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当作品はサイトからの転載です。
彼は夢を見ていた。ダイニングテーブルの向こうには両親が座っている。
――誕生日になったら、お前に素晴らしいプレゼントをあげるよ――
優しく微笑んでいた両親の顔が突然歪んだ。頭が血を吹き、見る見るうちに真っ赤に染まる。
響き渡る悲鳴。テーブルの上にぶちまけられた内臓。
悲鳴を上げて目を覚ました。だが、そこは暗闇だった。
流れ落ちる涙を拭うことも出来ず、また深い眠りに堕ちていった。
―― 最後の贈り物 ――
ハミングバード・タウン。午後十時。俺、デビィは人通りの絶えた路地裏を一人で歩いていた。低く雲が垂れ込めた空に月は見えない。レイはこの時間はバーで働いている。彼は腕のいいバーテンダーだ。収入はチップだけで俺の収入を軽く超えているが、だからと言って、別に俺は奴に嫉妬してるわけではない。俺は接客業で愛想を振りまくのは苦手だし、奴はそういう仕事にぴったりな容姿と資質を併せ持っている。俺は今のマーケットの仕事で十分満足している。可愛いバイトの女の子もいるしな。
そんなわけで、その日は仕事を終えた後、倉庫の整理を手伝っていたので、いつもよりは疲れを覚えていた。早くアパートに帰ってビールを飲もうと、足を早めた時、遠くから車の音が聞こえてきた。振り返ると道の向こうからタイヤを軋ませて曲がってきたトラックが物凄い速さでこちらに向かってくる。狭い路地なので逃げ場がない。目の前に迫ったトラックはブレーキをかける様子すらない。俺は地を蹴り、車体を飛び越えて着地した。
「畜生! なんて運転だ!」
トラックのほうを睨んだその時、荷台の扉が開き、何か大きなものが転げ落ちてきた。どすん、と道路に叩きつけられて二、三回転したそれは大きなトランクだった。倒れたトランクに近付いた時、トラックが急ブレーキをかけて止まった。どうやら気がついたらしい。ドアが開き、がたいのいい男が降りてきた。ダークグレーのシャツに迷彩色のズボンを履いたそいつはショットガンを抱えている。強烈に漂ってくる血の匂いから察するにハンターのようだ。ここで関わるとまた厄介なことになる。立ち去ろうとした俺の耳に微かな鳴き声が聞こえた。トランクの蓋が衝撃のせいだろう、わずかに開いている。思わず蓋を開けてみると、そこには縄でがんじがらめに縛られたペンギンが横たわっていた。
「おい、これは何だ?」
俺の問いかけが終わると同時に、男が足元に発砲してきた。
「死にたくなかったら失せろ」
人を馬鹿にしたような男のその態度に怒りが湧き上がってきた。二発、三発。アスファルトの上で跳ね返った銃弾が踊る。
少しずつ後退しながら、男がトランクに近付くのを待つ。トランクに手を掛け、僅かに視線が逸れたその瞬間、男に殴りかかった。ショットガンを取り落とし、男が吹っ飛ぶ。気を失っているのを確認し、トラックの運転席を覗いた。誰もいない。気絶した男を見ていたら腕を齧りたくなってきたが、人が来たらまずいことになる。いや、問題はそこじゃない。このペンギンが問題なんだ。さて、俺はどうしたらいいんだ。そうだ。とりあえずレイに相談しよう。着ていたブルゾンのジッパーを開けて、ぐったりしたペンギンを抱えこむとジッパーを閉め、部屋に帰ることにした。
部屋に入り、ペンギンをそっとレイのベッドに横たえた。見つけたときからずっと目を瞑ったままだ。薬か何かで眠らされているのだろう。体長は20インチくらいか。頭から背中にかけての黒い羽毛が艶やかだ。目の周りが丸く白くなっていてなかなか愛嬌のある顔をしている。これは動物園から盗まれたのだろうか。
