日常の崩壊―――承
「あなたはヴァリアブル・ヴァルキュリーのことについてどのくらいご存知で?」
須藤は眼鏡のブリッジを押し上げながら訊く。
一つ一つの行動が芝居っ気のある人だな、と大輝は思った。
「V・Vは特異硬化病患者に付けられている名前で、長く生き残るためには特異硬化病に高い耐性がある人の協力が必要なこと、そうでなければ五年以内に死んでしまうこと、武器になれること、くらいです」
「一般的な知識よりほんの少しだけ知っていますね。身近にいる誰かがV・Vだったり、V・Vについてお仕事をされている人が?」
「えと……兄弟が」
「そうですか、ご兄弟が」
須藤の目がほんの一瞬だけ怪しい光を放ったように大輝は感じた。
「それはなんと言うか……残念ですね」
が、すぐに悲しそうな表情を偽り神妙にする。
大輝はなぜそんな顔をされているのかわからずに首を傾げていた。
兄弟にV・Vについて仕事をしている、と答えた大輝。
兄弟にV・Vがいる、と勘違いした須藤。
二人の意思の齟齬《そご》は正されないままに会話は続く。
「では、最初からご説明しましょうかね ──」
ヴァリアブル・ヴァルキュリー。
それは特異硬化病に罹《かか》った人のこ とを指し示す言葉である。
では、特異硬化病とは何か。
特異硬化病とは細胞を構成する様々な原子がヴァリアブル・アルケー粒子――V・A粒子――というものに変わってしまう病気だ。
しかし、体を構成する原子がV・A粒子に変わることでどんな弊害《へいがい》があるかというと、実は理論上ではなにも問題がないはずなのである。
特異硬化病が発見されたと同時期に発見されたV・A粒子は、思想を反映することができる粒子であり、何もない真っ新《まっさら》な状態のV・A粒子は一度だけ人の思想を反映し形を変えることができる。つまり、理論上は真っ新なV・A粒子が十分な数在るとしたらなんでも好きなものが作れる、という魔法のような粒子だ。
だが、魔法のような、といっても制限はつく。粒子に反映される思考は複雑なものだと反映されない場合が多いのだ。なので「人の細胞──それも各部位によって細胞の働きは異なる──と同等の機能を維持しつつ死に追いやる」などという願いは叶わない。
「それに、現実にあるV・A粒子はもう使用済みの粒子が九割九分を占めているんですよ。忌々しいことに誰の思想を反映したかはわからないですがね。ですから真っ新な状態のV・A粒子を用意すること自体、困難極まる行為なんですよ」
須藤は少し苛立ち気味に言う。
「……っと、すいません。ついつい感情が」
微笑を浮かべ誤魔化すと説明を再開する。
V・Vは全身の細胞がV・A粒子に変わると人としての営みを一生失うこととなる。
が、近年、症状の進行を遅らせる方法が見つかった。
それはV・Vの自己意思による武器化だ。
しかし、ただ武器化したところで進行を遅らせることはできないため、誰か協力者が必要だ。
それが『共有者』と呼ばれる存在である。
共有者である資格はただひとつ、特異硬化病の抵抗力が高いこと。ただそれだけだ。
共有者はV・Vの力を全て引き出せる存在でもあり、ひとりで武器化したV・Vを一般人が使おうとすると症状の進行は食い止められない上に触れた本人も結晶化してしまい絶命する。
武器状態のV・Vを『モノ』として考えたときの所有者はV・V本人だが、一緒に使うものとして『共有者』という言葉があてがわれた。
強力な能力を有するV・Vを長生きさせられる上に十全の力を引き出せるとあって、各国家は共有者を、共有者になりうる存在を探している。
しかしV・Vはそんなに多くない。
共有者はもっと少ない。
V・Vは各国家に約五百人。これは人口比に関係なく一定である。対して共有者、共有者になりうる存在は二十人いれば多い方だ。
共有者は年代によって分布がことなり、現在は日本が最多保有国となっている。(だからV・Vの団体が三分割されても他国に辛うじて攻められずに済んでいる)
「ですからあなたみたいな共有者候補はとても貴重な存在なんですよ。特に今まで神坂に触れられていて絶命しないほどの抵抗力を持つということは、あなたは現時点でもうすでに日本最高の共有者になれます」
ただ、と須藤は続ける。
「これ以上神坂に触れるのはお勧めしませんね。いつ、あなたが結晶化してしまうかわかりませんから。
死にたくないのなら今後の接触は控えることですね。
………………まったく悍《おぞ》ましい化け物が」
最後の一言は小声で大輝に聞こえないように吐き捨てていたが、不思議と大輝の耳に届いていた。
須藤がひた隠しにしていた心の闇の一片に触れ、大輝の中で芽生え始めていた須藤への親近感が一気に消え去る。
「それでですね、ここからが本番なんですが」
もちろん須藤はそんな大輝の心の変化に気づくはずもなく、芝居っ気たっぷりの言動で帰るべき宮殿《ヴァルハラ》へ勧誘してくる。
「私たち帰るべき宮殿に入りませんか?
私たちはあなたを必要としています。あなたのその類い稀《たぐいまれ》なる才能を特異硬化病患者の皆さんのために役立ててはくれませんか?
私たちはこの病を治す術を探しているのです。病を治すことができれば今後、何万何億の人々が助かるのですよ。それは素晴らしいことではありませんか!あなたの体には治療の鍵になる秘密が隠されているのです。私たちと一緒に哀れな人々の為、働こうではありませんか。
もちろん、お金だって正当な報酬としてお支払します。
これは他のどの団体にもできないことです。
私たちだけが為せる崇高《すうこう》な任務なのです。ですから───」
どこの宗教団体の勧誘だ、と突っ込みたくなりそうな勢いで捲《まくし》し立てる須藤。
次に他の団体にできず、帰るべき宮殿にのみ可能な出来事をさも素晴らしいことのように語る。
「───どうですか?
