①
「あっつーー……。」
じめじめした季節が過ぎ去り、あの雨続きの日々はなんだったんだと思うほど、強い陽射しが照りつける初夏の午後。
こんな日はクーラーの下でのんびりアイスを齧っていたい―――のはやまやまだが、俺が立っているのは炎天下。そして、握っているのはアイスの棒ではなく……デッキブラシだ。
「あーー終わんねーー!広すぎだろプール!!」
「プール掃除ってこんなに大変だったんですね。手が痛くなってきました……。」
「…………。」
「犬飼ー?犬飼生きてるー?」
「…………。」
園田先生から支給された麦わら帽子のツバを押し上げれば、無言でプールの床の同じ箇所をこすり続ける犬飼がいた。
「あっ、犬飼がバグってる!これダメなやつだ。スズメ、ちょっと休憩しよっか。」
「はいぃ……。」
足を滑らせないように注意しながら銀の梯子まで移動し、プールから上がる。
上から見下ろせば、泥や藻(らしきヌルッとした何か)で汚れた平面のうち、俺たちが磨いた所だけ綺麗な水色の床が覗いているが……うん、まだまだ先は長そうだ。
そもそも、なぜプール掃除をしているかと聞かれれば、御察しの通り掃除の刑である。
峰ヶ原学園には屋内外に1つずつプールがあり、屋内は水泳部専用、屋外はもうすぐ選択授業で使用するらしいのだ。
(今日は午後から合同職員会議?のおかげで早く帰れる日だったのに、先生達ったら鬼だよ……。しかもこんな日に限って暑い!スズメは日焼けしたら可哀想だし、犬飼は完全インドア派だし。)
3人並んで雑巾掛けダッシュみたいにブラシかければ早いんじゃないの?とか笑って話してた頃が懐かしい。ダッシュなんてしてみろ、漫画みたいにツルっとヌルッと滑ってお終いだ。手厚い整備がされている屋内プールと違って、屋外はそれなりに汚いのである。
「はー、喉乾いたな。俺、自販機でなんか買ってくるよ。2人はなに飲みたい?」
「悪い……お茶。」
「わ、私は果物系ならなんでも。すみません日野くん、ありがとうございます。」
「了解、ちょっと待ってて。」
プールサイドに置いた鞄から財布を取り出し、自販機を求めて中庭へ向かう。
授業が早く終わったとはいえ、自習や部活動があるからだろう、敷地内はまだまだ生徒が多い。
(プールの床と壁、あとプールサイドも箒で掃いたほうがいいよな。せめてあと少し人手があれば…。)
部活勧誘みたいに、呼び込みしたら誰か来てくれないかな。今なら園田先生オリジナル麦わら帽子付き!…なーんて、佐々木さんが飛んで来るだけか。おまけに、帽子だけ取ったら逃げていくに違いない。
「園田先生も、くれるなら帽子よりも人を…わぶっ!?」
「…ってーな!」
「すみません!余所見してて、」
暑さのあまり下を向いて歩いていたら、誰かの背中に思い切りぶつかってしまった。
慌てて麦わら帽子を脱ぐと、こちらを振り向いた相手と目が合って―――俺たちは同時に「ゲッ!」と顔を引きつらせた。
「お、おまえ…!!」
「ひ、ひひ久しぶりですね……柴田さん。」
なんでよりによってこの人!?―――俺がぶつかったのはなんと、スズメをナンパし、俺を殴ったあの柴田だったのだ。
柴田に会うのは屋上事件ぶりだ。そのときには坊主だった柴田の頭は黒髪が少し伸びており、それを逆手に取ったのか剃りこみが入っている。
前は金に近い髪色だったけど、制服はちゃんとネクタイまで着用していたし『ソフトなヤンキー』ってイメージだった。だが、今日は髪型に派手なTシャツと腰パンも加わって、見るからにガラが悪い。
「「…………。」」
1つ良いことに今日はガムを噛んでいないようだ……代わりに、口いっぱいに苦いものを詰め込んだような表情になっているけれど。
「ぶつかってすみませんでした。それじゃ…」
「おいちょっと待てコラ。」
「はいぃ!な、なにか俺に用でしょうか。」
そっと穏便に過ぎ去ろうとしたら、呼び止められてしまった。
向かい合うと嫌でも殴られたときのことを思い出す。
(また、身に覚えのない文句を言われるんじゃないだろうな。)
今すぐ回れ右をして帰りたいくらいなのに、なかなか用件を言わない柴田は、細い目を右往左往させるばかりだ。
「あの?」
「―――のか。」
「えっ?すみません、よく聞こえなくて。」
「…っ、だから!顔はもう痛くねーのかって聞いてんだよっ!!」
「いい痛くないです全然大丈夫です!!」
「……そうかよ。」
ど、どうしたんだろうか急に。
自分で殴っておいて痛くないか、だなんて……そんな、まるで心配してるような口ぶりで―――
「って、もしかして心配してるんですか!?」
「あぁん!?だ、誰が心配なんかするかってんだ!言っとくけど、屋上から落ちたのはテメーの自業自得だかんな!」
「そんなこと分かってますよ!……もう、用が無いならいいですか?俺、急いで飲み物買って戻りたいんで。」
「…なんだオメー、パシられてんのか?」
「違いますっ!」
誰がパシリだ!もういい、スズメと犬飼が待ってんだからこんな人に構ってないで急ごう。
思い切って麦わら帽子をグッと被り、柴田の横を通り過ぎた―――のだが、なぜか柴田は俺の後ろを付いてくるではないか。
(な、なんで付いてくるんだよ!?)
