ただ一人との触れ合い
「次、V-零一三番」
白衣を着た男がこちらを向いた。
「こいつの細胞変換値は?」
「九十九.二パーセントです」
手袋をはめて私の手を引いてきた男の人が答える。
「マジかよ。こいつよく生きてんな。
……ったく、生きてる間に十分に利用し尽くして死んでもらわなきゃだな」
「おい、せめて『我が国のために』を入れてやれよ」
二人とも笑いながら平然と私に死ねと言ってくる。
冗談じゃない。私だって好きでこんな病気に罹《かか》ったわけじゃないんだ。子供心にそう思った。
男たちは下品な笑い声をあげながら黒々とした液体が入った注射器を持って私に近づいてきた。
注射は痛いから嫌いだ。
私は無意識のうちに体を引いていたけど白衣を着た男は私の腕を強くつかんで離さなかった。
「っ痛」
思わず声が出た。何度やられても注射は慣れるものじゃ────
突然胸に激痛が走る。
胸が苦しい。
助けて。
私は無我夢中で何かに掴まろうともがき、白衣の男にしがみついた。しかし男は無慈悲にも私を突き飛ばすと一回私のお腹を蹴ってきた。
「触んな、餓鬼が。
さぁて、もうすでに硬化病に罹ってるやつにはどんな効果が出るのかな、っと」
白衣の男が胸ポケットからペンを取りながら私を見下す。手袋をはめた男はその間に部屋から出ていった。
痛い、痛いよ。助けて、お父さん、お母さん────。
私は痛みに耐えるためにうずくまるしかなかった。しかしそれが男の気に障ったらしい。男は私を蹴り転がして仰向けにすると顔を掴んできた。
「実験動物が結果を観察者に見せなかったら価値なんかないだろうが!!おとなしく──」
男が捲《まくし》くし立てていると、急に胸を抑え始めた。まるで私の苦しみが移っているみたいだった。
「くそっ、こんなの聞いてねぇぞ……」
男が注射器などの医療器具の入ったカートと一緒に倒れ、辺りに盛大な音が響き渡る。
音を聞いてたくさんの人が集まってきた。最初に入ってきた人は私をこの部屋まで連れてきた手袋をはめた男の人だった。
今度は誰か別の男の子と一緒にいる。
手袋をはめた男は私と同僚が倒れているのを発見すると駆け寄ってきた。同僚に大声で何か叫んでいたが、私は胸が痛くて痛くて何を言っているかわからなかった。
手袋をはめた男が私の手を掴む。
するとさっきの白衣の男と同じように胸を押さえて苦しみ始め、今度は三人で床をのた打ち回ることとなった。
しかし私は最初のころよりも少し、胸の痛みが鎮《しず》まっていることに気づいた。
そうか、誰かに触れればこの痛みは和《やわ》らぐんだ。
私はありったけの力を振り絞って立ち上がり歩き出す。
背後には二つの黒結晶が横たわっていた。
それからのことはよく覚えていない。
◇◇◇
「う……ん……」
大輝はベットの上で目を覚ました。
(なんだったんだろう、今の夢。妙に生々しい夢だったけど……)
大輝はしばらく呆けていたが辺りが知らない景色なのに遅まきながら気付いた。
部屋全体は白で統一してあり、棚には花瓶に花が生けてある。 ベットの後ろにはパネルが埋め込んであった。──つまりは、病室、しかも個室だ。
大輝は一瞬、自分がなぜ病室にいるのかわからずに狼狽する。
(えっと、確か兄さんに呼び出されて池袋に行って、変な女の人にあって……)
大輝は次第に状況がわかってきて落ち着き始めた。
(そうだ。車に撥《は》ね飛ばされたんだ)
違和感。
車に撥ね飛ばされたのにも関わらず体の痛みは体の節々が少し痛む程度だった。これなら激しい運動もしばらくの間なら耐えられそうなくらいだ。
事実と身体状態が噛み合わずまた少し狼狽《ろうばい》する大輝。そんな中、控えめなノックが大輝の意識に届いた。
「あ、はい。どうぞ」
