代償を回収せよ
「航、まだ起きてるの?」
「ああ……」
「明日は土曜日だし、会社が休みなのも分かるけど。ちょっとやりすぎじゃない?」
「こいつに勝てないんだよ……あ」
スマートフォンの画面の中で「敗北」の文字が躍る。俺が迷わず「再戦」の文字を押すと、横で実里のため息が聞こえた。
「私、眠いからもう寝るね」
「ああ……」
「明日の朝食当番は私だからちゃんと作るけどさ。起きなかったら、怒るよ?」
「おお……」
俺が画面から顔を上げずに答えると、実里は「もう」と呟いて立ち上がる。寝室の扉が閉まると同時に気の滅入る音楽が流れ、またしても「敗北」という文字が現れた。
「……クソッ、また負けた」
液晶画面の中では、不気味な仮面の男が肩を揺らして笑っていた。
このところSNSでよく広告を見かけるダークファンタジーRPG『ロスト・バイザー』、このゲームを俺が始めたのは昨日の夜のこと。瞬く間にのめり込み、課金までしたものの、期間限定イベントらしいボスには勝てないままでいる。
「どうすりゃいいんだよ」
俺は恋人の実里が寝室に行ってからも連敗を重ね続け、気がつくと画面に表示された時刻は午前二時だ。
さすがに寝ようかと「降伏」を押すと、画面に不気味なダイアログが表示された。
『それでは敗北の代償を貰い受けよう』
なんだよそれ、聞いてないぞ?
だがインベントリを確認しても、課金石も装備も減っていない。
バグか、あるいは初心者特典で免除されたのだろうか。
「ま、いっか」
俺はゲームからログアウトし、寝室のベッドにもぐりこんだ。
横の実里の寝息を聞いた記憶もないまますぐ眠りに落ち、目を開けると六時五十分。せっかくの土曜日だというのに、社畜の習性とは悲しいものだ。
二度寝をしようかと思ったが、ベーコンの焼ける香ばしい匂いが空腹を刺激する。見れば隣のベッドに実里の姿はなく、既にきちんと整えられていた。同棲してから二年、実里は毎回の食事当番をサボったことはない。……だらしない俺とは違って。
昨日の俺は帰って来てからずっとゲームをしていた。実里の話すらほとんど聞いていない。
今日はゲーム画面を開かず一緒に過ごそうか。そうだ、買い物に行くのもいいな。
俺は一度あくびをし、立ち上がって寝室のドアを開ける。
「実里、おは……」
言いかけて俺は凍り付いた。
テーブルに置かれた皿には目玉焼きとベーコンが乗ってる。横にはレタスとトマトのサラダも。トースターからはちょうど「チーン」という音が鳴って、テーブルのコーヒーメーカーにはできあがったコーヒーがある。先週でかけたときに買った、ちょっといいコーヒー豆で淹れてくれたんだろうな。
見慣れた朝食の光景だ。だけど、決定的に違うものがあった。
エプロンを付けた実里の体の上に、首がない。
比喩ではなくて文字通りだ。切り口があるわけでも、血が流れているわけでもないのに、実里の首の付け根から上が綺麗さっぱり「無」になっている。まるでマネキンの首を落としたかのように。
目をごしごしこすってみるけど、何も変わらない。ぼやけた視線の先で彼女がこちらを振り返る。当然ながら顔はなく、目も口もないのだが、彼女が右手を軽く振る仕草は同じ。俺の脳内にはハッキリ「おはよう、航!」という明るい声が再生された。
呆然と立ち尽くしていると、彼女 (の体)は腰に手を当て、少し呆れたように肩をすくめた。その動作は、「寝ぼけてるの? ほら、おはようは?」と小言を言ってるときの行動そのものだった。
どうやら俺は寝ぼけてるらしい。きっとそうだ。
俺は回れ右をして、そのままベッドへダイブした。
枕元でスマートフォンが震える。通知画面を見るとメッセージがきていた。宛先は昨夜の仮面の男からで、内容はただ一言だけ。
『代償は受領した』
……代償。
その文字を見た瞬間に思い出したのは昨夜のゲームの敗北だ。
代償という言葉、そして何も減っていなかったインベントリの中身と、実里の首。これらが最悪な形で噛み合わさる。
「……ふざけんな。実里は関係ないだろ!」
叫んだが、もちろん返事はない。
俺は縋るような思いでSNSのタイムラインを開いた。ハッシュタグ『#ロスト・バイザー』は今も盛り上がっている。その中に何か実里の状況を打破するヒントはないのか?
『負けすぎて草。代償とか中二病っぽくていいわーw』
『昨日から首のアクセサリ消えてるんだけどバグ?』
軽い言葉が並ぶ。誰も実里のようなことにはなっていない。
スクロールしていた指を俺はふと止めた。
……いや……。
アップされている一枚の写真に違和感があった。コメントには『兄貴と一緒にゲーム中!』と書かれているが、その“兄貴”の首から上に違和感がある。まるで不自然に塗りつぶされているみたいだ。この兄貴も、実里と同じことになってるんじゃないか?
もしかしたら俺は何かミスをしたのか?
俺はアプリを起動する。ただしゲームを開始するわけじゃない。呼び出したのは規約だ。
ずらっと並ぶ文章を読んでいると、途中に線を発見した。
「こんなところに、線?」
違和感を覚えた俺は線をピンチアウトして、限界まで拡大してみた。
それは線ではなく文字だった。
『本サービスは、ユーザーにとって最も価値ある“頭部”を、デジタルまたはアナログの形態を問わず回収する権利を有します』
『回収はランダムに行われます。また、頭部の回収対象はユーザーだけではなく、ユーザーと同居する人物も含まれます』
なんだ、これは!
「ふざけんなよ……!」
俺の声を聞いたかのように、またスマートフォンが震えてメッセージが届いた。
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【回収任務】
違和感が“日常”として溶け込む前に――。
[再戦:奪還する] [降伏:所有権を譲渡する]
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息をのむ俺の背後で扉が開く。ゆっくり振り返ると、首のない実里が立っていた。こちらへ体を傾けるその仕草は「ねえ、コーヒーはブラックでいいんだっけ?」と言ってるように思えた。
俺は立ち上がり、頭のない肩を抱きしめる。
「……俺のせいで、ごめん」
返事はない。だが、彼女の手が優しく俺の背中を叩いた。
体を離した俺はスマートフォンを掴み、ゲームの画面を起動する。
画面に男が映り、仮面を取った。そこに顔はなかった。表情は分からないが、俺には笑っているように見えた。この状況を楽しんでやがる。
「実里、待っててくれ」
俺は震える指で[▶再戦:奪還する] をタップした。すべては、“いつもの日常”を取り戻すために。
こちらは「年納め紅白執筆合戦2025」参加作品です。
読んでいただきましてありがとうございました。




