⑤
部屋の中を鈍い振動が響き、家具がカタカタと音を立てる。
反射的に瞑った目を恐る恐る開けてみれば、床に倒れた『俺』の胸ぐらを掴んでいる、結城先輩の背中があった。
「っ、先輩!」
「…いい加減にしろ。さっさと種とやらを取り出せ。」
「いってえ……ちょっと聞いてみただけじゃん。仕方ないだろ、久々自由になったらさ、もっと、もっと知りたいって気持ちが抑えられないんだ。」
「そんなの知るかよ。話になんねえな。」
先輩が腕に力を込めて床に押さえつけると、初めて『俺』の口から苦しそうに呻く声が漏れた。
「もういい、さっさと消えろヴィズ。」
「と…とか言って、センパイに、この姿の俺を殺せるのかな?」
「…………。」
「…そ、れに、俺を殺したところで、日野の種は……学園の生徒達にまいた種は、消えない、ぞ。日野、お前にも心当たりがあるんじゃないのか?」
「え…。」
どうしたらいいか分からず立ち尽くす俺を、床に倒れてる『俺』が横目で見る。
……何度見ても心臓がざわつくほど、俺にそっくりな姿をしてる。けれど、こいつは俺自身でもドッペルでもなく、ヴィズだ。
この俺たち人間と全く違う生き物は、人間になりすますために、種を仕込んで情報を引き出していた?
―――ここまで考えた矢先、頭の中に浮かんだのはトイレで会った犬飼の姿だった。
あっ!と声をあげるよりも早く、勝手に動いた身体が先輩の腕にしがみつく。
「せ、先輩ダメです、離してください。犬飼もドッペルなんかじゃなくて、そいつが化けてたんだ!俺以外の人にも種を仕込んでるって、本当です!」
「はー?…事前に何人も人質取ってるってわけか、死ぬほどめんどくせーヴィズだな。余計なことばっかしやがって。」
「げほっげほっ!…褒めてくれてどうも。でもこういうやり方があるってのも、人間から情報抜いて学んだんだぜ。改めて人間ってのは怖い生き物だと思ったね。」
そう言いながら床から起き上がったヴィズの姿は俺ではなく、犬飼へと変わっていた。
一瞬の変わりように息を呑み、思わずまじまじと見つめてしまう―――本当に、歯を見せて笑いさえしなければ、犬飼そのものだ。
「ま、外見ならいくらでも真似できるんだけどね。見たままを再現するだけだし。実際に人間に種を仕込んだのは、この姿で日野に会った後だよ。やっぱ情報不足だなぁって思って。」
ということは、トイレで会った後ということか。でも、これで突然犬飼がトイレに現れたのも、不審すきる言動の数々にも納得がいく。
「お、お前さっき種があっても死なないって言ったよな?犬飼や他の人達に害はないんだよな?」
「……さあな?それは、君たち次第かな。」
「俺たち次第って?」
「おい糞ヴィズ。その言い方じゃ、何か目的があるんじゃねーの。お前はなぜこの学園に現れ、日野に近づいた。」
「目的……ね、最初は人間に興味があっただけなんだけど。」
『犬飼』は少し考えるように目を伏せた後、床からトランプのカードを1枚拾いあげる。
そして、いつものように黒縁眼鏡を押し上げると、拾い上げたカードの絵柄―――ジョーカーが見えるようにこちらへ向けた。
「なあ、今度はババを奪い合うゲームをしよう。」
「…ゲーム?」
「この学園から『ある人物』が消える前に、そいつを救えたら君達の勝ち。救えなかったら…全部終わり、ゲームオーバーだ。」
「なんだよ突然…『ある人物』が、消える…?誰のこと言ってるの。」
そう聞いた途端、『犬飼』の姿がぐにゃりと歪んだ。
―――身長が低くなり、肩幅が狭く、手足が細くなる。赤茶の髪から黒髪へ生え変わり、青白い色の肌に乗った眼鏡まで、丸っこいフレームへと形を変えた。
「……!!」
噛みすぎて血が出ていたはずの唇は、今は傷1つなく。衝撃で動けない俺に向かって、ゆっくりと動いた。
「米山 聡を見つけ出せ。この学園から消える前にな。」
「は……」
―――米山君が学園から消えるだって?
