②
「それで問題のドッペルなんだけど―――って、時間やばくない?もう昼休み終わるって!」
「わわ、まだ食べてる途中でした!」
いつの間にこんなに時間が経ってたんだろう。
佐々木さん以外が慌てて食べかけの昼食を胃袋に詰め込み、席を立つ頃には、あんなに混み合っていた食堂はほとんど人気がなくなっていた。
「あ、俺トイレ寄って行くから、みんな先行ってて。」
「分かった。急げよ。」
「ちゃんと教室来てくださいね、待ってますからね!」
「了解、じゃあ後でな!」
やたら別れ際にガン見してくるのは、俺がまたドッペルと入れ替わって教室に来るんじゃないか、と心配してるんだろうか。
万が一そうなったとしても、右腕を見れば判別できることが分かったので、その点は安心しているけれど。
(でも、この学園にいる(?)俺のそっくりさんも、テスト前に俺の真似ばかりしてられないよな。1年生でそんな人見たことないし……一体何年生なんだ。)
ぼんやり考えながら用を足し、早足でトイレへから出る。
廊下に出た瞬間、隣に誰かが並ぶ気配がした。どうやら俺と同じタイミングで、女子トイレから出てきた生徒がいたようだ。
(こんなギリギリの時間にトイレに入るとは、なかなか攻めるな。人のこと言えないけど。)
どんな人か気になってちらりと横目で見ると―――赤茶色の頭をした相手も、黒縁眼鏡越しに俺を見ていた。
その見覚えがありすぎる姿に、息が詰まった喉が「ふぐぅ!」と変な音を立てる。
「げっほぉ!!…んなぁっ、犬飼ぃぃ!?」
「日野。いないと思ったらそっちに入ってたのか。」
「そっちっておま、こっちしかねーよ!?なんで女子トイレから出てくんの!?」
「女子トイレ?」
「後ろの看板見てみろよ、赤いお嬢さんマークだろ!?俺たちの青い紳士さんはこっち!」
「……ああ。」
マジかよ犬飼、平然と『急げよ』とか言ってたくせに、自分も実はかなりやばい状態だったのか?それで勢い余って未知の領域に入っちゃったのか!?……いやもう、この際理由は置いといて。頼むからもう少し焦ってくれ!!
なぜか本人よりも必死な俺が指差す、女子トイレのマークを眺めていた犬飼は「ふーん」と鼻から音を出した。
「この絵、そんな意味があったのか。面白い。」
「…お前は15年間どうやって、女子トイレと男子トイレを見分けてたんだ?」
「……さあな?」
犬飼は両肩をすくめて、ニコッと笑った。
「うぉっ…」
―――もう一度言おう、ニコッと笑った。
「どうした日野、顔がグチャグチャだぞ。」
「ちょ…、今のもっかい!もっかいやって!笑って!!」
「笑うって、こうか?」
また犬飼の眉と目元が下がり、口角がぐっと上がった。か……完璧な笑顔だ。突然ベリークールな塩顔男子から、人懐っこそうなイケメンへと変貌しやがった。
これぞまさに、出会ってから俺たちがずっとみたいと思っていた、犬飼の表情筋が活躍している瞬間…!!
