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「日野ー?何急いでんの?」
「ちょっとな!またあとで!」
最初は腹の余韻もあってゆっくり歩いていたが、はやる気持ちに比例して、歩調は早足から駆け足へと変わっていく。生徒たちを追い越しつつ敷地内を一気に進んだ俺は、昇降口に飛び込んだ。
(よし、まだ朝礼までだいぶ時間ある!)
急いで靴箱を開けて、上履きに履き替える。そして、また走り出そうとしたとき―――昇降口内に、大きな金属音が鳴り響いた。
周囲の視線が、一斉に俺がいる方へ向けられる。
「………!?」
音の発生源は、俺の真横だった。まるで俺の行く手を遮るように、誰かが靴箱を蹴り上げているではないか。
脚の主を辿ると、坊主頭の人物がくちゃくちゃと口を動かしながら笑っていた。
「よお、入学式ぶりだなぁ。俺のこと覚えてるよなぁ?」
「あ、あんたは………ガムくちゃ男!?」
「誰がくちゃ男だよ、柴田だっつーの!」
「あ、ああ、そうですか。すみません、俺急いでるんで……。」
「そう言わずによぉ、ちょっとツラかせや。お前が来ないってんなら、あの時の可愛い子を連れてってもいいんだけど。」
ガムくちゃ男―――柴田がそう言うと、後ろにいる2人の男子生徒もニヤニヤと笑う。
2人とも坊主頭だったからパッと見ただけでは気付かなかったけど、入学式の時に柴田と一緒にスズメをナンパしていた奴らだ。
(嘘だろ、急いでるっていうのに……!!)
意図は不明だが、少なくとも一緒に行って良い事は1つもないだろう。でも、俺の代わりにスズメや犬飼が連れて行かれるのは絶対に嫌だ。
「……分かりました。でも、絶対他の2人には関わらないでくださいよ。」
「よし、じゃあこっち来い。」
言うが早いが、逃げられないようにがっしりと肩を組まれた。タバコ臭いうえに歩きにくいことこの上ない。ゴツゴツした腕に、さっきまで背中をさすってくれてた詩織さんの手が懐かしく思える―――でも、途中で別れて来たのは正解だった。
◆◆◆
不良といえばベタに体育館裏かなと思っていたけれど、意外なことに連れてこられたのは屋上だった。
学園の校舎は4階建てのため、長い階段を登り終えた柴田たちは、屋上を囲む手すりにもたれながら息を切らしている。
「意外とき、きついな……おい!なんでおめーはあんま疲れてねーんだ。」
「その、途中から柴田サンが背中を押してくれてましたよ。肩組んでたんで。」
「はあ!?ふざけんな、通りで重いと思ったわ!!」
いやいや肩組んできたのはそっちだろ、と胸中でぼやく。ちょっと睨まれたくらいでは怖さを感じなくなったのは、結城先輩で耐性が付いたからだろうか。
……それよりも今の俺はこの3人が回復するのを待つ時間が勿体ない。焦る気持ちを煽るように風が強く吹き付ける。
「すみません、すぐ戻ってくるんで休憩してる間に『特A』に行ってきていいですか?」
「いいわけ、ねーだろ!『特A』ってことはおまえアレだな?結城 千隼達に助けを求めるつもりだな!?」
「いや、違います。謝りに――」
「嘘ついてんじゃねーよ!逃げようったってそうはいかねえ……おまえらのせいでな、俺たちは園田にボコられた挙句、タバコを教頭にチクられて1ヵ月停学にされたんだぞ!!あいつも教頭に目ぇつけられてるくせに、なんでクビになんねえんだ!?」
「さ、さあ……もしかしてその頭も園田先生が?」
確か、初めて会ったときの柴田は金に近いくらい明るい髪色をしていたと思うけど、今は地肌を生えたての黒が覆うジョリジョリ頭だ。
俺が3人の坊主頭を見ると、そのうちの1人が「ひぃぃっ、バリカンー!」と叫んで頭を抱えた。―――ちょっと園田先生、いったいどんな刈り方をしたらこんなにトラウマを植え付けられるんだよ!
「で、でも元はといえば、ス…俺の友だちをナンパしようとしてたそっちが悪いじゃないですか。」
「うるせー!しかも久々学校来てみたら、おまえが『特A』のやつらを従えて、でけえツラしてるみてーだしよぉ?
おまけに、3年の江藤先輩をムリヤリ一緒に登下校させてるとか……調子に乗るのも大概にしろ!!」
「はぁ!?どこをどう見たらそうなったんだよ!情報錯誤にも程があるぞ!!」
「黙れ。とにかく、おまえには落とし前を付けてもらわなきゃ気が済まねーんだ、よ!」
「!!」
左頬に強い衝撃がきた瞬間、景色がひっくり返った。
気付いた時には地面に転がっていた俺は、口の中に鉄の味が広がってやっと、柴田に殴られたのだと悟った。
(う、わ………マジで俺1人でよかった。)
最初はジンと痺れていた頬は、次第に痛みを増していく。おまけに視界がグラグラするけれど……こんなの、詩織さんの右ストレートに比べたらすぐに立ち上がれるだろ。
―――早く、早く謝りに行かなきゃ。
「……っ、もう、行ってもいいですか。」
「なんだ、細いくせに意外と根性あるじゃねーか。でも、まだ帰さねーぜ。」
くちゃくちゃと喋る柴田の後ろでは、残りの2人が俺の鞄を漁っている。
1人が財布を取り出して中身を物色し始めると、もう1人が「あ!」と大きな声を上げた。高く挙げた手には薄桃色の封筒が握られている。
「柴田さん、こんなん出てきました!」
「持ってこい。……なんだコレ?ラブレターってやつか?」
「それに触るなよ!返せ!!」
柴田が摘まんでいる封筒―――阿部さんが書いた手紙を取り返そうとしたが、封筒を持ってきた男子生徒に腕を抑えられる。
逃れようと身体を捩っていると、目の前に来た柴田が封筒で俺の顔を叩き、喉を鳴らして笑った。
「こんなの誰に貰ったんだよ、なぁ?」
「そんなのあんたに関係ないだろ。いいから早く返せ。」
「へーえ、そんなに大事なモンか。でも、屋上は風が強いからなぁ、つい手が滑って……おっと!」
わざとらしく振り上げられた腕に、嫌な予感がした直後―――柴田は手紙を放り投げた。




