③
「――ってことがあって、昨日はほんと最悪……おい、陸ー?聞いてる?」
「………うん、聞いてる……。」
昨晩のことを話し終えた後、いつもみたいに笑うだろうと思ってたのに、テーブルの上で頭を抱えている陸からは、呻くような返事が返ってきた。ゆっくりと上げられた顔は、いつもの爽やかさが消え去っている。……リクさん、顔怖い。女子が見たら泣くぞ。
「なんで秋人はさぁ……危機感がないの?普通ヴィズかもって思わない?」
「その時は……思わなくて。」
似たようなことをラミアにも言われたような気がする。俺がぼやくと、陸はがっくりと肩を落としてしまった。
「やっぱり、俺は昨日一緒に帰るべきだった。そうしたら……。」
「い、いや、なんでそんなに落ち込んでんの?別にお前の」
「お前のせいじゃない」と言おうとした俺の腕を、急に伸びてきた手が強く掴んだ。テーブルが揺れ、大きな音が響く。
「秋人、俺は怒ってんだよ!お前にも、ヴィズにも、ラミアにも……でも、自分が一番むかつく!俺は、また間違えて――」
「陸……?」
陸はそこまで言うと、俺の腕を離して静かに深呼吸した。…たぶん、怒りを鎮めているんだろう。静かになった部屋には、緊張感が漂っている。まさか、超久しぶりに怒った陸を見ることになるとは―――なんて声をかければいいか分からず、俺はただ黙っていることしかできない。
だって、昨日のことは俺がヴィズに対して危機意識が低かったことが原因なのに。なのに、一体どうして陸は自分を責めてるんだ?なんで、俺の腕を掴んだ手が震えてたんだ?
(……『また間違えた』って、なにを?)
少しすると、陸は謝るようにテーブルを撫で、背筋を伸ばした。スイッチを押したように、陸を纏う空気が切り替わる。こうなると、もう怒ってない証拠だ。
「はー……ごめん、今こんなこと言ったって、しょうがないのにな。そのラミアだって、お前を助けてくれたんだし。許可を得ずに吸血ってのは、ルール違反だけど。」
「う、うん。まあ、ビックリしたけど、お礼代わりだと思うし。」
確かにあのラミアは最悪だったし、ビックリどころか心底ムカついたが、脳みそバターの命の恩人であることに違いはない。きっと、吸血したのは感謝料を貰うのと同じ感覚だったのだろう。ラミアとオリジンでは、価値観が違うらしいし。
無意識に、手が首にある噛み跡をなぞる。一晩で大分薄くなっているため、気を付ければ母にもバレないはずだ。ああ、あのくそラミアこんなとこ噛みやがって―――
「………やっぱり、そのラミア殺したい。」
「えっ、なんで!?」
「なーんちゃって、冗談だよ。まあとにかく、お前が生きててよかったよ。」
全然冗談のトーンじゃなかったような気がするけど、また元の笑顔になった陸にほっとした。
きっと、もう二度と会うことなんてないだろうから、心の中でブン殴っている俺はさておき、陸があのラミアを気にする必要なんてないんだ。
「あ、そういえばさ。むかし俺がダンゴムシとかタンポポのことを教えたのって、陸だっけ?」
「……さあ、覚えてないけど。なんで?」
「いや、ちょっと思い出せないだけ。誰だったっけなあ。」
さっきまで見ていた夢の前半部分に、どこか懐かしさを感じたのだ。もしかしたら、もう風化してしまった子どもの頃の思い出の一部が、ひょっこり出てきたんじゃないかな。
「………………。」
陸も眉間にしわを寄せながら記憶を辿っているようだが、よく考えてみれば、俺と同じ環境で育ったくせに昆虫界のアイドル・ダンゴムシを知らないはずがない。
と、いうことは他の誰かなんだけど………
「…やめようぜ秋人。あんまり、公園のことは思い出さないほうがいいと思う。今回のことも忘れた方がいい。」
「……そう、だよなぁ。やめとく。」
―――あれが誰だったかちょっとだけ気になるけど、公園の話になると、いつも親や陸を心配させてしまうから中止だ。俺も深く思い出そうとすると、7歳の事件がチラついて気分が悪くなるし。陸の言う通りだ、あまり考えるな。早く忘れよう。
「よーし、じゃあ俺はそろそろ帰るからさ。病人はちゃんと寝ろよ。」
部屋を出ていく陸に手を振りながら、ちょっと胸がすっきりしているのを感じる。やっぱり、話してよかった。その代わり、陸には迷惑と心配をかけてしまったから、今度お詫びに肉まんでも奢ろう。普通のじゃなくて、黒豚のやつな。
(そういや、よくダンゴムシとタンポポだけで公園って分かったよな。さすが幼馴染ってやつ?)
そんな陸が「珍しく授業中眠くなかったから」と言って置いて帰ったノートには、ところどころミミズのような文字になりながらも必死に板書した痕跡が残っていたので、笑ってしまった。
(さて、俺もしっかり休んだら、その分全力で頑張らないと。)
もう受験まで日が迫っている。それが終われば、あっという間に高校生だ。