⑦
「…ぜえっ、はぁっ、」
「苦しそうだな。もういい加減歩けば?過度な疲労は種にも良くない。」
うるさい、と言いたいところだが、もうそのための体力すら残ってない。
勢い任せに叫んでから、どのくらい時間が経っただろうか?
鉛のように足が重いわ、頭が痛くてぼんやりするわで全身疲弊しきってるのに、「止まるな、逃げろ」と何かに急かされるせいで、走ることを止められない。
―――ピチチ、
自分の息遣いと足音しか聞こえなかった空間で、軽やかな高音が鳴った。
あまりに突然鳴ったもんだから、完全に俺の幻聴だと思って無視をする。よく考えれば、そもそも俺は幻覚の中にいるらしいから、何を見ても聞いても、すべて幻覚と幻聴になるんじゃないか?
だとしたら、この疲労と焦りのリアルさは一体何だろう……そう思ったところで、今度は頭上で柔らかい音がした。
「ぜっ、……と、鳥……?」
つい、呼吸をするのを忘れた口がぱかりと開いた。頭の上を、羽を広げた鳥がゆっくり飛んで行ったのだ。しかも鞄のチャック開けるように、鳥が飛んだ先から暗闇が青空に変わっていく。
ずっと暗闇に目が慣れていたせいか、あまりの眩しさに耐えられず顔を下に背けると、明るくなった俺の足元には平坦なコンクリートが現れていた。
思わず「いぃっ!?」と叫びながら顔をあげれば、なんと目の前には学園の中庭が広がっているではないか。
「なななんだぁぁ…?し、しっかりしろー、しっかりするんだ俺、これは幻覚、これは幻覚…。」
「ピチチチチッ」
「うわっ!こっちくんなよ、ビックリするだろ!」
顔の前で羽ばたく黒い鳥を反射的に追い払おうとしたが、鳥はするりと俺の手を避ける。そしてくるりとこちらを振り向き、腹を見せながらまたピチチと鳴いた。
こいつ背中と尾は黒いけど腹は白いんだなぁ、なんてうっかり観察していると、鳥が嘴で何かを咥えているのに気づいた。
青空から注ぐ太陽の光を浴びてキラリと光ったのは―――見覚えのある小さな金色だ。
「お、おま、それ金の胡桃じゃない!?」
「ピピピッ!」
「あっ、ちょっと待てって!それやばいんだって!」
あんだけ見せびらかしておいて、「せっかく見つけた宝を奪われるもんか!」とでも言いたげに甲高く鳴いた鳥は、中庭を猛スピードで飛んでいく。
慌てて追いかける俺の足裏が、地面に重なった枯葉を踏んで騒がしい音を立てた。
(落ち葉?…そういえば、花壇に咲いてる花がいつもと違う。日差しの割に空気も冷たいし。)
冷気が肌にチリチリ刺さるのを感じながら、ひっそりと佇む自販機の前を走り過ぎる。この場所にあるのは確か、俺がアタリを出し、怒った柴田が蹴った自販機だ。
よく冷えたサイダーやリンゴジュースが並んでいたはずだが、今は『あったかーい』と書かれた赤いボタンがずらりと並んでいる。
(屋上は夏だったのに、中庭はまるで秋みたいだ。)
これも幻覚だって分かっているけれど、肌で感じる温度も、景色も、匂いも、作り物とは思えないくらいリアルだ。
入学してから春と夏の学園しか体験してないけれど、実際に秋になるとこんな風景になるんだろう。
「はぁ、しかも、この道ってさぁ……」
鳥を追いかけながら進んでいるこの道のりに覚えがあるのは、柴田さんと自販機から一緒に歩いた道と同じだからだ。
と言うことは、この先にあるのは―――。
「ああ、やっぱり!相変わらず汚いな!」
さすがにもうこれ以上走れない。ぜぇぜぇ息を漏らしながら目の前のフェンスにもたれかかると、網目から見えるのはつい先日掃除したばかりのプールだ。
ただ大きく違うのは、俺たちが掃除する前の姿に戻ってしまっていて……実に汚い。
夏から使われることなく放置されているであろう水は見るからに濁っているし、水面にはふやけた枯葉や謎のゴミが浮き放題だ。
「ピチチチチッ!!」
「そ、そうだ鳥、あんなところに……。」
何とか頭をあげたら、鳥はプールの上をぐるぐると旋回しているところだった。
くそー、俺はこんなに疲れてるって言うのに、あいつ元気だな!
