⑧
「………ん、」
左頬を地面にくっつけたまま、重い瞼をゆっくり開閉させる。数回目を瞬かせたところで、やっと脳が動き出した。―――なんで俺、こんなところで寝てるんだ?
次に、うつぶせの身体を起こそうとしたら左腕がカクンと折れて、また冷たい石の地面に転がってしまった。
おかしい、なぜか左腕の力が入らない。
右腕を支えにして起き上がったはいいが、左腕は相変わらずだらんと垂れたままで、重い棒でもくっついてるみたいだ。
「えーっと、ここは、……!!そうだ俺、地面に沈んでって、それで―――」
すぐに米山君の叫び声が耳に蘇ってきた。
慌てて周囲を見渡すと、目の前には階段があった。学校の非常階段よりも暗くて狭く、角度が急な石の階段が、下に向かって続いている。どうやら俺は、その階段の踊り場のようなところに座っているみたいだ。
「まーた階段か。さっきみたいに終わりが無いやつじゃないだろうな……。」
もう少しよく見ようと体の向きを変えた時、尻と地面の間に固い感触を感じた。手でズボンを探ってみると、ポケットから完全に存在を忘れていたマイ・スマホが出てきたもんだから、思わず「おおー!」と声が出る。
いそいでボタンを押すと画面がパッと明るくなったのでガッツポーズをしかけたが、左上にある『圏外』の文字を見て、右腕も完全に脱力してしまった。
これでは、誰かと連絡を取ることができないじゃないか。
「いっ……やまあ、うん、ライトにはなるしな……無いよりはマシだろ。」
どうにか気を取り直し、スマホのライトで照らしてもなお先の見えない階段を覗き込むと、ぶるりと体が震えた。ひんやりとした空気と絶妙な暗さも相まって、もし肝試をするなら最高のシチュエーションだろう。
しかも、こんな時に限ってヴィズの姿が見当たらない。あんなに逃げ回ってた癖にと言われそうだが、たとえ危険な奴でも、ここに1人でいるよりかはマシなように思える。
「だ、誰かいないのかー……ああ、今度はどこなんだよ。マジで左腕動かないし。落ちた時に折れた?でも全然痛くない……。」
立ちあがって左腕をブラブラ揺らしたり、つついたりしてみる。目が覚めて起き上がろうとした時に僅かに動いたのが最後、今は感覚もない。
『それは俺がまいた『種』が、お前の頭から全身にむかって根を這わせているからだ。お前の身体は時期に根に支配されて動かなくなる。』
「…まさかねー……。」
ふと蘇ったヴィズの言葉を、頭を振って必死に追い出した。
あんなに辛かった頭の痛みが、今は鈍く痺れているだけに留まっていることも、逆に俺の不安を煽ってくる。
(やばい、ちょっと心折れそうになってきた……。)
だってそうだろ、突然ヴィズの作った空間に引きずり込まれてさ。ヴィズから逃げ回ってようやく米山君本人の声が聞こえたというのに、顔も見れず仕舞い。 しかも、また意味不明な場所に落とされ全身は疲労困憊、左腕は動かないときた。
一体いつになったら元の学園に戻れるんだろう。それともこのまま、ヴィズの言う通りだんだん身体が動かなくなって……最後は……
「ッあー!やめやめ!そんなこと考えたって仕方ないだろ。絶チってる場合じゃないっつーの!」
俺の声が狭い階段にこだまして響く。
―――そう、階段だ。とにかく今は進む先が決まっている。何もない平面な場所で立ち尽くすよりかはマシだと思おう。
「でもなあ、俺はさっき地面に吸い込まれたんだから、下に落ちたわけだろ?だから、上に登ったほうがいいんじゃないの。」
このまま先の見えない階段を下へ下へと降りていくのは、少し怖い。
踊り場から後ろを振り返るが、上に登るための階段はどこにもなく、ぽっかりと真っ暗な闇が続いているだけだ。
……つまり、強制的に下に行けってわけか。
仕方なく懐中電灯代わりのスマホをかざしながら、恐る恐る石段に足をおろした。
カツン、カツン、カツン……
靴裏が石段を踏むたびに、冷たい音が一定のリズムで響く。
あとどれだけ降りればいいんだろう。スマホのライトをかざしてみても、3段先が細く照らされる程度で終わりなど見えない。
カツン、カツン、カツン……
(俺のスニーカー、こんな音が鳴るっけ…?)