言われたことを理解しようにも、『米山 聡』と『消える』の2つのワードが結びつかず、頭の中で激しい攻防戦を繰り広げている。
「よねやまさとし?誰だそいつ…ってか、こいつ。」
結城先輩が、米山君の姿をしたヴィズを訝しげに指差した。
『米山君』はその指を避けながらフフンと得意げに鼻を鳴らす。
「どうよ、そっくりだろ?」
「いや実物知らねーし。なんでそいつ消えんの。」
「『この世界から消えたい』って、あいつがそう望んだからだ。俺を呼んでおきながら、勝手に消えようとするとは許せんやつめ。それならせめて腕の1本や2本、置いてってもらわないと。」
「お前を呼んだ?――米山君が、ヴィズを呼んだって?」
「そう。他にも偶然重なった理由はあるけど、最終的な結果として俺がここにいるのは、聡のお陰だ。あいつだって俺がマトモな存在じゃないってこと、気づいてたと思うぜ。」
「そんな…嘘だろ。一体どうして。」
簡単にそうだったのか、なんて納得できるわけがない。
米山君は頭がいい―――だから、人間がたくさんいる場所にヴィズを呼ぶことがどんなに危険な事か、分かっていたはずなのだ。
(それに、消えたいと思ってたなんて知らなかった。)
何かしらの理由があってそう望んだとしても、頼るべきはヴィズじゃないだろ。もしかして、米山君には他に頼れる存在がいなかったんだろうか?そう考えると、ぐっと胸が重くなる。
(でも、このヴィズは米山君に呼ばれたってんなら、米山君が消えたいと思う理由を知ってるはずだよな。それが米山君の居場所へのヒントになるんじゃないか。)
だとしたら、出来るだけコイツから情報を集めるべきだよな。
続けて質問をしようと口を開きかけた時、結城先輩が突然玄関を振り返った。
「しっ、誰か来るぞ。」
「え。」
誰が?と考える間もなく―――ドンドンドン!!と玄関の戸が叩かれる音が響いた。
ええええマジかよ、この状況でドア開けんのはどう考えても厳しいよな!?咄嗟に見上げた結城先輩の琥珀色の目が、『この部屋には誰もいません』と物語っている。
(よ、よーし居留守コースは決定だな。あとはこのヴィズが静かにしているかだけど…。)
目線を飛ばすと、なにやら玄関と俺を見比べていた『米山君』はニヤッと笑って―――瞬き1つしないうちに『俺』へと姿を変えたではないか。
嫌な予感がしたと同時に、俺の姿をしたヴィズは「はーい!今行きまーす!」なんて元気に返事しながら玄関へと走っていく。
「あっ!こいつ!」
「おい待て、2人同時に出るな!」
慌ててヴィズを追いかけようとした俺に向かって、先輩が手を伸ばしたのが横目で見えた。
―――そして、その手が俺の腕を掴む前に、引っ込んだところも。
(……?あの時と同じだ。)
思わず足を止めて先輩を振り返ると、あからさまに目を逸らされた。なんだその『やっちまった感』が漂う、微妙な顔は?
「ハッ!ま、まさかこの状況で、また手首のスナップの練習してたんですか!?」
「あ?誰が………いや、そうだ。お前には見えないのか、あの素晴らしい軌道を描くボールが。」
「見えねーよ!ねえやめて、そんな遠い目をしないで………え?」
先輩の視線をなぞって見えぬボールを追いかけると、ちょうど部屋の入口に『俺』と―――その後ろから、2つの人影が入ってきた。
「あ、あきと?…えっ?」
「………。」
「り、陸……犬飼。」
や―――やばい、先輩に突っ込んでる場合じゃなかったああ!!
『俺たち』を見て驚愕の表情を浮かべる陸の手から、抱えていた筆箱やノートが床に落ちた。その隣にいる完全停止モードらしい犬飼は、不自然に足を上げたままピクリともしない。
全ての元凶である『俺』は楽しそうに各々の顔を眺めてるし、後ろからは先輩の「うわ、めんどくさいのが来た…。」と呟く声が聞こえてきた。
「な、なな、なんで秋人が2人いんの!?」
「はは……」
―――ああもう、度重なるピンチに笑うしかない。
今すぐ部屋から飛び出して、先輩が投げたボールを追いかける、果てしない旅に出てもいいだろうか?




