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そろそろ笑顔がきつくなってきた時、どこかから電子音が聞こえてきた。
発生源を探していると、迷うことなく歩き出した結城先輩が地面から何かを拾い上げる―――あれは、先輩のスマホだ。遠目で見た感じでは壊れてはなさそうだから、転がる前にポケットから飛び出したんだろうか。
「雅人?……ああ、一応。そっちは……分かった。……え?」
ふと、先輩がスマホを耳に当てたまま俺を見た。
なんだろうと俺も見返すと、一瞬その目線が俺の握ってる手紙に移った……ような気がした。
「……いや、これも違った。だからそっち行くわ。……ん、じゃあ。」
「電話、瀬谷先輩からですか?」
「ああ。あいつらが先回りして人払いしてっから、保健室行くぞ。歩けるな?」
先輩達が人を寄せ付けるではなく、払うことって出来るんだな……そんなどうでもいい感想を浮かべながら頷く。
慎重に立ち上がってみると足は動くし、他に酷く痛むところもない。所々擦り傷がある程度だ。
「あの、さっきの電話なんですけど。何が『違った』んですか?」
「こっちの話。……あと、その手紙渡せ。」
「えっ、阿部さんのコレ?だ…駄目ですよ捨てるのは!俺から阿部さんに返します!」
「捨てねーよ。早くしろって。」
「ホントですか?絶対に?捨てたら俺…というか佐々木さんが呪いますよ?」
「しつこいし佐々木さんって誰だよ!もう分かったから早く。それが大事な物だって言ったのはお前だろ。」
「そうですけど……。」
―――俺が大事な物だって言ったからって、簡単に結城先輩の大事な物になるわけじゃないだろ?
ついさっきまで『こんな物』呼ばわりしてたくせにと思う反面、でも捨てないと言っているんだから、少しくらいは見方を変えてくれたのかもしれないという期待もよぎる。
「………。じゃあ、お願いします。」
少々不信感を抱きつつも薄桃色の封筒を差し出す。
想いのこもった手紙はやっと、傷だらけの手の中へ受け取られたのだった。
◆◆◆
一応人通りの少ない道を選んだとはいえ、本当に誰もいない廊下を進んだ俺たちは、無事保健室にたどり着いた。
扉を開けた途端、ピンク色の頭の主が駆け寄ってくる。
「千隼、日野ちゃん!大丈夫か―――って、いでででででで!?何!?なんでいきなり顔面掴むの!?こめかみが、わ、割れるって千隼!!!」
「ふざけたこと考えるのはこの頭か?いますぐ割ってやるよ…!」
「なんで怒って―――ああ!分かった日野ちゃんの首に貼ったやつだ!いやだってさ、見てらんないででででで!!ヘルプ、雅人ヘルプ!!」
結城先輩に顔を掴まれて悶絶している朝原先輩の悲鳴は、残念ながら部屋の奥に座っている瀬谷先輩を小さく笑わせただけだった。
「今度は何やったの圭。折角だから割ってもらえば?」
「うっそぉ!?だって、雨降って地固まるっていうじゃ――あだだだだ!!」
「さてと。馬鹿2人は放っといて、日野君はこっちにおいで。………その顔、どうしたの?」
「あ…っと……落ちた時、屋上の柵にぶつけました。でも大丈夫です!痛くないし。」
「そうなの?本当に?」
瀬谷先輩の澄んだ黒い瞳に見つめられ、一瞬返事に詰まる。柴田達に関する事はこれ以上大きくしたくない……よって顔に出さないように頷くと、瀬谷先輩は「そう。」とだけ呟いた。
「それより、どうして瀬谷先輩たちはここに?」
「俺たち今朝、中庭で立ち話してたんだよ。そしたら千隼が急に走り出すからさ、何事かと思ったら日野君が屋上から落ちて―――ほんと、ポロっと落ちるからびっくりしたよ。たまたま近くにいてラッキーだった。」
瀬谷先輩の細い指が俺の頬に優しく触れた。ピリッとした痛みに思わず顎を引くと、先輩の眉根が寄る。
「やっぱり痛いね。………で、後から下を覗き込んでたバリカン3兄弟のさ、どいつがやったのかな?」
「ワァ……瀬谷先輩って目が良いんですね……!」
み、見られてたー!この美しくも意味深な笑みは絶対、俺を殴ったのが柴田たちだと確信しているに違いない。結城先輩といい瀬谷先輩といい、なんで笑顔1つで相手を追い詰めることができるんだろうか?