遠くて見えないけど、今も嘴に加えた金の胡桃を俺に自慢しているに違いない。それか、俺にフェンスを越えて来れるもんなら来いよ、と言っているのかも。
だが生憎、俺にはそんな体力は残っていないので、また鳥がこちら側まで戻ってくるのを待つしかない。
(しんどい…。こんなに走ったの何年振りだ?)
もう一度フェンスにもたれ、重すぎる頭を下げると、少しばかりの休憩をとる。ようやく呼吸が整ってきたような気がしたその時、
――――ポチャッ
「ピチチーー!!」
「……はい?」
悲鳴のような鳴き声に驚いて顔をあげたら、鳥がプールの水面ギリギリを飛んでいた―――かと思ったら、弾丸のようにこちらに向かって飛んできたではないか。
ほんと、顔にぶつからなかったことが奇跡だったと思う。そのくらいの勢いで俺の眼前に来た鳥は、羽を激しく羽ばたかせ、何も咥えていない嘴で「ピピー!!」と騒ぎ立てる。
「ど、どうしたんだよ。っていうか、なんで何も持ってないの?胡桃は?」
「ピピピ!ピピピ!!」
「どこに置いてきて………ん?さっきポチャッて音したよな。もしかして、落としたのか?プールに!?」
「ピチチーッ!!」
「ええーっ!?じゃあ、あの時柴田さんが投げたのって……もしかしなくても、お前がこの学園にヴィズを運んじゃった犯人なのかー!?」
「そうだよ。」
「おわーっ!?」
振り向いたら『俺』がすぐ後ろに立っていた。
やばい、鳥に夢中で逃げることを忘れてた!咄嗟にしがみついたフェンスが大きく揺れたが、『俺』はこちらを見向きもせず、飛び回る鳥を見つめている。
そして、鳥が少し近づいてきたタイミングでゆっくり手を伸ばしたが、警戒するように甲高く鳴いた鳥は素早く身をかわし、上空へと飛び去った。
「…まったく、こんな汚いプールに落としやがって。今度落とすなら土にしてくれよな、馬鹿ドリ。」
みるみる小さくなっていく鳥にむかってぼやいたヴィズは、しばらく空を見あげたまま動かない。
フェンスと一体化したままの俺はどうしたらいいか分からず、恐る恐る声をかけてみる。
「お、おまえ、わざわざあの鳥に運ばれて移動したのか。」
「人間と同じく、ヴィズも自然の摂理に沿って生きる部分があるんだよ。種として産み落とされても、他のヴィズのすぐ傍では養分を逆に吸い取られて育つことが出来ない。でも、種だから自力じゃ動けない。―――だから、ああいう鳥や動物に他の地まで運んでもらう必要があるんだ。そうしないと、生き残れないから。」
「今みたいに人間とかに化ければいいだろ。」
「生まれたての存在で、そんなことできるわけないだろ。人間と同じで成長して力を溜める必要がある。今だって完全じゃないさ、もっと人間から養分を貰わないと。そうじゃないと………なんだよ、その顔。」
『俺』は突然口を止めると、ようやく俺を見た。冷たい風が前髪を揺らす。
「人間だって、動物を殺したり山を崩したり、昔から好き勝手してきただろ?『俺たち』は生き残るために進化した結果、人間から生命力を得るようになった。ただそれだけだ。一方的に人間を喰ってるわけじゃないことを忘れるな。」
「………。」
一方的じゃないことを忘れるなって?……そんなこと、少しも考えたことなかった。
だって、公園で出会ったあの獣も、突然現れた俺そっくりのヴィズも、俺にとっては一方的でしかなかったからだ。
(ラミアはヴィズに対抗するために、オリジンが進化して生まれた人種だろ。その一方で、そもそもヴィズが人間を襲うようになったのも、理由があるってことか…?)
