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リブート・オブ・アーク  作者: 和幸雄大
第1部:滅びの姫と眠りし少年
7/7

第6話 仮面の降下

淡々と執筆していたので、全話見直しました。

数回、伏線と設定の為手直しがあるかもしれません。

よろしくお願いいたします。

 窓の向こうに、丸い世界があった。

 濃い瑠璃色の縁が、薄い光の輪郭をまといながら、ゆっくりと弧を描いている。

 雲は綿のように裂け、雪の峰は糸のように細くきらめく。

 地上で見上げた空と同じはずなのに、ここから見下ろすそれは、まるで別のものだ。


 空は、近づくと宇宙になる。

 その境目の薄さを、僕はいま身体で思い出している。


 耳の奥で、微かな律動。

 ノア=アークの循環系が、息をする音。

 病室で聞いた人工呼吸器の規則正しい拍動に、少し似ていた。


「……息が苦しくないのね。空の上なのに」


 背後でセリナが呟いた。

 ガラス越しの地平線に視線を貼りつけたまま、驚きと不安を半分ずつ混ぜた声だ。

 王城の塔よりも高い場所から、王国全体を見たのは、彼女にとって初めてなのだろう。


「ここは空の“上”じゃない。宇宙だ。空気はないし、風もない。ただ光と、冷たい沈黙がある」


「……魔法の上位領域、ということかしら」


「言い方の違いだけど、たぶん近い」


 彼女は、ほんの少しだけ笑った。

 わからないことの多さに怯えているはずなのに、どこか誇りを崩さない笑み。

 王族の顔だ、と僕は思う。


 義手の端末が柔らかく震え、空中に淡い文字が点る。


『軌道姿勢、安定。広域受動観測に移行』

『注意:地上高位魔力源より広帯域揺らぎを検出。解析結果、観測された干渉波と相関』


 マザーブレインの声は、無機質な安堵を帯びていた。


「……見られてる、かもしれないってことだよね」


『“見ている”のは地上側も同様。双方の観測は同時に干渉である』


「観測が、干渉」


 セリナが言葉を反芻する。

 彼女にとっては、魔法の視に近い感覚だろう。

 見れば糸が触れる。

 触れれば結び目ができる。

 そういう“理”の言い回し。


「だから、強く見ない。必要最小限に絞る」


『受動観測を継続。輻射低減を維持』


 ノア=アークの灯が、一段暗く落ちた。

 巨大な船が息を潜める。鼓動だけが続く。


     ◇


 僕は席を離れ、簡易ブリーフィング卓に地図を呼び出した。

 断崖と峡谷、焦土になった王都、その周囲に点々と灯る集落の熱源。

 地表は冷たい。雪が降っている。

 人の気配は細い糸のように散っている。


「――降りようと思う」


 セリナの視線が、音もなくこちらに来た。

 反射的に、僕は言い直す。


「僕と、君のふたりで。情報が要る。七聖がどこで何を握っているのか。法律の実際の運用も、民の空気も、現場に降りないとわからない」


「降りる……地上へ。あの“方舟”を捨てるのではなく、使いながら、ね」


「うん。ノア=アークはここに残す。マザーブレインが軌道で目を保つ。僕たちは仮面を被って、人の群れに紛れる」


 セリナは少し黙って、薄く息を吐いた。

 眉の形が、決意の線を取る。


「行きましょう。わたしは、逃げてはきたけれど、隠れるために生き残ったわけじゃない」


 言葉は強いのに、指先が小さく震えた。

 震えるのは、弱さの印じゃない。責任の重さを握り直している証拠だ。


「身分は伏せる。髪も、目も。君は“リナ”。僕は“アオ”。旅の治癒師と護衛、というところかな。冒険者ギルドの酒場から情報が集まるはずだ」


「ギルド……。冒険者の集会所のことね。依頼の張り紙と、安い酒と、やかましい口論」


「そう。それ」


 セリナが、少しだけ目を丸くした。


「あなたの時代にも、あったの?」


「……別の形でね。掲示板は紙じゃなくて、発光する板だったけど。喧嘩は、たぶん同じだ」


 二人で、ごく小さく笑った。

