②
「あっつーー……。」
―――これ言うの、何度目だろう。
相変わらずの暑さの中、再びデッキブラシを手にしながら空を見上げれば、相変わらず眩しすぎる太陽光線に目が細くなる。
相変わらず25mプールは広いし、相変わらず犬飼もスズメも辛そうだけど……こんな状況でも1つだけ、大きく変わったことがある。
「な、ん、で、俺がこんな事しなきゃなんねーんだよ!!」
「柴田さーん、もう腰が痛いっすよー。」
「柴田さーん、こんなの放って帰りましょーよ。」
「うるっせー!黙って動けゴルァ!!」
蝉の声よりも大きな音をたててプールを擦っているのは、柴田とその子分2人だ。
怒りを掃除に昇華させながら、闘牛のごとき勢いでプールをきれいにしていく。
「いやー、思い切ってあの人を呼んだのは正解だったな。」
「そうでしょうか……私はそうは思いませんけど。」
「あー…スズメの半径2mには近づくなって言ってるけど、やっぱ怖いよな。―――柴田さぁーん!!スズメの半径4mに変更でお願いしまーす!!」
「…日野、半径6mにしろ。直径12mだとプールが2分割くらいになるから。」
「やっぱ6mになりましたー!!プール半分こでお願いしまーす!!」
「うるっせーなぁぁ!!しかもそれ半分じゃねーし、俺たちの面積の方が多いじゃねーか!」
「なんて言いましたー!?」
足を滑らせた子分の悲鳴と重なってよく聞こえなかったけど、きっと頑張るぜ!的なことを言ったんだろう。
遠くでワーワー声をあげている柴田達に手を振っていると、俺の隣でスズメが口を尖らせた。
「離れて欲しいのは私じゃなくて……もう、いいです。私が日野君の近くに居ればいいんですから。」
「?」
どういうこと?と聞く前に、今度はヌッと犬飼が現れた。スズメと同じように目を細めて柴田を見ている。
「日野、なぜ帽子まで渡したんだ。」
「だってあの頭じゃ頭皮が焦げそうだし……手伝ってもらったのに申し訳ないだろ。」
「…最近はカツラも良質なものが多い。返してもらえ。」
「いや誰も毛根が死ぬとまでは言ってないからね?…あ、そうだ。俺もタオル被ればいいのか。」
7m先で、暑さに耐えかねた柴田の子分が頭にタオルを巻いているのを見て、なるほどその手があったかと手を叩く。
さっそく真似しようとプールサイドへ上がり、鞄を開けようとしたらーーープールの敷地を囲むフェンスが目の前で大きく揺れた。
「よっ!秋人なにしてんの?」
「おお、陸じゃん。今帰り?」
顔をあげれば、フェンス越しに幼馴染が立っていた。その向こうには鞄を持った生徒が5、6人程こちらの様子を伺っている。
全員短髪か坊主だし、やけに日焼けしているのを見ると野球部だろう。確か、木曜日である今日は野球部は休みだったはずだし。
「そう、秋人は帰んな……あー、もしかしてプール掃除してんの?やば。」
「いやいや、いつもこの暑さの中走り回ってる奴が何言ってんの。そっちの方がやべーから。」
「いやいやいや、元が違うじゃん?チワワもダンゴムシもモャ……も、急に炎天下来たらやばいっしょ。」
「誰がチワワでダンゴムシでモヤシだ!」
「それにお前、昔から日焼けすると真っ赤になって痛がってさぁ、」
「おいこら流すな!」
俺の抗議を完全スルーしやがった野球馬鹿はヘラっと笑っていたが、すでにヒリヒリし始めている俺の顔やら腕やらを一通り見ると、笑みが引っ込んだ。
「うわ、結構やられてんじゃん。掃除あとどのくらいで終わる?」
「分かんねーけど、全部終わったらモヤシ炒めになってると思う。」
「…シャキシャキ?」
「クタクタ。フライパンに張り付いてるやつ。」
何しろ、空からの火力が強すぎる。正直にそう言えば、陸は眩しい太陽に目をやって小さく唸った。……かと思えば、後ろの集団を振り返った。
「ごめんお前ら先帰って。俺、プール掃除してくわ!」
「「「えっ?」」」
◆◆◆
―――ガッシガッシガッシガッシ
「なあ秋人、このさぁ…」
「陸、次そこの壁からあの線までな。落ちない汚れあったら犬飼に聞いて。」
「分かったー…。」
ーーーガッシガッシガッシガッシ
「おーい秋…」
「待ってスズメ、後ろ滑りそう。」
「ほ、本当だ、ありがとうございます。」
「危ないから先にその辺やっちゃうか。手伝うよ。」
「…………。」
「どうした日野の幼馴染。落ちない汚れでもあったか。どんなやつだ見せてみろ。」
「いや違……犬飼君急にイキイキしてね?」
ーーーガッシガッシガッシガッシ
「……………。」