テレビをつけてみたが、ペンギン盗難のニュースはやっていなかった。だとするとこのペンギンは個人の所有物なのだろうか。まあ、今は考えても仕方がない。俺はペンギンを縛り付けている縄を切ってやった。このまま朝まで眠っててくれればいいが、と思った途端、ペンギンはぱっちりと目を開けた。
「や、やあ。大丈夫か?」
ペンギンはいきなりその容姿に似合わない勢いで飛び起き、ドアに突進していった。だが、閉まっていたので出ることが出来ず、今度はキューキュー叫びながら部屋の中を闇雲に走り出した。
「おい、待てよ。落ち着けって!」
俺は暴れるペンギンを追い掛け回し、ようやく後ろから抱きかかえてベッドまで運んでいった。
「大丈夫だから、暴れるなよ!」
ベッドの上で仰向けになったペンギンに圧し掛かるような形で羽を押さえた。どうやったらこいつを落ち着かせることが出来るんだろう。黒く潤んだ瞳がじっと俺の顔を見つめている。それは突然だった。嘴が見る見るうちに縮み、髪が伸び、身体は肌色に変色し、羽は腕に変化し、すらりとした足が出現した。一瞬、俺は目の前で何が起こったのか理解できなかった。だが、ペンギンだったはずの生物が真っ裸の少年に変わったことに気が付いた時には既に手遅れだった。少年の物凄い悲鳴と同時に部屋のドアが開いた。
レイが帰ってきた。彼はベッドの上の俺達を見た途端、顔を強張らせた。
「デビィ……お前、何をしてるんだ! とにかくその子を放せ!」
「判った。今、放すよ。でもな、いいか、これは誤解なんだ! 事情を説明させてく……」
押さえた手を放した瞬間、裸の少年のキックが腹にクリーンヒットし、俺はベッドから転げ落ちた。少年はドアに向かって走って行ったが、レイが彼をふわりと抱きとめた。
「大丈夫だよ。俺達は男の子にはまったく興味はないし、彼はああ見えて優しい男だ。それに君は裸じゃないか。このまま外へ出てもどうにもならないだろう? とにかく落ち着いて話を聞かせてくれないかな」
そして、レイは少年から手を放し、とっておきの慈愛に満ちた笑顔を見せた。黒い髪の少年は、真っ黒な瞳でしばらくレイを睨んでいたが、やがて諦めたように溜息をついた。
「……わかった」
「よし。おい、デビィ、いったいなんでこんなことになったのか、じっくり聞かせてもらおうか」
「ああ、判ってるよ。きちんと最初から話すから」
「それから、とりあえずこの子に何か着るものを持ってきてくれ」
少年は少し俯き加減で恥ずかしそうに呟いた。
「あ、あの……」
「ん?」
「腹……へった」
三十分後、レイが焼いたビーフステーキとフライドポテトを少年は瞬く間に平らげてしまった。俺のでかすぎるTシャツとジーンズを履いた彼は改めてみると、少しウエーブのかかった黒髪が艶やかでなかなかの美少年だ。俺もこのくらいの年の頃はこんな感じだった。いや、もっと逞しかったかな。
「お前、名前は?」
「ノア。ノア・スプリングフィールド」
「いい名だな。年は?」
「十歳」
「お前、誘拐されたのか? 親は?」
俺の矢継ぎ早の質問が気に入らなかったのか、ノアはぷいと横を向いてしまった。
「まあ、彼が話す気になるまで待ってやれよ、デビィ。ノア、俺はレイ、彼はデビィだ。よろしく」
レイはノアの前にオレンジジュースのグラスを置いた。
「それにしても、ペンギンに変身する獣人っていうのは珍しいなあ。お前のほかにもいるのか? ああ……悪かった。また聞いちまったな」
「僕だけだよ。パパもママもそうだったけど、殺されちゃったから」
「あのハンターにか?」
「あいつじゃない……」