そうだ、と言わんばかりに『俺』は器用に片眉を上げた。
…ああ、また俺の思考を読んでやがるなこいつ。
文句を言ってやりたいけれど、まだ処理しきれていないヴィズの言葉と、再び周囲が黒く塗りつぶされていく光景に思考が追いつかない。
マジックで塗りつぶすように、握っていたはずのフェンスも、大きなプールもあっという間に真っ黒になっていく。
次に瞬きした時には、俺とヴィズはまた暗闇に立っていた。
「ま、このあと柴田さんが俺を救い出してくれて、落ちた中庭で聡に拾われたって訳だ。アイツ、俺を見たことがない種だって騒いで、植えたらどんな花が咲くか楽しみにしてた。」
「そうだったのか…。」
俺達には頑張っても金の胡桃にしか見えなかったけど、米山君には何かの種だって分かったんだな。さすが園芸部っていうか。
―――でも、花が咲くと思ったなら、なんで花壇に植えなかったんだろう?
「聡は花壇が好きじゃないって言ってたぞ。」
「あっ!お前また俺の思考を……って、好きじゃないの?あんなに綺麗に花を育ててるのに?」
「さあね。ただ、何となく気持ちは分かるぜ。俺もあの人間が勝手に作ったスペースに閉じ込められたくないし、いろんな花がウジャウジャしてて居心地悪そうだし。……何となく、お前らのいるキョーシツに似てるよな。」
「キョ―シツって、教室か。似てる……かなあ?」
Aクラスを思い浮かべて首を傾げた時―――暗闇の一か所が明るくなり、また中庭の風景が現れた。
若干驚きが薄くなりつつある自分に驚きながら、素直にぽっかり浮かぶそれを見る。
今度は俺たちの周りは真っ暗なままだから、まるで映画のスクリーンでも見ているような気分だ。
(これって、第2グラウンドか?)
今回暗闇に現れた風景は、ついさっきまで陸や犬飼、スズメといた場所だった。
ただ、地面から生えていた巨大なヴィズの木は無くなっていて、代わりにひょろりと細い植物が生えている。風が吹けば今にも倒れてしまいそうなくらい頼りない。
「なあ、もしかしてさぁ…」
「うん、アレは生えたばかりの俺。」
「やっぱりか。生えてる場所が同じだから、そうじゃないかと思った。今とは全然違うけどな!」
数分前に俺が鳥を追いかけて走りまくった学園は、恐らく去年の秋だった。
そして、今回の風景はヴィズがプールから出た後……つまり、今年の夏のようだ。
(ころころ時系列が変わるから厄介だな!それにしても、このヒョロヒョロがあんな巨大な木に育つなんて夢にも思わないぞ。)
しかもプール掃除後からの数日間で、だ。一体どうやって育ったんだろう―――そう思ったと同時に、第2グラウンドに人影が現れた。
(あれは……!)
思わず前のめりになって学生を覗き込む。
現れた人物の身体は植物に似て細く、学生服から覗く肌は青白い。相変わらず重そうなジョウロを抱えて立っている生徒は……そう、米山君だ。
「米山君!おい、こっち向いてくれよ米山君、聞こえないのか!?」
「落ち着けよ。少しは気づいてんだろ?これは聡から得た情報……記憶って言えばいいか?それを元に映し出した、過去の記録さ。」
「………。お前は何がしたいんだ?早く本物の米山君に合わせろよ。」
「でも、どうやって俺が育ったかも気になってるんだろ?」
いやその通りだけれども!だけど、頭と背中の痛みがジワジワと増すたびに、種の存在を思い出して『早くしなければ』と心が騒ぐ。
大体こいつが時間がないとか言ったくせに…っていうか、俺の願いを叶えるとか代償とか、あの話はどうなったんだ?
