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エピローグ ~朝霧の中で~

   エピローグ ~朝霧の中で~



「……う」

「あ。目が覚めた? 神無君」

 焦点が定まらない目をなんとか開くと……視界いっぱいにゆとりの顔が広がっていた。

 近い。近過ぎる。

 まるで僕が、ゆとりに膝枕でもされているような距離感だ……と思ったら、本当に膝枕されているらしい。頭の下から柔らかい感触が伝わってくる。

「ふっふっふ~! どうですか、神無君! これが男の子の夢、『屋上で美少女に膝枕される』というシチュエーションだよ~!!」

「ふん。『美少女』など、どこにいる? まずはそこから説明してもらおうか?」

「もうー!! 起きたら早速それなのー!?」

 せっかく神無君のためにと思ってしたのにー!、と叫ぶゆとりを放置しつつ、体を起こす。

 ここは……屋上か。

 いつも僕が寝ている貯水エリアより下の、普通に屋上に上がってきたら出る、広いエリアだな。

「あー……。うーん……。なんでこんなところに……?」

 頭がすっきりしない。

 夜明け前の朝霧を携える街並みと同様に、僕の頭にも霧が立ち込めていた。

「にゃはは……。神無君がすごいツバサを使ったせいで、幻想世界から出た時、場所と時間がズレちゃったって学園長先生が言ってたよ? タイム……なんとか的な、時間の問題は起こらないらしいけど……」

 タイムパラドックス、な。

 しかし、そうか。

 僕とゆとりが今こうしているということは、無事に幻想戦を終えることができたのか。

 ――ゆかりを、救うことが、できたのか。

「…………」

「…………?」

 ちらっ、とゆとりに目をやると、ゆとりは『なに?』というように小首を傾げた。その様子に危うげな所は無い。

「……いい朝だな」

 何と声を掛けたらいいか分からなくて、僕は立ち上がりながら、独り言のようにそう呟いた。

 と、同時。

「ちゅー」

「っ!?」

 なんか知らんが、いきなり頬にキスされた!

「ちょっ!? おまっ、いきなり! なに、を!?」

「わーい! 神無君が慌ててる~! ゆかり選手、神無選手に初白星です!!」

 一人で変な実況をしながら、一歩僕から離れてくるくる回るゆとり。

 いきなり異性にキスするというとんでも行動をとった人間とは、思えないほどの自然さだ。

「いやいや! さすがの僕でも慌てるわっ! なんでいきなり……その、キスなんてしてんだよっ!!」

「わ~……。神無君、顔真っ赤だよ? 意外とウブなんだねぇ~」

 ニヤニヤ。ニヤニヤ。

 ゆとりが悪い顔して笑い続ける。

 くっ……! 僕とたことが……っ!!

「質問に答えろっ! 如何にアホの子・ゆとりと言えど、むやみやたらにほいほいしていい行為じゃないぞ!? そういうのは、ちゃんと大切な人に――」

「大切な人だよ」

 僕の言葉が遮られた。

 その瞳は真剣で、全く自分の行為に疑問を持っていない。

「大切な人、だよ。神無君は、あたしを救ってくれた人だもん。……ヒーローに救われたヒロインからのお礼って言ったら、『ちゅー』じゃないかな?」

 にゃはは、と後半は冗談っぽく笑いながら語ったけど……それがゆかりの本心であるということは十分に僕に伝わった。


 夜が明けていく。

 世界に、輝きが戻っていく。


 その光は、屋上にいる僕たち二人にも注がれようとしていた。

 五月一日の朝日。

 決してその光を浴びるはずがなかった二人に、世界が明かりを照らそうとしている。

「……そういえば、学園長と夕希は?」

 話を逸らすためにそんなことを聞いてみる僕。

 我ながらちょっと情けなかったり。

「二人とも屋上に戻ってきたんだけど……先に帰っちゃった。気をつかってくれたのかな?」

「そうか。なんというか、学園長らしいというか……」

 夕希が待っていてくれなかったのは、ちょっとだけ思うところもあるんだけど。

 これを機会に幼馴染という関係を修復したいと思っていたのだが……やっぱりそれは、まだまだということかな。

「ありがとね、神無君」

 折角シリアスな展開を回避するために話題提供したのに、またそっち方面に話が戻ってしまったようだ。

 ……まったく。これだから、ゆとりは。

「別にいいよ。大したことじゃない。気にするな」

 ゆとりから視線をはずし、朝霧がキラキラと光る街並みを眺める。

「別によくないし、大したことだよ。……ありがとう。守ってくれて、ありがとう。救ってくれて、ありがとう。助けてくれて、ありがとう。本当に、いっぱいいっぱい、ありがとう!」

