④
「はーい、朝のホームルーム始めます。出欠とりますよ。」
(ああ、なんでこんなことに……。)
呆然と上を見上げれば、青い空ではなく教室の天井がある。そのマス目を1枚、2枚と数えながらフツフツと心に浮かび上がるのは、今朝の屋上での一件だ。
ヴィズが姿を消してから、一体どうやってAクラスに戻って来たんだっけ?
なんとなく「柴田さんしっかりー!」と半泣きの子分達が、固まったまま動かない柴田さんを担いで走って行ったのは覚えているけど……思い出そうとしたら全てがあの衝撃のツーショットでかき消されてしまう。
(柴田さんの頬に俺が…俺が…っ、これからどんな顔して会えばいいんだよおおおおお!!)
「羽賀 すずめ。」
「はい。」
「日野 秋人。………日野 秋人君?出欠の返事をしてください。」
「藤井先生ー、日野は魂がどっか行っちゃってるみたいです。」
「日野君、テスト勉強頑張るのはいいけど、睡眠をおろそかにしてはいけませんよ。では次…」
「ねえ日野、どうしちゃったのさ。絶チってるよ。」
藤井先生の点呼が続く中、隣から佐々木さんが声を掛けてきた。
天井のマス目が35枚目になったところで、重い首をノロノロと下げる。
「…なんでも。ところで絶チるってなに?」
「絶望のチワワ顔になってるって意味。」
「俺の顔でオリジナルの動詞作んないでよ。でも今はどう頑張っても希望のチワワにはなれない…。」
「またドッペルにでも会ったわけ?犬飼に聞いたら、あれはイタズラだったって言ってたけど。」
「う、うーん。」
一緒に事件を追ってくれていた佐々木さんに嘘をつくのは心苦しいが、犬飼がそう誤魔化したなら話を合わせるべきだろう。なんせ、どう説明したらいいかも分からないし。
「ま、今日なんか体調不良者が多いらしいから無理しちゃだめだよ。大体がラミアらしいけど。」
「そうなの?」
「そうそう。園田先生も休みらしいんだよねえ。つまらん、私も休めば良かったー。」
「へー、だから園田先生じゃなくて藤井先生が出欠とってるのか。あの先生でも、人並みに具合悪くなることあるんだなぁ。タバコの吸いすぎかな?」
「おい日野。侮辱は許さんぞ。」
「冗談でございます軍曹!」
危ない危ない、佐々木さんは生粋の園田涼平主義者だということを忘れていた。
慌てて謝る俺のことを横目で軽く睨んだ佐々木さんは、そのまま首をかしげた。
「でもさーオリジンならまだしも、ラミアが何人も休むのは珍しいよね。」
「そう言えば、今朝一緒に登校した朝原先輩ファンにも、具合悪くなっちゃった人がいたな。なんか甘い匂いがするって言ってた。」
「なにそれ、オリジンには分かんないやつ?嗅覚が鋭いってのも大変だ…よね……。」
ふと笑顔を引っ込めた佐々木さんは、窓の外に目を向けた。
なんだろうと真似して外を見たけど、ここからじゃ相変わらず暑そうだなーということしか分からない。
「…甘い匂いといえばさ、昨日久しぶりに第2グラウンド行ったらそんな匂いしたかも。」
「第2グラウンド?この間ハンドボール投げたとこか。」
「そうそう、陸上部が使うとこでもあるんだけど。あそこって部活が無かったら誰も行かないじゃん?テスト勉強の息抜きにいいかなーって思って、夕方散歩したの。」
「じゃあその甘い匂いって、近くにある花壇じゃないの?ほら、園芸部の米山君が世話してるやつ。」
「いやー?前からあの花壇あったけど、あんなに匂いを感じたのは初めてだよ。あんま花に興味ないから気付かなかっただけかな。」
「たまたま風が吹いて花が揺れたとか?そうじゃないと、あの辺に甘い匂いがするものなんて……」
花壇の辺りを思い出そうとすると、米山君と話した光景が蘇る。
―――色とりどりの花、よく見ようと顔を近づけたらほんのりと感じたいい香り。俺の質問に答える米山君の熱心な横顔。友達だと言った時の困ったような顔。…友達になれるかと思った直後に、突然怒り出したのには驚いた。その背後で、風が吹いていないのに揺れていたのは、大きな―――
