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 瞼の裏に日の光を感じて、うっすら目を開く。

 まだ冬の残滓を残す春先の空気は寒い。思わずブルリと体を震わせ、寝ぼけた眼で周囲を見回す。

 まだ夜が開けて間もない時間。

 使用人達はすでに起きて、仕事をしているのかもしれないが、館の主たちの住まうこの区画ではほとんど人の気配も物音もしない。

 私は自分用に設えられた寝床からもぞりと抜けだす。

 だが、それは起きるためではない。

 数歩先に大きな天蓋付きの寝台が見えた。

小さな体にとってはなかなかの段差ではあるが、気にもせずひらりと寝台の上に飛び乗った。

 ふかふかの寝台に足を取られつつ進めば、寝台には一人の小さな子ども眠っている。

 身を丸めるように眠るその人はまるで天使のような容姿をしている。

 白銀の近い金髪に、真っ白い肌。バラ色のほっぺにフサフサのまつげ。

 今は閉じられた瞳の色はエメラルドも霞むかと思えるような澄んだ緑色。

 絹の白い寝巻きをきたその姿は天上の女神もかくやと思うほどだ。

 私に語彙がないのでこれ以上の褒め称える言葉を持たないのが口惜しい。

 果たして、本当に地上の生き物か、と疑わしくなるほどだ。

 そのくせ、この生き物はそれを鼻にかけず、頭も良くて、優しく公平で、齢八歳だというのに出会った人間全てを魅了するほどの器を持っている。

 多少体は弱いが、それも儚げな美少年というイメージを良いように盛り上げ、最早完全無敵だ。

 思わず神様とご両親に、「グッジョブ!」と親指を立てたいほどだ。

 それはさておき、そんな美しい存在は未だ夢の中で、起きる気配を見せない。

 それをいいことに、私はこっそり布団の端から、もぞりと潜り込んだ。

 そして一番暖かいところ、つまりは子供のお腹の当たりに身を寄せ丸まった。

 甘い香りが今日も鼻先を掠めうっとりする。ああ、坊っちゃん、今日もいい匂い。

 それに満足して、暖かさも手伝って、私は目を閉じた。

 ああ、今日も幸せ。



 不意に伸びてきた手の感覚に起こされる。

 うっすらと目を開ければ、私の頭をなでてくれる手があった。

「おはよう、シェイン」

 シェインという名前は今生で坊っちゃんが着けてくれた私の名前だ。

 なんか古い昔の言葉で『美しい』って意味らしい。いや、名前負けの自覚はあるけど、坊っちゃんがつけてくれた名前のとおりでありたいと普段から毛づくろいは欠かしておりませんよ?