ヴィズが俺を横目にみてフッと笑いやがった時、米山君が地面にしゃがんでジョウロをそっと傾けた。植物の生える地面に優しく水が降り注ぐ。
「元気ないな、おまえ。発芽からここまではすごく早かったのに、もう枯れるのか?何か特別なものが必要なのか?……せめて、名前が分かったらいいのに。」
炎天下だって言うのに、米山君はじっと植物を見つめている。
その横顔は真剣そのもので、普段からの様子じゃ想像がつかない。きっと、俺が思っていた以上に植物への愛が深いんだろう。
「なに?水はもういらないって?……でも、さすがにこんな気温じゃ水なしで生きられないだろ。」
(ナチュラルに植物に話しかけちゃうんだもんな。やっぱり愛が深いよ。)
「欲しいのは水じゃない、なんて…じゃあ何が欲しいんだ。」
「『おまえの話が聞きたい。』」
うわ、ビックリした!―――映像の中の米山君の質問に答えたのは、俺の横にいるヴィズだった。
無表情で米山君を見る横顔に、なにやってんだ?と聞く暇もなく、米山君の小さな声が続く。
「僕の話なんか、どうして聞きたいの。」
「『命の恩人の生活がどんなものか知りたいのさ。』」
「僕の生活なんて、面白くもなんともないよ。毎日毎日勉強してるだけ。」
「『進化しようと努力する姿勢は好ましいぞ。』」
「そんなんじゃない。少しでも成績が下がると、父さんと母さんはすぐ僕を兄さんと比べて『どうしてお前は出来ないんだ』って言うから。『出来ない僕』は雑草と同じだから。だから、勉強するしか僕には選択肢がない。」
「『それは窮屈だな。不自由は非常に好ましくない。』」
「不自由ね……。実際はもう、勉強の他に何をすれば良いかも分からないんだ。勉強を取ったら僕には何も残らないから。」
「『これまた、矛盾だな。可笑しな生き物だ。』」
映像の米山君が喋れば、俺の横にいるヴィズが答える。そしてまた、映像の米山君が答える。……映像の米山君は過去の姿のはずなのに、たったいま目の前で2人の会話が繰り広げられているようだ。
「おいおいおい。なんで俺は無理だったのに、お前は過去の米山君と喋れるんだよ。」
「今喋ってるんじゃないさ。『この時』、俺が聡に喋ってたことを再現してやってるんだ。お前のためにな。他人から見れば聡が独り言を言っているように見えるだろうが、実際は俺と『会話していた』んだよ。」
「会話してた?植物が人間と?そんなことしたらさすがに米山君だって、」
「そう、聡は俺がヴィズだって気づいてたのさ。」
「!?」
さすがに目玉が零れるかと思った。
てっきり俺は溢れ出る植物愛からくる行動だとばかり思っていたのに―――実際はヴィズだと分かったうえで、こんなに懸命に世話をしてたって言いたいのか!?
「最初は勉強に疲弊したことによる幻聴かと笑っていたが、途中からは気づいていた。口に出してヴィズだろうとは言ってこなかったけどな。」
「気づいててなんで……俺ならとっくに引っこ抜いて燃やして除草剤を撒いてるぞ!」
「だろうね。だが、なんのために?」
「そ、そりゃあヴィズが人間を襲うから。放っておけば学園の人たちが危ないだろ!」
それが、今まさにこの状況なんだけれども。俺が木に引きずり込まれる直前の陸、犬飼、スズメの姿を思い出すと、安否が不安で仕方がなくなる。
それに、3人だけじゃない。Aクラスのメンバーとか、寮や食堂で顔を見かけるだけの人でさえ、どうか何事も起きていませんように、無事でありますようにと祈るばかりだ。
「さすがお人好し。だがな、聡にとってはそれが全部『どうでもよかった』んだろ。」
「なっ…!」
喰ってかかろうとした俺を手のひらで制したヴィズは、そのまま指の形を変え、映像を指さした。
勢いに乗っていた俺はうっかり、あっちむいてホイの要領で誘導されるがまま顔を向けてしまう。
すると、米山君は植物から目を逸らして、どこか遠くを見ていた。
その目線を追ってみれば、数名の生徒が集団となって中庭を歩いているのが見える。賑やかな笑い声をあげる生徒たちは、それぞれが鞄を提げているところを見るに、下校中のようだ。
「………。」
そんな彼らを、瞬き一つせずに見送る米山君。集団が映像の中を通り過ぎていくまでの間、生徒たちが周りの花壇に目を向けることは無かったし、もちろん、こんな所で1人しゃがんでいる米山君に気づくこともなかった。
「………はぁ。」
ゆっくり植物に向き直った米山君は、小さくため息を吐く。代わりに、俺の隣からは微かに息を吸う音がした。
「『なあ、あいつらがウラヤマシイか。』」
「!!……、そんなわけないでしょ。テスト前なのに遊び歩くような、馬鹿の集まりなんて。関わるとロクなことがないに決まってる。」
「『だが、ああいう人間に比べると、今のお前は生気が少ないように感じる。水が足りてないんじゃないのか。』」
「僕は人間だから。水なんて欲しくないよ。」
「『欲しいのは水じゃない、か。…今度はこちらが尋ねよう。お前は何が欲しいんだ。』」
「僕が、欲しいもの?」
「『そうだ。言ってみろ、叶えてやるぞ。』」
この映像に俺の声は届かないと分かっていても、答えちゃだめだ!と咄嗟に叫びそうになる。だって、ヴィズからの提案こそ、ロクなことがないんだから―――。
(米山君はこの時、ヴィズに『消えたい』と言ったのか?)