 笑えるうちに、笑っておく。こういう呼吸は、あとで効いてくる。


     ◇


 装備庫で、僕は“織機”を起動させた。

 金属の臓物みたいな装置が、静かに光る。

 格納されていた古い繊維配合式を引き出し、アルセリアの街で見た布の風合いに寄せる。

 色は煤けた藍、継ぎ当てには灰。

 上等すぎると目立つ。貧しいと、同情は集まるが信用は集まらない。その中間に落とす。


 セリナの銀の髪にため息を落としつつ、色素ナノを薄く吹く。

 濡れた栗の色に変わる。光の角度で灰が走る。

 瞳は紫紺から、少し霞んだ緑へ。


「……鏡が違うのね」


「これは、光の板に映す鏡。割れない」


 義手で板を支え、彼女に渡す。

 セリナはわずかに首を傾げ、鏡に映った“見知らぬ娘”を、息を止めて眺めていた。


「わたし、こんな顔をしていたのかしら」


「君は君だよ。ただ、光の当たり方を変えただけだ」


 僕の方も、髪を短く見せるトリミングをかけ、頬に傷跡の影を描く。

 右腕の義手は布で巻き、真鍮の義手に見えるように外装をかぶせる。

 魔導義肢のように見えるはずだ。


「似合っている」


「似合ってしまっているのが、少し怖い」


「怖いなら、それはよくできた証拠だ」


 セリナは肩をすくめた。

 王族の所作は、偽装に向かない。

 だから、あえて“ぎこちなさ”を残しておく。完璧は目立つ。

 ちょっとした粗が、人の目を素通りさせる。


『言語層の同期を提案。方言差異、俗語対応、侮蔑語回避フィルタの初期値を設定』


「ありがとう。……ねえ、侮蔑語回避ってなに」


『不用意な発話による社会的摩擦の低減。具体例は――』


「待って、それはあとで僕にだけ教えて」


 セリナがくすっと笑う。

 笑いの温度が、船の金属の冷たさをほんの少し和らげた。


     ◇


 格納庫の扉が開く。

 そこには、中型の降下艇が眠っていた。

 流線形の胴。翼は短く、腹は厚い。目立たない形。名前は――昔のデータに残っている。

 ハルピュイア。

 風の魔物の名だ。善良な伝承はないが、空を裂くにはよく似合う。


 チェックリストを呼び出し、ひとつずつ潰していく。


「外皮、低反射設定」

「魔力観測対策モード、位相揺らぎ発生器……起動良し」

「通信は光で。音は、出さない」

「推進は半分以下。落ちるように降りる」


『降下ベクトルは“三段跳躍”起動を推奨。高層大気で一度跳ね、痕跡を散らす』


「了解」


 セリナが、座席に手を置いた。

 指先に力が入っている。王族用の輿ではない。

 宙に落ちる器だ。


「怖い?」


「少し。……それより、わたしは何になればいいのかを考えていたの」


「護衛でいい。治癒魔法を少し使える旅の娘。そのくらいの“噂”を作って、広げればいい」


「魔法を使えること自体は、珍しくないわ。問題は、その使い方と、見せ方」


「見せすぎない。僕の時代でも、それは同じだった」


 言うほど簡単ではない。

 僕の瞳の奥では、薄い文字列が流れている。

 心拍、皮膚温、彼女の呼吸のリズム。昔は医療ベッドの上で、そんな表示を見た。

 その数字の一つひとつが、明日へ伸びる綱だった。


「アオト」


 名を呼ばれて、顔を上げる。

 セリナが、まっすぐに僕だけを見る。


「あなたは、ここに残ったほうがいいのではなくて」


「僕も行く。僕の目で見て、僕の耳で聞く。記録はマザーブレインでも取れるけど、判断は人がするものだ」


「……わたしが、判断するのだと、あなたは言ったわね」


「うん。僕は手を動かす。君が選ぶ」


 セリナは、長いまつ毛を一度伏せ、そして小さく頷いた。

 同意の印が、ゆっくりと重く沈む。

 偽物の名前に、本物の責任が宿る。


     ◇


『降下前ブリーフィングを開始。目的は三点。

 一、転生者特権法の現場運用の把握。

 二、七聖側の情報収集経路の確認。

 三、王国残存勢力との接触可能性の評価。

 副目標として、冒険者ギルドの依頼掲示板における噂の観測と、宿場街の物流の追跡を推奨』