「木―――木があったよな?そうだ、すごく大きな木で、触ろうとしたら米山君が怒ってさ。木の近くでブツブツ喋ったりもしてて……なんで今まで忘れてたんだろう。」
「木?そんなのあったっけ?」
「体育の時に犬飼と3人で、大きな木の陰に入っただろ。なあ、犬飼?」
「ああ。」
右隣の机に向かって聞けば、すぐに犬飼が頷いた。
藤井先生の話に集中しているように見えて、実は俺たちのヒソヒソ話をしっかり聞いていたのだろう。
「体育の時はデカいなって思うだけだったけど、米山君と見た時はちょっと不気味っていうか……。しかも黄色っぽい色の大きな蕾が何個も付いてたんだ。」
「蕾?たった半日過ぎたくらいで、何もなかった枝に蕾が出来るなど有り得ないぞ。」
「待って待って、私未だにその木が分かんないんだけど。体育の時に木の陰に入ったってホント?」
「入ったじゃん、こんなとこに木があったんだねって話しながら。佐々木さん忘れちゃったのか?」
「そうだっけー?昨日もグラウンドにそんな大きな木なんて無かったと思うけど?」
思わず犬飼と顔を見合わせた。
そもそも木の陰に入ろうと言ったのは佐々木さんだった筈なのに、本人はその事を覚えてないなんて。
(俺も今まで木の存在を忘れてたけどさ、佐々木さんは木陰に入ったこと自体忘れてるってことだよな?)
…ますます違和感を感じる。頭の中にハテナが浮かびすぎたせいか、また頭もムズムズしてきた気がするぞ。
隣では眉間に皺を寄せた犬飼が机と睨めっこを始めている。腕を組んだまま器用に肩を回したのを見た、丁度その時、ホームルームの終了を告げる鐘が鳴った。
◆◆◆
「日野、行くぞ。」
「ん?」
ホームルームが終わった直後、犬飼が発した第一声がこれだった。
何も知らずに俺たちの席まで歩いてきたスズメが、口を開けたまま瞬時に時計を見る。
「行くって、どこにです?」
「決まってるだろう。第2グラウンドだ。」
「第2グラウンド!?着く頃には1限が始まっちゃいますよ。何をしに……」
急に話すのをやめたスズメは、丸っこい目で左右を見やる。最後に、俺たちの1番近くにいた佐々木さんが阿部さんの机に走っていくのを確認してから、そっと口を開いた。
「……もしかして、米山君のことで分かったことがあるんですか?」
「えーと、分かったんじゃなくて、違和感を感じたっていうか?そうだろ、犬飼。」
「いや、憶測だが…ヴィズの正体が分かったかもしれない。」
「「ええ!?」」
…あ、やっばい。俺とスズメの声に、クラス中が振り向いた。
注目を集めたせいでこちらの話を聞こうとする生徒、特に聴力に優れたラミアでもいたら厄介だ。
「…詳細は歩きながら話す。ひとまず日野が盛大に腹を下し、俺たちは保健室に連れて行く。この設定を使う。」
「また?一体俺は何回学校で腹下せばいいの?」
「許せ。友情ぱわぁーだ。」
「ぱっ……わぁ?」
「大丈夫だからスズメ、これ犬飼のドッペルじゃないから。ちょっと変なブームきちゃってるだけだから。」
犬飼の口から聞いたこともないセリフが飛び出たせいで、明らかに動揺の色を浮かべたスズメをなだめたら、次は「あぁー!腹がぁー!」と叫びながら教室を飛び出す俺は学園イチ多忙だったに違いない。
一方で、「また下痢?大変だね」「いってらー」とゆるく返してくるAクラスメンバーこそ、少しくらい動揺してほしいものだ。
「はーっ、ここまで来れば大丈夫か?」
飛び出した勢いで、昇降口まで来てしまった。
ちょっと移動しすぎた気もするけど、授業開始寸前なだけあって人気は少ないから良しとしよう。
(外靴に履き替えるために、犬飼とスズメも必ずここに来るよな。待ってよ。)
呼吸を落ち着かせながらぼんやり廊下の掲示板を眺めていると、後ろの方からガタン!と大きな音がした。完全に気を抜いてた口から飛び出さんばかりの心臓を、慌てて飲み込む。