ノアの身体が細かく震えだした。レイは彼のすぐ隣に座り、彼の肩にそっと手を置いた。。
「無理はしなくていいよ、ノア」
「もう一人いたんだ。僕と同じ荷台に乗せられてた。そいつに……食べられちゃったんだ。パパもママも」
ノアはオレンジジュースを一気に飲み干すと、ふうっと息を吐き出した。
「最初から話すよ。僕、もう大丈夫だから」
僕の両親は海洋生物学者でね。だから地球温暖化の問題とか、いろいろな研究をしてた。僕たちの種族はペンギン族。魚を食べるとアデリーペンギンに変身しちゃうから、家の外で魚を食べることは出来ないんだ。まあ、二時間も経てば元に戻るんだけれどね。
ああ。ええと、それでね、今日の朝、食事の後にパパとママが言ったんだよ。明日は僕の誕生日だから、今までで一番素晴らしいプレゼントをするって。僕の家の地下室に秘密の部屋があってね、そこはいつも鍵がかかってて中を覗いたことがないんだ。その部屋を見せてくれるって。だから僕、すごく楽しみにしてた。
今日の夜、僕たちは久しぶりに魚を食べたんだ。ペンギンになると何だか凄く身体が解放されたみたいな気分になってわくわくしちゃうんだよ。僕とパパとママはペンギンになってテレビを見てたんだ。
そうしたら、玄関で銃声がした。鍵が掛けてあるはずのドアが開いて足音がして、あいつらが入ってきた。あのハンターと、物凄くでかくて口が大きい奴、そいつ、鋸みたいな歯がびっしり生えてた。どうすることも出来なかったよ。だってペンギンだもの。ハンターの奴、大人は殺せって。それであの化け物はパパとママを捕まえて、殴りつけて、頭から……。
ノアの顔は真っ青になり、ぽろぽろと涙が零れ始めた。
「あいつら、僕が最後のペンギン族になったからオークションにかけて売り飛ばしてやるって言ってた。で、変な注射を打たれて何もわからなくなっちゃって」
「判ったよ。よく判った。もういいよ、ノア」
俺はもうこれ以上、彼を苦しめたくなかった。
よほど疲れていたのだろう。ノアはそのままテーブルに突っ伏して眠ってしまったので、俺がベッドに運び、毛布をかけてやった。
寝息を立てるその顔は天使のようだ。畜生、あのハンター、あの場で殺しておけばよかった。
レイはブラックコーヒーのマグを用意して俺を待っていた。その横にはモンスター事典が開いて置かれている。
「どうやらハンターの相棒はグールだな。しかも動物なら何でも食う奴らしい」
「そいつ、ゾンビとは違うのか?」
「ああ。人を食うところは同じだが、後天的なものではなく、そういう種族だ。しかも奴らには変身能力があり、食った奴に変身できる上に声や特徴までコピー出来る」
「何だか酷く厄介な奴だな」
「だね。それから奴らは必ずノアを奪還しに来るはずだ」
「だろうな。でもどうやって彼を探すんだよ」
「すぐには見つからないだろうが、ハンターはお前の顔も覚えてる。時間の問題だ。だから、今考えるべきことは彼を一刻も早く安全な場所に移すことだ」
レイは窓を開け、身を乗り出して空気の匂いを嗅いだ。長い金の髪が風を受けてさらさらと靡いている。
「今のところ、近くにハンターがいる気配はないな。行動を開始するのは明日にしよう」
翌日、レイは知り合いの医者、クロード先生に連絡を入れた。ノアは獣人だ。いや、鳥人か。この世界では鳥人であろうと、ヴァンパイアであろうとモンスターには人権そのものが認められていないので、もし正体がバレてしまえば、ハンターに殺され、ゴミのように捨てられるか、生かされても好事家の慰み者にされるかだ。クロード先生は彼を快く預かってくれることになり、こちらには彼の助手であり、血が苦手なヴァンパイアのフィルが迎えに来るそうだ。
