よりみちちかみちまわりみち
今作が小説書き初挑戦となり、右も左もわからぬところから始めました。
電車の中の移動中などにコソコソとローペースに書き進めております。
学生の時にだけ存在する“夏休み”。
その貴重な時間な時間に戻って、私はもう一度全力で駆け抜けてみたい。
この小説で綴る夏が、あなたに新しい発見と幸せを届けますように。
そのような思いで連載させていただきます。
――開放感。
今感じているこの気持ちこそが、まさにそれだ。
高校生になってから二度目の夏休みを迎えようとしている。とは言え、今日が期末テストの最終日だったから、厳密にはもう少し先にはなる。テストに関しては特に頑張ったわけではなく、毎度おなじみ前日に詰めて勉強しただけの“あの”パターンだ。
なんとなく、なんとなくを繰り返しながらも、何故か今こうして開放感に浸りながらいつもの帰り道を自転車で走っている自分を一瞬見つめ返したりもしたが、明日に発売日を控えた新作のゲームのことを思い出した途端、その若干の後ろめたさが絡まった複雑な思いは、本格的になり始めた夏の日差しの間に溶け、瞬く間に蒸発してしまった。
何と言っても、今は暑いし……。
川沿いに続く長い緑道を通り抜けると、パッと一面に海を見渡す景色が広がる。昨日雨が降ったためか、この季節の割にはとてもよく空気が澄んでいた。少し気分を良くした俺は、すぐ近くのコンビニに立ち寄ってアイスを買ってから再び自転車にまたがり、真っ直ぐに海へと向かった。
夏休みの予定はこれといってない。高校に入学してから真っ先に帰宅部に入った俺にとっては長期休暇中に学校へ向かうことはまずない。友達と旅行に行くような財力は無いし、もちろん彼女だっていない。好きな子はいないのかなんてよく尋ねられるけど、そもそも“好き”というものがどういうものなのかよくわからない。そういえば、小学生くらいの時にはクラスに一人いた可愛い子が隣の席になったりしたら少しドキドキしたっけ。
進路についても考えだしてる奴だっている。全く尊敬してしまう。
やりたいことが見つからない。暑いし。今考えられるのは、明日のゲームのことだけ。二ヶ月前から予約していたんだ。朝一番にショップに行って早速遊んでやる! これが俺の夏休みの予定……。
海沿いのジョギングコースの脇に自転車を停め、先ほど買ったアイスの袋を摘みながらブロック塀を飛び越えて、砂浜の一歩手前のコンクリートに勢いよく着地する。膝が少し痛いくらいだった。小さい頃から一人でよくここに来ては何かと時間を潰していたものだ。なんとなくそこが自分にとっての秘境のような感じがしていた。大胆にブロック塀を飛び越えるショートカットをとった先は普段から滅多に人がいないので、独りきりになりたい時にここ程よい場所は他に無かった。
着地をとったしゃがみ姿勢からゆっくりと後ろに体重をかけてそのまま座り込み、アイスの袋を開けた。
……いた。
……先客がいた。
ブロック塀にもたれて座っている同じ年くらいの少女がそこにいた。この歳にもなって、しかも学校制服のままで大胆にジャンプを決めて若干痛がって、その一部始終を見られていたであろう恥ずかしさというか、突如として長く続いた大切な自分の秘境を破られた衝撃というか、何が何だかよくわからない。
二、三秒程目が合った。飾り気の無い白いワイシャツにゆったりとした淡い青のロングスカートといったシンプルな服装。何も触っていない下ろしただけの美しく綺麗な長い髪が潮風になびく。絵を描いていたのか、三角座りの膝にキャンバスを置いていた。
ふと我に返り、封を開けたアイスに視線を戻す。
(おいおい、開けちゃったよ。このままここで食うのかよ! 超恥ずかしいぞこれ! でもここで逃げて別の場所で食べる方がまずいか……。開けちゃったもんな。見られてるもんな)
袋の中に指を入れてアイス棒をつまみ上げた。あの子はまだこっちを見ているのだろうか? そんなことより早くこいつを食べ終えて、さっさとここから立ち去りたい。
一気に体がほてってきた。吹き出す汗が首筋を伝って垂れ落ちる。だって、今日は暑いのだから……。
食べ終えたアイスの棒を袋に戻して、その場を立ち去る。立ち上がり際に視界の隅に映った少女はきっと絵を描いていた。後ろは振り向かず、ジョギングコースに戻る階段に向かって歩き急いだ。食べたばかりのアイスの味はもう覚えていない。
その日の晩、またあの少女のことを思い出した。一瞬体がカッと熱くなる。二十八度設定のクーラーを効かせた部屋でベッドにうずくまった。
あの時は焦りすぎていて、まともに彼女の顔も見れていないが……。あれは間違いなく美人だった!