「あれ、秋人?」
「…陸!?なんだ、びっくりさせんなよー。」
下駄箱の陰からヒョイと出てきたのは、まさかの幼馴染だった。どうやら、ちょうど外から戻ってきた所で、今の音は下駄箱に靴を放り込んだ音だったらしい。
…良かった。もしも教頭先生とかだったなら、また説教をくらうところだった。
「何しに外行ってたんだ?もうすぐ一限始まるぞ。」
「部室にスマホの充電器置きっぱなこと思い出してさあ、ダッシュで取ってきたとこ。秋人こそどうしたんだよ、教室はこっちじゃないぜ。」
「知ってるよ!俺はえーっと……そうだ陸、今日の朝Dクラス行ったらしいな。どうだった?」
「どーもこーもない。米山君ずっと勉強してて、話しかけても答えてくんねーし?完全に無視されてたっつーか……そのあとDクラの野球部にもチラッと聞いたら『そんな奴いたっけ?』なんて言うしさ。普段の米山君はよく喋るってことなんかな?とにかく、本当のことが全然分かんなくて。」
やっぱり陸が見た米山君も、俺たちの時と同じような状態だったらしい。陸は充電器のケーブルを指に巻きつけながら、「それと」と続けた。
「とりあえず米山君を『見つけた』って言うためにAクラスにも行ったんだけど、お前いなくてさ。」
「ごめん、たぶんその時に俺がDクラスに行ってたか、屋上に行ってたんだ。」
「屋上?…あそこは危ないから。しばらく行くなって言っただろ。」
「心配しすぎだって、もう落ちたりしないよ。」
「さすがにまた落ちるとは思ってないけど―――思い出すだろ、落ちた時の恐怖とかさ。あんまり酷いとヴィズを引き寄せる原因にもなるし、そういう場所は行かない方がいい。公園と同じだぞ。」
「公園か……そうだな。うん、陸の言う通りだ。気を付けるよ。」
そう言うと、相変わらず心配性な幼馴染は安心したように目元を和らげた。
…また余計な心配をかけてしまうなら、もう屋上には行かないように気を付けよう。今日だって落ちなかった代わりに、同じくらい衝撃的な事件があったわけだしロクな事がない―――なんて、今はあの写真を思い出すのはやめよう。俺の精神衛生上、非常によろしくない!
「おーい秋人、なんで急にゲッソリしてんだ?あと、向こうから来てるのって犬飼君と羽賀さんじゃね?」
「ハッ!ほんとだ!」
廊下の先から小走りでやって来た2人は、俺と目が合うと更に速度を速めた。……何だか少し、スズメの表情が硬い気がするのは気のせいだろうか?
「日野君、お待たせしました。間宮君も一緒だったんですね。」
「…済まない、Dクラスを覗いていたら少し遅くなった。」
「米山君か、どんな様子だった?」
「朝と変わらずです。朝礼後もずっと勉強していて…周りも誰も気にしていないようでした。ですが……」
「何かあったの?」
少し言いづらそうにしているスズメの目が揺れて、犬飼を見た。するとバトンタッチしたかのように、犬飼が薄い唇を開く。
「今朝Dクラスで、米山の席の場所を教えてくれた女子生徒がいただろう。」
「うん。あの子がどうかした?」
「さっきDクラスに行ったときも、俺たちに『Aクラスの人がどうしたの?』と話しかけてきたから、俺たちは『また米山に会いに来た』と伝えた。すると―――女子生徒は、『米山って誰?』と答えたんだ。」
「「は?」」
「わ、私たちも意味が分からなくて、『あの人ですよ』と米山君を指さして伝えたんです。それなのに、『あんな人いたっけ?別のクラスの人?』と言われてしまって。」
「どういうこと?米山君が無視されてるってこと?」
「いいえ、間宮君。私たちも最初はそう疑ってしまいましたが、他の何人かに聞いても、皆さん悪意など無く純粋に『知らない』って、そう答えるんです。」
「米山君を知ってるはずの人達が、突然知らないと言ってる……?」
自分で呟いておきながら、まさか、とすぐに否定したくなる。だって、今朝までは米山君のことを話していたクラスメイトだぞ、そんなことあるだろうか?
