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リブート・オブ・アーク  作者: 和幸雄大
第1部:滅びの姫と眠りし少年
3/7

第2話:記録の残響とマザーブレイン

 冷たい空気が、まだ少しだけ頬に刺さっていた。

 少年がまぶたを持ち上げた瞬間、灰色の瞳がこちらを捉える。

 その視線に射抜かれた感覚が、胸の奥でいつまでも消えない。


 私は、息を整えた。


「私はセリナ。レグノル王国の……姫よ」


 少年はしばらく黙っていた。唇がかすかに震え、乾いた呼気が漏れる。


「……ぼくは、アオト……アオト=ミナセ」


 名乗った自分の名を、確かめるように小さく繰り返す。

 雪のように白い肌、右腕に装着された金属の装置。

 王国の学舎でも軍でも見たことのないものだった。


 どれほどの時間を、ここで眠っていたのだろう。


 私は、そっと膝をつく。

 身を起こす彼の肩に手を添えると、びくりとわずかに身じろいだが、やがて力を預けてきた。

 体温は低い。 

 呼吸は浅い。

 

 けれど、瞳だけははっきりと生の光を宿している。


 遠くで、鉄が軋むような音がした。


 崩れた通路、苔むした鋼鉄の床、奇妙な記号が彫り込まれた扉。

 ここは、神殿ではない。

 何かの……施設。


「ここはどこ。神の祠じゃないのよね」


 問いかけると、アオトは首をわずかに振った。


「……研究と、保護のための区画。たぶん……冷凍施設の中枢に近いところ」


 意味は半分も分からない。

 けれど、彼の口調には“知っている者”の確かさがあった。

 私の世界の理とは、根っこから違う。


 そのとき――。


 小さな電子の音が、空気を裂いた。


 アオトの右腕の装置が微かに震え、淡い光が浮かび上がる。

 空中に、板のような、紙でも水鏡でもない光の膜が展開した。


『パーソナルユニット・アオト=ミナセ、意識再起動を確認』

『接続先検索中――中枢系統〈マザーブレイン〉とのリンクを試行します』


 冷たい女声が、遺構の静寂に落ちた。

 詠唱でも祈りでもないのに、意味を持つ言葉が空間を満たしていく。


「マザーブレイン……それが、あなたを守っていた何か」


 思わず口をついて出た問いに、アオトは短く息を吸う。


「ぼくたちの時代の中枢制御。世界を“管理”する頭脳……だったはず」


 頭脳が世界を管理する――。

 その言い回しが、どこか恐ろしく感じられた。

 けれど同時に、ここまで崩れた地下でなお、彼の言葉だけが地に足の着いた現実のようにも思えた。


 床下から、低い唸りが伝わってくる。


「立てる」


 アオトが囁く。私は肩を貸した。

 細い体に、意志だけが宿っている。

 立ち上がるたびに、古い機械がひとつずつ息を吹き返すように、壁の記号が淡く光った。


 通路の先――黒金色の扉が立ちはだかる。

 アオトが右腕をかざすと、扉の縁に青白い輪が走り、ゆっくりと左右に開いた。


 そこは、広大な空洞だった。


 半球の天蓋。淡い照明が穏やかに降り、空洞の中央に、巨大な“船”が眠っている。

 静まり返った夜の湖に、ひっそりと浮かんでいるみたいに。


『ノア=アーク――多目的航行型記録船。低電力起動モードへ移行します』


 また、あの声。


「……ノア、アーク」


 口に出すと、音だけが先に胸に落ちた。

 意味は分からない。だけど、どこかで聞いた伝承の舟の名に似ている気もして、脈が少し速くなる。


「ぼくたちの言葉で“方舟”。人を、記録を、未来へ運ぶための船」


 アオトの瞳に、微かな熱が宿る。


 私の世界にないものを、彼はあたりまえの顔で言う。

 彼の世界にないものを、私は祈りのように唱えてきた。

 その違いが、痛いほど鮮やかに胸に刻まれる。


 天蓋がきしり、砂がぱらぱらと降った。

 崩れている。時間がない。


『外部より不明広域干渉波を検出。危険度、低から中へ上昇』

『推奨行動――搭乗口へ移動し、第一起動区画へ退避してください』


 機械の声は、怖いほど迷いがない。

 けれど、いまはその迷いのなさに救われる。


「行きましょう。ここは安全じゃない」


 私はアオトの手首を取った。体温が、ほんの少しだけ戻ってきている。

 彼はうなずき、歩幅を揃えてくれる。義手の奥で、小さな機構音が規則正しく鳴っていた。



 昇降リフトが、静かに私たちを載せる。

 船体の腹が開き、光の道がのびる。踏み出す足元が、ふわりと温かい。


 船内は、眠っている都市みたいだった。

 細い光の筋が床を走り、壁面には見たことのない器具や、透明な管が整然と並ぶ。

 迷子になるほど広いのに、どこにも人の気配はなかった。


「呼吸、苦しくない」


 思わず呟いた。

 さっきまで胸の奥で冷たい針のように刺さっていた空気が、ここでは柔らかい。