俺は一体何を考えているんだ。きっとこれは夏の暑さのせいだ。
……そんなこと有り得ないなんて知ってるけれど。
突然メールを受信した携帯電話のバイブが鳴った。ズボンのポケットから携帯電話を取り出した時、ねつけのストラップが切れていることに初めて気がついた。紐だけがストラップ穴に絡みついて残り、その先についていたサイコロが無くなっていた。しばらく部屋の床を探したが、ついに見つけることはできなかった。届いたのは家電量販店からのメルマガだった。
残った紐を穴から外してゴミ箱に捨てかけたが、少しためらってデスクの引き出しに閉まっておいた。
翌朝、六時半に目覚ましのアラートが鳴る。平日通りの設定のままだった。今日と明日は学校は休みなのに。ゲームショップの開店は十一時。まだ寝ておこうともう少し寝るつもりで布団に入り、気がついたら時計の長針は五回転。朝一番にゲームを買いに行くはずの予定はあっという間に失敗に終わった。
ゲームショップまで自転車で片道十五分。予約していたゲームの購入はとてもスムーズだ。新品未開封でテープが巻いてあるパッケージには胸が踊る。その姿はレジで受け取ってから帰宅するまでのわずかな時間しか見ることはできない特別なもの。
ショップを出て自転車に足をかけた時にふと思った。
(あの子、制服着てなかったよな)
俺が通ってる高校はこの辺りの学校の中でも比較的定期考査が終わるのが早い。今時の昼頃に私服を着た高校生くらいの人を見ることは全くといっていいほど無かったはずだ。そして同時に、無意識の内に昨日合った少女のことを考えている自分に気付いてまた少し恥ずかしくなった。
そんな軽い自爆はすぐに水に流し、気がつけば帰り道は海に向かって自然とハンドルを切っていた。
昨日と同じ場所に自転車を停め、ゆっくりとブロック塀に向かって歩く。今日もよく晴れていたが、空気は霞んでいる。
まさかとは思いつつも、しかし若干の期待を寄せながらブロック塀の上から顔をゆっくり覗かせた。
──彼女はいた。昨日と同じ場所に同じ姿勢でキャンバスを持っていた。服装もほとんど同じだ。
色鉛筆を手に何かを集中して描いている。その姿はどこか優しく、懐かしいような不思議な感情を掻き立てる。ずっとこのまま誰にも邪魔されずに眺めていたいような、そんな気さえしてしまう。
──。
不意に彼女が顔を上げ、パッチリとした大きな瞳がこちらへと向けられた。その時初めてブロック塀の上から覗く顔に気付いた彼女は驚いたような顔を見せ、ほぼ衝動的にキャンパスを傾けて絵を隠した。俺も慌てて顔を引っ込めたが……。純粋に考えてこれはまずい。気付かれる前に下がっておくべきだったのに。
心臓が嫌な感じに鼓動を早める。早足に自転車に向かって逃げようとした──その時だった。
「あのー……」
よく通る透き通る綺麗な少女の声が聞こえた。
(え? なんで? やばい!? 変質者扱いで警察でも呼んだりしちゃって……!)
「……はい?」
(なんで俺引き返してんだ!!)
考えに背くように体は反射的にブロック塀に向かって動いていた。
再び顔を覗かせると、彼女はキャンバスを裏返しにしてコンクリートの地面に置き、こちらを見上げるように立ち上がっていた。改めて彼女を見つめなおす。美しい長い黒髪と対照的な焼けていない白い肌。黒い大きな瞳の整った顔立ち。映画のヒロインのカメラ目線のワンシーンのようなその美しさに、俺の鼓動は更に早まった。
彼女は俺が戻ってきたことを確認してから、肩に掛けていたポーチから何かを取り出してこちらに見せた。
彼女が手にしていたのは昨日無くしたサイコロのストラップだった。
「あっ」
「昨日落としてすぐに気付いたんですけど、急いで行っちゃって、その……」
「いや、その……」
この会話は一体なんなんだ。
彼女はこちらへ上がって来る階段の方をちらりと向いた。俺は階段の方から遠回りして下に下りようと一瞬足を横に向けたが、すぐに向き直っていつものようにブロック塀を飛び越え、ダイナミックな着地をきめた。彼女は硬直したまま口を少し開けて立っている。
「ほんと、すいません」
「いえ、私がちゃんと言えばよかったのに……。ごめんなさい」
(なぜあなたが謝る!)
俺はその小さなサイコロを受け取った。
「大切そうなものだったから……よかったです」
「え?」
彼女は息を引いて口に手を当てた。
「ごめんなさい!」
「いや、そんな!」
大切そうなもの? どう見ても安物でどこででも手に入れることができそうなサイコロなのに。
ただ、事実それは俺にとって大切なものだった。小学生の頃から仲のよかった友達でお揃いで付けていたもので、それも友達の、白川優希の手作りのものだった。
「私、いつも勝手なこと言っちゃって、だから私……!」
(慌てすぎだ)
「いや、本当にそんなのはいいんで、本当にわざわざありがとうございます!」
(俺もだ)
「私、南っていって、最近引っ越してきたばかりなんでまだ学校とか行ってないし、ここら辺のことあまり知らなくって、ずっと内陸の方にいたし、海とか珍しくて……あっ」
機関銃のように喋り出したかと思えば自らの発言に困惑しておどおどしている。しかし驚いたことに、彼女の突然発したその言葉で俺が抱いていた彼女への疑問は解決してしまった。だが、それがまた新たな彼女への疑問となった。とりあえず、名前を言われた限りは一応こちらからも返しておかなければ。
「千波です。千波夕輝」
彼女は少しだけうつむいてから、またこちらに向き直って言った。
「下の名前はハルカです」
太陽が高く上がる、雲ひとつ無い空の下の出来事だった。
──