「宿場の物流?」


『人が動けば物が動く。物が動けば金が動く。金が動けば言葉が動く』


「……あなた、時々とても人間くさい言い方をするのね」


『学習の結果』


 僕は、少しだけ笑った。

 かつて僕を眠らせた文明が、すべてを間違っていたとは思わない。

 けれど彼らは、正しすぎることに失敗したのだ。

 正確であることと、正しいことは、似ているようで違う。


     ◇


 降下艇の扉が閉まる。

 世界の音が、ゆっくり遠ざかる。

 セリナは窓の外に視線を置き、右手の甲を左の手のひらで包んだ。

 祈りではない。

 これは、震えを制御する人間の所作だ。


「リナ」


 偽名で呼ぶ。

 セリナはわずかに瞬いて、ふっと笑った。


「……まだ慣れないわね。その名」


「僕も“アオ”に慣れるよ」


「王女の名前を捨てるのは、それなりに、胸が痛むわ」


「捨てたんじゃない。隠しただけだ。必要なときに取り出せるように」


「そうね」


 短い返事に、彼女の矜持が戻る気配があった。

 王族にとって“名”は剣だ。

 振るうために鞘に収めるのだと、自分に言い聞かせている。


『降下シークエンス、開始。三、二、一』


 重力が肩に乗る。

 床がわずかに傾き、胸の奥の空白が、すとんと落ちる。

 窓の外で、宇宙が回転した。黒が濃くなり、薄い青が膨らむ。境目が火に溶ける。

 炎は見えない。けれど、空気が擦れる匂いだけが、鼻の奥に生まれる。


『第一跳躍、完了。痕跡散逸、良好。目標降下点、南方宿場町ロスヴァル外れ。降下後は遮蔽林を通過し、日没とともに入市を推奨』


「了解」


 セリナが、深く息を吸う。

 吐く息は、震えていない。

 彼女はもう、顔を持っていた。

 王女でもなく、亡国の姫でもない。旅の娘“リナ”の顔だ。


「ねえ、アオ」


「なに」


「わたしたちは、勝てると思う?」


 彼女の声に、期待も不安もなかった。

 ただ真っ直ぐな問いだけがある。


 勝てるかどうかは、たぶん――まだ誰にもわからない。

 だからこそ、僕は彼女に嘘を言わない。


「勝つための“選び方”なら、知ってる気がする」


「選び方」


「全部を救うって言わないこと。全部を失わないこと。守る順番を、最初に決めること」


 セリナは目を細め、ゆっくりと頷いた。


「なら、最初に守るのは――」


「君自身だ」


 彼女は、ほんの一瞬だけ驚いた顔をして、それからかすかに笑った。

 笑って、ごく弱く、頷いた。


『第二跳躍、進入。位相揺らぎ、安定。地上高位魔力源の観測精度、低下を確認』


 マザーブレインの声が、遠くなる。

 ハルピュイアは影になる。

 炎の羽は閉ざし、ただ重力の井戸を落ちていく。


     ◇


 窓の下で、世界が近づいてくる。

 雪の匂いはまだない。

 けれど僕は、もう想像できる。湿った木の階段、濁った酒、油で黒く光る掲示板。

 大声で笑う男と、恥ずかしそうに杯に口をつける女。

 そして、壁際の影からこちらを測る幾つかの目――七聖の目か、それともただの生存の目か。


 どちらにせよ、仮面は落とせない。

 落としていいときは、きっと向こうからやって来る。


『最終降下。姿勢制御、微調整。十、九、八――』


 僕は、彼女の名をもう一度だけ呼ぶ。


「リナ」


「なに」


「降りたら、最初に温かいものを食べよう。君の国の味でなくても、温かいものは、少しだけ心を助ける」


 セリナは、ゆっくりと目を閉じた。

 そして、静かに笑った。


「ええ。賛成」


 カウントが、零に触れる。

 世界が、音のない震えで迎えに来る。


 ――仮面をつけた二人の物語が、始まった。

淡々と執筆していたので、全話見直しました。

数回、伏線と設定の為手直しがあるかもしれません。

よろしくお願いいたします。

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