 …………っ。

 不覚にも、泣きそうになってしまった。

 だってそれは、僕がずっと望んでいた言葉だったから。

 ずっと、誰かに……言って欲しかった言葉だったから。

 ありがとう、って。

僕がいてよかった、って。

 助かった、って。

「……こんな偽善者が役に立ったんなら、ラッキーだ、くらいに思ってくれればそれでいいさ」

 泣きそうな顔を見られたくなくって、少しだけ俯き、前髪で表情を隠す。

 ……ちくちくと前髪が目に入って痛い。

「……そういえば、紗夜の眼鏡、そろそろ返してくれないか?」

「えー! 神無君、素顔の方がカッコいいからヤだ!」

 ……いい雰囲気がぶち壊しだった。

 さすがゆとり。空気が読めないことに定評がある。

「お前の特殊性癖は知らんが、これだけは譲らない。誰がなんと言おうが、その眼鏡が今、この世で一番大切だからな」

「……あたしよりも?」

「もちろん」

 即答したら、ゆとりがポカポカ殴りかかってきた。

 痛ぇ。僕は命の恩人だぞ?


 一通りじゃれあった後、眼鏡を返してもらってかける。

 視界はやっぱり歪んでいたけど……それでも、昨日よりもこの世界が綺麗に見えた。

「まあ、なんにせよお互い四月三十日を生き残ったな。これからお前は楽しい剣道部ライフが始まるというわけだ。良かったな」

 ついでに、これで僕もこの面倒なゆとりと縁が切れる。

 そういう意味でも、良かったな。

「え? あたし、剣道部には入らないよ?」

 ……。

 …………。

 ……………………は?

「いやいやいや! ゆとりさん、ちょっと待ってもらえますか。えーっと、確か私こと神無紘さんは、目の前のアホの子が剣道部に入って楽しい高校生活を送りたいというので、そのために四苦八苦してその夢の実現に向けお手伝いしたのではなかったのでせうか?」

「うん。そうだね。でもあたし、剣道部には入らない!」

「…………」

 あ、あれ~?

