⑥
パスワード解明への決意と闘志を燃やした数日後。
「今日のホームルームは期末テストについてだ。お前ら勿論ちゃーんと勉強してるよなぁ?」
「「「「…………………。」」」」
早くも俺は、その気合を向けるべきなのは勉強であることを思いしらされている最中であった。
園田先生から溢れ出る威圧感に、Aクラスの生徒はひたすら机に視線を伏せるばかり。ただ、俺の両隣……成績トップの犬飼と園田涼平主義者の佐々木さんは、伸びた背筋で真っすぐ前を向いてる。
…おかげで俺の居心地の悪さハンパないんだけど。
「ま、まあ園田先生、みんなそれぞれ頑張ってますよ。…ね?」
(ナイスフォローです藤井先生!神か……!)
今日も髪をハーフアップにしている副担任の藤井 真澄先生は、全身からマイナスイオン的な何かを放ってるに違いない。
緊張でカラカラに乾ききった心に潤い成分を取り戻した俺たちは、どうにか頷き返しながら再び前を向く。―――すると、少し見ない間に黒板には『緊急連絡メールの登録』という文字が書かれていた。
「そうだと有難いんですけどね……ま、それは一旦置いといて。
期末テストについてとは言ったが、まずはこの『緊急連絡メール』について説明する。プリントは全員回ったな?」
パラパラと紙が捲れる音がして、俺もみんなと同様に回ってきたプリントへ目を向ける。
『メール機能を用いた緊急時の情報配信と安否確認システム』……これが期末テストとどう関係あるんだ?
「ん、全員よく分からんって顔してるな。これは最近国が推進し始めたシステムで、ウチの学校でも取り入れることになった。
簡単に言えば、緊急事態が起きた時、その情報を学校から生徒にメールで一斉送信出来る。それで、生徒がメールに返信することで、学校は生徒の安否確認を行うことが出来る。ほぼ全員が携帯を持ってる時代だからこその策だな。」
「あのー、緊急事態って地震とか火事ですか?」
「いい質問ね、加藤君。それもあるけど、特に政府がみなさんに期待してるのは不審者、そしてヴィズへの対策です。」
「ヴィズ?」
「そう。知ってる人も多いと思うけど、あなた達の年代がヴィズと遭遇する確率が1番高い場所は『学校』……そして時期は、期末テストと受験シーズンなんですよ。」
後ろの席から見た感じ、藤井先生の言葉に肩を揺らした生徒は半数といったところか。もう半数は特に驚く様子は無く「知らなかったの?」といった顔をしている。
ちみに俺は前者、俺の両側は後者のようで、「えっ」と小声で呟いた瞬間に左右から視線が飛んできた。
「日野、知らなかったのか。」
「私中学で2回見たよ。浮いてるだけのショボいやつだったから良かったけど。」
「えー!俺のとこはない…っていうか、一応学校ってヴィズの侵入防止システムが付いてるんだろ?なのに出るの?」
「やっぱ限度があるんじゃない?それに私はスポーツ推薦でここ来たけど、一応偏差値高めの中学だったから。犬飼なんてモロそれでしょ。」
「…まあ。よく警察が駆除に来てた。」
「じゃあ偏差値が高い学校に出やすいってこと?あとテストや受験シーズンに多い……あ。」
もしかして、と思いついたのと、園田先生が口を開いたのは同時だった。
「ヴィズの出現パターンについて、推測されてる1つに『人間の弱さに惹かれる』ってのがあるだろ?」
今度はみんなしっかり頷いた。これは授業で習ったし、この前の中間テストにも『ヴィズの出現条件として推測されているものを3つ述べよ』という問題が出題されたからだ。
「お前らは思春期真っ盛りで精神不安定なうえに、日頃から勉強や部活、人間関係など様々なストレスを溜めてる。大事なテストや受験となるとそのストレスはピークに……しかも集団で、となると多少の影響は出てもおかしくない。」
なるほど。しかも峰ヶ原学園のような偏差値の高い進学校なら、生徒たちの抱えるストレスは尚更高まるだろう。そして、それを嗅ぎつけたヴィズが現れる可能性があるってことか。
(もしも、あんなのが学校に出たらやばいよな?)
