第8.5話(番外編):台帳の記録 ― ロスヴァルの冒険者ギルド受付嬢
私の名前は、カレン。
七聖の巡察隊がロスヴァルに来たので、いろいろと作業に追われていたら、もう夜が明ける時間になっていた。
「やっと……終わる。」
夜明け前のギルドは、静寂に包まれていた。
昨日の夜から続く雪が窓の隙間を埋め、
薪の火も赤く、小さく揺れているだけ。
私はギルド帳簿の端を指でなぞりながら、
眠り損ねた夜の名残を感じていた。
私の話を聞いた巡察隊が、“祈りの洞窟”へ一部を残して向かった。
――そして、巡察隊が戻らなかった。
そんな報告が、朝一番に届いた。
北の峠、“祈りの洞窟”へ巡察に出た部隊。
風雪が強まるなか、祈りの洞窟で連絡が途絶えたらしい。
それを聞いても、私は不思議と驚かなかった。
ロスヴァルでは、冒険者の死は静かに訪れる。
祈りも悲鳴も、雪と吹雪に吸い込まれてしまうから。
帳簿のすみに、小さな文字で書き添える。
〈巡察隊、帰還せず〉
そして、その下に、誰に教わったわけでもない一行を記した。
――記録することは、冒険の安全を祈ること。
私が台帳に“覚え書き”を独自に書くようになったのは、いつからだろう。
それは、記憶にある祖母の言葉だった。
記録とは、願いの形。
誰かの行動を書き残すことが、たぶん祈りなのだ。
◇
そういえば、あの二人はどうなったのか。
扉のベルが鳴ったのは、昨日の朝の六つ刻。
外の空はまだ青く凍り、雪が粉のように舞っていた。
入ってきたのは、仮面をつけた少年と少女。
少年の肩には白い霜が降りていて、片腕は金属の義手。
少女は栗色の髪をフードの下に隠していたけれど、
目だけがまっすぐ、炎のように光っていた。
勝手がわからないのか、二人は扉をあけてからキョロキョロしていた。
私は思わず声をかける。
「新顔さん?」
栗色の髪だけれど、見る角度で少し灰がかって見える――
不思議な髪色に、ギルドへ入った瞬間から目を奪われていた。
「……冒険者登録をお願いできますか」
静かな声だった。
疲れているのに、言葉の芯がしっかり伝わる。
私はうなずき、登録用紙を広げた。
名前は――アオと、リナ。
旅の治癒師と、その護衛。
記入の間、彼らはほとんど言葉を交わさなかった。
それでも、ふたりの間に流れる空気は不思議で、
まるでずっと前から息を合わせていたように見えた。
彼の義手が、微かに光る。
それを見て、私はペンを止めた。
「それ……記録具、なの?」
問いかけると、少年は少し考えてから答えた。
「……ええ。書かなくても、“記録”できる道具です。」
私は思わず微笑んだ。
私も同じように、台帳に“覚え書き”をつけている。
記録という行為は、どんな形でも――
ここに来た人の痕跡を残し、安全を祈る儀式のようなものだと思っている。
二人は登録を終え、机のメニュー表を見て食事を頼んだ。
このギルドは“旅人酒場《鷲の爪》”を兼ねている。
宿屋も営業しているから、私は受付嬢であり、看板娘であり、宿の管理人でもある。
忙しそうに聞こえるけれど、雪の街ロスヴァルに来る冒険者の数なんて、たかが知れている。
だからこそ、今日の二人が、印象に残ったのかもしれない。
温かいスープを差し出すと、少女――リナさんが小さく頭を下げた。
私と似た髪色のフードを被っていて、顔はよく見えないけれど、
おそらく、美人の類だろう。
人間観察を兼ねて、話しかけてみる。
「あなたたちは、どこから来たの?」
彼女は少しだけ笑って答えた。
「……いいえ、少しだけ迷子なの」
その笑みが、寒い朝の光よりもやわらかく、
一瞬だけ、このギルドが違う世界みたいに見えた。
二人は掲示板を眺め、常連の冒険者に絡まれ、
領主の布告を見て少し固まっていた。
ロスヴァルでは見ない二人。
気づけば、目がつい彼らを追っていた。
来てすぐ、霜喰い狼の護衛依頼を受けたのにも驚いた。
そしてその夜――彼らはギルドへ戻り、巡察の話を聞いた。
私はなぜか、レグノルの残党の噂話をしてしまった。
二人はすぐに北の洞窟へ向かった。
今月と聞いていた七聖の巡察が、その後ロスヴァルに来たのも驚いた。
――もしかしたら、祈りの洞から帰ってきたのは、あの二人だったのかもしれない。
そんな考えが、心の底をかすめたけれど、
私はそれを記録には書かなかった。
◇
机の上に残った眠気覚ましのコーヒー。
湯気だけが、まだ微かに揺れている。
私は寝付けず、台帳を開く。
そして閉じる前に、昨日の記録を一行、書き足した。
> 『旅人二名 冒険者登録。
男子一名、護衛。女子一名、治癒師。
行き先――ズィーヴ護衛依頼。
天候、雪。風冷たし。
記録のための祈りを。
インクが乾くまで、窓の外の雪を見つめていた。
街はまだ眠っている。
あの二人は、少し気になる。
そして数刻後、二人は再びここへ戻ってきた。
私は、普段どおりに対応する。
書くことで、私は“願い”を残す。
祈りが届かなくても、記録は残る。
そして、それがいつか、
誰かの希望を灯すのだと信じている。
――ロスヴァル支部 受付嬢カレン・メルヒェン
アルセリア歴117年・冬季記録第92号