「日野君、間宮くんすごい集中してますね。さすが運動部です。」
「うーん……まぁ、あいつ体力だけはあるからなー。」
―――ガッシガッシ…ガッシ…ガ…
「あれ、止まりました。」
「ほんとだ。おーい、なんかあった?」
「飽きたぁー。」
「あき……はっ?今始めたばっかりだよね?」
「ふぅー……。」
「何その達成感!今始めたばっかりだよね!?」
ついさっき『プール掃除してくわ!』とか頼りになる感じで言ったばかりなのに、陸はすでに一仕事終えましたオーラを放っているではないか。汗を拭いながら一息つく姿は、爽やかなエフェクトまでもかかって見える。腹立つことこの上ない。
(おかしいと思ったんだよ、だって片付けとか全然出来ないタイプだもんな!いつも部屋散らかして、おばさんに怒られてたっけ。)
しかも、飽きたときた!俺にとって、ずっとブラシで擦り続けるのと、ずっと球を拾い続けるのとは同じような作業なのに……陸からしたら全然違うんだろう。
全く、野球以外のことはてんで興味がないのだ、この男は。
「もー、こういうの苦手な癖に。なんで手伝うとか言ったの。」
「だって大変そうだったし?それに最近部活であんま会う機会なかったから、久々秋人と話したかったんだけど……迷惑だった?」
「ぐっ…。」
おっと、どうしたどうした?動機が俺と喋りたかったからなんて、珍しく可愛いこと言うじゃねーか。
見た目はデカくて全然可愛くないけど、眉を下げる幼馴染にそんなことを言われたら―――頬が緩みそうになるのを歯を食いしばって耐えるしかない。
「……し、仕方ねーな。じゃあ喋ってやるから、もう少し頑張ってよ。」
「おーし、任せろ!」
陸の近くに移動すれば、何がそんなにってくらい嬉しそうに笑う。
そりゃ最近会う機会は少し減ってたけど……携帯でメッセージのやり取りはしてるし、その気があればいつでも話せるのに。
「ふふ、相変わらず仲良しですね。羨ましいです。確か、幼稚園からのお友達なんでしたっけ。」
「そうそう。昔は俺よりも秋人の方が走り回ってるタイプだったんだぜ。足も速くてさ、いつも俺が腕を引っ張られてた。相変わらずドジなとこはあったけど。」
「ドジは余計だ!…でも、そうだったな。鬼ごっことかサッカーとか、すげー楽しかった。今思えば、あの頃が人生で一番自由を満喫してたよ。」
子供は遊ぶのが仕事だと言われていた、素晴らしい時期だ。時間さえあれば外に飛び出していた―――公園は、7歳のあの日までだけど。
「運動神経良かったなら、なぜ運動部に入らなかったんだ。」
「残念ながら、俺の運動神経のピークはその時代で終わったんだ。小1から陸と少しだけサッカー習ってたけど……なんか、途中で楽しくなくなって。たぶんキツかったんだろうな?」
俺がサッカー教室を辞めると言ったら、あっさり自分も辞めてしまった陸はブラシを動かす手を止めた。
「んー……というより、急に興味が無くなったって感じだったな。外で遊んでも見てることが多くなったし、身体動かすのが好きじゃなくなったのかなって思ってた…けど……。」
「小さい子ってすぐに興味が移り変わりますもんね。」
「あぁー、多分それだな。あの時続けてれば、俺も運動ができる子だったかもしれなかったのに。なんちゃっ……」
「…………。」
「間宮くん?」
「んっ?…あ、悪い。」
「どした?顔が怖いけど。」
「いや全然大丈夫。ボーッとしてただけ。」
暑さにやられたんじゃないかと心配になったけど、険しかった顔をコロッと一変させた陸は再びプールを熱心に擦り出す。
「結構力使うよなぁこれ……お前らも掃除の刑なんて大変だよな。なにもこんな暑くて、期末テストが近い時にやらなくても。」
「!」
陸が発した『期末テスト』というワードに、ぎくりと身体がこわばった。
峰ヶ原学園では、1つの学期の間に2回テストがある。この前、5月にやったのが『中間テスト』。入学してから約2か月間で習った内容を確認するためのテストだ。
そしてもう1つのテスト『期末テスト』とは、今月末に行われる、1学期に習った内容すべてが範囲となるテストなのだが―――。
「秋人どんくらい勉強した?」
「…………。」
「なにその顔。もしかして期末やばいの?」
「…………。」
「なぁこのチワワやばいの?」
「…やばい、やばくない、で言えば日野はやばい。」
「帰宅部なのに?」
「きっ、帰宅部が全員頭いいと思うなよ!…っていうか、お前俺のレベル知ってるくせに!」
野球部の推薦がある陸と違って、この学園に入るためにどんだけ苦労したことか!
