⑥
「…………。」
「…………。」
俺の顔をたっぷり見た先生は、次にヘアピンを見て、ネクタイを見て、被りかけのゴミ箱を見て、また顔を見た。
「……これは……思春期のアレか。」
「…………。」
「ま、まあ、お前は色々あったし?いくら自分を見失ったからって早まるなよ。せめて何ゴミに分類されるかだけでも、先生が相談に乗ってやるから……な?」
「ち…ちっがうわ!勝手に人を痛い子に―――」
―――っと危ない!デカイ声を出したら倉庫の向こうにいる2人にバレてしまう。
可能な限りそっとゴミ箱を降ろし、犬飼の眼鏡の隙間から2人の様子を伺う。特にこちらを気にしている様子はないのでホッと胸をなで下ろした。
「なんだ?掃除サボってスパイごっこでもしてんのか?」
「誓ってサボってませんよ!先生こそ、なんでこんな所で煙草吸ってるんですか。」
気を遣ってくれたのか小声で聞いてくる先生に感謝しつつも、ここにいることを恨めしく思わざるを得ない。
「なんでって、ここは俺の貴重な喫煙スポットだぞ。」
「スポットもなにも学園内はオール禁煙ですけど。」
「焼却炉を見ろ。このご時世、あんなにガンガン煙吐き出すモンを置いてる時点で、禁煙なんぞ片腹痛いわ。折角のんびりしてたのに邪魔しやがって―――ほら、さっさと教室に戻れ。」
「やっ、も、もう少しここに居させてください!今出て行くとまずいんです。」
「あー?向こうに誰がいんだ………ほぉ、こりゃまた珍しい組み合わせだな。」
先生は覗かせていた頭を引っ込めると、俺に視線を向けて「んー。」と唸った。
「……いや、そうでもないか。」
「は?―――うわっ、」
いきなり先生が吐いた煙草の煙がダイレクトに俺を襲う。必死に手で追い払いつつ染みる目で睨みつければ、先生は喉の奥でくつくつ笑った。
「そう怒るなよ、あとは大人しくさえしとけばバレねーから。」
意味わかんねーしそういう問題じゃない!と言いたいけれど咳を堪えるので精一杯である。
煙が次第に薄くなり消えるころ、静かだった倉庫の向こう側からは地面が擦れる音が聞こえてきた。
「おい、ずっと黙ってんなら帰るぞ。」
「……あ……秋人が。」
(……俺?)
緊張しているのだろう、震える陸の声が自分の名前を呼んだことに驚いた。反射的に耳を塞ごうとしていた手が止まる。
「秋人が昨日屋上から落ちた時、助けてくれたって……本当にありがとうございました。」
「……それはもういい。お前がしたいのはもっと別の話じゃないのか。」
数秒の間があって、俯いていた陸が顔をあげた。
「んで……なんであれから1度も会いに来なかったんですか。」
「その方が良かったはずだろ。なのに、そっちこそなんでここに来た。」
「俺は野球ができればどこでも良かったけど……秋人がこの学園に入りたがってたから。」
―――――ん?
(…俺が入りたがってた?俺は陸が峰ヶ原の推薦を受けるって言ったから、同じにしようって思ったんじゃなかったっけ……。)
首を傾げるのに合わせて慣れない眼鏡がずり落ちる。指で押し上げれば、度が強すぎるレンズ越しに陸が歪んで見えた。
「それに、ここにいるなんて知らなかった。そもそも名前すら知らなかったし、当の本人は――……。
でも、あんたは最初から気づいてたんだろ?なのにずっと黙ってたのか?」
「逆に何を言えってんだよ。見た感じお前も黙ってんだろ?同じじゃねーか。」
「そっ、そうだけど!でも、もし俺があんたの立場なら寂しい。『少しだけでも』って思うよ………あんた、それでいいのか。」
「……余計なお気遣いどうも。悪いけど俺は思わない。」
(なんだ?いま何の話してる?)
取り合えず2人が顔見知りということは確実だが、内容はちんぷんかんぷんだ。告…大事な話をするムードどころか、重い空気が流れてる気がする。
またしばらくの無言が続いた後、耐えきれなくなったように陸が頭を乱暴に掻いた。
「―――っ!、もういい分かった。あんたにとってその程度の事だったんだな。」
「は?」
「正直安心しました。俺は今のままでいてほしいと思ってるし、もう2度と間違えたくないから、あのことは掘り返したくない。
だからはっきり言います―――これ以上近づくのはやめてください。」
(……陸に?)
なんだか距離の話をしているようだけど。ふ……2人の心の距離……とかですか?
(近づくなとか言っちゃってるけど、逆じゃないの?愛情の裏返しってやつ?)
「それと、あれから俺も色々考えて……もし会えたら聞こうと思ってたことがある。」
(何を、何を聞く気だ陸?つつついに来るか!?)
