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リブート・オブ・アーク  作者: 和幸雄大
第1部:滅びの姫と眠りし少年
9/12

第8話 : 祈の洞窟 (いのりのどうくつ)

雪がすべての音を奪い、人々の言葉さえ凍る。


夜明け前、ロスヴァルの灯が背中でほどけていく。

雪は細く、風は針のように頬を刺す冷たさだ。


私とアオは、言葉を多く語らない歩幅で、

北の外れに続く獣道を抜け、目的の洞窟を目指して歩いた。


「――体は大丈夫? 疲れてない?」


アオが私に問いかけてくる。


「平気。手は、まだ震えていないわ」


私が冗談ぽく答えると、彼は微かに笑って言った。


「震えたら言って。凍傷は、“強さ”では治らない」


アオは足裏の置き方を身振りで示す。

踵を落とさず、爪先を雪に“載せる”歩き方。


ノア=アークで教わった険しい道の歩き方が、

こんな雪道でも役に立つのだと、私は少しだけ勇気づけられた。


道の途中、黒い棒のようなものが丘の上に突き刺さっていた。

アオが義手をかざし、慎重に調べている。


「監視塔か何かの残骸みたいだ」


私もよく観察すると、柱の根に焼け跡が残っている。

つい最近まで“監視塔”があったのだ。


なぜそれが燃え落ちているのかは分からない。

アオの見立てでは、二、三日は経っているという。


「……ここをすぐ離れよう」


アオの言葉にうなずき、フードを深く被った。


やがて谷を横切る冷たい風が止み、空気が巻き返す。

そこに、雪庇が張り出した洞窟の口が現れた。

入口は半分ほど氷で塞がれ、まるで息をしていない獣の口のよう。


「ここね」


「うん。……入ろう」


身を屈め、氷の縁を壊さないように内部へ滑り込む。

外より暖かく、音がすぐに吸い込まれる。

自分の呼吸が、思った以上に大きく聞こえた。


奥へ進むと、壁の石が黒く締まり、

やがて――岩ではない、冷たい金属に指が触れた。


「……金属?」


指先の感触に、古い夢の欠片が疼く。

王城の地下――封印庫の床と、どこか似ている。


苔に覆われた灰青の板。

薄く擦れた文様。王家の紋章に似ている……気がした。


触れた瞬間、ほんの一呼吸だけ、紋が青く灯る。

すぐに消えた。

幻だったのではないかと思うほど、短い光だった。


「今の、見た?」


「……見た。」


アオは義手を壁に近づけ、音もなく指先を滑らせる。

光った場所を重点的に義手をかざして調べたが、得るものはなかった。

私たちはさらに奥へ進むことにした。


足音の響きが変わる。

乾いた反響から、鈍くこもった音へ。


「音が違う」


「うん。洞窟の形が“設計”されてる。自然の洞窟じゃない」


金属の床にうっすらと継ぎ目が現れはじめた。

苔と霜に隠れていた“扉”の輪郭――けれど、押しても開かない。


私は手を当てた。

祈るためではない。

呼吸を整え、魔力の流れを手の“縁”に薄く乗せる。


「鍵穴ではない……。」


鍵穴に見える場所に、鍵穴らしき形跡だけが壁に残っている。

手を離すと、冷たい鳥肌が腕を走った。


「あとで、詳しく調べてみよう」


アオが囁く。

うなずこうとしたその時――。


「動くな」


洞窟の暗がりから、低い声。

反射的に私は一歩下がり、アオは肩を私の前に出す。


暗闇から現れたのは、粗末な毛皮と革鎧の男たち。

額に古い傷、手には弓。三人……いや、四人目の足音。


「何者だ」


低く押し殺した声。

この山の空気に馴染んだ足運び。訓練された気配。


私はフードを浅くずらし、声の質を少しだけ変えた。


「旅の治癒師と護衛です。峠を越え、戻る途中。

……ここは祈りの洞だと聞きました」


一瞬の沈黙。

二人目が弓矢を、わずかに構えた。


最初の男が近づこうとした時、アオがさりげなく一歩出る。

義手の内側で極薄の金属が擦れる音。

私は肩を触れ、制した。


「治癒師なら――仮面を外して治癒光を見せろ」


「事情があって、仮面は外せない。」


アオが、間断なく返答する。


私は短く息を吸い、手の平にほんの少しだけ魔力を乗せた。

手の平の皮膚と空気の境が、薄く青く揺らぐ。


洞窟の壁に、花びらの縁だけを描くような淡い光が走った。


「……その治癒光を、知っている」


弓矢を持つ男の手が下り、男の声音が崩れた。

背後で息を呑む音。

三人は目配せを交わし、先頭の男が膝をついた。


「レグノルの――」


私は首を横に振った。


「……リナ。旅の治癒師よ」


男はなにかを察したように表情を和らげる。


「俺はバルド。……ここで死んだ者たちを見張っていた。

神への祈りは届かないが、死体は狼に食わせたくない」


“祈りは届かない”。

あまりにも静かな言い回しに、胸が締めつけられた。