怖くて後ろを振り向けないけど、足音でわかる。まだ何か言い足りないことがあるのか?―――いや、もしかしたら柴田も自販機へ向かっている途中だったのかもしれない。
うん、きっとそうだと自分に言い聞かせながら、自販機の前に立つ。さっさと買ってしまおう。
「えーっと犬飼がお茶、スズメは……りんごジュースでいいかな?朝原先輩がくれたの美味しかったし。」
ボタンを押せば、ピッという音に続いて冷たいペットボトルが落ちてくる。あとは俺の―――
「オメーは何にするんだ。」
「うぇっ?えーっと……サイダーにしようかなーと。」
「ふん。オラ、邪魔だどけ。」
「うわっ、」
柴田は突然、俺と自販機の間に無理矢理割り込んできた。その手には、銀のチェーンが付いた黒色の財布が握られている。
(も、もしかして柴田さんは俺にサイダーを買ってくれるつもりじゃ!?)
柴田が財布を開き、思わず「うっそお!?」と叫びそうになった矢先―――自販機から、パンパカパーン!!と盛大な音が鳴り響いた。
何事かと自販機を見れば、1回買うごとに回る仕様のスロットが『777』で点滅している。
『アッタリ―!オメデトウゴザイマス!オ好キナ商品ヲ 1本無料デ プレゼント イタシマス!』
(あ、当たってしまったーー!!?)
「…………。」
「…………。」
『ショウヒンノ ボタンヲ オシテクダサイ!』
「わっ……わぁーい初めて当たったー……。」
うだるような暑さはどこへやら。一気に冷え切った空気の中、震える指でサイダーのボタンを押す。
取り出し口から3本拾い上げ、そーっと顔をあげた瞬間、柴田の手が俺の胸倉を掴んだ。
「空気読めねーのかオメーはよぉ!!?」
「ええええ今のは俺のせいじゃないでしょ!!」
「人が折角…なーにがパンパカパーン!!だ、糞が!!」
胸倉を掴む手が離れたかと思えば、柴田が思い切り足を振ったので反射的に目を瞑る。
ギリギリで蹴られたのは俺ではなく自販機だったようで、大きな音が響いた。近くを歩いていた女子生徒たちが小さく悲鳴をあげて逃げていく。
「ちょっと!自販機も悪くないだろ!!分かってますから、柴田さん俺にサイダー買ってくれようとしたんでしょ。」
「は!?ちっ、ちげーし!!」
「嘘つけェ!!」
なんでここで見え透いた嘘を吐くんだこの不良は!?
今のは絶対俺に買ってくれようとしてたはずだ。―――でも、どうしてそんなことしようとしたんだろう?単純に考えて、俺と柴田の接点と言えば入学式の日と屋上事件の日しかない。
だとすれば……
「もしかしてなんですけど、俺が屋上から落ちたこと気にしてるんですか?あの後、俺のクラスまで来たって聞きました。」
「……手紙を投げたのは俺だってのに、目の前で死なれたら胸糞悪いだろうが。落ちてまで手紙を取るとか、マジで頭おかしいんじゃねーの。」
また苦い顔になった柴田は俺から顔を背けると、鋭く舌打ちした。
どうやら、図星のようだ―――さっきは俺の自業自得だって言ったくせに、そこまで気にしていたとは意外だ。
(と言うことは、サイダー奢ろうとしてくれたのはお詫びってことか?なのに当たり引いちゃったよ。ちょっと悪いことしちゃったかな。……でも、俺だけがサイダー貰うっていうのも変な話だ。)
ペットボトルを抱えなおそうとして、筒の表面に大量の水滴が浮かんでいることに気づいた。やばい、これじゃあ気温と俺の体温でぬるくなってしまう。
急いで麦わら帽子を脱ぎ、ペットボトルをその中へ移動させようとして……俺はあることを思いついた。
「柴田さん、俺、結城先輩たちを従えてなんかないし、無理矢理詩織さんを一緒に登下校させてもないですよ。」
「そんな事とっくに知ってる。」
「入学式の後、まさか園田先生がバリカンで坊主にするなんて思わなかったけど……それは、俺も松葉杖生活になったのと、柴田さんに殴られたので『おあいこ』にしてください。」
「…何が言いてえんだテメーは。『おあいこ』だから許してあげるってか?偉そうに。」
「いえ、もし俺が落ちたことに罪悪感を感じてるなら―――人のラブレターぶん投げたのと、俺を助けた先輩が怪我したのと、スズメが泣いた分はサイダーくらいじゃ許せない。」
「だから何が言いてえんだよ!お前も屋上から落ちて『おあいこ』ですとか言ったらしばくぞ!!」
「そ、そんなこと言う訳ないでしょ!言っとくけどあれホント怖……じゃなくて、俺がしてほしいのはもっと簡単なことです。」
いま1番俺の為に、そしてみんなの為にもなること。
―――麦わら帽子を差し出せば、柴田はきょとんとした顔で俺を見た。