 なにやら話が訳分からない方向に向かっていると思うのは僕だけなんですかね、奥さん。

「だって、神無君は剣道部に入らないんでしょ?」

「当然だろ。なんで僕が剣道部なんて面倒な部活動をせにゃならんのだ」

「でしょ? だからあたしも入らない!」

「…………」

 うん。まったくもって意☆味☆不☆明だよね。

「だってそんな部活に入るより、神無君と遊んでる方が絶対に楽しいもん! あ。部活が必要なら二人で作ろうよ! どんな部活がいいかな~?」

 ルンルン、とお花畑を散歩する少女のようにメルヘンな雰囲気を漂わせつつ、ゆとりが屋上スキップを開始した。

 対する僕は、頭を抱えていた。

 ……どうしてこうなった。

「まあ、活動内容なんて、あとで決めればいっか! とりあえず部活の設立だよね~!」

「ゆとりかっ!」

「あ、それだ~! 『ゆとり』のあたしと『ギゼンシャ』の神無君で、この世のダメな子という意味で『すくらっぷ』と命名しよう~!」

「ダメな子という自覚はあったんだな……って、ちょっと待てぃ! なんで僕までダメな子扱いなんだよ!? 僕は天下の優等生・神無紘だぞ!?」

「だって、神無君のこの前のテスト、校内順位最下位だし」

「忘れてたーーー!!」

 僕はorzの感じで屋上に突っ伏しつつ、自分の浅はかさを呪った。

 あの時はどうせ死ぬんだから……、と行動したが、この状態で生きるのは辛すぎる。

 ……仕方ない、か。

「さらばっ! この世界よっ!!」

「何してるの、神無君!? 屋上から飛び降りたらさすがのヒーローでも死んじゃうよ!」

「HA☆NA☆SE!! ヒーローだったら飛べるハズだ!」

「じゃあ、神無君はヒーローじゃないよ! ただの『ゴミクズ』だよっ!!」

「はうわっ!」

 ゆとりの一言が強烈過ぎて、再び地面に突っ伏す僕……。

 しくしく……。

僕のステータスが……。『優等生』という唯一の取り柄が……。

「泣かないで……神無君……。神無君がどんなにダメな子でも、あたしが一緒にいてあげるから……」

「アホの子に言われたくない」

 聖母の笑みを浮かべるゆとりを、キッと睨みつけて断言した。

「ひどくない!? せっかく言い方をソフトにするために『ゆとり』と『ギゼンシャ』にしたのに!」

「ゆとりも偽善者もアホの子もゴミクズも同じだぁぁぁぁああああああああああああ!!」

 早朝の屋上に、優等生、もといゴミクズの絶叫が響き渡った。

「うう~~~! ……嫌なの?」

 両手の人差し指をつんつん突き合わせながら上目遣いに僕を見るゆとり。

「…………はぁ」

 本当は嫌で嫌でしょうがないけど。

 こいつに付き合うのは面倒この上ないけど。

 今でも紗夜のいる『あっち』に行きたい気持ちはあるけど。

 それでも、もう少しくらいはこいつと一緒に……バカなことしながらこの世界を生きるのも、悪くない気がした。

 しかし……せっかくだから、もう少しご褒美を貰っておくことにしよう。

「わかったよ……そこまで言うならお前の変な部活動に付き合ってやるのもやぶさかじゃない。ただし、条件がある!」

「条件……?」

「ああ。お前がどう思っているかは知らないが、僕は今回、とてつもなく疲れたんだ。僕なりに一生懸命頑張ったんだ」

「そ、それはちゃんと知ってるよ!」

 うんうん、と両手の拳を握り締めながら同意を示すゆとり。

 彼女はまだ、気づいていない。

 ――勝負は、すでに始まっているということに。

「それなのに、そのお礼がお前からの一方的なキスだけなんてあんまりじゃないか? もちろん、乙女の口付けがどれほど価値のあるものかは理解しているつもりだが……それにしたって今回、僕は数え切れないくらいの命を失ったんだ」

 マジで百六回以上失っちまったよ……。

 若干さっきまでの戦闘を思い出してブルーになっている僕に構わず、ゆとりは学園長など比較にならないほど従順に、僕の敷いたレールを走ってくれる。

「そ、そうだね! わかった! わかったけど……でも、さすがにこれ以上は……え、えっちぃのはダメだからねっ!? これ以上はもうちょっと待って!」

 ……待てばオーケーなのか?

 両手で体を抱いているゆとりを見て素朴な疑問が湧いたが、そんなことはどうでもいい。

 計画通り!

 僕は、ゆとりの全身を舐めるように見渡す。

 頭のてっぺんからつま先まで、ゆっくりと。

 ……若干赤い顔でゆとりが目を瞑り震えていたが、気にしない。

 ゆとりはベッドの脇にあった服で着替えたのか……朝霧学園の制服に身を包んでいる。その……魅惑の『ひらひら』に、焦点を合わす!

「てりゃっ!!」

 ふわり。

 ゆとりの制服のスカートが、綺麗な曲線を描いて宙を舞った。

 通称、スカート捲り。

 子供の頃から優等生を演じて来たがために機会を逃し、これまで一度も叶わなかった僕の夢。それが今、ようやく叶った。さすがは『世界で最も夢に近い場所』だ。

 高校にもなると下に体操服を着ているため、捲った後の感動こそないが……この手ごたえ、病みつきになりそうだぜ!(本当に病気じゃね? 的なツッコミは不可)

 ――と、そんな感動に打ち震えていると。

 ふわりと舞う魅惑のひらひら、その隙間から純白の布地が。

「…………」(←想定外の状況に硬直する僕)

「…………」(←予想外の行動にスカートを押さえるのすら忘れて硬直するゆとり)

 …………。

 ……………………。

 あ、あるぇ~?

「な、なんでユカリサンはスカートの下に体操服をご着用されていらっしゃらないんでせうか……?」

「体育がない日に……」

 ぷるぷると震えるゆとり。

 その顔は、羞恥とは違う理由で赤くなっている。

「体操服なんて着ないもんっ!! 神無君のバカぁ! えっち! ヘンタイ! ゴミクズ~~~!!」

「ぎゃあああ~~~!! ゆかりさん、落ち着いて! 痛っ!! やめて! 屋上の床のコンクリート片は地味に痛いです!!」

 叫びながら、ゆとりに占拠されていない側の、一階まで続く螺旋階段に走る。

「もうっ! せっかくいい雰囲気で物語のラストみたいだったのにっ!! 神無君はやっぱり王子様でもヒーローでもないっ! ギゼンシャのゴミクズだよーーーっ!!」

「それは手のひら返しすぎじゃね!? って、痛っ! すいません! 全面的に私が悪ぅございました! スカート捲りなんて、さすがの紗夜もさせてくれなかったもので、つい出来心が……!」

「ああーーーーー!? あたしを誰か他の女の代わりにしたって言うのねーーー!? 最っっっ低!! 神無君それでもヒーローなのーーー!?」

「ち、違っ!? そういうわけじゃ!?」

 僕の『優等生』という評判をガスガス下げかねない内容を大声で叫びながら、ゆとりと僕は螺旋階段を下っていった。

 幸いだったのは、早朝のため生徒が皆無であろうことと、僕はもうとっくに優等生じゃない『ゴミクズ』になってしまっていたということだ。


 早朝の気持ちいい空気と静寂をぶち壊しながら、どこまでもどこまでも、ゆとりと二人で螺旋階段を下っていく。


 街の朝霧が、晴れ渡っていく。


 太陽の光を浴びてキラキラと輝く螺旋階段は、まるでこの世のものではない、天国から続いている階段のようで。


 それを地上に向けて下る僕たちは天使みたいだな、と、そんならしくないことを考え、僕は少しだけ笑った。

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