そして、その苦労は入学後も続くものであって………普段から宿題の量は多いし、中間テストはまだ高校生序盤の内容だというのに、応用を効かせた内容になっていた。
おかげで、オール教科平均ギリギリという相変わらずの平均マンっぷりを発揮した俺は、迫りくる期末テストに怯えているのである。
「そう言うお前こそどうなんだよ?」
「そりゃやばいに決まってんだろ。俺はお前より頭悪いんだぜ?」
「開き直ってんじゃねーよ。しかも、そんなこと言っといて毎回俺と点数変わんないじゃん。」
地道に勉強しても成果がイマイチな俺に対して、こいつは授業中は寝てるし、テストは一夜漬け。なのに勉強したところが偶然テストに出てくるという、大変ラッキーなやつなのだ。
そもそも陸は勉強より部活を優先させてるだけで、頭が悪いわけじゃない。
「俺だってちょっとずつ勉強してるけどさ、ペース遅くて範囲終わんないし、どんな応用してくるか分かんないし……そもそも数学は公式さえ使えてないし。やばいよー……。」
「そんな、大丈夫ですよ!…なんて、まだ理系科目に手を付けてすらいない私が言えることじゃないですよね……。」
「ま…まあホラ、秋人も羽賀さんも元気出せって!まだ期末まで2週間はあるし、今からでも遅くないし。
…あ、そうだ犬飼君に教えてもらえばいいじゃん!犬飼君って中間の成績すげえ良かったんだろ?」
「そう!犬飼は学年3位、オリジンじゃ1位なんだぞ。凄いだろ!」
「そりゃ凄えけど、なんでチワワが得意げなんだよ。」
我らが犬飼の成績には、誇らしさのあまり思わず鼻の穴が膨らむってもんだ。本人が一切それを自慢しない代わりに、ちょっとくらい俺やスズメが鼻を高くしたってバチは当たらないだろう。
そして勿論、俺もスズメも分からないところは犬飼に聞くことがあるけど―――
「残念だが、俺は教えるのに向いていないようだ。解説が上手くできない。」
「そうなん?うまそうなのに。やっぱ頭の使い方が違ったり…」
「おい!!」
陸の声を遮って、カツン!と硬い音が飛んで来た。
「おい、オメーらいつまで固まってんだ!!終わらす気あんのか!?散れ!!」
「わっ!ほんとだ、みんな戻って戻って。」
「すんませんしたー!……っと、ブラシ振り回すなよ危ねーな。あれ誰?さっきからビミョーに遠いとこいるけど。」
「2年生の柴田さんとその子分だよ。」
「シバタ……って、お前のこと殴った奴じゃねーの?」
「うん。でも頼んだら手伝ってくれてさ。」
「はあ?意味わかんねーんだけど。なんで自分殴った奴に頼んでんの?…えっ、おかしいと思うの俺だけ?」
こっちに背中を向けていたはずのスズメと犬飼が、一斉に振り向いて素早く首を振った。驚くほど息がピッタリである。
「ほら、あの2人もありえねーってよ。普通近づかないって!
……もしかして、まだ脅されたりしてんの?そしたら俺、今すぐ止めろって言って…」
「そうだったらプール掃除なんか手伝ってくれないだろ。あの人もう殴ったりしないだろうから、大丈夫だよ。」
「でもさ、」
「心配すんなって。むしろこれでお互い収めようって話なんだから。」
―――そう俺は解釈したんだけど、万が一陸まで殴られるようなことがあっては堪らない。
な?と後押しすれば、柴田と俺を目で往復していた陸は「プール掃除したからって…」と不満気な顔をしていたけれど 、じきに溜息をついた。
「……分かった。けど、心配すんなって方が無理に決まってんだろ。ただでさえ、お前の意外な先輩繋がりにはビックリさせられるんだから。」
「えーっと、それって結城先輩のこと?」
「それは大いにあるけど。他にもいるだろ?取り巻きの濃い女子とか、何考えてるか分かんない人とか、すげー色の頭の人とか。」
「すげー色の頭?…ああ!」
俺が頭の中に思い浮かべた先輩の名前を言おうとしたのと、プールと校舎を繋ぐ扉がスライドしたのは同時だった。