「日野、今朝ヴィズが言ってただろう。『見えないところから少しずつ消えている』と。」
「そ、そりゃ目に見えないけどさ。米山君の心の次は、周りの人の記憶が消えたっていうのか?……マジで?」
「えーっと、見えるだの見えないだの、話がぶっ飛んでて分かんねーけんだけど。とにかく、Dクラスの生徒は米山君を忘れたってことなのか?」
「そう、だな。忘れたって言うのが正しいのかも。絶対に知らないはずないんだから。」
「いやいや、急にそんなこと言われても信じら………あ、『そんな奴いたっけ?』って、そういう事か?あいつも忘れてたんだな!?」
「も、もしもこのまま学園の生徒だけじゃなくて、他の人―――米山君の家族まで米山君のことを忘れてしまったら、そんなの消えたのも同然ですよ。」
まずい。これは本当に、取り返しのつかないことになっている―――見合わせた互いの顔から、血の気が引いていくのがはっきりと分かる。
…いや違うな、本当はずっと深刻な状況だったはずなのに、改めてこう感じるのはきっと、米山君の心が消えたと言われた時よりも、状況が具体的に理解できたからだろう。
「や、やっぱり、先生とか警察に通報しませんか?私たちだけでは限界だと思います。」
「………。どうする、日野。」
「確かにその方がいいとは思う、けど…」
けど、そうしてる間に俺たちまで忘れてしまったら?それに、通報したと知ったヴィズがもっと多くの人を傷つけるかもしれない。
「ゲームオーバー」と言って笑う、『俺』の顔が頭に浮かんだのを慌てて打ち消す。
そんなのダメだ、米山君が消えてしまうのも、学園の誰かが傷つくのも、どちらも嫌だ。
(もっと他に手段がないか考えろ。えっと、あいつは自分の本体を探せと言ってたよな。つまり本体を見つけられたら、もう一度ヴィズに会えるってことだろ。そしたら……)
その先で俺に出来ることを一通り考えて―――我ながら頭の悪いアイデアだなと笑いそうになった。でも、これしかないと思ったんだから仕方ない。
「俺は、このまま第2グラウンドに行くよ。ヴィズの正体を確かめて、米山君の手掛かりを掴みたい。それに犬飼の予想はきっと的中してる……そうだろ、犬飼。」
一瞬、もしかしたら拒否されるかもと心配したが、この学園で唯一ヴィズの正体に辿り着く鍵を握っている犬飼は、ためらうことなく頷いた。
「…ああ。急ごう。危険かもしれないから、2人は残ってたほうがいい。」
「もう戻ることも難しいなら、進むべきだってことですよね。…分かりました。そうと決まれば、もちろん私も行きます!」
「俺も俺も。秋人が行くなら、一緒に行くに決まってるだろ。」
「ありがとう。みんながいると本当に心強いよ。」
陸が加わり、4人で顔を合わせて「よし」と頷く。
もし1人だったら、絶対ここでくじけてたけど、まだ何とかなると思えるのはみんながいるからだ。
(怖くて逃げ出したいのは同じはずなのに……みんなも俺を信じてくれてるんだ。絶対俺がどうにかしてみせる。)
ゆっくり深呼吸すると、かすかに甘い香りが鼻から肺へと染み渡る。靴紐をしっかり結ぶと、さっきから頻度が多くなった気がする頭のムズムズなんて無視して、中庭に駆け出した。




