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二度目の捨てられ妻


 店の中を通りながら、軽く自己紹介を交わす。


「俺の名前はナギ。ここ〝だまり屋〟の店主だ」

「ナギ様、初めまして。私は久我心結と申します」

「久我……やはりさっきの男が〝例の〟久我勝吾か」


〝例の〟と呼ばれるくらいには、旦那様は有名らしい。


「店に無理難題を押し付ける久我家の愚息、納得の〝通り名〟だな」


 もちろん、悪名高い方として。


 店の奥へ進むと、長い廊下が見えた。どうやらこの廊下が屋敷と店を繋いでいるらしい。むき出しの廊下に日が差し、ポカポカと床が温もっている。気持ち良くて、一歩一歩踏みしめながら歩いた。だけどナギ様はどんどんと先を行ってしまい、慌てて後を追いかける。


 やっとナギ様が止まったのは、立派な中庭が目の前に見えるお部屋の前だった。「入れ」と、襖を開けて私を中へ促す。


 開けられた瞬間、爽やかな畳の匂いが鼻孔をくすぐる。きちんと手入れされている証拠だ。昔ながらの屋敷だけど、どこを見ても古い感じがしない。それだけで立派なお家だと分かる。


 どこの名家だろうか。そもそもだまり屋という店自体、全く知らなかった。久我家へ嫁ぐ前に、土地に関するあれやこれを勉強したはずなのに。


「どうした?」

「……いえ、失礼します」


 この方のお名前は? どういう名家なのだろう。

 いや、異能者なのかしら? だけど見た目があまりにも……。


 そんな失礼なことを考えていると反応が遅れてしまった。会釈をしながら、部屋へ足を踏み入れる。続いてナギ様も入った。既に用意されていた座布団に、向かい合って座る。


「ナギ様」


 すると開けたままの襖の端から、使用人の声が聞こえた。


「お茶をお持ちしました」

響丸ひびまるか、入れ」

「失礼いたします」


 響丸と呼ばれた使用人が姿を見せる。その瞬間、ビックリして言葉を失った。

 なぜなら響丸と呼ばれた使用人は、まだ十歳前後の子供だったからだ。


「……っ」


 こんな子を働かせているの? それはあまりにも容赦がない。静かな見た目をしたナギ様だけど、もしかして怖い人かも。


 私が警戒した空気を感じ取ったのか。響丸……くんはニコッと、子供らしい屈託のない笑みを浮かべる。


「僕は親のいない孤児でした。ナギ様に拾っていただき、このように生活することが出来ております。ご安心ください、ナギ様はお優しい方ですよ!」

「えっと」

「おい響丸」


 ワントーン低くなったナギ様の声にも臆さず、響丸くんは「それでは」と一礼して去ってしまう。やや不機嫌なオーラが、しばらくナギ様から漏れていた。


「孤児ですか」

「拾ったのは、たまたまだ」


 つっけんどんに返事した後、ナギ様は響丸くんが持って来たお茶を飲む。すると好みの味だったのか、口元がゆるりと緩んだ。


「今……」

「どうした」

「あ、えっと。肩に虫が」


 さすがに「さっき笑いました?」と聞けないため、当たり障りのない言葉で乗り切る。しかし「虫」と言ってもナギ様の反応の薄いこと。

 私だったら「きゃあ⁉」と慌てること間違いなしだけど、ナギ様は違った。「そうか」と変わらずお茶を飲んでいる。


「虫は、よいのですか?」

「放っておけ。春が近い証拠だ」


 そうして、またゆるりと口元が緩む。笑ってくれたのは、これで二回目だろうか。

 不機嫌なオーラがすっかり払拭されたナギ様を見て、チリチリと好奇心が疼く。今、ナギ様のお顔を見たいと。


 目はどんな風だろう? 優しく垂れているのかな。

 眉は? 上がっているのかな、下がっているのかな。


 廊下と同じく、差し込む日差しが畳の温度を上げていく。そっと手を触れると、不思議と心が温もった。

 なんと心落ち着く空間だろう。旦那様と一緒にいた時、これほど穏やかに過ごせたことはなかった。会話が続かなくても気にならない、沈黙さえも心地いい。


 こんな空気感を生み出すナギ様に、少しだけ興味が湧く。だから顔を見てみたい。


「ふっ、ソワソワしてどうした」

「……っ」


 今あなたの顔を見られたら、響丸くんが言った「ナギ様はお優しい方」という言葉の意味を、理解できそうな気がするから――


 パン


「!」

「さて」


 部屋に収まりきらない大きな音が、中庭を通って空へ突き抜ける。手を叩いただけなのに、すごい音だ。その力強さに、緩んだ私の背中がしゃんと伸びる。


〝聞く態勢に入った〟私を見て、ナギ様は口を開く。


「店先ではなく、わざわざここへ連れて来たのは他でもない。店先でお前も聞いていたなら分かると思うが、俺とお前の結婚のことだ」

「あ……」


 そう言えば、ナギ様と旦那様がそんな会話をされていた。


――お前の妻をもらうということは、お前たちは離婚することになるぞ

――あぁ構わない

――そして俺と結婚しても?

――勝手にしろ


 そうだった。私の旦那様が変わるのだ。勝吾様ではなく、ナギ様へ。

 姿勢を正し、体の前で手を合わせる。徐々に背中を曲げてお辞儀をした。


「主人が勝手なことを言い申し訳ありませんでした。強い言葉で治療をせがんだだけでなく、私をナギ様に押し付けるなんて……」

「お前が謝ることではない」


 ナギ様は、軽くなった湯飲みを茶托へ戻す。そこで初めて気が付いた。


 この湯飲み、陶器ではなく磁器だ。それは陶器よりも薄く作られることで有名だけど、それにしても割れてしまいそうなほどの薄さだ。よほどの技術者に違いない。そして、そんな職人を雇えるナギ様もタダモノではない。富裕層に属される人であり、名家の生まれなのだ。


 そういった方に対しての旦那様のあの態度……かなり失礼だったと思う。詫びるに値する出来事だ。もう一度、謝罪をする。


「主人は少々強引な所があり、きっとナギ様を不快にさせたと思います。

 妻として謝ります。申し訳ありませんでした」


 合わせた指先に力を込める。更に深く顔を下げようとした、その時。


「おかしいな」

「ひゃ!」


 いきなり顔の前に、閉じられたままの扇子が現れる。これではお辞儀が出来ない。手のひらでスッと扇子を遠ざける。だけど次はナギ様の手が、私の顎を掴んだ。


「さっきから主人だ妻だと、何を言っている」

「どういう事でしょう……?」


 思わず顔を上げる。すると銀色の髪が風になびいていた。揺れる髪の隙間から片目がのぞいており、じっと私を見ている。


「お前はもう久我勝吾の妻ではないだろう?」

「!」


 そうだ。私は、旦那様に捨てられたのだった。


「確かに私は……もう妻ではありませんね」


 旦那様と離婚するのは、もっとずっと先の話だと思っていた。だけどさっきの旦那様の様子だと、今日の内に離婚の話を進めるだろう。一時間もしない内に、花本家に離婚届の用紙が来るはずだ。署名するために、すぐにでも花本家に戻る必要がある。同時に結婚届の用紙も持って行こう。まとめて用事を済ませておきたい。


 そんなことを考えていた時だった。

 私の顔から手を離したナギ様が、再び座布団へ座り直す


「誤解がないようハッキリと言う。

 俺は、お前と結婚する気はない」



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