聖女マリカ・ソーダの受難~みんな、聞いて。この人たち、酷いのよ。わたくしに、休みなく、睡眠時間もなく、お給料も出さないけれど、国を救えだなんて迫るの~
黒い大理石の上に、白い線で描かれた魔法陣があった。
魔法陣を囲んで立つのは、黒装束の魔導士たち。
白い光が室内にあふれ、次の瞬間、魔法陣には一人の少女が横たわっていた。
「やったぞ! 光属性の魔力だ!」
「おお、すごい魔力量!」
「成功です! 聖女召喚、成功しました!」
魔導士の一人が、後ろをふり返る。
そこには、この古き伝統あるトリスティス王国の第一王子であるフェリックスの姿があった。
フェリックスは、いかにも王子様といった外見だ。長い金髪に青い瞳で、整った顔立ち。服装も騎士服をベースにした青い衣である。
「よくやった! これで我が国は救われる!」
フェリックスは右手の拳を天に向かって突き上げた。
「殿下、おめでとうございます!」
フェリックスの側近である宰相の長男シャルルが、恭しく礼をする。
シャルルもまた、素晴らしい美男だった。銀髪を短く切りそろえ、紫色の瞳は宝石のよう。衣は、文官の制服。フェリックスと同様、背も高い。
「シャルル、あの茶色の髪、あれは茶髪なるもので間違いないな!」
「ええ、殿下! 間違いないでしょう!」
「あの短いスカート、膝下までのソックス、ローファーなる奇妙な靴」
「ブラウスなる奇妙な半袖の服に、ネクタイもしておりますね。『コウコウ』なるものの制服で間違いないかと」
二人は少女を見ながら語り合う。
少女は、鈍色の瞳でゆっくりと周囲を見まわした。
「ここは……?」
のろのろと立ち上がり、スカートのひだを整える。
「ようこそ、聖女様。我がトリスティス王国へ!」
フェリックスは聖女の前に歩み出た。
「あなたは……?」
「私はこの国の第一王子、フェリックスだ。フェリックス、と気軽に呼び捨ててほしい」
「これはどういうこと……?」
聖女は不安げに魔導士たちを見ていた。
「まずはお名前を教えていただいても? ああ、姓名というのだったか?」
フェリックスは聖女にやさしくほほ笑みかけた。
「名はマリカ、姓はソーダ」
「おお、やはり! ソーダ・マリカ様!」
フェリックスは遠慮なくマリカの両手を握った。
マリカはかすかに眉をひそめる。
「これは淑女に対して失礼」
フェリックスはすぐに両手を放した。
「それで……、フェリックス……。これはどういう……?」
「知りませんか? 聖女召喚という儀式です。マリカ様は、この世界に聖女として招かれたのです」
フェリックスはマリカの前でひざまずいた。他の者たちも、一斉にひざまずく。
「この世界……? なにを言っているの……?」
「マリカ様、戸惑うのも無理はありません」
そう言いながら、フェリックスが立ち上がる。他の者たちも、続いて立った。
「エスコートしましょう」
フェリックスはマリカの横に並び、腕をさし出した。
マリカは不安そうに、その腕に片手を添える。
「さあ、こちらへ」
シャルルが部屋の扉を開ける。
フェリックスはマリカを伴って歩き出した。
扉の外には、上へと続く階段がある。
「あの……、ここは……? この建物は……?」
「我が国の王宮ですよ」
「王宮の地下……」
マリカがふり返ると、後ろにはシャルルがいた。
「マリカ様は、『コウコウ』に通っていたのですよね?」
「ええ。三年生の夏休み目前でした」
「そうなのですね」
フェリックスは、ふっ、と笑うと、話を続けた。
「マリカ様には、この世界を救っていただきたいのです」
「世界を……救う……?」
「これから、この世界をお見せしますよ」
フェリックスは階段の上にあった木の扉を自ら開けた。
そこから豪華な赤い絨毯の敷かれた廊下を通り、小さな扉から城の外に出る。
城の外の空には、分厚い灰色の雲が垂れこめていた。
「この国の空は、雨も降らせない無意味な雲によって、このように覆われています。第二王子が魔術に失敗して、このザマなのです」
「魔術の失敗……。なぜ、そんなことに……」
「あいつは第二王子ながら、正妃の子供なのです。魔力量も足りないくせに、『雨乞いの魔歌』というものを歌ったのですよ。第一王子である私を押しのけ、自分が王太子となるために……。完全なる私利私欲です」
フェリックスは声に怒りをにじませた。
「それで、聖女召喚をしたのですね」
「そうなのですよ! 聖女様を得て、空を戻し、私が王位を継ぎ、国と民を守るのです!」
マリカは、すっ、と片手を天に伸ばした。
指先から、強い光が一筋。
光は、分厚い雲を貫いた。
その小さな穴からは、青い空が見えていた。
「おおっ! だが、穴が小さいな……」
フェリックスは不満げに言ってから、少し慌てて顔に笑みを貼り付ける。
「殿下、マリカ様は初めて奇跡を起こされたのですから」
シャルルが後ろからフォローを入れる。
「ああ、そうだな! もちろん、私にもわかっている!」
「マリカ様、素晴らしいお力でした。大丈夫ですよ、これから聖殿に入って不眠不休で鍛錬を積めば、広範囲の空を浄化していただけるようになりますからね」
