一難去ってまた一難………の予感
「須藤は……大丈夫。追って来ていない」
愛深の言葉に大輝はほっと一息ついた。
「一安心?」
愛深は小首を傾げる。
大輝は苦笑いをしながら、
「ええ……まあ、そうですね」
今須藤がいないというだけで、この後も襲われないという保証はどこにもない。気を抜くのはまだ早いと大輝は考えていたため、返事も曖昧な口調となっていた。しかし、愛深は何食わぬ顔で、――もともと無表情だったが――大丈夫という。
「今はまだ須藤は森の中。当分は出てこない。
仮に出てきたとしても今日はもう私たちを追ってくることはない」
「なんでそんなことが言えるんですか?」
「須藤はまだ森の中で戦っている。
そのうちに遠くまで逃げれば、出てきたときには諦める。あいつは気分で行動するから執拗《しつよう》には追いかけてこない」
(まだ戦っている……?)
大輝は疑問を感じたが何とか飲み込む。いつまでも愛深を質問攻めにし、時間を浪費している時間はない。
「じゃあ、町でばったり出くわしたりしなければとりあえずは安心していいってことですか?」
大輝は念を押すように訊くが、愛深はなんも迷いもなく頷く。
「今度こそ安心した?」
「はい」
そう、と愛深は呟くとそそくさと歩き出す。
大輝が追い付いてしばらく病院に向かって歩く。
「あ……」
突然愛深が何かを思い出したように呟くと携帯電話を取り出した。
「今更だけど、私あなたのアドレス知らない」
どこが今更なんだ、と心の中で突っ込みながらもそんな表情は一切表に出さずに、大輝は携帯電話を取り出すと連絡先を交換する。
「大切にする」
愛深は携帯電話を両手で包み込むと大事そうに胸に抱えた。
大輝は気づいていない。
この瞬間にまたひとつ、今までの日常が壊れたことを。
愛深はV・Vの世界でも特殊な存在であり、様々な理由で常に狙われている。彼女と繋がりを持つということは否が応でも巻き込まれていくこととなる。
V・Vの住む世界は戦いとは切っても切り離せない。
知らず知らずのうちに、大輝はそんな世界に足を突っ込んだのだ。
愛深はもう一度何かを思い出したかのようにあ、と呟くと大輝の手を握る。
「握手」
大輝はいきなりのことに驚き手を放そうとするが、愛深が手を絡めるようにしっかりと握っているため、手が離れない。
「大輝の手、あったかい」
愛深は大輝の手を頬にくっつける。
「忘れてた。人の手って暖かかったんだ」
愛深の何気ない言葉に大輝は絶句した。
人と触れ合えない、という事実を実感したことのない大輝は、それがどのようなものか漠然《ばくぜん》としたイメージでしか捉えていなかった。しかし、愛深の言葉を通して伝わってくる事実は想像を絶する悲惨さをはらんでいた。
大輝は自然と握る強さが増す。
「どうしたの?」
「いえ、何でもありません」
大輝は微笑を浮かべる。
(別に嫌がる理由はまったくないんだし、このまま愛深さんの気が済むまで手を繋いでいようか)
愛深はわけがわからないとばかりに首を傾げた。
その仕種が子供のようで、大輝はまた静かに笑う。
二人の手は病院に着くまでしっかりと繋がれていた。
辺りが真っ暗な中病院に着くと、愛深は話があるからと切り出し、二人は入り口前にあるベンチに腰かけていた。
二人の間に流れていた和やかな空気はいつの間にか霧散《むさん》していた。
「さっき私は大輝に日本にはV・Vの団体が三つあるって言った」
大輝は頷き相槌《あいづち》を打つ。
「『政府』《ガバメント》、『帰るべき宮殿』《ヴァルハラ》、そして最後のひとつが『淋しがり』《クレイブ》」
愛深はためらいがちに言葉を紡ぐ。
「『淋しがり』は『政府』や、『帰るべき宮殿』と違って日本が認めている正式な集団ではない。だからなんの支援も受けられない。
でもV・Vの所属数は一番多い……らしい。
『政府』や『帰るべき宮殿』のように大きな支援は受けられないけど、『淋しがり』は戦いを強要することがないから安心できる……のだと思う」
大輝は愛深の言葉に違和感を覚えた。彼女は自分の所属している組織について伝聞の形や予想としてでしか語らない。いくら人との接触を避けてきたとはいえ、組織の実態くらいは把握していてもおかしくはない、と大輝は思った。
その答えは続きを聞くことによって明らかになった。
「私は自分が所属している団体の実態をよくは知らない。『淋しがり』のリーダー、トップと言われているけどそんなことは、もうない。私は今やリーダーではなく象徴となっている」
愛深は無表情の中にほんの少しだけ、寂しそうな色を宿して言葉を紡ぎ始めた。
もともと『淋しがり』という組織は愛深が六歳の頃、三人のV・Vからできたとても組織とは言えないようなグループだった。ただ仲良しな三人組が集まってできた、そんな子供の遊びの中でのグループでしかなかったのだ。
しかしその仲良しグループは三年と経たずに崩壊した。
「私が、殺した」
愛深は淡々と口を動かす。まるで何処かに感情を置いてきたかのように。
『淋しがり』のメンバーは六人になっていた。新しく入ってきたメンバーはほとんどが一般人、普通の友達だったが共有者も一人新しく入っていた。
全員に共通して言えるのは、池袋にある特異硬化病に対して処置できる病院に通う必要があった、ということだけ。
全員がそろう機会はそう多くはなかったが『淋しがり』な六人は固い絆で結ばれていった。
しかし、悲劇は突如《とつじょ》として起こった。
今までの愛深の体質は手袋や布越しにならば人に触れる事ができるというものだったが、突如としてその法則は崩れ去っていった。
何気ないハイタッチがメンバーの一人を黒結晶へと変えた。
恐怖に後ずさりした愛深はもう一人とぶつかり黒結晶を作る。
そのあとは恐慌をきたしたメンバーが愛深とぶつかり瞬く間に二つの結晶が作り上げられた。
こうして四個の黒結晶が転がる中、愛深は呆然《ぼうぜん》と立ち尽くしていた。
「私が、殺したの」
愛深は同じ言葉を、しかし、わずかだが動揺をはらんだ声音で伝える。
「その事件で『淋しがり』は崩壊した、はずだった。
だけどそれから六年後、突然『淋しがり』は復活した。どこで誰が始めたのかわからなかったけど突然リーダーになってくれないか、と私に誘いが来た。私は断ったはずだけど、いつの間にかリーダーに、象徴に担ぎ上げられていた。だから今の『淋しがり』についてはよく知らない」
これが、今の『淋しがり』について私が説明できるすべて、と愛深は最後に締めくくった。
「あなたも後々には、どこの組織に属するか決めなきゃいけない。龍真や隼哉にも話を聞いてよく考えて。
この選択は大輝の今後に大きく影響を及ぼすと思うから」
愛深はそう言い残すと立ち上がり歩き出すが、数歩進んだところでふと立ち止まり、振り返った。
「また、明日」
今度こそ愛深は振り返らずに去って行った。
それからしばらく大輝は呆然と愛深を見送っていたが、
(あれ?オレ、兄さんや隼哉のこと愛深さんに話したっけ?)
大輝の頭の中は嵐が去った直後のようにぐちゃぐちゃに掻き乱されていたが、ただ一言呟く。
「えっと、明日も会うの……?」
明日も波乱の予感がした。