⑧
翌朝、寮の玄関を出た俺と陸は、まさかのお出迎えに来てくださっていたシオリさんに捕まった。
引きずるようにして連れていかれたのは、学園の庭の隅だ。シオリさんは俺を見上げると、待ちきれないといったように声を弾ませる。
「で、どうだった?ちゃんと聞いてきたの?」
「結城先輩は好きな食べ物は無くて、嫌いな食べ物はオレンジジュースだそうです!」
「へー!まあ千隼ってオレンジジュースとか飲んでるイメージないもんね。」
「ですよねー、俺もそう思いました。」
「うんうん、それで?」
「……………。」
「………秋人?」
「……………。」
「…………え、ちょっとあんたまさか―――食べ物の好き嫌いしか聞いてこなかったの?好きな女子のタイプは!?」
「聞くの………忘れました………。」
「ハァー!?」というシオリさんの声と、陸の笑い声が朝の空気に響き渡った。
シオリさんが俺の肩を掴んで揺らす。
「なんで!?むしろなんで食べ物を聞いてきたの!?それを聞いた私にどうしろって言うのよ!?」
「あはははははは!!オレンジジュースに気を付ければいいんじゃないですかね!!」
「すみません、すみません、もうほんっとにすみません!!」
「もーっ!何のための同室なのよー!」
ブレブレの視界で、般若のような顔のシオリさんを「まあまあ」と陸が宥めているのが見える。
だが、その顔は笑いっぱなしなので、止めるどころか余計に煽っていることに気づいてほしい。
「もー笑いすぎて腹いてえ………あれ、シオリさん何か落としましたよ。」
「え?」
ようやくシオリさんは俺を揺さぶる手を止めてくれた。
半ばグロッキー状態にある俺の背中を支えながら、陸が地面から何かを拾い上げる―――生徒手帳だ。
「……この写真、シオリさん?」
生徒手帳の表紙では、制服をきちんと身につけた薄化粧の女の子が、俺達に向かって微笑んでいた。
その下にはこの写真を撮ったのが2年前であることと、『江藤 詩織・オリジン』と記されている。
「へー、元は清楚系だったんだ。しかもシ…詩織さんって3年生だったんすね。」
「もう、勝手に見ないでよ!その写真嫌いなんだから……なによ日野君、そんな変な顔して。」
「いやいやいやだって……詩織さんってオリジンなんですか!?」
「今更なに言ってるの?『千隼になら毎日献血してもいい』って言ったじゃない。」
ほ、ほんとだ!確かに言ってた……!!
シオリさんはリボンも校章も付けていないから、勝手に2年生でラミアだと思い込んでいた。そしてなによりも、あの牛乳パックが決め手といってもいい。
「え、え、じゃあ素の力であのカフェオレを握りつぶしたってこと?」
「んふっ、何言ってるの日野君。女の子がそんなことする訳ないじゃない。間宮君もいるのに、変なこと言わないでよね。」
いやあんたが何言ってんだよ!と心の中で叫ぶ。そもそも俺が知ってる『女の子』という生き物は、目だけで「黙れ」と脅したりはしない。
「カフェオレがなんだって?」
「いや、俺の常識が狭かったって話……。」
「ふーん?」と目を瞬かせる陸の横で微笑んで頷いた詩織さんだったが、生徒手帳を受け取ると表紙を軽く睨んでから鞄にしまった。
「もう、私のことはいいのよ。それと今度こそ千隼に聞いてきてよね、好きなタイプ。」
「えー!もう勘弁してくださいよ、やっぱ俺には難易度が高すぎます!大体、結城先輩のタイプを知ってどうするんですか?」
「そんなの決まってるでしょ。千隼の好みに合わせてメイクとか、喋り方とか、態度とかを変えるのよ。」
「外見だけじゃなく内面も?女子って大変なんだなぁ秋人。」
「内面って……別に結城先輩の好みに合わせる必要無いと思うんですけど。」
「え?」
だって、それはもし結城先輩が「大人しい子が好き」といった場合、詩織さんは大人しい女の子を演じるってことで……今みたいに勝気に笑ったり、素直に怒ったりしなくなるってことじゃないのか。
「確かに化粧がちょっと濃いし、スカートも短すぎるし、胸のボタン開けすぎ、香水つけすぎかなって思うけど―――あっ、仲良しなんだから最後まで聞いて!―――でも、俺はカフェオレを両手で持って大人しくしてたシオリさんより、友達になった明るい詩織さんのほうが好きです!」
俺を鞄で殴ろうとしていた詩織さんは「は?」と言いながら腕を降ろす。俺も一体何が言いたいのかよく分からなくなってきた。
「いや、だからその……さっきの写真の詩織さんも、今の詩織さんも両方美人だなって思うけど、中身が変わってしまうのは寂しいっていうか……無理に変える必要があるのかなって―――とにかく、詩織さんは今のままで充分魅力的な人だと思います!」
あ、でもすぐに殴ったり、つぶしたり、脅したりするのはやめて欲しいかな。
頭の隅にそんな言葉が生まれた瞬間―――無防備な俺の腹に、詩織さんの強烈な右ストレートが決まった。
「ぐふっ!??」
「秋人!?おい、あんた何す――」
「知ってるわよ!」
「「え?」」
ポカンと口を開けたまま固まっている俺たちを、詩織さんは拳を震わせながら睨んでいた。また耳が赤くなっている。
「わ、わわ私が魅力的だってことぐらい、日野君に言われなくたって知ってるわよ!なのにそんなこと言って……あ、頭おかしいんじゃないの!?」
それだけ言うが早いが、そのままくるりと背中を向けて小走りで去ってしまった。
ストレートのダメージで追いかけることも出来ない俺は、ただ一気に小さくなっていく背中を眺めながら腹をさする。
「おえ……やばい怒らせた……やっぱ失礼だったかな。」
「いや、今のはどっちかって言うと……はぁー……いいか秋人、お前が彼女に振られるのは、こういうところが原因だぞ。」
「はっ?どういうとこ?俺、元カノに失礼なこと言いまくってた!?」
「……なんでもない。ただ、他人に優しくするのはいいけど、自分から波乱に首を突っ込んでいくのはやめてくれよ。……あ、ちょっとこっち向いて。」
陸はそう言いながら、松葉杖で両手が埋まっている俺のネクタイを整える。
「優しくって……たったいま詩織さんを怒らせたばかりなんだけど。あと、俺は首を突っ込んでなんかない。」
「左様でございますか…っと、はいOK。高校生なんだからしっかりな。」
いまいち腑に落ちないが、もうこの話題は陸の中で完全に終了した気配を感じるので、これ以上は何も言えない。
(でも、この学園に来てから色々あったもんなあ……。あと3年間、波乱じゃなくてのんびり楽しい学園生活が送れるといいけど。)
ふと、結城先輩の意地の悪い顔が頭に浮かんだ。
なんで出てくるんだよ!と首を振って打ち消したとき、私立峰ヶ原学園に鐘の音が鳴り響く。
もうすぐ朝礼の開始時刻であることに気づいた俺と陸は、慌ててまだ見慣れぬ校舎へ向かって歩き出した。




