ブフーの刃 ― 第五話:二人の氷室
地下病棟、監視室。
公安警部補・氷室綾音は、昏睡から目覚めた男を前に、銃を構えていた。
目の前の男――笠松潤は、確かに犯罪者だ。
だが今、その口から漏れた言葉は、明らかに叔父・氷室警視正の言い回しだった。
「あなたは引き金を引けるかい? “正義のためなら、家族を撃てる覚悟が警察官には必要だ”――昔、あなたの叔父が、よく言っていたでしょう?」
「……黙れ」
「声のトーン、間合いの癖、ちょっとした皮肉の混ぜ方。私の中の“氷室”が教えてくれる。これは、彼の戦法だった」
「黙れって言ってんだよ……ッ!!!」
綾音が引き金を引こうとした瞬間、病室のガラスがバン!と割れた。
「侵入者!? いや、内側から……!」
笠松潤は、ベッドの拘束具を“ブフーの包丁の欠片”で切断していた。
彼の背中には、小さな“黒い腫瘍”のようなものが脈打っていた。
それは“氷室の肉”から生えた、知性の寄生器官だった。
■ 「共食い人格」
潤は語る。
「ブフーの包丁が能力を取り込むとき、“肉の記憶”を消化するんだ。
でも氷室の肉は、強すぎた。俺の中で“氷室人格”が生まれ、自己主張してくる……」
「それでも、使える。“俺”と“氷室”――正反対の精神が、ひとつの身体に入ってる。
論理と本能、正義と飢え、理性と殺意……」
そして――
「いまの俺は、“最強の捜査官”であり、“最凶の通り魔”だ」
■ 「あなたが、それでも叔父だというなら」
綾音は震えながらも銃口を下げない。
「だったら言ってみろ。“氷室”なら――どうする。自分を喰った殺人鬼を前に、何を言う……?」
潤はふと、沈黙し――
微笑んだ。
「……“お前の責任で、俺を止めろ”だよ。きっと、そう言う」
パンッ!
銃声が響いた。
弾は潤の肩を貫通したが、彼は微動だにしない。
「いいね……その覚悟。“氷室綾音”って人間、嫌いじゃない」
彼は窓から飛び降りた。
病院の地下排水路へと逃走。
直後、非常警報が鳴り響く。
■ 「胃袋の民」、次の手
その夜、組織「胃袋の民」は宣言する。
「“新生・笠松潤”の誕生をここに告げる。彼は氷室の知能、国家の戦術、そして我々の信仰を宿した存在。
“人類の進化形”が、ついに地上に放たれた」
「目標はただひとつ――すべての職業・階級・知能・権力を“喰う”こと。
日本という社会の“全スキル”を、ひとつの肉体に凝縮させる」
「その名も――“完全胃体計画”」
■ エピローグ:綾音の決意
警察庁地下。
綾音は特別室で報告書を書きながら、自らの肉を見つめていた。
「叔父さんの意思は……もう外にはない。あの男の中にあるなら――私の肉で上書きしてやる」
彼女はブフーの包丁の“複製品”を机に置く。
「――私も、喰う。私の正義を、あなたに叩き込むために」