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動物の本能か、首という急所を掴まれた事実に脳内で警報が鳴り響く。
咄嗟に振り払おうと手を伸ばすも、すぐに掴まれてしまい身動きが取れない。
「ゆ、結城先ぱ、くるし―――ひっ、」
綺麗な指が喉から首筋をゆっくり伝い、絆創膏をなでた。目の前の人からは静かな怒気が伝わってくる反面、その優しい触れ方にビクリと肩が震える。
「――――!!」
思わず後ろにひっくり返りそうになる身体を腕一本で必死に耐えていると、首から離れた結城先輩の手が背中を支えた。
体勢が安定したことにはほっとしたけど、逃げるどころか逆に距離が近くなってしまったではないか。
「あああああの、先輩一旦離れましょう!」
「授業出たってことは、もう吸血されてもいいってことだろ。それとも、そいつは良くて、他は駄目ってこと?」
「はあ?いや、違います!……違うってば!」
結城先輩は俺の声に聞く耳を持たず、唇を薄く開いて首に近づける―――やばいやばいやばい、これは吸血するつもりだ。押しのけたいのに、びくともしない力の強さに顔が青ざめる。
(何でこうなったんだちくしょう、やっぱり最低のくそラミアだこんな奴…っ!どうせ俺のことも『食料』って思ってるんだ。あの日助けてくれた時も、ここで再会した時も、看病してくれた時も、きっと―――)
好きな食べ物の話をした時、笑顔だった先輩も?
―――ズキリ。
(……え、なんだこれ。うわ、痛い。)
急に、胸の奥が抉られるように痛みだした。
謎の現象に困惑する一方で、ズキリズキリと止まないそれがあんまり痛いもんだから、自然と涙が浮かんできて―――瞬きした瞬間、息と一緒にぼろりと零れた。
「……っ、」
「!!」
ぱっと首から顔を上げた結城先輩が、俺の顔を見た。それにちょっと驚いた俺も、まじまじと見つめ返してしまう。
(あれ、やめてくれた……のか?)
当の先輩は目を丸く見開いたかと思ったら、次に眉をしかめて……最後に自分の額を手で覆うと、大きな溜息をついた。
「………せ、先輩?」
「…………。」
しばらくして再びこちらを見た先輩は、ゆっくり瞬きした。
「………ぶっさいく。」
「うるせー!っていうかセリフ間違ってんじゃないですかね!人の首絞めたうえに、なにまた吸血しようとしてんだよ、謝れ!!」
「誰がおまえの血なんか飲むか、本気にしてんなよ馬鹿。」
「なっ……ふ、ふざけんなよ、出ていけくそラミア!あんたなんか大嫌いだ!!」
つい考えなしに言葉が口から飛び出した矢先、Tシャツの首元を強く掴まれた。ガラス玉みたいに冷たい目が、俺を射抜く。
「言われなくても出ていくけどな、後から来たのはおまえの方だ。―――なんでよりによってこの学園に来たんだよ。」
低い声で言い放った先輩は再び鞄を掴むと、床に座り込んでいる俺を見ることなく部屋から出ていった。
玄関が閉まる音がしたあとの303号室は、まるで何も無かったかのようにいつも通りだ。俺のことなど知ったこっちゃないテレビの人達が『なんでやねん!』と笑っている。
「いやほんと………なんでそっちがキレてんだよ。」
1人部屋に座り込んだまま取り残された俺は、まるであの日の公園みたいだ、とぼんやり思う。
「あーあ、首んとこ伸ばしやがって……もう着れないじゃんこれ。」
このTシャツ、ボロいけど結構着心地良くて気に入ってたのに。すっかり緩くなってしまった首元を指で辿っていると、ざらりとした感触に触れた―――絆創膏だ。
朝原先輩め……全然お守りになってないどころか、逆にケンカの源になっていたような気がするぞ。
さすがにもういいだろうと勢いよく剥がすと、皮膚に刺激が走る。痛い―――けど、心臓の方がもっと痛い。
(心筋梗塞的なもんじゃないだろうな……なんなんだよもう。しかも結局手紙渡せなかったし。)
花柄の封筒をそっと手に取ると自然とため息がこぼれた。
阿部さんが先輩への好意を綴ったであろうその手紙を渡すどころか、俺が先輩に『大嫌いだ』と言い放ってしまう始末。なんだよ大嫌いって子どもかよ。こんなはずじゃなかったのに……!
「もー!何やってんだよ俺ーーー!!」
◆◆◆
―――寮の玄関から1歩踏み出すと、太陽がまぶしくて目が細くなる。
暖かい日光と、いつもより5割増しじゃないかってくらい清涼な空気のダブルパンチで、今すぐ灰になって消えてしまいそうだ。
「おはよー日野君っ。今日も待っててあげた……ってどうしたの、顔色悪いわよ。」
「おはようございます詩織さん。ちょっと色々あって……俺のこと殴ってくれませんか。」
「は?」とドン引きした顔の詩織さんは俺から3歩離れた。それでもしっかり拳を握りしめてるあたり、この人らしい。
「なによ、日野君ってそっち系だったっけ。間宮君呼んでくる?」
「……別に違うし、陸は部活の朝練です。」
「あれ、いつもなら『誰がドMですか!』くらい言うのに。元気出しなさいよ、私がつまんないでしょ。」
隣に戻ってきた詩織さんが、俺の肩を軽く叩く。風に乗ってふんわりと花の香りがした。
「あれ、詩織さん香水変えたんですか?」
「今頃気が付いたの?そんなんじゃダメ、女子の変化にはもっと早く気付かなきゃ。他には?」
「他に?えっと……リボンも校章も付けてるし、ボタンは一番上以外閉めてるし、スカートも太ももが隠れてます。」
「その辺はもう1ヵ月前から変えてるわよ!ほら、もっとよく見て!」
「ええー?」
腰に手を当てて立つ詩織さんを凝視しながら、必死に以前とは違うところを探す。間違えたら拗ねそうだから、これは本気で当てに行かなきゃならないぞ。
(いやでも、詩織さんは1ヵ月前と比べたら随分変わったよなあ。落ち着いたっていうか、化粧も大人っぽくなったし、よく1年でも美人さが増したって噂になってる。)
詩織さんは元々結城先輩と近づくことが目的で俺と友達になったはずなのに、あれから『好みのタイプを聞いてこい』などの指令を下すことは無い。でも、登下校の時間が合えば寮やAクラスの前で俺を待ってくれている。
……話す内容は、やっぱり結城先輩のことばかりだけど。
「ねえ、まだ分かんないの?」
「うーん………あ!口紅の色を変えた?」
「ブッブー。残念、正解は『前髪を2ミリ切った』よ。」
「いや分かるわけないでしょ!!」
「ふふっ、修業が足りないわね。罰として殴ってあげてもいいけど―――もう元気出たみたいだから、今日のところは勘弁してあげる。」
「………ありがとうございます。」
相変わらず俺は、この勝気な笑みに勝てる気がしない。




