閑話:石口達也
「呑みに行くぞ」
体育祭の日は比較的仕事は少ない。少量の書類整理の他に、翌日からGWだからと浮かれた生徒がいないか駅周辺を見回ったりするが当番制の上、今回は別の先生方なので今日やるべき自分の仕事を終えた俺は同僚の村重に声をかけた。
「なに~? 別に良いけど、お前が誘うなんて幼なじみちゃん絡み?」
ニヤニヤと面白くない顔をしながら後片付けをしている村重を無視し、残っている先生方に声をかけて職員室を出る。
「幼なじみ」
俺とまゆの間柄を表すならそれが1番だ。
元々、母親同士が親友で仲が良く結婚した時期も近かったため、それならと今住んでいるマンションが売りに出されたときに隣同士で住もうと購入を決めたと聞いている。
購入後すぐに子宝に恵まれたうちの親と違い隣の野口家にはなかなか子供が産まれなかった。その野口家に念願の赤ちゃんが誕生したのは俺が10歳のとき。退院してきたまゆを初めて抱っこした時の感動は今でも忘れない。
赤ちゃんを見るのも触るのも初めてで、ビクビクしながら抱いていた俺にまゆは笑いかけてくれたのだ。
俺のゆびを握りしめる小さな手。この子は俺が守るんだと心に決めた日だった。
それからまゆは素直にすくすく育った。
まゆがお願いをするから人形遊びもおままごとも付き合った。小学校に上がり勉強が分からないと言えば教え、親に怒られたと言えば慰めた。
親から離れない雛鳥のように俺の後ろについて回るまゆをますます可愛がった。
そんなまゆが大泣きしたのは俺が大学進学を機に一人暮らしを決めたとき。
その時まゆはどちらかの母親が言ったいつまでも一緒にはいられないの一言で「たっちゃんのお嫁さんになる!」と、高らかに宣言して見せた。
それを聞いてまゆの世界は俺一色のように見えた。それではいけないと授業やバイトを言い訳になかなか実家に帰らずまゆから離れた。コンパにも行ったし彼女も出来たが長続きはしなかった。いつでも最後に見たまゆの泣き笑いが頭にちらついていた。そして気が付いたのは俺の世界の方がまゆ一色だったことだ。
マンションから通える高校に内定をもらい大学を卒業して帰ってみれば、父さんは会社を早期退職し農業を始めると言いだしさっさと引っ越して行った。
両親の引っ越し作業を手伝うなか、中学の制服をお披露目に来たまゆは一気に大人っぽく見えた。おばさんの趣味で伸ばされた彼女の腰より長い髪は綺麗に揺れていた。
中学に上がってからもまゆの中身はまだまだ子供のままで、やれクラスの誰君は足が速くて格好いいだの、先輩の誰それは優しいだの、今まで会っていなかった4年間のブランクをものともせずまた俺の周りをうろちょろしだした。
そんな何でも話してきたまゆが今回は何も言ってこない。
痩せてきたのは気が付いていた。まゆがダイエットを始めるきっかけは好きな人が出来たときと決まっていたから、それを言わないとなると本気で好きになったのだろうか。
嬉しいような寂しいような。
そんな思いの丈を村重に話せば冷たい視線が返ってきた。
「幼なじみちゃんも思春期なんだよ。お前も幼なじみ離れしろよ。中学とは違って高校入れば一気に大人っぽくなる生徒だっている訳だし、いつまでも子供じゃないんだからさ。兄さん気取りでいるなら幼なじみちゃの恋を応援してやれよ」
「こ、恋ってまゆはまだ15だぞ! 急に痩せたって体に悪いし、そんな見た目に囚われる男なんかに……」
「あのな~、恋をしたら見た目にも気を付けるのは当たり前。そんなんだからダイエットしてるの話してこないんじゃないのか?」
俺の中でまゆは初めて抱っこした時の赤ちゃんのままだった。そうか、いつの間にか大人になったんだな……。
それから俺は延々と杯を空けていった。いつの間にか店飲みから宅飲みに変わっていたが、そのまま酔いつぶれるまで村重に語り明かした。