「環境を、ぼくらに合わせて調整してる」


 アオトの声はまだ掠れているけれど、言葉ははっきりしてきた。

 私の歩調に合わせ、ゆっくりと制御室らしい場所へ向かう。


 扉が開く。

 中は円形で、中央に円卓のような台があった。周囲の壁が一斉に淡く光る。


『起動者確認。補助言語、再構築を開始』

『未知言語の統計解析――進捗、七割』


 壁に光が走り、空中に半透明の板がいくつも浮かぶ。

 そのうちのひとつが形を変え、地図のようなものが現れた。


 そこに、見覚えのある形が映る。


 レグノル――。

 白銀の城壁、尖塔、川沿いの市場。

 そして映像の中で、それらが黒く、静かに崩れている。


 呼吸が止まった。


「やめて」


 思わず口から洩れた言葉は、自分でも驚くほど小さかった。

 けれど映像は止まらない。違う角度、違う高さから、焼け落ちた城を映し続ける。


 アオトの視線が、わずかに横から私に寄り添う。


「……ごめん。確認しなきゃいけない」


 私は、うなずいた。

 泣かなかった。泣きたくなかった。

 王女としての最後の意地みたいなものが、喉の奥で熱く渦巻く。


『外部観測網の再構築――軌道目標〈ペガサス〉、通信経路を確保』

『カウント開始。起動まで、五十三秒』


「軌道、目標……宇宙にある“施設”のこと」


 アオトが、私にも分かる言葉を選んでくれる。

 私は、ほんの少しだけ肩の力を抜いた。


「宇宙に……施設」


 魔法では、星はただの星だ。

 けれど、彼の言う宇宙は“見張るための場所”で、世界を俯瞰するための場所なのだ。


 それが、どれほど残酷で、どれほど心強いのか。

 まだ、分からない。


 静かな震動が、床から指先へと伝わってくる。

 船のどこかで、何かが動きはじめている。


「立てる」


「立てる」


 同じ言葉が重なって、私たちは少しだけ笑った。

 ぎこちないけれど、確かに笑えた。


『警告。地上より複数の不明反応を検出』

『推定、観測網と診断。遮蔽フィールド展開を推奨』


 七聖――。

 黒の魔女の冷たい微笑が脳裏にちらつく。

 喉の奥の熱が、今度は冷たい氷に変わった。


「マザーブレイン。遮蔽をお願い」


 アオトが、私には馴染みのない名を呼ぶ。けれど、その声は祈りに似ていた。

 壁の光が一段と強くなり、すぐに穏やかな暗さに落ち着く。


『遮蔽、完了。短時間の監視は回避可能。長期の滞在は推奨されません』


「ここに長くはいられないってこと」


「うん。まずは安全な区画へ避難して、装備と体制を整える。外へ出る時は、君の世界の“やり方”に合わせて」


 君の世界。

 その言い方に、胸が少しだけあたたかくなる。

 私の世界は、もう燃えてしまったのに。


「……ひとつだけ、お願いがあるの」


「うん」


「救いたい。人を、土地を、言葉を。全部は無理でも、できるかぎり」


 アオトは、短く息を吸い、うなずいた。

 その瞳に、きれいな灰色の光が灯る。


「分かった。ぼくの“知っている”を、君の“祈り”に繋げる」


 機械の声が、ふたたび落ちる。


『起動完了。外部観測〈ペガサス〉、リンク確立』

『地上の被害状況、周辺勢力の動き、救難信号、すべての取得を開始』


 光の板が、次々に情報を映し出す。

 私は、ひとつ深呼吸をした。震えない。まだ震えない。


「セリナ」


「なに」


「少しだけ、手を。体温が、欲しい」


 差し出された指は、少し冷たかった。

 私はその手を強く握った。祈りじゃない。約束だ。


 低い唸りが、腹の底から天へと抜けていく。

 船が、息を吸う。世界に目を開く。

 遮蔽の向こう側で、誰かがこちらを探している気配がする。


『提案。第一起動区画に退避後、搭載医療区画で起動者の生体を安定化』

『同時に、地上観測データから安全経路を抽出。退避点の候補を提示します』


「行こう」


「行こう」


 言葉が重なる。今度は、迷いがなかった。


 扉が開き、柔らかな灯りが足元を導く。

 振り返れば、崩れた地下、苔の床、封じられた扉。

 すべてはもう遠ざかっていく。


 けれど、ここで見たものは残り続ける。

 灰色の瞳の光。

 機械の声。

 方舟という名の船。

 そして、私の胸に灯った、はじめての“再起”の火。


 世界は、確かに動きはじめていた。


 足元の光が、次の角をやさしく照らす。

 崩落の音が、遠くでひとつ、遅れて響いた。

 私たちは互いに手を離さず、その角を曲がった。

 

設定は、たくさんあるのですがキャラクターや構成の書き方いざとなると難しいですね。

改稿はどんどんしていく予定で連載をかいていますので、ご容赦ください。

いろいろと勉強になる事ばかりです。

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