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リブート・オブ・アーク  作者: 和幸雄大
第1部:滅びの姫と眠りし少年
4/7

第3話 : 二人の対話と崩壊の音 (セリナ視点)

話を変えてすみませんが、全話リライトしています。


 冷たい空気が、頬に触れた。

 地下に沈んだ遺構は、どこまでも静かだった。

けれど、その静寂は安息ではない。

崩れた鉄骨の匂いと、いつ落ちてくるとも知れない天井の軋みだけが、聞こえてくる。


 ガラスの蓋が開いたカプセルの縁に、私は指を添えた。

 少年は浅い呼吸を繰り返しながら、ゆっくりと体を起こす。

 灰色の瞳が、まだ深い眠りの奥からこちらへ戻ってくる。


「……大丈夫?」


 問いかける声が、自分でも驚くほど震えていた。

 戸惑いか、恐れか、安堵か。どれも少しずつ混ざっている。


「……君は?」


 掠れた声。けれど、芯は揺れていない。


「私は、セリナ。レグノル王国の……姫よ」


 言ってから、胸の奥がきゅっと痛んだ。

 王都は落ち、家も民も、もう戻らない。

 私の肩書きは、ただの名残だ。


「……セリナ」


 少年が、確かめるように私の名を呼ぶ。

 その口の動きのたび、右腕に装着された金属の装置が微かに光った。


 ――ピィ……。


 細い音が空を切り、少年の義手の表面に淡い文字列が浮かぶ。

 光はふわりと宙へ解け、目に見えない板に刻まれていく。


『パーソナルユニット:アオト=ミナセ 意識再起動を確認』

『環境スキャン開始。外部言語構造、解析中……』

『マザーブレイン接続を試行します』


 ……理解は追いつかない。

 けれど、直感は告げていた。これは魔法ではない。光の粒は精密で、幻術の揺らぎがない。冷たいのに、正確で、迷いがない。


「マザーブレインって……何?」


 私が問うと、少年は目を細めた。灰色の瞳に、硬い光が宿る。


「世界の……中枢。ここを、そして“方舟”を管理している」


 旧い世界。禁じられた神話の中だけに出てくる言葉。

 口にしただけで、誰かに聞かれるのではと胸の内が固くなる。

 けれど、もう遅い。

 私たちは、この場所で出会ってしまった。


 ――ドゥゥン。


 地の底から、重たい音が響いた。足元の床が小さく震え、天井から砂がぱらぱらと降り注ぐ。


「……崩れてる?」


「それとも、誰かが近づいてる」


 少年――アオトは、ほんの少しだけ息を整え、私に視線を戻した。


「動けるよ。支えてくれれば」


「ええ」


 私はうなずき、彼の左腕を肩に回した。

 体温は低い。

 雪の夜の石のように冷たいのに、不思議と嫌ではない。

 肩にかかる重みを確かめ、歩きだす。

 床面の継ぎ目に、眠っていた光が一つ、また一つと点り、ほの青い矢印を描いた。


『安全ルートを再構築中。避難推奨:第壱区画』

『外部振動検知。構造安定性、低下』


 私には読めない記号も混ざっているのに、意味は伝わってくる。

 ここは生きている。

 遺構そのものが、私たちを導こうとしている。


 通路は幾筋にも分かれ、どこも同じに見えた。

 けれど足元の光は迷わない。

 鉄骨の梁、苔むした壁、意味のわからない図形で埋め尽くされた扉。

 魔法都市のどこにもなかった形が、当たり前の顔をして並んでいる。


「……怖くはないの?」


 気づけば、私は囁いていた。自分の声で、自分を落ち着かせるみたいに。


「怖いよ。何もかも、よくわかってない」


 アオトは素直に言った。

 その言葉だけで、足元の冷たさが少し薄らいだ気がした。

 強がりだけではない、正直さ。

 彼は、私の知らない世界から来たかもしれないのに、私の知っている人のようでもある。


 分岐を過ぎ、大きな円形の空間に出た。

 中央に太い柱が立ち、その周囲を幾重もの回廊が巻いている。

 柱の一部が裂け、向こう側の暗闇が覗いていた。


「待って」


 私は息を飲んだ。

 暗闇の底で、何かがうごめく気配がある。

 魔物ではない。

 もっと無機質で、こちらと無関係のようでいて、しかし確かにこちらを測っている視線――。


『監視ユニット応答なし。代替経路へ切替』


 光が、別の通路へ流れを変えた。

 私は肩の重みを確かめなおし、知らない世界の導きに従う。

 何度も深呼吸し、意識をいまに戻す。


 ――考えるのは、あとでいい。

 いまは、進む。


 しばらく行くと、壁が音もなく割れ、中へ滑り込むように広がった。

 室内には斜めの机が並び、透明な板がいくつも突き出ている。

 そこに、ふいに色が灯った。


 瓦礫の山、黒煙、焼けた城壁。

 見覚えのある街の輪郭が、上から見た形で、じわりと浮かび上がる。


「……王都……?」


 喉が塞がった。

 白銀の城は、もう白くない。

 黒い指でひっかいたみたいな跡が無数に走り、塔の影は崩れている。

 広場には人影が点のように散って、動きが乱れている。

 人々の声は聞こえない。