うまい言い訳も思いつかず、狼狽えることしか出来ない俺の頬に、先輩は湿布を貼りつける。
「……まあ、言いたくないなら良いんだ。でも、もうこんなことはしないでね。次何かあったらすぐ連絡して。」
「はい……すみません。」
「謝らないでよ。とにかく日野君が無事でよかった。」
「せ、瀬谷先輩……っ!」
ああ、今日も一段と瀬谷先輩の後光が眩しい。
心の中でそっと瀬谷神を拝んでいると、保健室のドアが大きく開いた。入って来たのは、長身の身体にダークグレーのスーツを纏った人物だ。
切れ長の目をこちらに向け、「よう」と手を挙げると……なぜか、その手の中に握られているライターが、きらりと光った。
「園田先生!どうしてここに。」
「どうしてって、お前の担任は誰だと思ってんだ日野。なんで1人バンジーしたかは知らんが、危うく俺のクラスから死者が出て、俺の評価が地に落ちるとこだったぞ?」
「すすすすすみませんでした!!」
「…園田先生は教頭の雷が落ちる方が嫌でしょ?そのライターにバリカン3兄弟……ね?」
「待て、本気にすんなって瀬谷、冗談だよ冗談。朝原が呼びに来たときはビビったけど、思ったより元気そうで安心したわ。
まっ、これも結城のナイスキャッチがあってのことだが―――はは、そんな格好になっちまって……いいザマだなぁ、結城?」
「うるせーよ不良教師。自分の肺のザマでも心配してろ。」
「うっわ、マジ可愛くねー。日野とは大違いだ、なあ?お前はこんな先輩みたいになるなよ。」
「いやー……はは。」
YESとNOのどちらも選ぶことが許されない俺は、ただ園田先生に頭を撫でられるがまま苦笑いするほかない。
―――すると、朝原先輩に手に包帯を巻かれていた結城先輩が急に近づいてきて、俺の腕を引っ張った。
驚いたついでに、危ないだろ!と文句の1つでも言いたかったのに、今度は結城先輩の手が頭をグシャグシャにかき混ぜてくるではないか。
「どわわわわ!?何するんですか!」
「お前アレに近づくのやめとけ。色々とうつる。お前と同室の俺にもうつる。」
「何がうつるんだよ!失礼だなてめー、内申点下げんぞコラ!」
「何言ってるの園田先生、もう俺たちの担任じゃないでしょ?」
「ハッ、甘いな瀬谷。やり方ならいくらでもあるんだぜ。」
「うわー、もう肺だけじゃなくて腹ン中全部真っ黒だぜ!!これから毎日血じゃなくて漂白剤飲みなよ。オレちょっと高いけど、すげー白くなるやつ知ってっから!な!」
「朝原、何気にお前が一番酷いからな?それ死ねって言ってるからな?」
「ぷっ、―――あははは!!………はっ!?」
や、やばい、目の前で繰り広げられる応酬が面白すぎてつい吹き出してしまった。真上にあって見れない結城先輩の顔はさておき、残りの3人の目が丸くなっている。
「あああ、すみません、俺のせいで迷惑かけてるのに笑ったりなんかして!でもみんな仲良いなって思ったらその…」
「あっはは!別に気にしなくていいんだぜー。むしろ日野ちゃんが笑ってくれて安心した!なあ雅人?」
「そうだよ。さっきから日野君、話しててもどこか遠くにいるような感じだったからね。まあ、あんな体験したら当然かもしれないけど………今日はゆっくり休んだほうが良いよ。」
「そ、そうでしょうか……。」
瀬谷先輩の言葉に、首をひねる。正直、まだ実感がわかないのだ。自分が屋上から落ちて死にかけたことも……助けてもらったおかげで生きていることも。
ただ、言われてみればさっきから夢心地というか、身体の感覚が少し鈍くなっているような気はする。
(俺、あの時死んでたら今ここで笑ってないんだよな……それは―――)
―――それは、酷く恐ろしい。
―――それは、酷く安心する。
「……んっ?」
「なんだ日野、ちゃんと先生の話聞いてたか?」
「あ、すみません!もう一度お願いします!」
先生の声に我に返る―――いつも園田先生が話すときは真剣に聞くよう気をつけてるけど、今だけは全く聞いてなかった。
(なんか一瞬、変なこと考えてたような……やっぱ結構ダメージ受けてるかも。一応、死にかけたんだもんな。)
一方、今日ばかりは聞き逃しても怒らないでいてくれるらしい園田先生は、「仕方ないな」といったように頷く。
「だから、お前もう今日は帰れ。混乱してて勉強どころじゃないだろうし、どのみち顔が腫れてくるだろうしな。」
「はい……そうします。」
「よし。残りの奴らはちゃんと授業出てるか確認するからな。今からサボるんじゃねーぞ。」
「えー?オレ日野ちゃん送っていこうと思ってたのに。」
「俺は大丈夫ですよ、朝原先輩。ありがとうございます。……皆さん、本当にありがとうございました。」
深く頭を下げると、数秒置いてから頭や背中、肩を軽く叩かれた。その手の暖かさに、鼻の奥がツンと痛くなる………どうして、この人たちはこんなに優しいんだろう。
顔をあげれば、唯一さっきから何も言わず、動かない結城先輩と目が合った。琥珀の瞳が何か言いたげな色をしていたけれど……俺達が保健室を出て分かれるまでずっと、口を開くことはなかった。