「手当の要る者は?」


「いる。……来い」


細い通路を抜け、灯りの少ない広間に出た。

苔と乾いた薪、簡素な寝台。

血色の悪い少年が横たわっている。

肩口の噛み跡。凍傷による壊疽が始まりかけていた。


私は背負袋を下ろし、息を整える。

アオは壁を見回し、何かを探している。


「治癒を始めるわ。――動かさないで」


手をかざし、“治癒の光”を少年の上に落とす。

壊死しかけた組織の境界を、指でなぞるように薄く温めた。

少年の呼吸が、ゆっくり安定していく。


「すぐには歩けない。……朝まで休ませて」


「助かる」


バルドの声が震える。

私は少年の額の汗を拭い、立ち上がる。

その時、アオの肩がゆっくりこちらへ傾いた。


「……聞こえる」


「何が?」


「息。壁の向こうから。機械の、“寝息”。」


私は耳を澄ます。聞こえない。

けれど、彼は“それ”を知っていて私にわかるように教えてくれた。


指が壁の一点を示した。かすかな擦れ跡。

剣の鞘か槍の柄か――人が何度も触れた跡。

扉らしきものが、その先にあった。


「開けるな」


バルドの声が低く響いた。

その声音には恐れとも怒りともつかない色が混じる。


「昔、ここは祈りの洞じゃなかった。

もっと昔――街の爺さんが言ってた。

“邪神”が地の底で眠ってる、と。

開いたら、村がひとつ消える。だから祈り場にしたんだ」


アオがうなずいた。


「今は、開けないほうがいい」


義手の端末を壁から数センチだけ離し、空気を撫でる。

微かな、機械のため息。


『……――……セ……パ……レ……』


聴き取れないほどの声。

風の鳴き声にも似た、断片の囁き。


「いまのは?」


「……“分離”。言葉の欠片。

マザーブレインのノードか、似たもの……“分けた”痕跡」


私は壁に手を当てた。

冷たい。

けれど、寒さだけではない何かがあった。


「いまは、開けない。」


「うん。……開けるときは、準備がいる」


アオは壁から手を離した。

私はバルドに向き直る。


「ここを離れる準備をして。朝になれば巡察が来るかもしれない。

“見られる”前に、姿を消すべきだわ」


「巡察……来るのか」


「ロスヴァルの街で聞いた」


短い沈黙のあと、バルドはうなずいた。


「分かった。……恩に着る」


そのとき、洞窟の天井に細い筋。

光でも影でもない、ひびのような線が走った。


「……アオ」


「見えてる」


線は音もなく裂け、黒が薄い膜のようにめくれた。

温度が一瞬だけ下がる。私は息を呑む。


『観測を開始――』


声。どこにもいないのに、ここにだけ落ちる声。

冷たく、けれど感情のない冷たさではない。

記録の声。世界が“覚える”時の音。


『記録の外にある二人へ。……祝福を』


弓を構えた兵たちが震える。

祈りの言葉を口にしようとして、声にならない。


「ノクス……?」


アオの呟きが、白く溶けた。


『選ばれなかった過去が、選ばれようとしている。

選ぶのは、君たちだ。……観測は干渉。干渉は、責任。』


影の裂け目は、音もなく閉じた。

たった数呼吸。

それなのに、膝の裏が汗ばむほど長く感じられた。


「今のは……」


バルドが言いかけ、言葉を失う。


「“影法師”の幻ではない。もっと――遠い」


アオは静かに言った。


治療を終えた私は、アオに向かい短く告げた。


「出ましょう。夜が明ける」


バルドたちは荷を背負い、少年を担架に移した。

洞窟の外へ向かう足跡を、舞い込む雪が静かに飲み込んでいく。


外に出ると、薄い群青が山肌を撫でた。

遠く、ロスヴァルの尖塔が白く曇る。

冷たい風が、頬の熱をさらっていく。


「アオ」


「うん」


「私は、さっき聞いた声を“神”だとは呼ばない。

でも――“見ている目”があるのなら、私も目を逸らさない」


私たちは山道を下りながら、背後の洞窟を一度だけ振り返った。

金属の壁の向こうに、眠る誰かの気配。

私は、いまは深く考えないことにした。


途中、バルドたちと別れる時、バルドから

廃都ファランシアにレグノル王国の残党が集結しつつあると聞いた。


ロスヴァルに戻るまで、私たちはほとんど話さなかった。


町の外れに差しかかるころ、アオがぽつりと言う。


「記録は、いつか開く。

その時は、“全部を救う”と言わない。

でも――“誰を先に守るか”は、ここで決めておこう」


「……最初に守るのは、私自身。次に、隣を歩くあなた」


「それでいい」


雪は細く、街路の影を薄く縁取っていた。

灯がひとつ、またひとつ。

人の営みは、寒さの中でなお、絶えることを知らない。


私はフードを外し、目を閉じて、短く息を吐いた。


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