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十歳の子供の服なんて何を選んだらいいやら。子供服の店であれこれ悩んでいると横から女性に声をかけられた。
「何を探しておられるんですか?」
地味な紺のワンピースを着た長い黒髪のその女性は、俺の顔を見てにっこりと微笑んだ。どうやら店員ではなさそうだ。なんだろう、ちょっと変わった匂いがする。
「十歳の男の子の服なんですけど、どんなのがいいか判らなくって」
「だったら、一緒に選びましょうか? 私にも同じ年の息子がいるんです」
俺は彼女のありがたい申し出に甘えることにした。Tシャツとジーンズとパンツを一枚ずつ、それにスタジアム・ジャンパーを一枚。やっぱり女性のセンスはいい。彼女に付き合ってもらって残りのスニーカーと靴下を買うと俺は彼女にお礼を言って店を出た。だが、彼女は少し遅れて俺の後をついてくる。
何か、変だ。俺はわざと道を外れて路地に入り込み、道の角から様子を伺った。やっぱりだ。さっきの柔らかな表情は何処へやら、無表情で足早に俺の後を追ってくる。奴らの仲間か。だとするとあいつが人間に化けたグールか。まずい。俺は全力で走り出した。だが、奴は予想以上の足の速さだった。追いつかれ、袋小路に追い込まれた。
俺は荷物を地面に置き、奴と対峙した。こうなったら仕方がない。
「あなた、あの子を何処へ連れて行ったの?」
「さあ、何のことかさっぱりだね」
「言いたくないなら、言えるようにしてあげるわよ」
目にも留まらぬスピードで女が襲い掛かってきた。どうにか身体をかわすことができたが、腕に激痛が走った。見ると右の二の腕の肉をごっそりと齧りとられている。
女の背がいつの間にか高くなり、顔は鋭く尖った歯を光らせた口ばかりが目立つ醜悪なものに変化していた。真っ赤な目を光らせ、ぐちゃぐちゃと俺の肉を噛みながらにやりと笑う。
「あんた、人間じゃないわね。何だか変な味がする。そろそろ言ったほうがいいわよ。次は腕じゃすまな」
ぐえっと変な叫び声をあげて女が横様に吹っ飛んだ。
「やれやれ。遅いと思ってきてみたら。ゾンビが食われてちゃ洒落にならないぞ」
どうやらレイの背後からの鮮やかな蹴りが女の横っ腹に決まったらしい。
「とにかく、こいつが目を覚まさないうちに帰ろう」
レイは次の瞬間、建物の外壁の非常階段に飛び上がり、そこから屋根の上に飛び移っていた。
「早く!」
やれやれ。高いところは苦手なんだがそうも言っていられない。俺は荷物を抱えると、覚悟を決めて地を蹴った。
「ということは、この服はその女が選んだのか」
数分後、部屋に帰りついた途端、レイは買って来た服を広げながらちょっと顔を顰めた。
「だからそう言ってんだろ! しょうがないじゃねえか」
「相手が女だと途端に警戒心が失せるんだな、お前は」
「悪かったな」
「だとすると、これを着せれば見つけてくださいと言ってるようなものだけど、今更取り替えにはいけないし、まあいい。どうにかするよ。それより、傷は大丈夫か?」
っていうか、そっちを先に心配してくれよ。
「ああ、水で洗ったし、もう再生も始まってるから問題はねえよ」
そうさ、問題なんてない。俺がゾンビなのに再生能力を持っているのは、レイの血が俺の身体の中に流れこんだ為だ。そこに至った経緯については省略するが、ちっとも色っぽい話ではないことは断言しておく。
「へえ、凄いな。僕にも再生能力はあるけど、こんなに早くないよ」
いつの間にかノアが俺の傷口を覗き込んで感心している。なんだか気恥ずかしくなって俺はレイに頼んで包帯を巻いてもらった。
ノアはその様子を見てニヤニヤしている。
「レイってなんかデビィの奥さんみたいだね」
「おい。言っとくがレイは違うぞ。男でしかもナイスバディじゃない奥さんなんて俺は認めねえ」
「でも、家事は全部彼任せじゃないか」
「まあな。それはこいつが俺のことを尊敬して奉仕してくれてるんだ」
レイは大きな咳払いをすると、包帯の上を平手でばちんと叩いたので俺は思わず飛び上がってしまった。
「痛ってえ! 何すんだよ!」
「悪いが、毛ほども、尊敬は、してない。家事は自分が好きだからやってるんだ。ほら、ノア、着替えて。人通りが多いうちに行って来よう」
レイは服を掴んでノアの腕の中に放り投げた。
ノアの家は住宅街からかなり離れた一軒家だった。家の位置も奥まっているのでこれでは悲鳴も外へは聞こえないだろう。