ぼんやりした頭が、ふとそんなことを思った。
学園の非常階段も似たような階段だが、こんなに硬い音はしなかったような気がする。それともこの階段が狭いせいで、小さい音でも大きく反響するんだろうか。
ひとまず足元を確認しようと下を向く。靴よりも先に、膝をすっぽり隠してしまうほど長い白衣が、リズムに合わせて揺れているのが目に飛び込んできた。
「白衣ぃ!?俺いつの間に着替えて……あ、い、いや、これも幻覚か!」
周りの景色だけじゃなくて、俺の服装まで変わるとは!しかも、いつの間に!
深呼吸してからもう一度足元に視線を落とす。中に着てるのは今まで通り学生服だけど、間違いなく俺は真っ白な白衣を羽織っている。
それと、靴はなぜか革靴だ。営業に行くサラリーマンが履くような、かっちりとした形をしているが、不思議と俺の足に馴染んでいる。
この仰天チェンジにはさすがに階段を降りる足を止め、もっとよく見ようとスマホを俺自身にかざす。
すると、真っ先に分かったのは俺が着ている白衣は真ん中以外のボタンが取れていること。そして次に、白衣のポケットにはボールペンやら紙くずやらがご丁寧にもパンパンに詰まっていた。
(なーんか、ついさっきまで誰かが着てたみたいで嫌だな。しかも胸ポケットまでみっちりと…何が入ってんだよ。)
字が汚くて何が書いてあるかさっぱりわからないメモ紙を、間違ってもスマホを落とさないように放り投げ、今度は右手の指を左胸のポケットに突っ込む。
胸ポケットの大半の面積を占めているものを引っ張り出して階段に置き、スマホのライトで照らすと―――
「あれ……?これって……。」
―――強い光に照らされて艶めくのは、長方形の小さな箱だった。
深い茶色をつつつ、と指でなぞると、革の滑らかな肌触りと、かすかに刻まれた皺の感触が伝わってくる。
…耳が痛いほどの静寂の中、自分自身の息を飲む音だけがやけにはっきりと聞こえた。
「なんでこんなところに園田先生の、シガレットケースが……?」
色んな角度からシガレットケースを照らすも、持ち主の手がかりは何も出てこない。先生の物だと決まったわけじゃないのに、異様に気になるのはどうしてだろう。
(俺がここに来てから体験した幻覚って、米山君やヴィズに関係があることが多かったよな。)
例えば、鳥を追いかけ走り回った秋の学園では、『種』がどのようにして学園へ来たかを知った。
そしてその次は、映像に映る過去の米山君を観て、米山君が第2グラウンドでヴィズを育て、会話していたことを知ったんだ。
(…と、なると。今俺がいるこの空間も、何かしら関係があるってことか?この変な格好とか、シガレットケースも?)
でも、どう考えても園芸部はこんな暗ーい場所で活動しないし、汚れが目立ちまくる白衣なんか着ないだろう。
それに、優等生の米山君がタバコを吸うとは思えない。……まあその、瀬谷先輩の件があるから断言はできないんだけど。
ロクに回ろうとしない頭をこねくり回した結果―――『この空間はヴィズが適当に作った説』が浮上してくる。
序盤にくらった、永遠に終わりが来ない階段のようなもんだろう。特に意味がない、はた迷惑なだけの空間。惑わされるだけ時間と体力が奪われていくやつだ。
そうとなれば急に目の前のシガレットケースも、園田先生の私物とそっくりなだけで、全くの別物に見えてきた。
「はーー。なにくだらないことやってんだ俺。早く進もう。」
まず、階段においたままのシガレットケースに背を向け、再び階段を見下ろす。白衣もここで脱ぎ捨ててしまうか迷うけど、左腕が動かないのに着替えるのが面倒だから、そのままでいいか。
次に、だるさが増してく一方の右肩をぐるりと回す。どうか右腕はまだ動かなくなりませんように、と猛烈に祈るばかりだ。
そしてついに、白衣がかかる膝を持ち上げ、石段に革靴を落とそうとした―――が、
「アンジョウ、どこに行くんだ。」
まだ俺の靴裏は階段を踏んでいないのに、辺りに冷たい音が響いた。




