一日目 花妖と魔蛇
今更ですけど、タイトルは『シマプラス・デイズ』と読みます。
二人目の妹登場回。
此の世界は、主に二つに分かれている。
“人間界”、そして“魔界”だ。魔界というのは、魔界領全体が一つの巨大国家となっている。“魔王=法”の、絶対君主制国家だ。もっとも此れは基本スタンスであり、国の運営法自体も魔王及び魔界王立政府に一任されている。
つまり魔界は、魔王が変わるごとに国家体制や外交方針をコロコロと変える国だ。帝国にも連邦にも共和国にも成り得る……それが魔界だ。
魔界には様々な種族があるが、根本的なところは変わらず、内輪もめというものがあまりない。
いや、あるにはあるのだが、それも王立政府上層部内というお偉いさんのみの限定した話で、臣民、要するに一般民衆は基本的に魔王に絶対服従だ。
歴代魔王も、自分に敵対しない限りはむざむざ一般民衆を無下に扱う意味もない。
簡単に言うと、魔王家は現代日本で言う皇室のように、所謂“暴君”という者がいなかったし、魔王家自体がある種の崇拝の対象となり、敵対する意志など持たない。
対して人間界は、様々な国家・思想・宗教が存在し、少なくともこれまでは人間界を統一する巨大国家が存在していたという記録は残っていない。
魔界に対する対応も様々で、敵対心をモロに出して魔界に攻め込んでくる国家もあれば、魔界の優れた魔法・技術や、魔界にしか存在しない貴重な(人間界から見れば)資源を求め、国交を結ぶ国家もある。
まぁ、後者はかなりの少数派であるということに、違いはないんだけどさ。
では、魔界は人間界を如何思っているのかというと――――最近界務省が行った世論調査によると、“興味なし”がかなり多い。
魔界の人口において、七割を占める“魔人種”は、人間を捕食しないし、普通に穀物や野菜・魚・肉など糧としている。ちなみに、僕も魔人種だ。
他にもさまざまな種族がいるが、人肉や人間の精(生命エナジィ)などを糧とする種族は本当に、ごくごく少数派だ。人肉を喰える種族はもっといるけど、別に人肉しか食べられないわけでもない。魔界では放牧も盛んだし、牛肉や豚肉などの精肉は簡単に手に入る。
もっとも、それでも魔界の人口全体からみればの話なので、何億何万という数なのは確かなのだけれど。
しかも、僕が魔王に就任してから魔法技術省に開発を命じていた“魔造人肉”や“魔造精”の量産化が進み、魔界領全体に流通してからは、わざわざ人間界に出向いて人間を捕食するよりも余程低いリスクで――――何しろ市場に行けば済む――――食料が手に入るし、大量生産化することでかなりリーズナブルな価格になったので、懐にも優しい。
そして、魔界は人間界と交易しなくとも、十分発展できる経済力と人的資源などを持っている。
つまり、今の魔界に人間界と関わる必要などないのだ。
まぁ、そうなるために、僕が魔界を変えてきたわけだけど。
だって、人間を捕食に行けば人間界と対立を深めるし、人間も唯喰われるだけの無力な存在じゃない。上級魔族が返り討ちにあった例も、少ないとはいえ零でもない。
だったら、自前で食料を確保する方がよっぽど手っ取り早い。
唯でさえ、駄目親父のせいで人間の数が減っているっていうのに。
「……だから、こんな話は到底認められないよ」
「……」
そう言って、漆黒の執務机に置いてあった書類を投げると、其れを手に取った、僕の目の前で直立不動の姿勢を取っている厳つい詰襟軍服姿の男性が頷いた。長い白髪に皺が刻まれた顔は、年季が入った古武士を連想させる。
「“戦王”様が御隠れになり、漸く戦後の混乱も収まりつつあるというのに、全く持って此れはありませんな」
ため息をついたのは、ウォーリザクセン軍務卿。
魔界の軍隊である魔界王立軍――――通称“魔王軍”と呼ばれる組織のトップだ。
魔界には爵位があって、此の人は公爵。各省庁のトップは、大抵公爵となっている。まぁ、そう規定されているわけではないけど。
“戦王”は先代魔王の渾名だ。魔界の歴代魔王は“○王”といった具合に渾名を与えられる。その由来は、魔王の性格や政策に起因していることが多い。
