28
「有希、ちょっといいか?」
久しぶりに声をかけられた。
――その相手は武だった。
うん、と私は頷いて、風を背に向けて歩き出した。
裏庭まで私たちは何も話さなかった。何かを話す余裕が多分二人ともなかったのかもしれない。
裏庭についてからの沈黙はやけに冷たい風がきっかけに敗れた。何、と私が口を開いたことによって武は口を動かした。
「あー、うん……」
頭を何度か掻き毟って適切な言葉を探しているようだった。
「沙織と……」
当たり前のように、多くの人が私と話すときに沙織の話題を振る。
それは、武も、賢治も同じで、何となく……無性に私はさみしくなった。
沙織がいなければ、私は存在しないのかもしれない、最初はそんなことまで考えてしまっていた。
沙織という存在は憧れだった。同時に嫉妬もしていたのだろう。
「喧嘩したんだって?」
私の小さな反応に当たり前だけど武は気づかなかった。そして、言葉を続ける。
「あんまりさ、沙織を悲しませるなよ? あいつ、傷つきやすいからさ?」
それを私に言ってどうしてほしいのだろう、と考えてしまう私は相当性格が屈折していると思った。
傷つくのはみんな一緒で、なのに、特別な意識の中にいる沙織が羨ましくも、妬ましくも思った。
自分だけが傷ついたって思ってはいけないよ。自分が傷ついただけ、相手も傷ついているんだ。だから、ごめんをしようね。
そう言ってくれたのは……、あぁ、そうだ。賢治のお父さんだ。
賢治と喧嘩した時に私と賢治2人に言ってくれたんだ。
「沙織は大丈夫だよ」
その言葉の奥には、賢治が見え隠れした。沙織は1人じゃないから、大丈夫。確かに、このままではいけないのはわかっている。それでも、そうとしか言えなかった。
「あー……、うん、そっか、そうだよな」
無理矢理納得させようとする武をただ見ていた。
「武はさ、何を望んでいるの?」
私は自分の汚い所を隠して、武に問いかけた。本当は、それは自分に問いたい内容だった。
いつまでも賢治にとらわれて。私はいったい、何を望んでいるんだろうか。
真意が見えない……。それが私にとって武の怖いところだった。何を、望んでいるのだろう。
「俺たちさ、」
前みたいに戻れないのかな、武の落ち着いた声が響いて私は武に答えた。
「変化は、訪れるものなんだよ」
でも、綺麗ごとだけど、変わってほしくないものもある。それを忘れたくない。
私は唇をかみしめた。武の目は見なかった。
俯くと、足元の草から小ぶりの紫の花が咲いているのに気が付いた。
小さな変化はいつだって起きているんだと思う。