レイは生成りのダンガリー・シャツにグレーの綿パンツで長い金髪を一つにまとめている。俺はいつもと変わらない紺のTシャツにジーンズ。ノアは目立つスタジアム・ジャンパーの代わりに俺のジーンジャケットを着せられていた。幸い、週末の午後の人通りは多く、奴らに見つかることもなかった。
様々な色の花々が庭を覆いつくしている。ノアはドアの前に立つと、大きく深呼吸してノブを回した。
日の光が差し込む広いリビング・ルームはその洗練されたインテリアにそぐわないものが散乱していた。床一面に飛び散った血糊だ。
「これは……酷いな」
「パパもママも立派なペンギン族だったよ。僕よりずっと大きくて、毛並みも本当に綺麗で……」
ノアの声は微かに震えている。だが、彼は泣き崩れたいだろう気持ちを必死で抑え、気丈に振舞っていた。
「他に仲間はいねえのか?」
「うん。パパはそう言ってた。僕たちは外見が可愛いので金持ち連中の愛玩用に狩られたんだ。でも、神経質でそういう状況じゃなかなか繁殖できなくて、自然に数が減っていったんだって」
「まったく人間どもは……。一般の動物を絶滅させるだけじゃ物足りないのか!」
レイは眉を顰め、吐き出すようにそう言った。
「でも、パパには人間の仲間もいたよ。みんな学者だけれどすごくいい人達なんだ。僕たちの正体は知らないけどね」
ノアは部屋を横切り、ドアを開けた。そこは天井まで届くほどの本棚のある落ち着いた雰囲気の書斎だった。
「ここはパパの書斎だよ。僕は時々ここで、遠い国の話を聞かせてもらったんだ」
ノアはディスクの引き出しを開けて、銀色の鍵を取り出した。
「これが秘密の部屋の鍵だよ。昨日、見せてくれたんだ」
ノアは書斎の横のドアを開けた。そこは地下室に続く階段だった。
地下室は様々なものが置かれていた。ベビーカー、乗らなくなった木馬やおもちゃ。ノアはそれらから目を逸らし、まっすぐに正面にあるドアへ向かった。鍵を回し、軋むドアを開けて灯りをつける。そこは白い壁のとても小さな部屋で、真ん中に置かれたテーブルに何かの電気器具が置かれていた。
そっと近付いて中を覗いたノアはあっと小さく声を上げた。 それは孵卵器だった。彼はそっと透明な蓋を開けてみた。
「卵だ」
なかにはダチョウの卵ほどの大きさの白い卵が入っていた。孵化が近付いているのか、時々コトコトと動いている。
孵卵器のすぐ横には封筒に入った手紙が置かれていた。
――お誕生日おめでとう、ノア。この卵はもうすぐ君の妹か弟になる。新しい家族だよ。皆で協力して育てていこうね。アーマン&エセル――
「パパ。ママ」
ノアの瞳から涙が溢れ出し、手紙の上に零れ落ちる。
「ありがとう。僕はもう一人ぼっちじゃないんだね」
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海洋生物学者のコニー・ガーランドはスプリングフィールド家のポーチに立っていた。エセルには昨日、メールを入れていたが返事は来ていなかった。忙しいのかもしれない。少しだけ話をしていこう。玄関ブザーに手を伸ばした時、後ろで女性の声がした。
「いらっしゃい」
満面に笑みを浮かべて黒髪の女が立っていた。
「ああ、エセル。びっくりした。出かけてたの?」
「ええ。さあ、中に入って」
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レイはタオルを出してきて卵を包み、孵卵器に戻して紙袋に入れた。ノアはお気に入りの品と着替えの服をトランクに詰め、最後に家族で撮った写真を入れ、蓋を閉める。
「そろそろ行こうか、ノア」
「……うん」
突然、階上から女性の悲鳴が聞こえてきた。
俺は急いで階段を駆け上がった。声はリビング・ルームから聞こえてくる。
そこにはあのハンターとグールがいた。先ほどと同じ女の格好をしたグールがパンツスーツを着たブラウンの髪の中年女性を片手で抱えている。
「ママ? コニーに何をしてるの?……いや、ママじゃない」
俺の後を追ってきたノアが困惑している。どうやらグールはノアの母親に化けているらしい。
「やっぱりここだったか。グールの鼻はたいしたものだ」
ハンターは薄笑いを浮かべてノアの顔を見ている。
「やめてよ! コニーは関係ないだろう? 離してやってよ!」
ノアの嘆願はグールの咆哮にかき消された。顔が変化し、恐ろしいほどのでかい口からだらだらと涎を垂らし始めた。
「おい、お前。そのガキをこっちへ寄こしな。そうしたらこの女は解放してやるよ」
ショットガンの銃口をこちらに向けながら男が命令してきた。冗談じゃねえ。こんな奴の言うことなんか死んでも聞けねえよ!