返事を待って入ってきたのは愛深だった。
夕日に照らされた白銀の髪が仄かに赤みを帯び綺麗だった。常人ならばしばらくは見とれているだろうその美貌に、しかし大輝は感情を押し殺した無機質な視線を向ける。
しばらく見つめ会う二人。ただ、お互いがお互いを思い会う恋人のそれとは異なる、緊張した空気が二人の間を流れていた。
「体、大丈夫?」
話の口火を切ったのは愛深だった。
「ええ、大丈夫です。……不思議と」
短く返す大輝に愛深はそう、とだけ答えるとまた二人の間に沈黙が流れた。
今度は大輝から話を切り出す。
「どうしてあんなことを?」
あんなこと、とは大輝を道路へと突き飛ばしたことだ。
愛深は大輝の言外の意図をしっかりと受け止めていたが口から出た言葉は謝罪ではなかった。
「私があなたと一緒にいられるという確信が欲しかったから。
それと、あなたを知りたかったから」
大輝はため息をつく。愛深との会話はいまいち噛み合わない。
「それはどういう意味ですか?」
「どうもこうもない。言葉通りそのままの意味」
「……あの、僕たち出会ってからまだ半日も経っていない上に、僕はあなたに殺されかけたんですよ。僕があなたを避けるとか考えないんですか?」
愛深は無表情のまま立ち尽くす。
「……考えてなかった。
でも困る。あなたがいないと、大輝じゃないと困る」
「何故ですか?」
愛深とはまだ少し会話しただけだ。そこまで執着される理由を大輝は思い付かない。
しかしわざわざ病室にまで来るということは──もしかしたら起きるまでずっと付き添ってくれていたのかもしれない──やはり彼女の中で大輝は大切な存在になったのだろう。
「それは、こんなことや」
愛深はベットまで近寄ると手袋を外して大輝の手を取り立たせる。
「こんなことができるのは貴方だけなの」
続いて大輝を抱きしめた。更に互いの頬を密着させる。
女性とこんなに密着したのは生まれて初めてだった 大輝は、いきなりのことに驚き言葉を失う。
「ね?」
大輝は顔を真っ赤にしながら窓際まで後退る。何でそんな反応をされるのかわからないと言いたげに小首を傾げる愛深。
「どうしたの?顔、真っ赤」
「そりゃあそうでしょうよ!!いきなり異性にそんなことされたら誰だってびっくりします。顔だって赤くもなりますよ!」
「……どうして?」
「どうして、って恥ずかしいでしょう?」
「なるほど、これは恥ずかしいんだ」
愛深は納得したと言わんばかりに握った右手を左の手の平に乗せる。
「……もしかして、今までもいろんな人に抱きついたりしてたんですか?」
「ううん、してない。できない。こんなことができるのは大輝だけ」
逸れていた話題が戻る。大輝だけ、という意味はどういう事なのか。
「さっきからどうして『僕だけ』なんですか?」
愛深は僅かな逡巡《しゅんじゅん》の後 、
「話、長くなるけど、聞く?」
大輝は迷いなく首を縦に振る。
「そう。……じゃあ始めに、ヴァリアブル・ヴァルキュリーって知ってる?」
「えぇ。兄や弟がその関係の仕事をしているので、少しは」
「…………」
龍真は特異硬化病についての研究機関に大学に入る前から所属していたし、隼哉は二年前から警察関係のどこかの用事でたまに何処かへ行くことがある。守秘義務があるからと二人とも詳しくは教えてはくれないが、V・Vについて活動している、くらいは知っている。
兄弟が誰かのために働いているのに、自分にはなにもできない。その事に劣等感や悔しさがないと言えば嘘になるが、取り立ててなにか言う程の感慨《かんがい》もない。大輝にとってV・Vとはその程度の関係だった。これからもそうだろう、そう漠然《ばくぜん》と考えていた。
「私はV・V。しかもかなり特殊なケースらしい」
