③
「おおっと、そんなにデカい声出すなよ。ただでさえラミアが多いんだから。」
「もが…っ!!」
全力で叫んだ口は、すぐに手で塞がれた。
その代わり、声を出したおかげか足が動くようになったので、距離を取ろうと後ろに下がる。
しかし、なにしろここは玄関だ。すぐに背中がドアにぶつかって、相手の顔が至近距離まで近づいた。
「……っ、」
―――見れば見るほど俺と同じ顔、同じ身長。
まるで、すぐそこに鏡があるみたいな錯覚に陥る。違う所と言えば、半袖の夏服を着ているくらいか。
(いや、右腕の痣もない。コイツもしかして……!)
「静かになったな。お前が騒がないのが条件だけど、手、離して欲しい?」
全力で頷けば、にこっと笑った『俺』は案外あっさりと、口を覆っていた手を離した。
……これは、逃げたほうが良いんだろうか。
息を整えながら一瞬後ろのドアに視線を飛ばすと、すぐに横から手が伸びて、内側から鍵をかけてしまった。
そのうえ、腕を引っ張って「あがりなよ」なんて言ってくる。
呆然と引っ張られるがまま、見慣れた部屋の中に進んでいく。特に荒らされた形跡は無いのでホッとしたが、薄っすらと……甘い匂いがするような。なんて、今はそんな事よりもこの状況をどうにかしないといけないのに、面白いほど何も思いつかない。
だが真っ白な頭でも、どうにか捻り出せたことがある。
―――こいつは恐らく、今日1日俺の頭を悩ませたドッペルゲンガーだ、ということだ。
「お、お前、今日の1限、俺のフリして授業に出ただろ。」
カラカラに乾いた喉からは震える声を絞り出す。『俺』は、心なしか嬉しそうな顔で頷いた。
「うん、そう。ノート見た?」
「名前は?何年生?どうして俺にそっくりなんだ?やっぱドッペルゲンガーなのか?」
「はは、質問が多いな。……まず、名前は日野 秋人。1年生。俺はお前だからお前にそっくりで、ドッペルゲンガーってのとは違うんじゃないの。」
「ふざけんな!お前が俺?そんなこと、あるわけないだろ。」
「目の前にいるのに?」
『俺』は肩をすくめると、学習机の椅子に座って足を組む。おまけに、深いため息も吐いた。
……な、なんだこいつ俺と同じ顔してるくせに、偉そうだぞ。
「はー……君らはいつだってそうだな。矛盾を見つけるとすぐ疑ってさ、排除しようとする。こちらからしたら、君らの方がよっぽど矛盾してるのに。」
「は?…どういう意味。」
「でもそこが良いところでもあるよ。うん。特に日野は面白い。」
「俺が面白いだって?」
なんだこいつ。存在だけじゃなくて、言ってることもマジで意味わかんねえ。
立ち尽くす俺の一方で、『俺』は自分の首元を指差してから、爪を立てるような仕草をした。
「そう。例えば……オリジンのくせに、日野は吸血をゆるさない、とかね。超貧血体質なんて嘘までついてさ。なのに、ラミアと共存したいと思ってる。」
「!! なっ、なんでそれ知って……!」
一気に血の気が引くのを感じる。
学習机に詰め寄る前に、突然『俺』は椅子から勢いよく立ち上がった。
何をされるかと思わず身構えたが、『俺』は真反対の窓に向かって一直線に駆け寄った。……かと思えば、ろくに外を見ずに戻って来る。
「来た来た、同室者が帰って来たぞ。あーっと、日野はそこに入っててくれる?」
「そこって…クローゼット!?無理に決まってんだろ!」
「いけるいける。さっき確認したからオッケー。」
「入ったの!?人の部屋で何やってんの!?」
「俺の部屋でもあるだろ?」
いやいや、俺が俺の知らない所でクローゼットに入る実験してるとか、想像しただけで目眩がする。どんだけシュールだよ!
……やばい、なんか上手く言えないけど、とにかくやばい。何度目かのキャパオーバーだ。よし、逃げよう。
そう思ったと同時に、クローゼットの中を漁っていた『俺』は首だけでこちらを振り向いた。
「逃げようったって無駄だぞー。足遅いんだからやめとけ。」
「おおお前だって俺と…『同じ』…とか言うなら、遅いだろ。」
「俺は日野よりも速いよ。わざわざ加減したりしないしね。
……さて、あいつ瀬谷ほどではないけど、その辺のラミアより耳いいんだから、そろそろ静かにしようか。ごめんけど、口にペターッとさせてくれる?」
「えっ、ヤダ。」
いい笑顔で片手に持ったガムテープをチラつかせる『俺』に、嫌な予感しかしない。
誰だよクローゼットにガムテープ入れてたやつは―――って、引越し直後の俺じゃねーかちくしょう!
