幼い頃の虐待
友達の話によると、まぁちゃんは物心つく頃から虐待されていたそうだ。
母親は怒る時、幼いまぁちゃんの手を掴み、その手に火を点けたマッチを近づけたそうだ。
火傷させられたわけではなかったらしいが、まぁちゃんは大人になってもマッチを持てなかった。
そういえば……付き合っていた頃、一度、俺はタバコに火をつけて欲しいと、まぁちゃんにマッチを渡した。
まぁちゃんはマッチに火を点けられなかった。
あれは……虐待されていたからだったんだ!……今更だけど、後悔した。
それを知っていたならマッチを持たせたりしなかった。
まぁちゃん………ごめん。
罰と言うより虐待だと思うことは、まだある。
叱られる時、家を出されて家の鍵を閉められて、まぁちゃんは家の前で泣き叫んでいたそうだ。
何が原因か分からないまま、物干しに縛り付けられて「お母さん、ごめんなさい。」と泣き叫んでいたそうだ。
その記憶は失われていた。
それが鮮明に蘇ったのは、まぁちゃんが鬱病を発症した時だったらしい。
まぁちゃんには兄弟がいた。
その兄弟には言わなかったことがあったそうだ。
それは「お前は橋の下で拾って来た子だ!」という言葉だそうだ。
まぁちゃんは「私はこの家の子じゃない!」と思い詰めて、小学6年生の時に家出をしたそうだ。
だが、一円も持っていなかったまぁちゃんは帰るしかなかった。
帰ったら酷く怒られたと………。
母親の役に立たなかったら怒られる状況だったらしい。
家の手伝いは「お母さんから聞いてからするのは駄目な子。」と決められて、まだ小学生の子に何を求めるのかと俺は思うが……そんなことを要求されていたらしい。
そして、一生懸命、母親の手伝いをしていた小学3年生の三が日に、まぁちゃんは落として食器を割った。
ワザとではない。
落としてしまったのだ。
それを母親は許さなかったのだそうだ。
「三が日に割ったら、怖いことが起きる。
不吉だ!
もし、今年1年。何かあったら、それはお前のせいだ!」
そう強く叱られたそうだ。
迷信だと言えるのは大人だからだ。
小学3年生にそんな言葉は使えない。
その年に偶然だが、母親の祖母が亡くなった。
すると、母親はまぁちゃんを責めた。
「お前が三が日に食器を割ったから、おばあちゃんが亡くなった!」
そう言ったそうだ。
小学校で虐められても「あんたが悪いから!」と言って聞いてもくれなかったそうだ。
その全てを鬱病になってから思い出したそうだ。
記憶を失くしていたわけではなかったのかもしれない。
知らぬ間に自分を守るために記憶に蓋をしたのかもしれない。
今の俺は、そう思う。