帰るべき宮殿に入ってくださいますね?」
大輝は一時の躊躇《ちゅうちょ》も見せずに首を横に振る。
「申し訳ありませんが、その申し出にはお断りさせていただきます」
大輝はこれで話は終わりだとばかりに立ち上がる。
さっきから姿が見えない愛深を探さなければ。
「そうですか。それは、残念です。本当に」
そう呟くと辺りに光が放たれる。
振り向くとそこには再び剣を携えて立つ須藤がいた。
剣が炎に包まれる。
大輝は危険を感じて後ろへ跳ぶと同時に須藤が剣を振る。大輝がさっきまでいた場所を通るように炎で円が描かれた。
炎が周りの木に飛び火して辺りが火の海となる。大輝は距離を保っていたため炎に包まれることはなかったが、須藤は中心地にいる。とても無事でいられるようには思えないのだが、木々か燃える音に混じって足音が聞こえてくるような気がした。
不意に炎の壁が縦に割れた。
中から須藤がゆっくりと歩いてくる。須藤の体は煤《すす》ひとつついておらず、服すら燃えていない。
「他の団体に入られると厄介なので危険因子は摘み取っておきますね。淋しがり《クレイブ》に入られて神坂なんかと組まれたりした日には数日の間、あなたが神坂の手で殺されるまでの間は、そのペアは最悪ですから。───いや、最凶ですから、と言いましょうか」
須藤は一足で五メートルの距離を埋めると凶刃を踊らせる。
前後左右から迫りくる剣と炎を間一髪のところで、ときには体を斬られながら、焼かれながらも致命傷は避けていく。
須藤は剣を振り続けているだけなのに対して大輝は細かな、だけれども無視しがたい傷を徐々に増やしている。
しかし続く剣戟《けんげき》──といっても大輝は逃げているだけだが──に終止符を打ったのは須藤であった。
須藤は後方へ距離を大きく開けると、乱れた息を整える。
大輝はこの数十分の間にひとつの仮説を立てていた。
自分の身体能力が格段に上がっている、と。
普段から大輝の身体能力は高校生の中でもかなりな上位に位置していたが、流石に人間の出せる範疇《はんちゅう》だった。
しかし、須藤もそうだが、大輝はいつからか、その人間の出せる範疇というものを逸脱した力を手にしているようだ。
五メートル以上の距離を一足で詰めたり、人を抱えているにも関わらず普段通りの速度か出せるなど明らかに常識の範囲外である。
さらに元の能力が高いからか、大輝は須藤よりも身体能力のみならば凌駕している。その事が大輝から恐怖を和らげ、V・Vという圧倒的な戦力差がある須藤と対等に渡り合えていた。
が、この膠着状態《こうちゃくじょうたい》もそう長くは続きそうにない。
須藤は呼吸を乱していたが、大輝は体に傷を負っているのだ。少しずつではあるが避けきれなくなっている。
(早いとこ神坂さんを見つけてここから逃げなきゃ)
大輝は素早く辺りを見回す。
(いた)
右前方に横たわる人影。今いる場所は最初の地点からずいぶんと離れているので、爆風でここまで飛ばされていたのだろう。
愛深へと駆け寄る大輝。しかしそんな無防備な状態を須藤が放っておくわけもなく、炎球が飛来《ひらい》する。
大輝の進行方向を予測して、ちょうど炎球が彼とぶつかる軌道だ。
大輝は木の枝向かってに跳ぶ。
三メートル以上ある枝を掴みんで高度を保ち炎球をやり過ごすと走ってきた勢いを殺さず降りる。
大輝は自分の曲芸じみた行動に内心驚きながらも神坂の元に辿り着いた。
「神坂さん、神坂さん!
起きてください」
しかし愛深は目を覚まさない。
振り返ると須藤が全力でこちらに向かって駆けていた。
時間がないことを悟った大輝は仕方なしにまた愛深を抱えあげる。
「人の忠告を無視して!」
須藤が追いつき剣を振り下ろす。
大輝は直撃は避けたが完全には避けることができず、纏《まと》っていた炎に皮膚を焼かれた。
「ぐっ……あ……」
大輝は痛みに耐えきれずに膝をつく。
須藤はその隙を逃さずに追撃するが、大輝は咄嗟《とっさ》に伏せることで凶刃から逃れた。
剣を振りきって少しの間硬直している須藤へ大輝は初めて反撃を試みた。
足を低く薙ぐように繰り出し足を刈る。
思いの外力が強かったのか、それとも反撃がくると予想していなかったのか、須藤の足は抵抗らしい抵抗を見せずに地面を離れ、顔面から地面に突っ込む。
大輝は深追いせず作り出した隙で愛深を抱えると全力で駆け、強化された脚力を使って木々を巧みに避けていく。
「………………。
文字通り顔に泥を塗ってくれましたね」
須藤は静かに呟くが、怒気を糧に燃やしているかのように纏っていた炎が激しく燃え盛る。
炎が辺りの木々に飛び火して火の海が拡大される。
「絶対に生かしては帰しません」
須藤と大輝の短いが濃密な逃走劇第二幕が始まる。
来週の更新は大変申し訳ないのですが、お休みさせていただきたいと思います。
次回は再来週の土曜日に上げたいと思います。
楽しみにしていただいた方、いらっしゃいましたら大変申し訳ありません。
なお、今後の小説の更新情報は活動報告を付け始めようと思っていますので、よろしかったらそちらのほうも覘いてみてください。