今度こそ逃げようと回れ右をしたが、走るどころか一歩も足を踏み出さないうちに肩を掴まれてしまった。
「やめろ離せ、こっち来るな!」
「痛てっ、蹴るなって。大人しくしないと…先輩やお友達がどうなるか、分かんないぜ。」
「なっ……お前、みんなに何かしたら許さないぞ!」
「ふん、ただのオリジンに何ができるって?それに、自分次第だって言ってるじゃん。…どういう意味か、分かるだろ。」
俺を覗き込む目が弧を描いてギラリと光る。動物的本能か、身体がすくんで動けない―――こいつ、冗談じゃなく本気で何かするつもりだ。
動きを止めた途端、宣言した通り口にガムテープが貼られる。おまけに後ろに回された腕まで何重にも巻かれて、引きちぎろうとしたがビクともしない。
(自分は『俺』だとか言ってるくせに、俺の周りの人を傷付けるって言ってんのか?ふざけんなよ、そんなことさせるか。)
『俺』に名前を忘れたと言われ、ショックを受けていたスズメを思い出す。
……とにかく、コイツが変な気を起こさないためにも、言われる通りにするしかない。
さっきまでの剣呑さは消え失せ、大好きな映画が始まる直前の子どもみたいに上機嫌な『俺』に、狭いクローゼットの中へ容赦なく押し込まれる。
何でこんなミノムシみたいな体勢で床に倒れた挙句、自分の顔を見上げなきゃなんねーんだ!
そう文句を言ってやりたいのに、塞がれた口から唸り声が出ただけだった。
おまけに、少し体勢を変えようとすればすぐに衣装ケースやら、生活用品やらに身体がぶつかって音が鳴る。
「ほらほら、音立てるなって。良い子にしてろよ。」
「んぐー!(無茶言うな!)」
クローゼットのドアがゆっくりと閉められるのに合わせて、中は暗闇に覆われていく。ドアと床の間の細い細い隙間が、ほんのりと光っている程度だ。
何も見えなくなった代わりに、勢いですっ飛ばしていた恐怖や不安が汗と一緒に吹き出してくる。
(やばい、今どうなってる?あいつは誰だ?…落ち着け、落ち着け…!誰か、結城先輩が帰って来るのを止めてくれ!)
―――そう願ったのも虚しく、遠くで玄関の鍵が開く音が聞こえた。
息をのみ、体を硬くして縮こまる。
足音が玄関から部屋へ近づいて来ると、クローゼットの前にあった気配が遠のいた。
「結城先輩。」
「うわ、今日すげー甘ったるい匂いすると思ったら、この部屋もかよ。お前よくこん中いれるな。」
「そうですか?オリジンの俺にはよく分からないです。」
ガラッという音がして、蝉の音が部屋の中に響き始めた。たぶん、先輩が窓を開けたんだろう。小さく「うるさ…」と呟く声もする。
(先輩そいつ偽物だから!早く気づいて逃げて!)
先輩の足音がクローゼットの近くを通るたびに、叫びたい衝動にかられる。
ガムテープで叫べなくても先輩は耳がいいから、少しの物音で気づいてくれるかも……いや待て、そんな事をしたら、あいつが何をしでかすか分からない。
結局俺は、ただ耐えるしかないのか。
「先輩お茶飲みますー?」
「んー、お茶じゃなくてパック取って。」
「ぱっく?」
「だから冷蔵庫の……いや、いい。自分で取る。」
冷蔵庫の扉が開いて、閉まる音がする。
きっと取り出したであろうパックとは、赤い花柄が目印の血液パックのことだ。
もう一度『俺』が「ぱっく…?」と漏らした声を聞くと同時に、床に転がってる俺の頭がまたムズ痒くなる。
「ははぁ、なるほど。携帯用血液のことか。」
「何今さらなこと言ってんだ、バターは。」
「へへ、うっかりです。でも先輩、そんなの飲まなくても、オリジンから直接飲めばいいじゃないですか。」
「別に、今は気分じゃないだけ。」
「ふーん。俺のでも?」
(おおおおいー!なんてこと言ってんだよ!!)