しかし大輝の予想は今、音をたてて崩れ去る。
「私は、人と触れ合うことが許されない体をしている。私に触れた人は誰であれすぐに死んでしまう、そんな呪われた体。
理由なんてわからない。ただでさえ謎が多い特異硬化病の更に異種なんてのはもうどうしようもない」
愛深の言葉の端々に諦念《ていねん》を感じる。
「医者に行っても、触れた相手を特異硬化病の末期まで一気に感染させてしまうということ以外はわからなかった。専門家がわからないのだから私にわかるはずなんてない。私は誰とも触れ合えない。ずっとそう思って独りで生きていた」
(そんな中でオレを見つけたのか)
大輝は愛深の自分に対する執拗なまでの執着の理由を察した。確かにそんな絶望的な状況の中で大輝のような存在に出会ったら我を忘れて詰め寄るのも無理はないだろう。
しかし次に沸いてきた疑問はなぜ、大輝だけ大丈夫だったのか、だ。
大輝は他の兄弟と違いV・Vの隣に立てるようなことも、彼らの苦悩を受け止めることも、分かち合うこともできない筈だ。
大輝の思案顔で何を考えているのかを察したのか、愛深は
「詳しくは調べてみないとわからないけどたぶんあなたは特異硬化病の抵抗力が皆無なんだと思う」
大輝は愛深の言うことが理解できずに、質問をしようと口を開くがその声はノックに中断された。
「はい、どうぞ」
大輝の許可を受けて入室してきた人は大輝の知らない青年だった。
縁なしの眼鏡に長い黒髪を後ろでひと括りにしている。青年は長身で身長が一八十センチを尤《ゆう》に越えていた。
白のワイシャツに黒のスラックスを穿いていたが、線の細さや青年の醸し出す雰囲気から研究者か医者だろうと大輝は辺りをつけた。歳は兄よりも更に上だろう。
「……あの、部屋を間違えてはいませんか?」
「いえ、ここであっていますよ」
青年は笑顔で告げる。
大輝は首を傾げると愛深も何事か、と言いたげな表情で振り向き入室者を確認した。
「───ッ!!」
愛深が後ろから見ても分かるくらいに身構える。
「やあ、こんなところに居たんですね。こんな一般人の病室で何をやっていたのでしょう?また一般人を籠絡《ろうらく》でもして寿命を伸ばそうとしてたんですかねぇ。悪いひとだ。
まあそんなことはどうでもいいです。私がここに来た用件、分かってますよね?神坂愛深」
青年は愛想笑いから冷笑へと表情を変えると、ゆっくりと愛深に近づいていく。愛深は後退りしどんどん窓際まで追い詰められていた。二人の距離が徐々に狭まり三メートルを切る。
青年は両腕を開き、芝居がかった口調で言う。
「どうしたのですか?私は丸腰ですよ。今は生憎『武器』とも一緒にいませんでしたからね。
それに比べてあなたは文字通り全身武器。触れれば必殺の凶器なんですよ。何を恐れているんですか?」
愛深の体が遂に窓際に当たる。
「ほら、もう追い詰められた。どうしますか?」
愛深は目線は青年に向けたまま左手で大輝の手を取り、右手を水平に凪ぎ牽制する。
青年は横に跳び愛深の手から逃れた。
その隙に愛深は大輝の手を引いて病室の外へと走り抜ける。
「え、ちょっと──」
大輝は訳もわからずに引かれるまま走り出した。
「あーあ、あの少年はもう助かりませんねぇ。また一人、犠牲者が増えてしまいました」
それほど残念そうには感じられない口調で青年は呟いた。
「ふむ、では追いかけっこの始まりですかね。
さてはて、今日はどのくらい逃げられるのでしょうか?」
青年は鼻唄を歌いながら病室を出て、電話を掛ける──病院内にも関わらず。
「あ、もしもし、見つけました。久々に君を思う存分に君を使えますよ。
えぇ、えぇ。じゃあ入り口で集合しましょうか。
狩りはそれからです」