「め…めっちゃ良い!やっぱお前笑えるじゃねーか!みんなにもその笑顔見せてやれよ。」
「そうか、やっぱりみんな笑った顔が好きなのか。」
「おお、喜ぶよ!でも、俺はいつものちょーっとだけ笑うやつも、お前らしくて好きだぜ。」
「ふむ、なるほど。笑い方にもパターンがあるのか。単純に口角を上げておけば、安心感を与えられるわけではないと。」
「な、なにもそこまで難しく考えなくても。てか、今は早く教室行こうぜ、遅れる!」
犬飼の腕を引っ張って歩こうとしたのに、犬飼はその場から一歩も動かない。それどころか、笑顔のまま逆に俺の腕を引っ張った。
「日野、あの部屋に戻るのはやめよう。日野に見せたいものがあるんだ。」
「はぁ?何言ってんだよ、スズメも待ってるって言ってただろ。ほら早く!」
「スズメ?……ああ、そうか。あの女子はそんな名前だったな。忘れてた。」
「お、お前、どうしちゃったんだよ。さすがに冗談きついぞ。」
犬飼は一瞬だけ驚いたように目をぱちりと瞬かせたけれど、またすぐに頬を緩ませた。
「どうでもいいだろ、そんなこと。あっちに行こう。」
「そんなことって―――……あ?なあ、犬飼。」
「ん?」
スズメの名前を『忘れてた』らしい犬飼は、今は俺の右腕、しかも痣の上をしっかり掴んで引っ張っている。
……おかしい、さっき右腕を捲って見せたばかりなのに。鈍い痛みが、勢いに流されそうな俺の足を止めた。
「どうした。」
「お、お前ってさ、なんでこの学園に来たんだっけ?」
「……どうしてそんなことを聞く。」
「えっと、無性に聞きたくなったというか…。」
「今じゃなくてもいいだろ。また今度、」
「いいから早く答えろって、いつもみたいに、結論だけで良いから…!」
「…………。」
「それとも、答えられないのか?」
答えてくれるまで、ここから絶対に動かない。そう目で訴えると、犬飼の顔からスッと笑顔が消えた。
「…そういう質問をされるのは予想外だったな。やっぱり情報不足だ。」
「お……お前、犬飼じゃない、のか?」
腕から犬飼の手が離れたのを良いことに、ゆっくり後ずさる。まるで耳元まで移動してきたみたいに、心臓の音がうるさい。
「誰だ?なんで犬飼の真似をしてる?」
「何を言ってるんだ。俺と日野は友達だろ。」
「ち、違う。お前じゃない。」
どこからどう見ても、目の前にいる人物は犬飼にそっくりなのに―――俺の知ってる犬飼ではない。
(これじゃまるで、犬飼のドッペルゲンガーだ。どうなってんだ!?)
犬飼ドッペルが片方だけ唇を吊り上げ、こちらに1歩近づく。
犬飼と全く同じ形の唇が開きかけたその時……廊下の先から声が響いた。
「こら、そこの1年!もうすぐ5限が始まるってのに1人で何やってんだ、早く教室に行きなさい!!」
「げっ!教頭先生………『1人で』?」
後ろを振り返ると、誰もいない。いつの間にか犬飼ドッペルの姿が消えているではないか。
こ、この一瞬でどうやって!?廊下を見渡すが、遠くで俺に向かって拳を振り上げてる教頭先生しか見当たらない。
「嘘だろ、あいつ犬飼の格好でどこ行った!?」
「こらー!聞いてんのかー!?」
「い、犬飼……そ、そうだ犬飼だよ!先生俺、教室に行かなきゃ!!」
「だから早く行けって言ってるでしょーが!!」
予鈴が鳴ったのを合図に、固まっていた足を無理やり動かして、教室へダッシュする。
俺がここで会ったのは恐らく偽物の犬飼だった―――なら、本物の犬飼は今どうしてる!?
「犬飼っ!!」
予鈴が鳴り終わるのと同時に教室へ駆け込むと、まだ担当の先生は来ていないようで、教室内は賑やかだった。
それでも、突然ドアが大きな音を立てて開いたのには驚いたのだろう。一瞬騒めきが静まり、多くの視線が集中するのを感じる。
―――その中で、黒縁眼鏡がゆっくりこっちを見た。
「日野、どうした。」
「い、犬飼、お前――女子トイレに行ったか!?」
「日野君!?」
スズメだけじゃなくクラス全体がどよめいた。
すぐ隣で阿部さんとお喋りをしていたらしい佐々木さんが、「おっほ!」と奇怪な声をあげる。
「……小2のとき大便を漏らしそうになって入ったことはあるが、それ以降はない。」
「そっか……そっかぁ!良かったぁ!!」
「えっ?全然よくないよね?犬飼君も正直に答えすぎだよね、麻子ちゃん!?」
「日野はトイレでうん◯と一緒にデリカシーも流してきたの?」
「麻子ちゃんはデリカシーどこに捨ててきちゃったの!?」
「み、皆さん落ち着いて…!日野君、何かあったんですか?」
スズメの一声で脱力していた俺は我に帰った。今はもう、犬飼が無事だったどころか、表情筋が働いていないことにさえ謎の安心感がある。