「さっきから勝手なことばっか言うのは別にいいけど、余計な詮索すんのは止めろ。もしお前に何かあったらまた泣くだろ。」
(先輩って泣くの!?じゃなくて、そんなに陸のことを…!)
「余計なことなんかじゃ……っておい、もう泣かせたんじゃないだろーな!」
(はぁ?泣かせるかもしれないのはお前だろ!?)
おいおい大丈夫か、なんか話が噛みあってないような気がするんだけど。
つい壁に添えた手に力が篭ったところで、後ろから押し殺すような笑い声が聞こえてきた。
「ちょ……日野やめろ…っ…心の声出てんぞ……」
「えっ?マジか、すみませ……なんでそんなに笑ってんですか。」
「いやぁ……うん、お前マジで面白いわ天才かよ。こりゃ益々苦労するな。」
「誰が?っていうか先生さっきから重いんですけど。」
俺の肩はあんたの肘置きじゃないです―――容赦なく生徒に体重を乗せながら、先生は楽し気に盗み見を続行している。
しかも、前のめりになったせいでスーツの胸ポケットから革製の長方形が半分ほど飛び出していて、いまに落ちるんじゃないかとヒヤヒヤものだ。
(これ煙草を入れるシガレットケース……だよな。昔、父さんの誕生日プレゼントに母さんと買ったっけ。)
深い茶色の革は所々傷や変色が目立っていて、随分長いこと使っているんだなという印象を受ける。でも、こういうのがヴィンテージって言うんだろうか?大人って感じがするし、格好いい。
……ただ1つだけ、堂々とこれを胸ポケットに入れているところが問題だけど。
「……い、どうなんだよ!」
「うる…い。そんなことより、俺に聞きたいことってなに。」
(そ、そうだ、今は先生のケースに構ってる場合じゃない!)
うっかりしていたら話が再開してしまったではないか。今度こそ『大事な話』に違いないので、急いで耳を塞ぐために手を持ち上げたら―――先生に阻まれた。
「先生、あの、手離してもらっても?」
「気になるなら聞けばいいだろ。先生も一緒に聞いてやるから安心しろ。」
「安心どころか、共犯者になろうぜ!って聞こえるんですけど。」
にっと笑った先生は、そのまま視線を壁の向こうに向けてしまった。
この人本当に教師なのかなあと思いながら釣られて見ると、珍しく少し怒ってる様子の陸が先輩に詰め寄っている。
「……あんた何か大事な事隠してますよね。それが知りたい。」
「大事なこと?何言ってるか分かんねーんだけど。俺は何も、」
「あの時、アイツと話してるのが聞こえたんだ―――何かを『隠してくれ』みたいなことを言ってた。」
「!!」
じり、と先輩の靴底が地面を擦る。
表情はよく見えないけれど、明らかに先輩を纏う空気が変わったのが分かった。
「……何を想像してんのか知らないけど。お前には関係ないことだし、余計な詮索はするなって言っただろ。」
「確かに俺の勝手な想像かもしれないけど、でも何か知ってるなら教えて欲しいんです!」
(陸が……こんなに必死になるほど知りたいことって?)
静かに先生の手が離れた気配がしたけれど、雰囲気に飲まれてしまった身体が動かせない……2人から目を逸らせない。
陸が掠れた音で息を吸う。
「もうとっくの昔に終わったことだって分かってるのに、たまに……たまに怖くなる。何かがおかしい。ショックのせいでもあんな………あれは忘れたって言うより―――」
―――バチン!という心地良い音が弾けたのと、俺の両耳に衝撃がきたのは同時だった。
「ぎゃ!!?い――痛えええええ!!?」
「あ?わりーわりー、ちょっと塞ごうとしただけ。勢いつきすぎたか。」
「なんで!?えっ、これ鼓膜大丈夫!?」
「やっちまったぜ先生ラミアだから……てへ。」
「27歳男性が小声で『てへ』とか言うな全然可愛くないから!!」
「おっ、鼓膜は大丈夫みたいだな、安心しろ。」
「だから全然安心できないですって、なんで耳を引っ叩…塞いだんですかね!?」
「間宮がエッロいR-18発言したから、お前の耳が汚れないように守ってやったんだろーが。感謝しろよ15歳。」
「マジで!?あれっ、今そんな雰囲気だったっけ!?」
叩かれた(塞がれた)耳と頬がじんじん痛むけれど、それよりも犬飼の眼鏡の安否が心配だ。慌てて曲がっていないことを確認するとホッと息をつく。
眼鏡をかけ直して、再び抗議しようと先生を見上げると―――先生の背後に頭が2つ並んでいた。
「こんなとこで何騒いでんだクソ教師……!」
「「………あっ。」」