 ここは静かすぎる。


 眩暈がして、机に手をついた。指先が震える。

 あの都市で育った。笑い声も、朝の鐘も、祭りの匂いも――全部、ここにはない。


「セリナ」


 名を呼ばれて、どうにか顔を上げる。

 アオトは画面を見つめていた。

 その瞳は、哀れみでも、憐憫でもない。

 受け止めきれないものを、無理にでも受け止めようとする色だ。


「……ごめん。見せるべきじゃなかった」


「違うわ」


 私は首を振った。もう泣かない。泣くのは、あとでいい。

 現実から目を背けたら、私の国は二度死ぬ。


「見せてくれて、ありがとう」


 自分でも意外なほど、声は落ち着いていた。

 私の中に、薄い氷が張る。割れないように、そっと呼吸する。


『換気区画、不安定。第壱区画への避難を推奨。ノア=アーク接続ポートを開放します』


 見たことのない単語が、連ねて流れていく。

 “ノア=アーク”。そう、アオトがさっき言った“方舟”。


「ここから先に、方舟があるの?」


「ある。もし動くなら、きっと君たちの敵から身を守れる。……そして、確かめられる。いま、この世界で何が起きているのか」


 彼の声は弱い。けれど、その眼差しはまっすぐだった。

 私はうなずき、彼の肩の下で腕を固定する。


 扉が滑って開くと、短い橋が口を開けていた。下は深い。

 青い非常灯が縁を細く縫い、手すりの向こうで、黒い空気がゆっくり揺れている。


「高い所は、得意じゃないの」


 思わず漏らすと、アオトが小さく笑った。

 その笑みは、凍りついた空気の中にほんの少し、温かい灯をともす。


「僕もだよ」


「嘘でしょう」


「本当」


 そんなやりとりをしている間にも、橋は軋んだ。

 私は息を詰め、一歩、また一歩と足を進める。

 靴底が金属に触れる音が、心臓の鼓動と一緒に数えられる。


 向こう側の扉に、見慣れない板が付いていた。アオトが義手をそっと押し当てる。


『認証。起動者識別――アオト=ミナセ。規約三七号に基づき、臨時許可を付与します』


 低い声が鳴り、扉は左右に割れた。

 その先は、広い――息を呑むほど広い空間だった。


 半球状の天井。青白い照明が霧のように漂い、中央に眠る巨塊の輪郭だけをそっと撫でている。

 船。けれど私の知るどの船とも違う。

 水ではなく、空か、もっと高い何かを渡るための器。

 骨組みは滑らかで、鱗のような板金が幾重にも重ねられている。


「これが……ノア=アーク」


 言葉にすると、胸の内で何かが音を立てた。

 恐れだけではない。名もない期待と、ここではない場所へ連れていく予感。


『第壱接続ポート、加圧中。安全値まで、残り十分』


 時間の感覚が戻ってくる。十分。

 十分で、この巨大なものは目を覚ますのか。


「セリナ」


 呼ばれて、私は振り向く。

 アオトの顔色はまだ白く、しかし瞳の色は起きる前とは違っていた。


「僕は、今の世界のことをほとんど知らない。……だから、間違えるかもしれない」


「ええ。私も、あなたの世界を知らない。だから、間違えるわ」


 互いに短く笑った。

 屈んで彼を座面に下ろし、肩の重みから解放されると、足が少し震えているのに気づく。

 ふくらはぎに力を込め、息を整えた。


「お願いがあるの」


「うん」


「私を、私の民を、あなたの“道具”のための犠牲にしないで」


 言葉は、思ったよりも固かった。

 アオトは驚いた顔で目を瞬き、それから、ゆっくりとうなずいた。


「しない。……約束する。僕は“守る力”にしたいんだ」


 守る力。

 その響きに、張っていた薄氷がほんの少しだけ緩んだ。


『警告。外部振動、増大。接近反応、三。識別――不明』


 天井の照明が一度だけ揺れた。

 遠くで、鋼が擦れるような低い唸り。

 地上から、何かがこちらに向かっている。

 魔法の気配は感じない。

 けれど、嫌な予感は理屈よりも先に胸を掴む。


「急がないと」


 私はアオトの手を取った。指は冷たい。けれど、小さく力を返してくる。


 足元の光が、方舟の腹へ続く通路を縫う。

 私はその先へ踏み出す。

 暗闇の奥から、何度目かの振動が波のように押し寄せ、壁のパネルが順に目を覚ます。


『ノア=アーク第壱区画へ誘導を開始』

『補助生命維持、起動。環境制御、安定化』

『――セーフティ解除待機』


 はじめて会った少年と、はじめて見る世界の船。

 選んでしまえば、もう戻れない。けれど、戻る場所はとうに失われた。


 私は、振り返らない。


「行きましょう、アオト」


「うん」


 扉が開く。薄い風が頬を撫で、どこか遠い場所の匂いがした。

 崩れゆく遺構の奥で、世界はもう音を立てて動き出している。


 ――その音は、崩壊の足音か。

 それとも、始まりの合図か。


 答えは、きっとこの先にある。


 


話を変えてすみませんが、全話リライトしています。

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