リップクリーム
どう考えても場違いな女性が一人居る!と分かっている。
周囲は話の花が咲いていて、一人だけ終始俯いている。
⦅何故、来たんだ?⦆と思った。
話を振っても驚いた様子で、且つ聞いていなかった様子だった。
居酒屋の一室で彼女だけ明らかに浮いている。
⦅化粧もしていないスッピンで良く外に出られるもんだ。⦆と思うと、何故だか腹が立ってきた。
「ねぇ、仕事は何?……俺はね。建設関係なんだ。」
「俺は公務員。」
「手堅ぁ~い!」
「俺は美容室。」
「美容師さん?」
「うん。」
「じゃあ、私達ね。皆、同じ会社なの。
文房具の会社で、私は営業です。」
「私は販売促進です。」
「…………。」
「まぁちゃん、まぁちゃんの番だよ。」
「……えっ? 私?」
「そう、何の仕事かって聞かれてるの。」
「あっ………えっと……私は総務です。
あの………。」
「えっ? 何?」
「飲み物とか……注文ありますか?」
「うん。」
「あったら、注文してきます。」
「わざわざ行かなくてもいいわよ。ねぇ……。」
「うん。」
「あの……私お手洗いに……。」
「あっ! ごめん。言いにくかったんだよね。
じゃあ、ついでにビールと揚げ出し豆腐の注文を頼むよ。」
「はい。」
「それじゃあ、俺も……。」
彼女は覚えたのだろう……注文をしに席を立った。
見ていると注文している様子だった。
そして、店員から水を貰って飲んでいる。
⦅水なら、ここにあるのに……。⦆と彼女の席に残されている水を見た。
なんとなく気になって仕方がなかったから、「俺もトイレ!」と言って立ち上がり向かった。
トイレの前で待った。
用を足した彼女が出てきた。
彼女は俺に気付いて軽く会釈して席に戻ろうとした。
「あの……ちょっといいかな?」
「……私、ですか?」
「そう君! 君しか居ないでしょ。」
「あ……そうですね。」
「俺、美容師だからかもしんないけどね。
スッピンで平気な子って居ないと思ってたんだ。
だから、ビックリした。」
「済みません。」
「謝るよりも、ちょっとくらい化粧した方が良くね?」
「あ………そうですね。済みません。」
「社会人なんだからさ。化粧はエチケットだと思うんだよな。
スッピンってことは社会人としてのエチケットに反してるんじゃない?」
「……そうですね。済みません。」
「これ、あげるから……せめてリップクリームくらい塗りなよ。
唇カサカサじゃん。」
「済みません。」
「はい!」
「いいえ、頂くわけにはいきません。」
「そのカサカサ唇を見たくないんだよね。
だから、受け取ってよ。目の前にカサカサが居るのは、ね。」
「あの……。」
「じゃあね。」
彼女の手に無理やりリップクリームを押しやって席に戻った。