ノアが起き出してから一緒に朝食を食べ、俺はマーケットに電話して休暇をとった。
「今日は俺がお前の服や靴を買ってくるよ、ノア。お前はフィルが来るまでここにいればいい」
ノアは暗い顔をしていた。昨日、彼に起こったことを考えれば、心の傷が癒えるまでにはかなりの時間を要するだろう。
「ありがとう。でも僕……家に帰らなくちゃ」
「それは駄目だ。奴らに見つかるかもしれない」
そう言うと、ノアは俺の目をまっすぐに見つめ返してきた。
「ねえ、どうして僕に親切にしてくれるの? あんた達、人間でしょう? 僕を騙してハンターに売るつもりなんじゃないの?」
ノアはテーブルの上でぎゅっと拳を握り締め、唇を震わせている。
「おい、ノア。それは……」
「まあ、信用できないのは当然だね。彼にとって俺達は赤の他人だしね」
レイはチェリーや綺麗に切ったオレンジを盛った皿をテーブルの上にとん、と置いた。
「それに彼はもう選べない。生きていくには俺達の言うことをきくしかない。そうだろう?」
レイはノアの真向かいに座り、少し身を乗り出した。
「これから俺達のことを話すよ。それで、まだ信用が出来なかったら、君は自由にして構わないよ。一人で家に帰ってもいい。それでいいかな、ノア」
ノアはじっとレイの顔を見つめていたが、やがてこくりと頷いた。
「俺は人間じゃない。ヴァンパイアだ。もう大勢のハンターを殺していて、今は多額の懸賞金がかけられている。彼はゾンビだ。まあ、時々人を食いたくなるだけの大人しい奴だと思っていい。だから、俺達は一箇所に留まることは出来ない。だから数ヶ月ごとに引っ越してるんだ。そういうわけで、俺達とハンターは天敵だ。間違っても俺達が奴らに協力することはない。これで判ってもらえたかな」
「……証拠は?」
「え?」
「あんたがヴァンパイアだっていう証拠だよ」
「そうか。仕方ないな」
突然、レイが椅子から立ち上がった。ペールブルーの瞳が鋭く青い光を放ち、薄く開いた唇から長く鋭い牙が伸び始める。抗いがたいほどの殺気が空気を満たし、彼に見つめられたノアは言葉を失い、身動きが取れなくなった。
「おい、レイ。もう止めとけよ。恐がってるぜ」
「あ、ああ」
レイが元の姿に戻ると、ノアはふっと身体の力を抜いた。
「言っとくけど、俺がゾンビだって証拠は見せられないぜ。この場に食える奴がいれば出来ないこともないけれどな」
「うん、わかったよ。僕、あんた達を信用する。でも、家には帰らなくちゃいけないんだ。もうパパもママもいないけれど、あの家の中には最後のプレゼントが残ってる。だからそれを取りにいかなくちゃ駄目なんだ」
「だがな……」
「いや、デビィ。それなら一緒に行ったほうがいい。いずれにしてもモンスターが住んでいた家は没収されてしまうから、欲しいものがあるのなら今取りに行くしかないよ。デビィ、まず彼の着るものを買ってきてくれ。出来るだけ早いうちに行動しよう」
その時、俺達を交互に眺めていたノアが突然、こう聞いてきた。
「で、あんた達はどうして一緒に暮らしてるの? やっぱり二人ともゲイで恋人同士ってこと? あのベッドでセックスとかしてんの?」
俺とレイは思わず顔を見合わせてしまった。
「い……いや。違うよ。俺達はわけあって一緒に暮らしてるけど、恋人同士じゃない。俺も彼もストレートだし、彼はどちらかというと女たらしだ。なんていうか、家族みたいなものだよ、俺達の関係は」
珍しくレイが動揺している。まあ、何というか今のマセガキには、さすがの彼も敵わないようだ。
「ふう~ん?」
なにやら意味深な眼差しでレイを眺めているノアに足のサイズを聞いてから、俺は部屋を出た。