似たもの同士、似たもの同士
「ふぐ……むぁ」
大輝は奇妙な寝言を発すると共に目を覚ました。
(うぇ!?ここどこ!?)
大輝は一瞬ここがどこかわからずに狼狽《うろた》えるが、直ぐに昨日のことを思い出す。
「あぁ、昨日は大変な一日だったな」
昨日は愛深と別れた後病室に戻ると、急にいなくなった大輝を探していた看護師にこっぴどく叱られた。そのあとは看護師に半ば脅されてベッドに入ると、疲れが溜まっていたのかすぐに眠ってしまった。
波乱に満ちた大輝の一日はこうして幕を閉じた。
しかし、幕を閉じたからといってもう二度と幕が開かないかというと、そんなことは全くない。
扉がノックされる音で大輝は現実に意識を向けた。
「おはよう、大輝くん。昨日はよく眠れた?」
扉を開けて顔を覗かせたのは、昨日の看護師。
「お、おはようございます」
昨日の一幕が脳内を過《よぎ》り自然と敬語を使ってしまう大輝。そんな大輝にくすくすと笑い看護師は、
「どうしたの?そんなに借りてきた猫みたいな態度になっちゃって。大輝くんはなにかまた悪いことでもしたのかな?」
「いえ、そんなことは」
「そうよねぇ。またいなくなられたら私もニコニコしていられなくなるかもしれないし、また昨日みたいになるのは嫌だなあ。大輝くんも嫌よね?困ったことになるよね?」
明るい口調で話しているが、
(目が………目が笑っていませんよ)
大輝は素直に笑みを返せないでいた。
「まぁ冗談はこのくらいにして、今日の予定と連絡をしにきたの。
今日は検査をして、そのまま退院してもらうのよね」
事故で入院してたった二日で退院というのはいくらなんでも早すぎなのだが、大輝が運ばれてきたときは意識を失っていただけで外傷もあまりなかったこと、詳しいことは検査の結果を見ないとわからないが、特に診断では異常が見られなかったこと、そして急患が入ってしまい病室を渡さなければならないという理由から、異例の早期退院が決定されたのだという。
「そういうことだから、十時から検査室に行ってね」
そう言い残し病室を看護師は去る。
「なんかオレ、最近振り回されてばっかな気がする……」
苦難に頭を痛める大輝。当然、独り言も多くなっていることには気づかない。
予定の時間まではまだ三十分ほど残っていた。大輝はすることがなくボーッとしていると、昨日の疲れがまだ残っているのか、しばらくうとうととしていたが、壁掛けの時計に目を向けると時刻は十時十分前になっていた。どうやら半分寝ていたらしい。
大輝は慌てて病室を出ると、早歩きで病院内を歩く。
角を曲がると検査室、というところで大輝は人にぶつかった。
「「あ、すいませ……ん?」」
相手と同時に謝った大輝だったが、聞こえてきた声が聞き覚えのあるもので語尾が疑問形になってしまった。そしてその疑問形も相手と被っていた。
お互いに顔を上げるとそこにはよく見知った顔が驚きの表情をしていた。
「だいちゃん!?」
「紗奈!?」
確かに紗奈は池袋の病院に搬送されていたとは聞いていたし、大輝が昨日池袋に行った理由の一端《いったん》は紗奈のお見舞いであったが、まさか一緒の病院だとは思わなかった。
「どうしてだいちゃんがここにいるの?それにその格好は入院服だよね?何がどうなってるの?
……あ、時間!どうしよう、検査に遅れちゃう。でもでも、だいちゃんのことは気になるし……。
あぁうぅ」
紗奈はいい具合に混乱していて、いつも通り落ち着きなく手足や顔を動かしていた。
「落ち着けって。まずは検査でしょ?またあとで話はできるからさ」
大輝は紗奈が変わりないようで安心した。
「そ、そうだね。うん。じゃあ、あとでね。絶対だよ」
そう言い残して紗奈は弾むように検査室に入っていく。
(いや、結局検査室でまた一緒になると思うからそのまま一緒にいても問題はなかったと思うんだけどな)
苦笑しながら大輝は紗奈の後を追いかけって行った。
案の定、検査室で大輝と会った紗奈は恥ずかしそうな、気まずそうな表情を浮かべていた。
日が真上を過ぎるころには二人の検査は終わった。
病院の中庭に二人はいたが、今朝出会ったときとは流れる雰囲気が一転していた。
「………………」
「えっと、紗奈……?」
検査後、急に元気をなくした紗奈に大輝は戸惑っていた。
(検査結果が悪かったのかな?でも結果ってそう早くはわからないはずだし)
妙に気まずい雰囲気が二人を包む。
「だいちゃん、ちょっと、お願い聞いてもらえる……かな?」
紗奈が上目使いで訊いてくる。
大輝はそれでこの空気が変えられるならと、快く了承した。
「えっと、それじゃあ、目、瞑《つむ》ってくれる」
素直に目を閉じた大輝だが、一向に紗奈が何かする気配がない。紗奈はあまり人を騙す性格ではないのだが、何をするのか気になってしまった大輝は少しだけ目を開ける。
目にうっすらと映った紗奈は頼んだ格好のまま止ていたが顔だけが真っ赤になっていた。
紗奈は表情豊かで考えていること、感じていることがすぐ表に出てしまうので、何をするつもりなのかと少し背筋が寒くなる大輝だった。
(少しだけ、少しだけなら大丈夫、だよね?