「残念だが、それは無理だ。この子は渡せないよ」
レイが俺の少し後ろでノアの手を握りながら落ち着き払った声で答えた。
その時、俺は何となくグールの様子がおかしいことに気付いた。俺を襲った時とは違い、身体の動きにシャープさがない。目が虚ろで、しかも頭をぐらぐらと左右に振っている。そしていきなり大きく口を開いて女性の頭に齧りつこうとした。
考えるより先に身体が動いていた。俺はグールに飛び掛り、女性の身体を奪い取って床に倒れた。いきなり餌を奪われたグールは、今度は隣にいるハンターに視線を移した。
「おい! 何を見てるんだ! こっちへ来るな!」
何度も銃声が響き、グールの身体から血が噴出したが、奴は歩みを止めず、ハンターの身体を軽々と抱えると頭から齧り始めた。頭蓋骨を砕くバリバリという音と悲鳴が部屋中に響き渡る。次の瞬間、鋭く光る金属が一閃し、グールの首がごろりと床に転げ落ちた。切り口から血を噴き上げながら、グールの身体が崩れるように床に倒れる。地下室から持ってきたのだろう、血まみれの鉈を握り締めたレイが、憐れむようにグールの亡骸を見おろしていた。
「こいつ、お前の肉を食べたと言っていたな、デビィ」
「ああ」
「恐らく、それがこいつを狂わせたんだろう。お前の食人衝動が上乗せされて制御が利かなくなったんだ」
「ああ、なるほどって今はそんなことはどうでもいいじゃねえか。おい、大丈夫か、ノア」
ノアは部屋の隅で膝を抱えていた。
「うん、大丈夫」
「ええっと、あの、いったい何が起こったのかしら。すみませんが最初から説明してくれませんか?」
俺の下になったコニーが困惑した顔でぽつりと呟いた。
「おっと、失礼」
俺は急いで彼女の上から離れ、手を伸ばして助け起こした。どうも一度女の身体の上に乗ってしまうと離れがたくていけねえな。
コニーはノアの両親の古くからの友人で、海洋生物学者だった。
「アーマンとエセルが殺されたなんて、信じられないわ。しかも二人ともペンギン族だったなんて」
俺達はゲスト・ルームのソファに座って、今までに起こったことをコニーに説明していた。
「そういうわけで、ノアは俺の知り合いの医師に預けようと思っているんです」
「その必要はないわ。彼は私が養子にしますから」
コニーは美しい灰色の瞳で、優しくノアを見つめた。
「え……本当に?」
「ええ。実は以前からエセルに頼まれていたの。私たち夫婦に何かあったら、ノアの面倒を見て欲しいって。きっと、いつかはこうなるんじゃないかって思っていたのね」
ノアは黙ってコニーに抱きついた。彼女はその背中をそっと撫でる。
「可哀そうに。恐い思いをしたのね」
「よかったな、ノア」
「コニーさん、彼の両親がペンギン族だったことは黙っていてください。それがばれるとこの家も財産も没収されてしまいますから」
レイの言葉にコニーは大きく頷いた。
「もちろんよ。アーマンとエセルは人間としてグールに食べられたことにしておくわ。そうすれば、この家は彼のものになるしね。まったく、モンスターの人権を認めないなんて、酷い話よね」
「そうですね。俺達もいつかはモンスターの権利が認められて共存できる社会になったらいいなと思っているんです。ああ、それからお話したとおり、俺とデビィはモンスターなので、警察には黙っていてください。いろいろと厄介なことになるとは思いますが」
「ええ。大丈夫よ。私は意志が強いから」
その時だ。テーブルの上に置かれた孵卵器から泣き声が聞こえた。赤ん坊の声だ。そっと覗いてみると卵の殻が割れて、小さな赤ん坊が産まれていた。ノアによく似た黒い髪の女の子だ。
「ああ……これは……なんて素晴らしい!」
コニーはそっと赤ん坊を抱き上げた。
「ノア、タオルをお湯で濡らしてきてちょうだい。身体を拭かなくちゃ」
「うん!」
ノアの声は弾んでいた。
やがて綺麗になった赤ん坊を抱かせてもらったノアは初めて笑顔を見せた。
コニーは事が一段落したら、ノアと赤ん坊を家に連れて帰るという。いつか、ノアはこの家に戻ってくるだろう。その時には彼がハンターに怯えることなく暮らせる社会になっていることを願わずにはいられなかった。
「それじゃ、俺達はこれで。数日中には町を出ますから」
「ええ。私もそろそろ警察に連絡するわ。あなた達、いい住処が見つかるといいわね」
「あ…あの」
ノアが何となくもじもじしながら、俺達のほうへ近付いてきた。
「ありがとう、デビィ、レイ」
「ああ、元気出せよ」
「うん。僕、さっき決めたんだ。大きくなったら海洋生物学者になって、生き残ってるペンギン族を探すんだ」
「そりゃいい。きっと見つかるぞ」
俺は彼の頭をなで、髪をくしゃくしゃにしてやった。
「あ~あ。また引越しか」
ノアの家を出て、日の傾いた町を歩きながら俺は溜息をついた。
「仕方ないさ。それに次の町にはもっと可愛い女の子がいるかもしれないよ、デビィ」
「まあな」
「そういえばフィルに連絡しておかなくちゃ。明日の朝出発するって言ってたから間に合うな」
レイは夕陽に赤く染まりつつある町並みを、名残惜しそうに眺めている。遠くからパトカーのサイレンの音が聞こえてくる。
「さあ、急ごう、デビィ」
少し足を早めるレイの後を追う。闇が俺達の周りを囲む前にアパートに辿り着かなくては。
<END>