第3話 : 眠れる方舟
静寂の中、金属が軋む音が響く。
方舟〈ノア=アーク〉の奥、眠る空間に、まだかすかに動力が流れている。
アオトは義手の端末を操作しながら、慎重に回路の残留記録を読み取っていた。
セリナはその様子を少し離れた場所から見つめている。
雪のような蒸気が漂い、光の筋がゆっくりと空間を渡る。
崩れかけた天井の隙間から、どこか遠い雷鳴が聞こえていた。
「……ここは、あなたの時代の“船”なのね」
セリナが問う。
アオトは短くうなずく。
「正確には、“保存庫”。世界が壊れる前に、技術と記録を残すために造られた。
でも、ここまで維持されてるとは思わなかった」
彼の視線は、眠り続ける機械の群れに注がれている。
巨大なエネルギー炉、冷却柱、ガラスのカプセル。
そして中央に鎮座する一体の“コア”。
まるで、神殿の祭壇のようだった。
セリナは近づき、手袋越しにその金属面をそっとなぞる。
「温かい……」
「外の冷気を遮断してる。まだ稼働してる証拠だ」
アオトの声は静かだが、どこか震えていた。
この場所には、彼にとって懐かしい“何か”が眠っているのだろう。
『ユニット・ノア=アーク。再起動手順、進行中。補助中枢を呼び出します』
機械の声が再び響く。
天井の照明が、一斉に淡く灯った。
まるで夜明けのように。
セリナは息を呑む。
そして、アオトの横顔を見つめた。
その瞳は、何かを失い、そして取り戻そうとする者の光だった。
「アオト……あなたは、この世界をどう見ているの?」
「……僕のいた世界は、科学で満ちていた。
けど、その科学が原因で、たぶん全部を壊した。
だから今は……まだ怖いんだ」
その言葉に、セリナは何も言えなかった。
彼の言葉は、七聖の神話とは逆だった。
彼らは「転生者が世界を救った」と語るが、
アオトは「科学が世界を壊した」と言う。
どちらが真実なのか――それはまだ、わからない。
だが、彼の声に嘘はなかった。
『注意。周囲に外部魔力反応を検知。遮蔽率、低下中。』
「……テンレアの黒の魔女の追跡かもしれない」
セリナが緊張した声で言う。
アオトはすぐに義手を操作し、数枚のホログラムを開く。
複雑な文字列が流れ、青い警告光が空間を満たす。
「大丈夫。外殻を閉鎖する。……マザーブレイン、外部通信遮断」
『了解。外部との接続を遮断。沈黙モードへ移行します』
静寂が戻った。
その中で、ふたりだけの息づかいが重なる。
「……君の世界では、祈るってどんなこと?」
アオトの問いに、セリナはわずかに微笑む。
「神に語りかけること。けれど本当は、誰かを想うことなのかもしれない」
「誰かを想う、か……」
アオトはその言葉を繰り返しながら、ゆっくり目を閉じた。
遠い昔、自分を眠らせた誰かの姿が脳裏をよぎる。
そして今、自分を呼び覚ましたこの少女の声が、重なるように響いた。
『エネルギー充填完了。主制御区画へのアクセスを許可します』
機械の声に導かれるように、アオトは立ち上がる。
義手の光が、暗闇を切り裂く。
「セリナ。――行こう」
「ええ」
二人はゆっくりと中央の階段を上る。
方舟の中枢に至る扉が、静かに開いた。
そこには、星々のように輝く無数の光が広がっていた。
データの海。
失われた文明の記憶。
そして、人類がもう一度歩き出すための知識。
セリナはその光を見上げながら、思わず言葉を失った。
「これが……旧文明の、記録……」
アオトはわずかに笑う。
「記録は過去の遺言だ。でも、使い方を間違えればまた滅びる」
彼の言葉は、まるで自分への戒めのようだった。
方舟の奥で、静かに光が脈動を始める。
その波紋が、二人の足元を包み、遠い未来へとつながっていく。