冗談でした、とかそんな感じで誤魔化せる……かなぁ)
更に真っ赤になる紗奈。
完全に自分の世界に入っていて大輝を待たせているという意識が頭から吹っ飛んでいるようだった。
「あの、紗奈?もういいの?」
痺れを切らして大輝が言う。
「あ、はい!!あ、いやちがう、まって!!もうちょっと……です」
語尾が消え入りそうになりながらも必死に大輝の目を抑える。
「………」
そのまま紗奈は頭を大輝の胸に預ける。
心臓は激しく動き、大輝に聞かれてしまうのではないかというほどだったが、そこから更に手を下して腰に回す。
しばらく固まる大輝と力を徐々に強くし、手を回しているという状態から抱きしめている、という状態に移行しかけている紗奈。
(え、あれ、なん……え!?)
いい具合に混乱する大輝。
昨日も愛深という美少女に抱きしめられているが、まだまだ慣れる気配がない大輝は初心であるといえよう。
一方紗奈の心の中は、
(あ、あ、あ、あわわわわわわわわわわわ)
何とも似た者同士である。
それからしばらく、さっきとは違った種類の気まずい空気が辺りを支配していた。
紗奈はゆっくりと手を離した。
「……ありがとう、ございました」
「い、いえいえ、こちらこそごちそうさまでした」
いまだに混乱している大輝である。
「うん。元気貰った。ありがと、だいちゃん」
いち早く混乱から回復した紗奈は恥ずかしそうな、しかしどこかすっきりした表情で言った。
「お、おぉ。そっか」
紗奈の落ち着きようを見て徐々に混乱から脱する大輝。
「それで、どうしてだいちゃんは病院で入院服なんて着ているの?」
「離せば長いことながらね───」
大輝は今まであったことを紗奈に説明した。
しかし、恥ずかしかったので愛深にいろいろ振り回された部分は隠していた。
「───で、今に至るわけ」
話を聞いた紗奈はうれしさ半分、悲しさ半分といった心境であった。
心が弱っている今、大輝と一緒にいる時間があるというのは紗奈にとってどんなに支えとなっていることか。しかし、大輝も入院しているということは彼にも少なからず不運が起こったということ。ただでさえ大輝は人の傷、痛み、悲しみを引き受けやすい性格をしているのに、更に苦労を重ねてほしくなかった。
(だから、だから今は、私のことは言わない方が、いいんだよね……)
紗奈はそう自分に言い聞かせる。
「それは、大変だったね」
自分の心はひた隠しにして紗奈は笑顔を作る。
「……まあ、事情が事情だし、オレなんかでよかったらできることはやるつもりだけどね」
大輝はそんな紗奈の心中など知らない風に振る舞っていた。
「でも、どうしてだいちゃんだけ大丈夫なんだろうね?もしかしてだいちゃんって特別なのかな?世間一般と照らし合わせていても」
「多分それはないよ。兄さんや隼哉は特別って言ってもいいのかもしれないけどね」
大輝は苦笑しながら答えた。
「もう、また自分を卑下《ひげ》しちゃって」
「卑下って言われても……」
大輝は頬を掻《か》きながら言う。
「だめだよ。だいちゃんは自分で思うほどダメな人じゃないんだから、自信持ちなって」
紗奈は指を立てて諭すような口調でいう。
「ははは、紗奈のそんな口調って似合わないね」
「な、なによ。あたしだっていろいろ思うところはあるんだからね」
紗奈は頬を膨らまして怒ったふりをする。
他愛ない会話を楽しむ二人に看護師が近づいてきた。
「あら、二人して楽しそうね。でもちょっと今時間いいかしら?
水無瀬紗奈さん、先生が呼んでいるからちょっといいかしら」
紗奈は頷くと大輝にまたね、と言って看護師の後をついていく。
一人になって暇になった大輝はとりあえず、自分の病室に帰ることにした。
(にしても、紗奈のやつそんなに悪い病気なのかな)
会話している最中、終始どこか上の空だったし、紗奈らしくない行動もしていた。そんなときの紗奈はなにか心配事や悩み事があるというのは経験からわかっていた。しかし、それを簡単に話そうとしないこともわかっている。
大輝はどうしたものか、と頭を悩ませていた。
「うーん、今回は何に悩んでるんだろう?検査後に変になっていたから多分病気のことだとは思うんだけど、検査結果ってそんなに早くはわからないはずだしな」
「なにか悩み事?」
「うん。なんか紗奈の様子が変なんだよね」
「紗奈って、誰?」
「幼馴染だよ。幼稚園に入る前からの付き合いかな」
「仲いいんだ」
「うーん、まあ、女子の中じゃ一番仲良い、と思う」
「じゃあ私は?」
「……はい?」
そこで大輝は遅まきながら誰かと会話していたことに気づく。ふと顔を上げると大輝はすでに自分の病室の前に着いていた。
「私は?」
視線を巡らせるとそこには愛深がいた。
「え、あ、その、何と言いますか……」
「話し方」
「はい?」
「さっきは砕けて話していたのに、今は敬語」
「そう、でしたっけ?」
「心に壁を作られているみたいで、イヤ」
愛深は眉をひそめて言う。
「……っ」
「普通に話して欲しい……ダメ?」
「努力、します」
大輝は相手に頼まれて砕けた口調になるのが初めてだったので、戸惑いながらも了承した。
「それで、今日はどんなようで来たん……んだい」
やはりいきなり変えることは難しいようだ。
「特にない」
「はい?」
「特に用はない。『また明日』って、昨日言ったから来た。用がないと来ちゃ、だめ?」
「いや、ダメってことはないです、ないけど……」
大輝は頬を掻きながら答える。
「ならよかった」
いまいち愛深の考えていることが読めない大輝であった。
「とりあえず中、入りません?」
例え個室といえども入り口でボーッと突っ立っていると居心地が悪い。愛深は無言で頷くとそそくさと入っていった。
大輝は愛深のマイペースさにため息をつきながら後を追った。