シャルルがマリカを安心させるようにほほ笑んだ。
「不眠不休……。この国では、聖女を寝かせず、休ませず、働かせるの?」
マリカが問いかけると、フェリックスとシャルルの笑顔が強張った。
「そんな、とんでもない! 我が国はアットホームなのです!」
フェリックスとシャルルは、唐突に肩を組んだ。
「アットホーム……?」
「みんな、仲良し。わかりますね?」
フェリックスが片言になる。
「聖女様には、昼休憩を挟んでの八時間労働や、週休二日制を導入し、残業代もお付けしています」
とシャルルが言うと、フェリックスが強くうなずく。
「夏と冬のボーナスだってある!」
「保養所として、山の温泉と海辺のコテージがあります。いつか共に行けると良いですね」
「年末年始の休暇、ゴールデンウイークなる連休、お盆休み、シルバーウイークなる秋休み! 祝日なる単発の休みもあるのだ!」
二人の言葉を聞き、マリカは小首を傾げた。
「まだ『コウコウセイ』には馴染みがなかったかな? 社会人とかいった者たちにとっては、大事なことのようなのだが……」
「難しいようでしたら、すべて忘れていただいて構いませんよ」
シャルルが気遣うように言いながら、フェリックスの肩から腕を外した。
「この国を救うために、全力で取り組んでほしい」
フェリックスとシャルルは、二人揃って嫌な笑み浮かべ、マリカを見下ろしていた。
「マリカ様、聖女というのは清らかで尊い仕事なのだ。この国と民、そして、私やシャルルを助けてほしい」
マリカは返事をしなかった。
ただ静かに、二人の様子を見つめていた。
――その時、爆音と共に、城の尖塔の一つが崩れ去った。
マリカは動じることなく、灰色の空へと目を向ける。
「何事だ!?」
「殿下、空に何者かが!」
シャルルが指さした先には、一人の男が浮かんでいた。
長い黒髪を一つに束ね、黄金の瞳で地上を睨んでいる。
細身の身体を包んでいるのは、黒い騎士服のような衣。
羽織った赤いマントには、黄金の鎖。
「マリカ、迎えに来た」
「カイ!」
マリカは男の名を呼んだ。
男は表情を変えることなく、足から地上に下りてきた。
「カイだと!? あの黒髪! 日本人か!?」
「なぜです!? なぜ、召喚した聖女に、知り合いが!?」
王宮からは、爆音に驚いた人々が次々と走り出てきていた。その中には、国王と王妃の姿もあった。
国王と王妃はカイの前に走り出ると、ひざまずく。
「レモネード皇国の皇太子殿下であられますな?」
国王がカイに問いかけた。
「いかにも。カイ・レモネードである」
カイが名乗った、その時――。
空に稲妻が走った。雷鳴と共に、カイの隣に一人の男が降り立つ。
「カイ、先走るな」
皇国騎士団の団長の息子であるアントン・ティーだった。
さらに天から下りてくる者が、もう二人。
レモネード皇国の宰相の息子である侯爵令息ラインハルト・コーラ。
いずれ皇国一の大商会を継ぐ子爵令息ヨーゼフ・ココア。
「フェリックス、シャルル、ひざまずくのだ!」
国王が二人を怒鳴りつける。
「これは一体……。レモネード皇国の皇太子らが、なぜ……?」
フェリックスが、ひざまずいて問いかける。
マリカがカイたちのところに歩いていった。
「私のお姫様、無事だったかい?」
カイはマリカに蕩けるような笑みを向ける。
「ええ。カイ、着替えたのね」
「この姿なら、私が誰だか、すぐわかるだろう。私の地位が役立つこともあると思ってな」
カイはマリカの手を取り、指先に口づける。
「なぜだっ、貴様ら! なぜ、我が国の聖女を奪おうとしたのかっ!」
アントンが吠えた。トリスティス王国の者たちは、揃って身を縮める。
「申し訳ございません。我が息子が、まさか、レモネード皇国の聖女様を誘拐するなど……」
国王が震える声でカイに言う。
「みんな、聞いて。この人たち、酷いのよ。わたくしに、休みなく、睡眠時間もなく、お給料も出さないけれど、国を救えだなんて迫るの……」
マリカの目から、涙が一筋、流れ落ちた。
「いや、そんな、言っていない……! すごい高待遇を約束しただろう!?」
そう叫んだフェリックスの身体が、赤い光に包まれる。
「殿下、赤です。強い嘘の反応です」
いずれ大商人となるヨーゼフの言葉に、カイが一つうなずく。
「マリカを泣かせるとは許せぬ」
脳筋のアントンが、不器用な手つきでマリカの涙を拭う。
その横では、宰相の息子ラインハルトが、レモネード皇国の国王と王妃、重臣たちに、この場の映像を送り続けていた。
この後、レモネード皇国の領土が増えた。
かつて、トリスティス王国と呼ばれた土地である。
聖女を誘拐した邪悪なる者たちは、全員が処刑された。
――皇立ジンジャーエール高等魔法学園。
通称、『皇高』。
王族も通う伝統校の中庭から、一人の少女が消えた。
平民聖女であるヒロイン、マリカ・ソーダ。
三年生の夏休み前。
逆ハーレムエンドが、ほぼ確定している時期のことだった。