ちなみに、僕は“優王”。
この渾名は善良な王ともとれるけど、非戦派の僕を皮肉っているともとれる。
右翼と左翼が鍔迫り合いの議論をしているのは、現代日本も魔界も同じだ。
そして軍務卿は、その右翼に頭を悩ませている人の一人だ。
書類の表紙には、大きく[ネメア大陸統治論]と書かれていた。
先代魔王の所業により、魔界領は嘗て例がない程大きく拡大し、逆に人間界領は大きく縮小した。
そのため今となっては、ネメア大陸は魔界領に組み込まれていない唯一の大陸であり、同時に魔界領と人間界領の界境線が地上にある唯一の大陸だ。
魔王軍の若手将校が書いたであろうこの書類には、そんなネメア大陸を全土魔界領とすることを声高に主張していた。
書いてあること自体は、妄言でも何でもない。
一時は、魔界と人間界はほぼ対等な国力だったが、今では世界の三分の二は魔界領と言っても過言ではない。数、力、技術、魔法、生命力――――どれをとっても、魔王軍が負ける要素がない。
……それでも。
「ナンセンスだな」
僕はため息をつき、目の前の書類を溶解炉にぶち込みたい衝動を堪えた。
「その通りですな。全く、最近の若い衆は血の気が多すぎて宜しくありません」
「まぁ、血の気が多くなきゃ軍人なんて稼業、やっていけないだろうね」
現在、魔界は志願兵制を採用している。それでも、魔界の防衛に必要な兵力は十分集まっているのが、魔界の魔界たる所以だろう。“外”に興味を示さない魔物は多いが、外敵には一切の容赦をしないのも魔物の特徴だ。
頷いた軍務卿に微笑みかけ、僕は腕を組んだ。ギシリ、と上質な椅子が軋んだ。いや、僕の身体の方が鳴ったのかもしれない。
そんなことを考えていると、背中に何か柔らかいものが当たった。ふわふわのクッションの様なものだけど、其れと一緒に何かほどよく硬いものが、グッと僕の肩を押している。いや、揉んでいる?
振り向くと、綺麗な蒼に染まった植物のつるの様な触手が四つ、僕の肩に乗っかっていた。
内二つは、綿の様なものが先端についていて、其れが最高級の羽毛のような暖かさと気持ち良さを与えていた。
さらに、どうやら微弱な電波か何かを流しているらしく、マッサージ器を当てたような快感が肩を襲った。
そして残る二つも同じような触手だけど、先端には拳大の球形、枇杷の実のようなものがくっついていた。其れがリズミカルに、心地良い力加減で肩をトントンと叩いている。
……誰の御蔭か、直ぐ分った。
「アルム」
「はい、お兄様」
触手を伸ばしているものを目で追うと、そこには下半身が巨大な花弁となっている美女が、端正な顔に優雅な笑みを浮かべて立っていた。
花弁の中から、その触手たちが伸びている。
「……ウォーリザクセン軍務卿、書類は破棄し、計画も凍結します。此れを認めた莫迦にそう伝えなさい。
用が済んだのなら、早く下がりなさいな」
アルムは僕に向けた笑みとは打って変わって、能面のような表情を軍務卿に向けると、低い声で、しかし有無を言わせない威圧感を込めて呟いた。
「しかし、姫様――――」
「下がれ」
今度は大きく、強い声で命じる。
軍務卿は反論を止め、一礼して僕らに背を向けた。
重厚な木製のドアが閉められると同時に、アルムは鼻を鳴らして軽蔑めいた瞳を扉の先に向けた。
「まったく、役立たずですね、莫迦な部下も抑えられないとは」
「あの人は良く抑えてくれているよ。でも、たまにはガス抜きもしないとなぁ。そうしないと、膨らみすぎて破裂しちまうよ」
苦笑しながら万年筆を置くと、アルムは無数の根っこを使って移動して、僕の背中に抱きつき、今度は直接柔らかな白い手で、僕の肩を揉み始めた。
豊満すぎる胸が首や後頭部に当たり、思わずドキッとしてしまう。
「そのせいで、お兄様の御手間が増えるのを、黙認しろと仰るのですか? それは酷な話ですわ」
目を細め、ゆっくりと耳元で囁いてきた妹を落ち着かせるため、彼女の頭を撫でる。
アルムは嬉しそうにますます密着してきて、丹念に身体を押しつけつつ、肩を揉んできた。