中3の冬に公園で襲われた時のことを思い出す。
―――4本の足が生えた、毛むくじゃらのバケモノ。鋭い爪に押さえつけられ、身動き1つ取れず、ギョロリとした目に捉えられた俺は…完全に無力な餌だった。
あの恐怖と冷たさは今でも忘れられない。
自然と拳を強く握りしめると、藤井先生と目があった。硬い顔になっていたせいだろうか、俺が酷くビビっているのを感じたらしい先生は、少し慌てたように全体を見渡す。
「で、でもね、過去に学校で怪我人が出た例はほとんどないの。昼間だからか、『心の弱さ』の質が違うのか、システムで弱体化してるのか……出現した大半のヴィズに凶暴性は見られなかったと報告されています。
だからと言って安心してとは言えないけど、心配しすぎるのもまたストレスだから。とにかく、万が一見かけたら、早急に私達や警察に連絡してね。」
「ハイ、じゃあ分かった奴から登録開始ー。」
「イエッサー!」
佐々木さんが小声で放った掛け声に、今回ばかりは「どこの軍隊だよ!」というツッコミも忘れ、俺も急いでスマホを取り出す。
弱体化してるだか知らないがヴィズはヴィズ、もう絶対遭遇したくない相手だ。避けられるものなら全力で避けたい。
『アドレスの登録が完了しました』
マナーモードに設定しているスマホが震え、登録作業の終了を告げるメールが届いた。
驚くほど猛スピードで指が動いたせいか、みんなが登録し終わるまで時間が余っているようだ。ついでに着信音変更のパスワード入力にもチャレンジしてみる―――けれど、やっぱり鍵は開かない。
だが、こんなのは慣れっこなので、すぐに別の番号を頭の中で適当に組み合わせる。
やっぱり1度入力した数字はメモしとくべきだよな、なんて今更なことを考えていると、おなじみの鐘の音が聞こえてきた。
「げっ、もうホームルーム終わりかよ。まだテストの脅…話してねーのに。緊急メールは全員登録できたな?」
「では、1限目の共存学は久しぶりに実技ですから、体調が悪い人は私に教えてくださいね。」
藤井先生が再びチラリと俺を見たので、こっそり頭を下げた。
―――クラスの担任・副担任が共存学の担当をするということで、藤井先生にも俺のトラウマ事情は伝え済みである。有難いことに藤井先生も理解をしてくれる人で、共存学の実技の時は快く休ませてくれるのだ。
…本当に、先生たちには感謝しなければ。
◆◆◆
朝のホームルームを終え、ざわつきを取り戻した教室では皆1限の準備を始める。
そろそろ雑音に紛れて退散しようと画策していると、隣の席の犬飼の元へ、栗色の髪を揺らしながらスズメがやって来た。
「犬飼君、今日も練習のペアよろしくお願いします。日野君は保健室に行かれるんですか?」
「いや、今日はどこか適当なとこで勉強する。俺実技出てない代わりに筆記…期末テストで良い点取らなきゃいけないんだよー。」
「そうだったな、頑張れ。誰かに聞かれたら、いつものアレを使うから安心しろ。」
「はい、『日野君は超貧血体質なので実技に出られない』ですよね!」
「お、おう……いつもありがとう。それじゃまた後で、そっちも頑張ってな。」
実技の時だけ授業を休む理由は、最初は緊張のせいで腹が痛くなったことにして(されて)いたが、さすがに毎回その理由で誤魔化すには厳しくなってきた。
園田先生は絶対ロクな理由を考えないだろうから、今度は藤井先生に相談したところ、出てきたものが先ほどの理由『超貧血体質』である。
ちょーっと貧弱そうに聞こえるのが難点だが、長期的に使えるし、普段の生活でも献血しない理由として使えるので非常に助かっている。…っていうか、ぶっちゃけトイレとお友達の下痢野郎に比べたら100倍マシだ。
(どこに行こうか。やっぱ図書室…は、静かすぎて苦手なんだよな。ヌァー!って叫びたくなるのは俺だけ?)
行き先は未定だが、取り敢えず勉強道具片手にこっそりと廊下へ抜け出す―――と、ちょうどドアを出たところで、歩いていた人とぶつかりそうになった。
「わ、ごめん!」
「………。」
ギリギリで避けつつ相手を見るが、相手は俺を全く気にしてないようだ。足を止めると、微動だにせずジッとAクラスの中を見つめている。……というか、その険しい横顔は睨んでいるようにも見える。
(どうしたんだろう。緑のネクタイだし1年だよな。)
身長は俺と変わらないくらいか。黒髪色白で、運動を全然しなさそうな細身の身体つきをしている。
「ねえ。」
そっと声をかけたつもりだったけど、相手は驚いたようにこちらを振り返った。
丸っこいフレームの眼鏡越しに、Aクラスを睨んでいた細い目が俺を見る。
「あのさ、Aの誰かに用事?呼んでくるよ。」
「…!いや別に……用っていうか…。」
何だかハッキリしないが、言いたいことはあるようだ。微かな唇の動きに耳を傾ければ「そうだ」「一緒にいる」みたいな呟きが聞こえる。
「なんて?」
よく聞こうと近づくと、咄嗟に後ずさりされてしまった。
乾いた唇を前歯で何度も噛みながら、視線をあっちこっちに動かすせいで捕まらない。
「ごめん、何言ってるか聞こえなくて。えっと…俺はAクラスの日野っていうんだけど、君は?」
「……い…」
「え?」
声が小さいうえに早くて、また聞きとれなかった。今度こそ聴き逃すまいとその場で耳だけを近づける。
すると―――
「うざい。」
「…はっ?何が?あっ、俺が?…ってちょっと!」
俺がポカンとしてる間に、相手は逃げるようにして走り去ってしまった。
すぐに廊下でお喋りをしている生徒たちの集団に紛れ、姿が見えなくなってしまう。
「えぇー……ウソ、そんなうざかった!?」
そこまでしつこくしたつもりは無かったんだけど、初対面の相手にうざいと言い逃げされるのは、なかなかにショックである。
彼はマジで何の用もなくAクラスを覗いていただけで、俺がお節介…だったのか?
(でも何も無いのに、あんな目でよそのクラスをガン見するか?普通。)
―――1限目が始まるチャイムが響き、生徒たち早足で教室へ戻って行く。
どこかモヤモヤした気持ちと勉強道具を抱えながら、俺も急いで廊下を立ち去った。