 ああ、それにしても坊っちゃんは本日も麗しいです。

 一鳴きして、挨拶に答えれば、坊っちゃんの手が頭に乗る。

 毛並みにそってなでられる手の動きは 頭の頂点からは始まり、耳に流れ、やがては私の首筋にたどり着く。

 柔らかいそこを白い手が撫でる。

 その感覚に思わず、喉を鳴らせば、それにこちらの気持ちがわかったのか、笑う気配がした。


「ここ?……ここが気持ちいいの?」


 こちょこちょと撫でられ、その心地よさに思わず目を細めたら、またクスクスと笑われた。


「お前は本当にここを触られるのが好きだね」


 そう言って執拗にその部分ばかりを柔らかく責められると気持ちいいが、なんとなくの反抗心が沸いて、相手の手を押しのけるようにつかんで、その指を軽く甘咬みする。

 触れたそばから甘い香りのする相手の肌からの匂いにうっとりする。

 思わず歯を立てないように、ハムハムと口を動かせば、相手はくすぐったそうに身を揺らした。


「こら、そんな反抗的な態度を取ると……」

「いい加減に起きてくださいまし!」


 突然の声と共に布団が剥ぎ取られた。

 坊っちゃんと二人してぎょっとすれば、寝台の横で仁王立ちでいる小太りの女性の姿が見えた。

 坊っちゃん付きの筆頭女中のアニーだ。そばかすだらけの浅黒い肌をしている。働き者だが、怒らせるととても怖いのだ。

 普段なら、一目散に一番高い棚の上に避難する。アニーは威圧感はすごいが、体は小柄なので高いところに手がとどかないのだ。

 だが、今は坊っちゃんが一緒なので、逃げるわけにも行かず、とりあえず坊っちゃんとアニーの間に割り込んでみる。

 だが、アニーは私などいないかのように、まっすぐ坊っちゃんに話しかけた。


「おはようございます、ぼっちゃま」

「……おはよう、アニー」


 普段は天使の笑みで誰も彼も籠絡してしまう坊っちゃんだが、生まれてからずっと使えてくれている教育係も兼任するアニーにはタジタジだ。


「起きているなら、早くお仕度なさってください!」

「わかったよ」


 渋々、寝台から降りる坊っちゃんに私は後を着いて行く、が。


「お前はあっちだよ」


 アニーに追い立てられ部屋の隅にある自分のスペースに追いやられた。


「全く、隙あらば、自分の寝床から坊っちゃんの寝台に潜り込むんだから」


 ブチブチと文句を言いながらアニーがシーツを剥ぎとっている。

 そこには私の抜け毛が大量についているだろう。春先だからか、最近抜け毛が多いのだ。ちょっと申し訳なくは感じるが、でも坊っちゃんのそばは至福で譲る気は全くない。

 ただ、朝の仕度の邪魔にはならないように、アニーが坊っちゃんの着替えを手伝う間はじっと部屋の隅で待機する。

 終わったら、遊んでもらおうとワクワクしながら、とりあえず自分のテリトリーを物色する。ボールを投げてもらおうか、あるいは綱を引っ張りごっこしてもらうか。

 完全に犬なのか猫なのかわからない思考に自分でツッコミを入れながらも、坊っちゃんにかまってもらうのは大好きだ。

 この二年でマスターした猫の手で物をつかむという行為でボールを取り出せば、今日はこれで行こうと振り向いた。

 しかし、そのマスターした腕の妙技も見えた光景に硬直すれば、なんの意味もなく、せっかくとりだしたボールはまた元の位置に転がっていってしまった。

 だが、そんなことはどうでもいい。


「今日はシェインと遊んじゃダメですからね」


 そんなことを言いながらアニーが不満気な坊っちゃんに着せているのは、子供用の軍服のようなものだった。とは言え、実務的というより礼装用で白を基調とした服は、坊っちゃんの美貌を引き立て、写真を取ろうものなら、美少年好きのお姉さま型なら垂涎モノもののコレクターズアイテムになるのは請け合いの可愛らしさだ。

 だが、そんな素晴らしい服装であっても、坊っちゃんの顔は全く晴れない。

 それはそうだろうな。ああいった服を着せられるということは、おそらく本日はお見合いだ。

 八歳かそこらのお坊ちゃんが何いってんの、と思うところだろうが、ところがどっこい、この国では女性は十三歳、男性でも十五歳で結婚するのが当たり前。

 その中でも坊っちゃんは王様の次に偉いと言われるほどの四公爵の一つ、フィッツジェラルド家の跡取り息子なので、結婚は必須なのだ。

 そしてそんな高い身分の上に顔も性格もとびきりな坊っちゃんはもちろんモテモテなわけで、早い段階から婚姻の約束を求めようと、気の早い幾人かが押しかけてきているのだ。

 とは言え、まだ八歳の坊っちゃんだ。もちろんきちんとした形の見合いではなく、坊っちゃんの継母であるフィッツジェラルド夫人のお茶会に招待した客が連れてくる子供と対面させ、仲良くさせようと、その程度である。

 とは言え、相手も子供といえど結婚を狙う女子である。

 見合いの後は勉強にしても何にしても、弱音を吐かない坊っちゃんが、私相手に愚痴る程度には恐ろしい生き物であるらしい。坊っちゃんからきくその様子が何やら、前世で働いていたバイト先で婚活に勤しむお姉さま方から聞かされた婚活女の赤裸々な告白とかぶるものがあるのだが気のせいだろうか。

 そんな狼の群れに赤ずきんを放り込む真似はしたくはない。坊っちゃんも乗り気ではないのは明らかで、ぜひとも救い出してあげたいのだが、そこは所詮飼い猫の身分だ。

 ヘタをうつと追い出されて、坊っちゃんに二度と会えない可能性があるのだ。

 基本的に私はこの部屋から出ないよう躾されているので、これを破ると追い出すよ、とアニーから言われているのだ。

 だから私は憂鬱そうな坊っちゃんに、そんな顔も素敵ですと思いながら、周りをぐるぐると回るしかない。

 普段なら擦り寄って慰めたいところだが、毛がつくとアニーが怒るからできないのだ。

 そんな私に坊っちゃんは年齢に似合わない、憂いを帯びた笑みを向け、指先だけで撫でてくれた。

 アニーが睨むので一瞬だけだが、それでも坊っちゃんのおもいやりのある優しさが感じられ、どうにも、自分が何もできない猫であることが歯がゆく感じてしまう。

 猫になったことに後悔はない。だがどうしてもこういう時は人間であったほうがいいと思うこともある。身勝手な自分の感情に耳を伏せていたら、アニーに呼ばれ坊っちゃんは名残惜しそうに部屋を出て行った。


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