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代償を回収せよ

作者: 杵島 灯
掲載日:2025/12/30

(わたる)、まだ起きてるの?」

「ああ……」

「明日は土曜日だし、会社が休みなのも分かるけど。ちょっとやりすぎじゃない?」

「こいつに勝てないんだよ……あ」


 スマートフォンの画面の中で「敗北」の文字が躍る。俺が迷わず「再戦」の文字を押すと、横で実里(みのり)のため息が聞こえた。


「私、眠いからもう寝るね」

「ああ……」

「明日の朝食当番は私だからちゃんと作るけどさ。起きなかったら、怒るよ?」

「おお……」


 俺が画面から顔を上げずに答えると、実里は「もう」と呟いて立ち上がる。寝室の扉が閉まると同時に気の滅入る音楽が流れ、またしても「敗北」という文字が現れた。


「……クソッ、また負けた」


 液晶画面の中では、不気味な仮面の男が肩を揺らして笑っていた。


 このところSNSでよく広告を見かけるダークファンタジーRPG『ロスト・バイザー』、このゲームを俺が始めたのは昨日の夜のこと。瞬く間にのめり込み、課金までしたものの、期間限定イベントらしいボスには勝てないままでいる。


「どうすりゃいいんだよ」


 俺は恋人の実里が寝室に行ってからも連敗を重ね続け、気がつくと画面に表示された時刻は午前二時だ。

 さすがに寝ようかと「降伏」を押すと、画面に不気味なダイアログが表示された。


『それでは敗北の代償を貰い受けよう』


 なんだよそれ、聞いてないぞ?

 だがインベントリを確認しても、課金石も装備も減っていない。

 バグか、あるいは初心者特典で免除されたのだろうか。


「ま、いっか」


 俺はゲームからログアウトし、寝室のベッドにもぐりこんだ。

 横の実里の寝息を聞いた記憶もないまますぐ眠りに落ち、目を開けると六時五十分。せっかくの土曜日だというのに、社畜の習性とは悲しいものだ。

 二度寝をしようかと思ったが、ベーコンの焼ける香ばしい匂いが空腹を刺激する。見れば隣のベッドに実里の姿はなく、既にきちんと整えられていた。同棲してから二年、実里は毎回の食事当番をサボったことはない。……だらしない俺とは違って。


 昨日の俺は帰って来てからずっとゲームをしていた。実里の話すらほとんど聞いていない。

 今日はゲーム画面を開かず一緒に過ごそうか。そうだ、買い物に行くのもいいな。

 俺は一度あくびをし、立ち上がって寝室のドアを開ける。


「実里、おは……」


 言いかけて俺は凍り付いた。


 テーブルに置かれた皿には目玉焼きとベーコンが乗ってる。横にはレタスとトマトのサラダも。トースターからはちょうど「チーン」という音が鳴って、テーブルのコーヒーメーカーにはできあがったコーヒーがある。先週でかけたときに買った、ちょっといいコーヒー豆で淹れてくれたんだろうな。

 見慣れた朝食の光景だ。だけど、決定的に違うものがあった。


 エプロンを付けた実里の体の上に、首がない。


 比喩ではなくて文字通りだ。切り口があるわけでも、血が流れているわけでもないのに、実里の首の付け根から上が綺麗さっぱり「無」になっている。まるでマネキンの首を落としたかのように。


 目をごしごしこすってみるけど、何も変わらない。ぼやけた視線の先で彼女がこちらを振り返る。当然ながら顔はなく、目も口もないのだが、彼女が右手を軽く振る仕草は同じ。俺の脳内にはハッキリ「おはよう、航!」という明るい声が再生された。

 呆然と立ち尽くしていると、彼女 (の体)は腰に手を当て、少し呆れたように肩をすくめた。その動作は、「寝ぼけてるの? ほら、おはようは?」と小言を言ってるときの行動そのものだった。


 どうやら俺は寝ぼけてるらしい。きっとそうだ。


 俺は回れ右をして、そのままベッドへダイブした。

 枕元でスマートフォンが震える。通知画面を見るとメッセージがきていた。宛先は昨夜の仮面の男からで、内容はただ一言だけ。


『代償は受領した』


 ……代償。

 その文字を見た瞬間に思い出したのは昨夜のゲームの敗北だ。

 代償という言葉、そして何も減っていなかったインベントリの中身と、実里の首。これらが最悪な形で噛み合わさる。


「……ふざけんな。実里は関係ないだろ!」


 叫んだが、もちろん返事はない。

 俺は縋るような思いでSNSのタイムラインを開いた。ハッシュタグ『#ロスト・バイザー』は今も盛り上がっている。その中に何か実里の状況を打破するヒントはないのか?


『負けすぎて草。代償とか中二病っぽくていいわーw』

『昨日から首のアクセサリ消えてるんだけどバグ?』


 軽い言葉が並ぶ。誰も実里のようなことにはなっていない。

 スクロールしていた指を俺はふと止めた。


 ……いや……。


 アップされている一枚の写真に違和感があった。コメントには『兄貴と一緒にゲーム中!』と書かれているが、その“兄貴”の首から上に違和感がある。まるで不自然に塗りつぶされているみたいだ。この兄貴も、実里と同じことになってるんじゃないか?


 もしかしたら俺は何かミスをしたのか?

 俺はアプリを起動する。ただしゲームを開始するわけじゃない。呼び出したのは規約だ。

 ずらっと並ぶ文章を読んでいると、途中に線を発見した。


「こんなところに、線?」


 違和感を覚えた俺は線をピンチアウトして、限界まで拡大してみた。

 それは線ではなく文字だった。


『本サービスは、ユーザーにとって最も価値ある“頭部”を、デジタルまたはアナログの形態を問わず回収する権利を有します』

『回収はランダムに行われます。また、頭部の回収対象はユーザーだけではなく、ユーザーと同居する人物も含まれます』


 なんだ、これは!


「ふざけんなよ……!」


 俺の声を聞いたかのように、またスマートフォンが震えてメッセージが届いた。


----------


【回収任務】

違和感が“日常”として溶け込む前に――。


[再戦:奪還する] [降伏:所有権を譲渡する]


----------


 息をのむ俺の背後で扉が開く。ゆっくり振り返ると、首のない実里が立っていた。こちらへ体を傾けるその仕草は「ねえ、コーヒーはブラックでいいんだっけ?」と言ってるように思えた。

 俺は立ち上がり、頭のない肩を抱きしめる。


「……俺のせいで、ごめん」


 返事はない。だが、彼女の手が優しく俺の背中を叩いた。


 体を離した俺はスマートフォンを掴み、ゲームの画面を起動する。

 画面に男が映り、仮面を取った。そこに顔はなかった。表情は分からないが、俺には笑っているように見えた。この状況を楽しんでやがる。


「実里、待っててくれ」


 俺は震える指で[▶再戦:奪還する] をタップした。すべては、“いつもの日常”を取り戻すために。

こちらは「年納め紅白執筆合戦2025」参加作品です。


読んでいただきましてありがとうございました。

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