「お、俺もまだ信じられないんだけど……今度は犬飼のドッペルに会った…!」
◆◆◆
自分とそっくりな容姿を持った人間は、世の中に3人はいると聞く。
その人間を、ドッペルゲンガーと呼ぶらしい。
街中で通りすがった通行人だったり、テレビで見た人が友人にそっくりで、「あいつのドッペルゲンガーじゃね!?」なーんて盛り上がった経験も1度くらいはあるが、俺自身のそっくりさんにはまだ会ったことがない。
―――では、その上でもう1度考えよう。
世界のどこかにいる俺のドッペルさんのうち1人が、たまたま俺と同じ地域に住んでいて、偶然峰ヶ原学園の生徒で、出来心で1-Aに堂々と紛れて授業を受け、ちゃっかり俺の名を名乗り、おまけに原始人属性でシャーペン1本にウキー!ウホッ!するなんてことは―――
……どうやら、あったらしい。
しかも今度は、犬飼のドッペルまで現れたのだ。ここまで来たら、確率の奇跡を超えて、ちょっとした怪奇現象と言えるんじゃないだろうか。
実際、昼休み終了時には相当興奮していた俺も、放課後を迎える頃にはもう『あれは白昼夢だったんじゃないか』と、己を疑うようになっていた。
「だって一瞬でいなくなったんだぜ。あれから校内探しても見当たらないし、藤井先生も『そんなに2人にそっくりな生徒ですか?見たことありませんよ。』って言ってたし。」
「ですが、少なくとも日野君のドッペルさんはノートに文字を残していますから、夢ではない…ですよね。」
「女子トイレから出て来た、俺のドッペルは夢であってほしいがな。それにしても、日野と俺にわざわざ成りすますというのは謎だ。」
「だよなぁ。そう言えば、なんか俺に見せたがってたような気もするけど……あー、謎!!」
寮までの帰り道、犬飼・スズメと3人で何度も首をひねる。いくら考えても謎ばかりで、頭がムズムズしてきたぞ。
(こういう時は花を見て心を落ち着かせるべし。…うん、今日も花壇が綺麗だ。米山君が水をあげたのかな。)
見た目の可愛らしさに加えて、今朝登校した時も嗅いだ、甘い香りが漂っている。それを大きく吸い込んでいると、犬飼が肩を大きく回した。
「犬飼君、肩こりですか?」
「…ああ。肩甲骨あたりが怠い。テスト勉強で下を向いてばかりいるせいで、筋肉が固まっているんだろう。運動不足だな。」
ドッペルから少し気を紛らわしたくて、俺も真似してみるが、俺は肩よりも頭のムズムズの方が勝っている。
「こうしてみると掃除の刑って、帰宅部にとっては良い運動になってたような気がするよ。最後にやったのは…….プール掃除か?柴田さんや朝原先輩達も来て、賑やかだったな。」
「はい、江藤先輩達ともお話しできて楽しかったです。早くテストが終わるといいですよね。」
「本当になぁ!あと1週間くらいか……やばいな?」
テスト後の開放感に期待が膨らむ一方で、テスト当日が近づいていることへの焦りも高まっていく。
だって、思い返せばここ数日は色々なことがあったけど、その中に勉強を頑張ったっていう記憶がない。気がついたら寝てたー!っていうならいくらでもあるのに。
(なんだってこう、テスト期間に色々起こるんだ?それどころじゃないって。今日こそ勉強しないと!)
結局、いくら考えても分からないドッペルの件は明日再調査することにし、それぞれの部屋へと別れる。
別れ際にスズメが不安そうな顔をしていたから、夜に大丈夫だよって、メッセージを送っておこう。―――そんなことを考えながら303号室へと向かった俺は、ドアに差し込んだ鍵を回した。
……が、いつも感じられるはずの手応えがない。
「お?…朝鍵閉めるの忘れてた?」
どうやら今朝は急いでいたせいで、開けっ放しで出て来てしまったらしい。危ない危ない、先輩にバレたらまた怒られる&嫌味を言われるところだった。
「セーフ、俺が先に帰って来てよかったー。」
ドアを開け、玄関に先輩の靴がない事を確認する。
よしよしと安心した矢先、視界に裸足の足がひょっこり現れた。
「おお、言われなくても先に帰ってたぜー?」
「!?」
咄嗟に顔を上げ、玄関先で俺を出迎えた人物を見た瞬間……俺の身体は石のように固まった。
「おーい、どうしちゃったんだよ。…あ、もしかして驚かせちゃった?ごめんごめん。」
口は開きっぱなし、頭のてっぺんから指先まで動かせない―――そんな俺を見て軽快に笑ったのは、毎朝鏡で見ているのと全く同じ顔だ。
「よお、待ってたぜ『俺』!」
「は……はああああ!?」
おいおいおい、なんで俺の目の前に、俺が立ってるんだ!?