クラスメイトにすら存在を忘れられ、何の感情の色もなく机に座っていた米山君を思い出す。
俺たちがいくら呼び掛けても無反応で―――ああいや違う、ひたすら勉強していたんだった。あんな状態になってまで、勉強しなきゃいけないという気持ちだけは、消えていなかったんだろうか。そう考えると、なんだか辛くて胸が苦しくなる。
「ぼ、僕の願いは……」
映像の中の米山君は質問に戸惑っているようで、開きかけた唇をまた前歯で噛みしめ、目を泳がせた。
なす術のない俺は、この先の展開を知っているだろうヴィズと共に、静かに見つめるしかない。
「……っ、」
どのくらい蝉の声に耳を傾けていただろうか。
ようやく、頭を乱暴に掻いた米山君が顔をあげ、唇を薄く開いたその時―――
「見るな!!!」
「!!」
唐突に大きな叫び声がして、映像がぐにゃりと歪んだ。足元がグラグラ揺れ始める。
「う、うわっ!?」
「やめて!!み――見ないで、見ないで、見ないで!!!!!」
叫び声がどんどん大きくなり、映像がついにぷつんと消えてしまった。
その直後、真下から突き上げられるような衝撃に、よろけて身体が傾く。そのままひっくり返るかと思ったが、隣から伸びた腕が俺の肩を掴んだ。
腕に助けられてどうにか体勢を持ち直すと、同じ体格をしているはずなのに、一切バランスを崩すことなく立っている『俺』が、再び暗闇と化した空間の天井を睨んでいる。
「見るな、見るな、見るな、見るなっっっ!!!!」
『ミルナ』と、誰かがしきりに叫んでいる。
当人が目の前にいたら、今にも泣きだしそうな顔をしているんじゃないかってくらい、最早悲鳴に近い。
「こ、この声って、」
「………聡。」
唇を真一文字に結んでいたヴィズがポツリと呟く。
……そうだ、この声は米山君だ。食堂で犬飼に向かって怒っていた時の声と似ている……ような気がする。つい最近の出来事のはずなのに、なぜだかはっきりとは思い出せないけれど。
でもそうとくれば、俺は腹いっぱいに空気を吸い込む。
「米山君!!どこにいるんだ、出てきてくれ!!」
「見るな、見るな、見るな、見るな、見るな、見るな!!」
「少しでいいから、話したいことがあるんだ!!」
「う、うるさい、うるさいうるさいうるさいうるさいっ!!!」
「頼むよ米山君、俺の話を、」
「うるさいうるさいうるさい!!なんで来たんだ……どっかいけ!!!」
キーン!と耳鳴りがするほどの絶叫に、ぐらりとまた地面が揺れた。
今度はよろめかないようにと慌てて足裏に力を入れる―――が、なんだか妙に柔らかい感触が返ってきた。ハッと下をみると、真っ暗な地面の中にどんどん脚が沈んでいっているではないか。
「ぬわーっ!?す、吸い込まれてる!!」
脚を引き抜こうにも、纏わりついた柔らかい黒が重たくて、脚が持ち上がらない。
おまけに動いた分だけズブズブと引きずり込まれ、あっという間に上半身まではまってしまう。まるで底なし沼だ。
「お、おい、どうすんだこれ!!」
「…………。」
もう首下まではまってしまった。すでに闇の中に埋もれた身体の感覚はないし、横で同じような状態になっているヴィズからの返事もない。
「……っ、米山君!!俺は君に会いたいんだ!!俺だけじゃない、犬飼だって―――もがっ!!」
口が、鼻が、どろりと柔らかいもので覆われていく。
もう何も見えないけれど、暗闇の中で誰かが静かにすすり泣く声が、聞こえた気がした。