出そうになった声を必死に堪える一方で、最大限に耳を澄ませる。
数秒後、返事の代わりに沈黙を破ったのは、ズズッと血液パックを飲み干す音だった。
「…あのな、飲ませる気ないくせに、そんなこと言うオリジンにロクな奴はいねーの。噛まれたくないなら冗談でもやめとけ。」
「ロク?…ふーん?」
「それに、俺はお前の血は飲まねー。」
(ああ良かったぁ!……けど、なんだよその言い方。既に飲んだくせにさ、俺だって飲ませないっつーの!…って、そんな事にはならないか。先輩なら、いくらでも女子の血が飲めるんだし。)
先輩が断ってくれた事にはとてもホッとしたが、投げやりな言い方には少々カチンときた。
飲まないって言われてること自体、俺にとっては都合が良いはずなのに……どうしてモヤモヤするんだろう。
(……訳わかんなさすぎて、頭痛くなってきた。)
ただでさえ思考の邪魔をしていた痒みが、徐々に突き上げるような痛みに変わっていく。
暑い、狭い、苦しい、怖いの四重苦でついに頭が爆発するんだろうか。
とにかく、一刻も早くここから出たい。
……だが、そんな俺などお構いなしに、クローゼットの外にいる『俺』は「えーっ」と好奇心を含んだ声をあげた。
「なんでこいつの血は飲まないんですか?先輩はオッケーなんじゃないの。」
「はあ?オッケーって何が。」
「だってほら、約束したじゃないですか。覚えてないんですか?」
「約束……?」
(あ?いま、なんの話?…いてて、)
痛む頭が気になって会話に集中できない。
頭を抱えたくて、ガムテープで縛られた腕を外そうと躍起になっていると、ガタッという大きな音がして心臓が跳ねる。
やっちまった!と思ったけれど、床に走った振動からして、音を立てたのは俺じゃない。
そしてなんとなく……学習机の椅子が強く擦れる音に、似ていたような。
「おっ。思い出しました?」
「……お前、約束ってまさか、」
「そうですよ。大きくなったら、1番最初に血を飲―――うぐっ!」
(いっ!?)
突然、さっきまでと比にならない程の痛みが頭を襲った。
クローゼットの向こうで『俺』が悶える声がする。
(ちょっこれ、や、やば…死ぬ!!)
喉奥から込み上げる吐き気とうめき声を、歯を食いしばって堪える。あまりの痛みにいっそ、気絶してしまえた方が楽なくらいだ―――。
床に頭を押し付け、目を強く瞑るしかない。そして、幸いなことに、10秒経たないうちに痛みは引いていった。
……な、なんだったんだ今のは。
最近頭を打ちまくった中でも、体験したことのない最上級の痛みだったぞ。
恐る恐る鼻で呼吸を再開すると、全身鳥肌だった身体の毛穴が開き、また汗が流れ出す。
「は…ははっ、今のすごいな……。」
扉の向こうから、荒い息に混ざって『俺』が笑う声がぼんやり聞こえた。
どうして、あいつも同じタイミングで苦しんでるんだ?
「っていうかさ。心配してくれないんですか、先輩。」
「黙れ―――お前日野じゃないな。何だ?」
「えっ。」
(それって…まさか先輩、そいつが偽物だって気づいたのか!?)
突如として真っ暗なクローゼットの中に、希望の光が見えた気がした―――けど、これって拙いんじゃないか。
隠れたは良いが、この先バレようがバレまいが、『俺』がどう出るかは全く予想できないままなのだ。
心臓が飛び出しそうな中、また『俺』が小さく笑う。
「ど、どうしちゃったんですか。俺は日野ですよ。」
「…………。」
「……なーんて、もう通用しないか。そんな怖い顔すんなよ、結城セーンパイ。アンタの日野には何もしてねーよ。」
(嘘つけぇー!!ガムテープ巻きにしてくれてんだろーが!!)
意外にも素直に偽物だと認めた『俺』は、声のトーンや口調もさっきまでとは違っている。
やっぱりあいつは俺と全く一緒なんかじゃなくて、演技をしていたということだろうか。
「何もしてないけど、『俺』のこと通報とかしちゃったら――どうなるかな。」
「………なんだってアイツはこう、余計なモンに首を突っ込むんだ…。」
結城先輩の盛大なため息に、俺だって好きでやってんじゃない!と反論したくなる。
「…で、お前どっから入って来た。なんでその姿をしてる。」
「案外冷静だな?」
「騒いでも仕方ねーんだろ。お前が何かしてくるなら別だけど。」
「なるほど、自信があるってわけね。俺はちゃんと玄関から入ってきたぜ。」
「玄関って…鍵は。」
「ん?開いてた。」
(ぎゃー!バラすなー!)
「バタァー……。」
今度はバターとため息のコンビネーション、頂きました。
どどどうしよう絶対怒られるやつだぞ、これ。
俺もうこのままクローゼットの中にいた方がいいかもしれない。むしろ『俺』とも先輩とも隔離されているこの中が、一番安全なように思えてきた…!




