない表情を浮かべてはいるがどうやら理解はできているようだ。
「さて、この話はここで置いておこう。ここらへんは先輩の土俵だからね。ちゃんと提案はしてあるからさ」
「むー……」
「それより、『レポート』は終わったの?」
たかがアイデアでも他人の看板を横取りするのはマナー違反だと瞭緩は思っている。そうでなくてもこの研究室では『考えの共有化』とともに『専門分野の区分け』も慣例となっているのだ。急な話題転換ではあるが、それまでにあった本題を思い出すいい機会だ。
「ふぇ? あ、忘れてた」
素っ頓狂な声を上げるが、すぐに元の話題を思い出したようだ。
「やっぱり。いつも忘れて……」
「だって、ケルちゃんって、ほんとに可愛すぎてついついレポート忘れちゃうんだよねぇ」
何故か手を頬に当て体をくねらせる楓芳。ケルちゃん――『水生馬』は『純六属生命体』ではないが、それに限りなく近い生物の一つである。高等教育学校時代の研究旅行の折に、まだ生まれただ仮であった『水生馬』に出会い、そのまま懐かれて以来飼っているらしい。この研究所を目指したのもそれがきっかけだったとか。
「じゃあ、とりあえず飼育スペース行こうか」
『生態学』は『生物学』の一分野であるためか飼育環境も充実している。さすがに希少種である『水生馬』専用のスペースはなかったのだが、『イクアス』のものを改装することで対応している。好き嫌いの多いところに難はあるが、基本的に飼育方法は変わらないために研究対象としては妥当ではあるのだが、楓芳の方に忘れ癖があり、この忠告もずいぶん前から習慣になってしまっていた。
「ケルちゃーん」
のんきな声で研究対象――その実ペット――の名を呼ぶ。が、返事はない。普段から大人しい部類ではあるが、楓芳が呼べば何かしらの反応は見せたはずだ。
「ケルちゃん?」
訝しげにゲージを覗くと、そこには力なく倒れている『水生馬』の姿があった。
「け、ケルちゃん!」
◆ ◆ ◆
「うーん、かなり危ないね。肺のあたりがやられているみたいだ。細菌系の感染症じゃないかな」
瞭緩と楓芳は二人掛かりで研究所内の病院へ運び、多少無理を通して医者に診てもらった。
「ど、どうすればいいんですか!」
医者の診断に楓芳は血相を変え、大きく取り乱した。
「『ペニリン』があればすぐに治ると思うよ」
「それって……」
その意味を確かめるべく楓芳は瞭緩を見やった。やはり、彼の顔色は芳しくない。
「ああ、すぐに手に入るようなものじゃない。生息数はごくわずかだし、研究資料にもなかった気がする」
『ペニリン』は山や湿原にごく少数生息を確認されている細菌性の生物である。その体は粉上にし、水に溶かして飲むと万病に効く薬になる。
「最近は採取にも規制がかなりかかっているからね。難しいんじゃないかな。しかし、それでしか打つ手はないよ。期限は一週間といったところか……それ以上はこの子の体力が持ちそうもないね」
「そんな…………」
医者の非情な宣告に楓芳は言葉を失う。その頬にはいつからか涙が伝い、零れ落ちていた。
「ほんとに、ほんとにそれしかないんですか? 新しい薬とか、先生!」
「なんとかって言われてもね……とりあえず、この子は病院で預かるよ。最善の処置は施すから最悪でも一週間は持たせる」
「わかりました。お願いします」
瞭緩はそれだけ言って泣き崩れている楓芳を傍らに退出した。