香水のような、いや、香水以上に甘い良い匂いが鼻腔をくすぐる。
アルムは植物型の魔物、所謂“花妖種”だ。
魔物の力量や美しさは、内蔵している魔力によって決まる。
アルムを始めとする僕の妹たちは、僕なんかとは比べ物にならない程の魔力を持っている。それは、歴代魔王で最も力が強いと言われた先代魔王が、赤ん坊に見えるレヴェルだ。
そんな四姉妹の中でも、アルムの力はずば抜けている。
花妖種は、甘い匂いで獲物をおびき寄せる。
「あいつ、殺しましょうか? おっと、そんなことは何時でも出来ます……。何よりも、まずはお兄様が優先。
莫迦共のせいでこんなに苦労して……御労しい。私が癒して差し上げますわ」
耳に吐息がかかり、彼女の長い舌が這ってくる。
「うぉっ! コラ、アルム、止め――――」
そう言った瞬間、アルムは身体を翻し、鞭のように撓らせた触手を大きく払った。
それは、別の何か長いモノと衝突し、バンッと空気を振動させた。
すわ、何事かとドアの方を見てみると、其処には腕を組んだ美女が立っていた。
紫水晶を思わせる、澄んだ紫色の腰に届くかというほど長い長髪に、黄金色の瞳。褐色の肌。宝石が輝く髪飾りなどを幾つも付け、気品あふれるオレンジ色のローブを身に纏っている。
身長やスタイルともに、アルムとほぼ同じ。超絶という言葉では足りなくなる程の美女だ。
そして下半身には、アルムの触手を往なした、七メートル程の長さの、毒々しくも美しい紫色の鱗に包まれた蛇のような脚が一本。
僕の妹の一人で次女のエルフィア。魔蛇種の美女だった。
魔物の種族は、親との血縁関係に束縛されない。つまり、魔人種と魔人種から生まれた魔人種の実妹に花妖種や魔蛇種が産まれても、珍しくもなんともない。魔人種の数が多いのも、単に魔人種の子供が生まれる確率が多いというだけの話だ。
エルフィアは、敵意に満ちた瞳でアルムを睨みつけている。
「――――何を、しているのですか? 姉さん」
「貴女こそ、お兄様の御前で、何をしているのですか?」
火花が散りそうなほど――――いや、双方の魔力が漏れ出て実際に散った――――二人は、双方を親の敵を見るような目で睨んでいる。
エルフィアは僕の方に視線を移し、にぱっと太陽のような無邪気な微笑みを見せた。
でも、それも一瞬で、直ぐに爬虫類のように冷たい視線をアルムに向ける。
一方アルムは、長い髪の先を指で弄くりながら、詰まらなそうに感情の無い瞳をエルフィアに向けていた。
「……あっ、そうだ!」
しかし、その均衡を破ったのは、エルフィアだった。目を見開くと、こっちに這ってきて、僕を思い切り抱き締めた。
「んぐ!?」
いきなりとんでもなく柔らかい抱擁を受け、慌てて脱出しようとするも、蛇の足が僕の身体を完全にホールドした。
「なっ――――」
アルムの声が耳に伝わると同時に、エルフィアの吐息が顔にかかった。
「兄さん兄さん、先程、あの莫迦げた書類を書いてきた奴、ぶっ飛ばしてきちゃいました!
だって、生きている価値もない雑魚の分際で、兄さんの御手を煩わせたんですよ? 死んで当然ですよね! そんな雑魚。
ね、兄さん……私、褒めてくれますか?
あっ! そうでした。まずは、御奉仕しないといけませんね。では、この唇から御堪能下さい」
瞳を潤ませ、豊かで柔らかな身体で包み込んできたエルフィアが、グイッと唇を近付けてきて――――。
「や、やめ――――」
「何をしている!!」
消えた。
苦しくない程度だった蛇の抱擁からいつの間にか脱出していた僕は、ふと上を見ると、天井に逆さまになっているエルフィアの姿があった。冷徹な瞳で、僕の横に来ていたアルムを見下ろしている。
「無粋な真似を――――」
「その言葉、そっくりお返ししますわ、愚妹」
再び一触即発になった二人の妹を見比べ、僕は小さくため息をついた。
四人じゃないだけ、まだマシだと自分を慰めながら。
世界設定とかは、後日纏めて記載していくつもりです。
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